花一匁 64
心が、なだれ込んでくる。字を目で追いながら、押し寄せてくる感情の波に、自分の心の在り処すら、何度も見失いかけた。沈んだ夕陽の名残の赤さと、神社の境内を寂寞と照らす、蛍光灯の白い明かり。それらと薄紫の夜気とが混じり合って、言葉をどんどん見えなくする。
最後のページをめくり、もうどこにも〝彼女〟の言葉が遺されていないことを確認してから、和音は静かに、遺書を閉じた。
深く、息を吐いた。
「雨宮さん。……これを読んで、分かった」
撫子が、和音を見る。
和音は撫子の方へ身体ごと向くと、その手に、遺書を握らせた。
「紺野さんは、あなたのことを憎んでない」
撫子が、驚いた様子で和音を見た。当然の反応だ。和音自身、これを撫子の目に晒す気は、先程まではなかったのだ。
だが、今は違っていた。
死した少女の遺した想いが、和音に、そうさせていた。
「美也子のお母さんは、紺野さんがあなたを憎んでるって話してた。……でもやっぱり、それはあの人の思い違いだった。この遺書には、あなたを恨む言葉なんて書かれてない」
「そんなの……うそ」
撫子が、ふるふると首を横に振る。その仕草から、瞳に揺れる光から、怯えと心細さが伝わってくる。ずっと不安だったのだ。撫子は今まで人に恨まれていると信じながら生きてきた。その孤独と重圧を拭い去ってあげたくて、和音は「嘘じゃない」と繰り返した。
「紺野さんのこと、分かった。この子はたくさんの人に苛められて、『ばい菌』って言われて、たくさん傷ついて、たくさんの人を恨んだ。大嫌いって、死ねって、たくさん書かれてる。でも、雨宮さん。それは、あなたの事じゃない」
「でも、私は紺野さんに、恨まれてたと思う」
頑なに、撫子は頭を振った。まるでそうすることが、己の罰だとでもいうように。じれったくなった和音は「でも!」と声を割り込ませた。
「たとえあなたが、そう感じたんだとしても。紺野沙菜さんは、多分。あなたのことが好きだった」
息を吸い込む、声がした。
信じられないとでもいうように、撫子が和音を見上げてくる。
和音は、その目を直視した。
四年前に、紺野を救おうとした撫子。その手の平の遺書にあるのは、恨みの想いだけではない。そんな悲しいものだけではないのだ。和音にだけは分かるのだ。
脳裏で緩やかに靡く髪。ポケットから出した鏡で身なりを気にする仕草。勝気そうな瞳。一人の少女の立ち姿を、みるみる鮮明に思い出す。ああ、同じなのだと息をついた。
いっそ清々しいほどに、和音は、紺野と似ているのだ。
「紺野さんは、あなたの事を意識してた。あなたが学校を休んでた時は、早く病気が良くなるようにって祈ってた。その気持ちは全然まっすぐな感情じゃなくて、それどころか、屈折してて……自分勝手な、思いだった。――でも! あなたのことを知りたいって気持ちは、本物なの!」
熱っぽくなる語りに任せて、気付けば和音は叫んでいた。
「あなたが学校に来てからも、紺野さんはあなたを目で追ってた! あなたが誰と話してるかとか、どんな風に笑うかとか、ちょっとしたことを見つめてた! 紺野さんは……あなたの事を、気にしてたの! 美也子がつけた『紺野ちゃん』ってあだ名を気に留めて、紺野さんのことを気遣った……雨宮さん! あなたの事を!」
撫子が、驚いている。和音自身も驚いていた。こんなに直向きな激情が、冷徹な己にあったなんて。そんな驚き方をするのが今日で二度目だと知りながら、和音はまだ止まれなかった。止まりたくないのだ。たった今見つけたばかりのこの想いを、一かけらだって余すことなく、撫子に全て届けたかった。
「確かに、美也子のお母さんが言ってたみたいな恨み言も、この遺書には書かれてる。でも私には、これが本当は全部違うって分かる」
「どうして……?」
「気持ちが、分かるから」
和音は、はっきりと言い切った。
それは、決別の言葉だった。自分の弱さを、認める言葉。
――もう、認める時なのだ。
かつて小五の紺野は、教室で撫子を目で追った。
そんな紺野と、寸分違わない眼差しで――和音も別の少女のことを、ずっと見つめていたのだから。
目を閉じるだけで、感情が滾々と湧いてくる。和音の身体を、紺野に貸しているかのようだった。もうこの世のどこにもない心が、確かにこの胸の内にある。和音は己の両腕を抱きながら、紺野の目と心で撫子を見た。
自分は、この子を嫌いだろうか。新学期のクラスに遅れてやって来た少女。苛められっ子の自分と同じように、クラスに馴染めずに寂しい思いをするかