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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 77

 神社の石段をゆっくりと下りながら、身体が何度も右に、左に、危うく揺れた。

 拓海は、一歩一歩をしっかりと、丁寧に踏みしめる。

 絶対に、倒れるわけにはいかないからだ。

 とはいえ、人を負ぶった状態で下りる階段が、これほど恐ろしいとは思わなかった。灰色の住宅街を俯瞰しながら、拓海は生唾を飲み下す。

 濃紺の闇が、下界で口を開けていた。家々の窓で灯った人々の営みの輝きは、まるで灯篭流しの光のようで、道標のようにも見えた。

 無数の導きの、光の先。闇に沈んだ、灰色の家々。

 その内の灯りの点かない一軒家に、拓海は、目的地を定めていた。

 石段さえ下りれば、距離はそう遠くない。五分もかからない。いや、三分もかからないはずだ。だがこの現状では、倍の時間が掛かりかねない。

 それでも、普段通りの早さで着きたかった。

 これ以上、冷風の吹きすさぶ中を、過ごさせるわけにはいかないのだ。

「……あっ」

 爪先が、石段を滑り落ちかけた。

 ふっと胃の底が浮き上がるような嫌な感触と共に、身体がふらつき、焼けつくような焦りが喉へ迫る。

 細く息を吸い込んだ拓海は、根性で足を踏ん張った。

 多分だが一人でも、体勢を立て直す事は出来ただろう。

 だがその時、横合いから素早く手が回った。

 踏切の遮断機を下ろすような、機械的な動きだった。武骨だが正確な支え方に、何となく彼女の人となりを感じる。拓海は、目だけで隣を見た。

「……ありがとう」

「……」

 佐々木和音は、拓海がはにかみながら言った礼に、何も言葉を返さなかった。

 ただ、拓海の隣に離れずついて、時折こちらの背中へ視線を投げる。そうしてから呆れとも怒りともつかない顔で、俯く事を繰り返した。

 その挙措に対し、拓海も何も言わない。

 言葉よりも、今は優先すべきことがあるからだ。

 拓海の前を行く陽一郎が、怖々とこちらを気にしている。背後を振り向けば、しんがりを務める毬も、心細そうな面持ちだ。

 もし拓海や和音が気付かない異変が起きても、二人が気を配ってくれるだろう。

 拓海は浅く頷くと、この場の全員を信頼して、ただ下界へ歩を進めた。

 意識を混濁させた、篠田七瀬を背に負ぶって――藤崎克仁の家を、目指す。


 *


 寂寞とした、鎮守の森の襤褸屋、縁側前にて。

「雨宮が、怪我をしたんだ」

 青白い顔で、家族と携帯で話す柊吾を見ながら、拓海がまず最初に思ったのは――自分に出来る事は限られているという、実に殺伐とした現実だった。

 この時の拓海は、自分でも驚くほどに冷静だった。皆が泣き、叫び、昂った感情を露わに喚く中で、拓海は正気を保てていた。おそらくは、柊吾が先に取り乱した為だろう。そうでなければ、錯乱していたのは拓海だったかもしれない。

 そんな拓海が真っ先にした事は、氷花を追おうとする七瀬を止める事だった。

 通すわけにはいかなかった。ここで通せば、氷花との一騎打ちは避けられない。それは無謀で無駄な争いだ。感情を排して、拓海は思った。

 報復の熱意も、胸を掻き毟りたくなるほどの殺意も、この場ではあるだけ無為なのだ。ここで鞘に納められない怒りは、自分の身を斬りつける。何とか七瀬を宥めながら、拓海は周囲を見渡した。

 視界の隅には、襤褸屋の庭にへたり込んで、うわ言を呟く美也子の姿。

 氷花の〝言霊〟によって始まったであろう異能の遊戯は、氷花の〝言霊〟によって幕を閉じた。

 その証拠が、陽一郎だ。一度は『動けなく』なったはずの陽一郎は、今では身体の自由を取り戻し、拓海達から数歩離れた場所で、爪先に目を落としている。

 撫子の姿が気になるのだろう。拓海も気になっていたが、今は非常事態だ。毅然とした表情を、拓海は意図的に形作る。

 これから、忙しくなる。それを、直感していたのだ。

「坂上、連絡ついた。……これからうちの家族が、車で迎えにくる」

 柊吾が、硬く強張った顔で言った。

 七瀬がほっと息を吐き、隣にいた毬も「よかった」と涙声で喜んだ。

 拓海も安堵はしたが、正直なところ二人ほどには喜べない。重々しく頷くと、意を決して訊いた。

「三浦は雨宮さんに付き添って、一緒に帰るんだよな?」

 気まずそうに柊吾が押し黙り、それから首を、縦に振った。

 緊迫した空気が、ふっと音を立てて緩んだ。異論など、あるはずがなかった。むしろ全員が、そうして欲しいとさえ思っていた。

「……よし」

 拓海は、もう一度頷く。気持ちは晴れないが、これで二つ目の問題もクリアした。

 ――まずは、柊吾と撫子を、この場から離脱させる。

 それが、拓海がこの場で達成したい事柄の一つだった。

 このメンバーの中で最も重い怪我をした撫子を、一刻も早く大人の庇護下へ送り出す。事情説明も必要なので、他にも健常者を最低一人、付き添いとして帰らせる。

 適任は、柊吾しかいないだろう。そもそも、電話を入れたのも柊吾なのだ。柊吾も、それを望むだろう。

 そして二人の離脱を達成したら、残りのメンバーも順番に、大人の元へ送るのだ。

 その為のリーダーシップを、拓海が取る。

 緊張と気負いで、身が引き締まる思いがした。

「……坂上。これ、ありがとな。返す」

 柊吾が学ランを拓海へ突き出してくる。さっき撫子の肩へかけたものだ。

 受け取った学ランへ袖を通しながら、拓海は「三浦、急ごう。途中まで送る」と言って、柊吾と足早に森を出た。

 そして下界へ続く鳥居の前まで来ると、柊吾が「悪い。後は、頼んだ」と掠れた声で言ったので、拓海は何とか頷いて見せてから、慌てて囁いた。

「後で必ず、落ち合おう」

 残された拓海は、自分にできる最善は尽くす。その努力はするつもりだ。

 だがさっき考えた通り、中学生の拓海の力量など知れている。

 子供の限界に、一人で挑み続けるのは、無謀だ。

 拓海には、それが分かっていた。これから拓海がすることは、拓海が一人で行う限り、永遠に最善策にはならないのだ。

 緊張で、強張った顔をしているだろう。自分でもよく分かっていた。そんな拓海を柊吾が気にしているのも痛い程に分かったが、その時柊吾のブレザーに包まれた撫子が、小さな呻き声を上げた。

 柊吾の顔から、余裕がなくなる。そして「悪い」と短い言葉を残して石段を降りた柊吾は、すぐに拓海の視界から見えなくなった。

「これから、どうするの」

 背後からの呼び声に、拓海は驚いて振り返った。

 声の主は、七瀬だった。

 水滴を制服の端から滴らせながら、青い顔で立っている。

「篠田さん、なんで……」

 森に残してきたつもりだった。七瀬も軽傷とはいえ負傷しているのだ。狼狽える拓海へ抗議するように、七瀬が沈鬱な表情で唇を噛んだ。

「だって、心配だもん。見送りくらい、私もしたい」

 サイドで結った髪からも、水滴がぽたりと滴った。制服の胸元へ重く垂れた頭髪は、普段の七瀬の髪色よりも、ずっと黒い色に見えた。

 痛ましいその姿に、拓海は目を奪われて……やがて唖然と、口を開けた。

 この段になってようやく……七瀬の背後の面々も、視界に入ってきたからだ。

「へっ? ……皆?」

 毬がいた。和音もいた。二人はばらばらにこちらへ向かって歩いていて、毬の方が七瀬の立ち位置により近く、和音はまだ鎮守の森の入り口だ。

 不安と怯えで影の差した二人の少女の青い顔へ、境内に設置された蛍光灯の白い光が、無慈悲な光を浴びせかける。和音の顔を汚す血が、鮮明に浮き上がった。

 この瞬間、拓海の脳裏に、二つの危惧が湧き上がった。

 ――怪我をした和音の為に、大人へ連絡を取らなければ。

 だがどちらかというと、もう一つの危惧の方が――和音の怪我より遙かに火急で、深刻な問題だったのだ。

「……まさか……全員、俺についてきた?」

 拓海の台詞の意味が、一同には理解しかねたに違いない。七瀬、毬、和音が、訝しげに、不思議そうに、胡乱げに拓海を見る。少女達の視線に拓海がたじたじと後ずさると、全員が同じ結論に達したのか、「あっ」と顔を見合わせた。

「――やばい!」

 拓海は、玉砂利を蹴って駆け出した。

 ――迂闊だった。

 皆が森を離れるなんて、予想もしていなかったのだ。拓海も皆へその場へ残れとは言わなかった。指示を怠った所為だった。

 柊吾と撫子を、見送る為に――メンバーのほとんどが、境内へ場所を移してしまった。

 つまり――美也子を見張る人間が、誰もいなくなったのだ。

 いや、正確には、一人だけ残っている。

 それも、こんな言い方は、本人には失礼だが――一人で残すにはあまりに不安で、憐れを誘う人間が。

「――日比谷っ!」

 息せき切って泉の前まで駆け戻った拓海達は、強い戸惑いから足を止めた。


 ――美也子が、姿を消していたのだ。


 森閑とした森には、陽一郎の姿だけがあった。寂れた襤褸屋と小さな泉の間で身の置き所を探すように、肩をすぼめて立っている。そして血相を変えて戻ってきた拓海達に気付くや否や、半泣きの顔で駆けてきた。

「うわああん、ひどいよっ、怖かったよぉ! 皆して勝手に撫子と柊吾の方についてっちゃうし! 僕も行きたかったけど、みいちゃん残してはいけないしっ……それにっ、お化けが出たんだよ!」

「お、お化けっ? と、とにかく日比谷、落ち着いて、それから順を追って説明してほしい!」

 拓海は抱き付いてくる陽一郎をあたふたと宥めた。そうやって苦心しながら、何とか訊き出した陽一郎の語りは……あまりに、奇天烈なものだった。

「だからねっ、このボロいおうちから、お化けが出てきたんだよ! そのお化けがみいちゃんを抱っこして、おうちの中に入っちゃったんだ!」

「ちょっと日比谷くん、お化けって何! っていうか……またなの!? 風見さんが誰かに目の前で攫われたのに、日比谷くんは黙って見てたわけ!? この甲斐性なしっ! いい加減にしなさいよー!」

 七瀬が、陽一郎の胸倉を掴み上げて揺さぶった。「ぐええ」と呻く陽一郎へ、今度はつかつかと和音が近づいた。

「その『お化け』の見た目を、詳しく教えて。……どんな髪の色だった? 瞳の色は、分かる?」

 その追及に、拓海もぴんときた。和音はその可能性に、いち早く気づいたのだ。頭の中でパズルのピースが一欠片、音を立ててぱちりと嵌る。

 和音と拓海、二人の予想が正しいなら――陽一郎は、〝彼〟と出逢ったことがない。

「えっと、焦げ茶っぽい金髪で、目は漫画みたいに青いんだ。服装は、藍色の和服で……肌は白くって、にこって綺麗に笑ってた。それでね、言ったんだ。みいちゃんは、僕が連れて行きます、って。それを聞いて、僕、すっごく怖くなっちゃって……うわああん、仕方ないじゃん! 人を呼ぼうにも、怖くて声が出なかったんだもん! そんなに僕のこと責めるなら、こんな怖い場所に僕を一人にしないでよおお!」

 七瀬と和音が、見つめ合った。

 呆れてものも言えない様子も含んでいたが、二人の顔の大半を占める感情は、驚きだ。毬だけは不思議そうな様子だが、おそらくは毬も、面識がないからに違いない。拓海は静かに、確信した。

 終わった〝アソビ〟の舞台へ、新たに現れた鬼の存在。

 そんな予感は、あったのだ。潜伏場所はここだろうと、最初から当たりをつけてもいた。

 もし、〝アソビ〟の最中に、拓海がこの襤褸屋へ踏み込んでいれば――今より少しだけでも穏便に、事を終わらせることができただろうか。

「……」

 たとえ、異能の鬼に抗ったとしても。自然の流れには、逆らえない。確かそんな教えが、神道にあったように思う。

 惟神(かむながら)、と言ったはずだ。

 昨日の放課後に神社を訪れた柊吾が、神主である和泉から、教わった言葉だという。

 意味は――人知では到底敵わない自然の摂理に、従う事。

「イズミさん……」

 拓海は襤褸屋の縁側を見上げ、あちこちが破られた障子戸の奥へ目を凝らす。

 ――ここに、いるのだ。

 全てのシナリオを最初から知っていて、それに沿って事を導き、〝アソビ〟をただ、『見て』いた男が。

 撫子の悲鳴や抵抗も、ここにいたなら聞こえたはずだ。

 それを全て聞かなかったフリをして、ここに閉じ籠っていた鬼がいる。

 兄妹の、鬼がいる。

「……」

 拓海はポケットから取り出した携帯で、使い慣れないながらも電話をかけた。

 ――『藤崎克仁』

 電子音が、克仁を呼び続ける。だがいくら待てども克仁は出ない。

「……克仁さん」

 最後に顔を合わせた時の、柔和な笑みを思い出す。受験前に、拓海は克仁の家に招かれて、夕食の席を共にした。

 目をかけられて、いるのだと思う。自惚れではないはずだ。拓海は克仁に、大切に思ってもらっている。

 その克仁が、いまだに拓海の電話に応じない。

「……」

 それだけで、確認は事足りた。

 電話を、切った。

 やはり拓海には、すべき事があるらしい。

 改めて見下ろした携帯の液晶には、家族から入ったたくさんの着信履歴が残っている。拓海は胸を詰まらせながら、そちらにはもたもたとメールを打った。

 ――『ごめん。もうすこし、帰りが遅くなる。あとで必ず、説明する。夕飯はさきに食べてて。受験は、たぶん大丈夫』――送信し、息を吐いた。

「……家族に電話、しないの?」

 いつの間にか隣に来ていた和音が、小さく嘆息した。

 メールの本文を見られたのだろう。拓海は後ろめたさを感じながら「うん」と頷き、携帯をポケットへ仕舞った。

「連絡は、するつもりだったよ。でも、まだできないから」

「どうして?」

「俺が今家族に電話をかけたら、この状況を、説明しないといけなくなる」

「……誤魔化す気?」

 和音が目を細めた。無茶だと、顔に書いてある。露骨な呆れの眼差しに、拓海はたじろぎつつも、肯定した。

「家族には、本当に申し訳ないって思ってる。でも時間がないんだ。三浦だってこれから、家族にいろいろ訊かれると思う。後で会おうって言って別れたけど……それが何時間先になるのか、そもそも今日中に叶うかどうかも、分からない」

 それは柊吾を送り出しながら、覚悟していた事だった。

 付き添いに選ばれた人間は、決して楽な道を行くわけではない。

 むしろ、ここからが正念場だ。拓海達の巻き込まれたこの事件は、氷花の異能を知らない者に対しては、説明がひどく難解なのだ。保護者用に代わりの言い訳をでっち上げれたら良かったが、そんな暇はない上に騙し通す自信もなく、嘘をつくことが良策だとも思えない。その上、美也子という加害者の存在も揺るがない。撫子の家族へ、事情を説明しないわけにはいかないだろう。

 柊吾は今頃、苦しい状況に立たされている。

 分かっていながら、拓海は送り出した。謂わば、柊吾に時間を稼いでもらっていると言っても過言ではなかった。

 そのおかげで、拓海は――これから作業に、当たれるからだ。

 まだ拓海は、家族に電話をかけるわけにはいかない。それをするのは、拓海が最低限の動きをしてからだ。ここに残された時、拓海は確かに思った。自分に出来ることは限られている、と。

 つまり、その限られた範囲内で、拓海は考えられる全ての用意を、整えなくてはならないのだ。

 だから、帰るわけにはいかないのだ。

 拓海だけは、どうしても。

「家に帰ったら、家族と連絡をつけてしまったら、そこで本当に〝アソビ〟が終わりになるんだ。もう俺は、この〝アソビ〟に関わることができなくなる。ほら、言うじゃん。帰るまでが遠足です、っていうやつ」

「そういう楽しそうなものじゃ、全然なかったけど?」

「うん、ごめん……」

 即座に不機嫌そうに睨まれたので、拓海は首を竦めて謝った。

 それでも、やはり以前ほど和音に対して取っつき難さを感じなかった。拓海はそれ以上まごつくことなく、自分の考えを述べられた。

「皆のことは、俺よりは早く帰したいって思ってる。佐々木さんは、これから病院に行こう。少し歩ける? 無理だったら、とにかく自宅に電話を……」

「病院はいい。家への電話も、要らないから」

 拓海が差し出しかけた携帯を、和音は首を横に振って拒絶した。

 ポニーテールの解けた髪が、さらりと肩口から零れて背に流れる。シルエットだけなら、先程の氷花の姿によく似ていた。

「坂上君は、まだ帰らないんでしょ? だったら私も帰らない。この怪我だって、見た目が派手なだけ。もう血は止まってるから。心配しないで」

「けど……だめだって。頭を打ってるのを、放っとくのは良くない」

「私が帰る時は、あなた達全員が帰る時。違う?」

「……」

「私は、話を聞く。だから、あなたも話して。……あなたはどうして、まだ帰るわけにはいかないの?」

 拓海は、やや面食らった。そしてすぐに、この和音の言葉がどういう意味を含むのか、これ以上ないほどに理解した。

 これは、やり直しなのだ。東袴塚学園で、きちんと意思疎通を図れなかった拓海達の、やり直しの〝言挙げ〟だ。拓海達は和音に何も話さなかったし、和音も何も聞かなかった。

 拓海は、和音を見つめる。

 あまり、話す時間は残っていない。だがそうやって和音に対して説明を薄くしたことが、今回の悲劇のきっかけを生んだのだ。

 時間を割いても、言葉を、心を、届けること。時にはそれが必要だということを、拓海はこの〝アソビ〟で学んだのだ。

 撫子の痛々しい身体を、網膜に焼き付けながら。苦い、後悔とともに。

「知りたいの。ここで何が起こったのか。撫子ちゃんが、どうしてあんな怪我をしてたのか。他の皆の怪我も、美也子が、あんな風になった理由も。全部、私は知りたい。……だから、疑問なの」

 和音が、流し目で拓海を見た。

 糾弾の色が、剣技の刀身のように煌めき、冴え渡る。

「どうして問い詰めようとしないの? ここに和泉さんがいて、良くない関わり方をしてるってことも分かってるのに、どうして? さっきだって七瀬ちゃんを止めてた。私は行かせたらいいと思う。和泉さんの所に行ったら駄目な理由は何? ……ちゃんとした理由がないなら、今から私が踏み込む」

 それは、困る。拓海は息を詰まらせ、考える。

 そして何とか闘志の剣を鞘に収めてもらう為、例え話を用いた。

「佐々木さん。この襤褸屋を、ラスボスの巣窟だと仮定してほしい」

「……は?」

 和音が、飴玉を呑んだような顔になる。拓海は内心で傷ついたが、時間がないので構わず先を続けた。

「もう一つ、俺達は一緒にラスボス討伐を目指して旅をしてきたパーティだと仮定してほしい。それで神社の山奥のラスボス手前まで来たんだけど、肝心のラスボスの巣窟には、鍵のかかった扉がある。そういう風に考えてくれる?」

「ふざけてるの?」

 冷めきった目をした和音が、襤褸屋の縁側へローファーの爪先を向けた。

「ま、待って! 最後まで聞いてほしい!」

「ゲーム脳に付き合ってる暇ないから」

「佐々木さん、もし今の仮定の場合、俺達がここに入れない理由は何だと思う?」

「……今の仮定で言うなら、鍵……必要なアイテムを持ってないから、ってとこじゃない?」

「ああ。そうだ。ここへ入れない理由その一は、扉を開けるための鍵を、持っていないから。つまり――俺達が、正当な順路を歩いてないからだ」

「……」

 和音が、顔だけで拓海を振り返る。

 胡散臭いと言いたげな目で見られたが、強行突破をされるよりはマシだ。拓海は大いに傷つきつつも、安堵で胸を撫で下ろした。

「アイテムが手に入ってないということは、アイテムをどこかで取り逃したか、アイテムを入手できる場所を、俺達が通ってないってことを指してるんだ。ゲームってさ、ちゃんとクリアできるように作られてるんだ。どんなに難しくても、挫折する人がいても、絶対に攻略できないものじゃない。突破できる人はちゃんといるし、その為の道筋は約束されてるものなんだ。数学とかにも、通じるものがあるんじゃないかって俺は思う。あるべき答えが、最初からきっちり決まってる。だから、その答えに辿り着けないっていうことは――どこかで俺達は、手がかりを掴み損ねてる。ラスボス討伐に、『鍵の入手』っていうイベントは必須なんだ。それがないまま、ここへ突入することはできない」

「……。坂上君は、このまま突入したら、まずいって考えてるの?」

「俺は、そう思う」

「根拠は?」

「雨宮さんは、風見さんに襲われてる時に、ちゃんと助けを呼んだはずだ。……イズミさんは、それを無視したんだ。女の子が、必死に叫んでるのに。しかも俺達が森から離れた一瞬の隙をついて、風見さんを攫った」

「……撫子ちゃん、助けを呼べなかったかもしれないでしょ。襲われたら、怖くて声なんて出ない」

 目元に険を寄せながら、和音が俯く。

 拓海が責任を感じているのと同様に、和音もまだ自責に囚われているようだった。何かを堪えるような姿に拓海は胸を痛めながら、和音の言葉を検証する。

 しばし考えた後に、首を横に振った。

 確かに、撫子は叫べなかったかもしれない。

 だが、今回に限っては、違うはずだ。

「俺は、ちゃんと呼べたと思う。だって雨宮さんがこの森に入ったのは、ただ単に大人へ助けを求めたいからじゃない。『動けなく』なった佐々木さんを助ける為だったはずだ。襲われて、怖い思いをしても……責任感で、叫ぶと思う」

 和音が、愁眉を開く。驚きを反映してか、瞳もすうと見開かれた。

「雨宮さんって、身体のことがあるし、華奢だから、弱く見られがちだけど……自己主張は、ちゃんとしてたじゃん。だから身体のことを抜きにしたら、周りも対等に話してたっていうか……俺なんかよりずっと、しっかりした子だと思う」

「別に、あなたと比べる必要はないでしょ」

 和音はつっけんどんに言って、「話の続きは?」と促してきた。何となく認められたような気がして、拓海は少し、嬉しくなる。

「俺達が正当な順路を通らずに、ラスボスのいる所までショートカットして来てしまったんだとしたら、ゲームを進める上でまずい事が一つあるんだ。それは、俺達パーティ全体のレベルが低い可能性。本当ならラスボスの巣窟に着く前に鍛えられているべきだった俺達ひとりひとりのレベルが、到底ラスボスをやっつけられる水準に達していない」

「つまりこのまま突撃しても、返り討ちに遭って終わるって言いたいの?」

 やや鬱陶しそうに、和音が要約してくれる。拓海は頷いた。

「しかも、俺達のパーティからは離脱者も出てる。戦力の三浦が欠けたのは、俺達にとって痛手だ。それに、雨宮さんも。……なんていうか、雨宮さんは居てくれるだけで、ラスボスのうちの一人には打撃になるっていうか。めちゃくちゃ逃げてたし、効果覿面だと思う」

「?」

 和音が、不可解そうに目を細める。この理由だけはさすがに説明できないので、拓海は狡いと承知しながら、曖昧に笑って濁した。

「じゃあ私達はどうすれば、そのラスボスを倒せるの?」

「それは、まずパーティ全体のレベル上げ。でもこれは、俺達には無理だ。具体的なレベル上げの方法とかは、これはただの例え話だから省く。けど今から俺達が身体をすごく鍛えて、しかも口喧嘩も達者になるっていうのは考えるまでもなく無理だよな? そもそも現実的じゃないし、相手には最低一人、大人がいる」

「口喧嘩っていうか……屁理屈なら、あなたがいれば何とかなるんじゃない?」

「そ、それは、ちょっと傷つくっていうか……やっぱり屁理屈に聞こえる?」

 そろそろ、胸が痛すぎて辛くなってきた。もし自分が犬なら、今頃くったりと尻尾が垂れていると思う。拓海は眉尻を情けなく下げた。

「と、とにかく。メンバー全員も疲弊してるし、大人相手に子供がつっかかっても、万全の状態で戦えない。確かにイズミさん達を現行犯で押さえられるかもしれないけど、ここまで相手の得体が知れないとなると……怪我してる佐々木さんと、篠田さんと、俺と日比谷と綱田さんで乗り込むのは……賛成できない。そんなことをするくらいなら、三浦みたいに保護者に連絡を取った方がいい」

「でも坂上君は、それを選ばない」

 和音が、拓海を睨んだ。

 堂々巡りの会話へ、苛立っているのが明白だった。

「いい加減に、はっきりして。その理由は、何?」

「……聞かなかったことに、してくれる?」

「……内容による」

「〝アソビ〟の、後始末をしたいんだ」

「え?」

「俺は、〝アソビ〟の後始末をしたい。……多分その為に、本来なら〝アソビ〟に関係のない俺はここにいて、イズミさんもきっとそんな自然の流れに逆らわずに、見守ることを選んだんだ。だから……俺は。本当に全部が片付くまで、帰るわけにはいかない。〝アソビ〟の場から、逃げるわけにはいかないんだ」

「……何を考えてるのか、もっと分かりやすい言葉で、」

 教えて――と。和音が息せき切って放った言葉に、重い音が被さった。

 エコーのかかった音だった。湿った頭陀袋を殴りつけたような、くぐもった重い音。縁側の傍、襤褸屋の玄関先に佇む拓海と和音の、すぐ傍から聞こえていた。

 陽一郎が引き攣った悲鳴を上げ、毬の甲高い悲鳴が、そこへさらに被さった。

「七瀬ちゃん!」

 その名前に、はっとする。

 拓海と和音は弾かれたように振り返り、揃って息を吸い込んだ。

 ――七瀬が、倒れていた。

 さっき美也子がへたり込んでいた、縁側の庭先。一部分だけ黒く煤けた砂の上で、身体が横向きに倒れている。

「篠田さん! 篠田さん……!」

 拓海は慌てて駆け寄って、滑り込むようにしゃがみ込んだ。

 七瀬の顔は、蝋のように白かった。顔へ伝った泉の水が、月光を照り返して青く光る。眉は苦悶で寄せられていて、閉じられた瞳を縁取る睫毛が震え、触れた身体は、氷のように冷たかった。

 ――凍えているのだ。

 当然だった。泉に全身が浸かったのだ。七瀬が耐えていた苦痛へ今更思い至った拓海は、顔面蒼白になった。

「……ごめん! とにかく、これ、着て!」

「退いて!」

 和音が駆け寄ってきて、学ランに手をかけた拓海を突き飛ばした。

「まずはセーター脱がせて! こんなの着てるから身体が重いの! 乾いた服を着せるのは、濡れた服を脱がせてから! 上の服は、脱げるだけ脱がせて……って、七瀬ちゃん、セーラー服の下に一体何枚着てるの!? 多い!」

「あー……篠田さん、寒がりだから……」

「とにかく、日比谷君はあっち行って! 毬は手伝って! そのコートも後で脱いで! 七瀬ちゃんに着せるから! ……坂上君、何見てるの? 早くあっち行って!」

「いや、でも、あの」

「あっち行って。聞こえないの?」

 凄まじい目で睨まれた。見たら殺すと言外に言われた気がした。気圧された拓海は「は、はい……」と殊勝に答え、すごすごと引き下がる。

 女子三人に背を向けると、一陣の風が吹きすさび、山の梢を揺らしていった。

 小さな泉の水面が、波打つ。

 濃紺の空色を映した泉の、水底は暗くて覗けなかった。

 そこに沈めたものを、拓海は回収できるだろうか。

 あるいは、そこに沈んでいたものを……拓海は、回収できるだろうか。

「……」

 弱気は、首を横に振って忘れることにした。

 冬の終わりの寒さが、身に沁みた。

 〝アソビ〟の後始末は始まったばかりで、まだ、終わりそうにない。

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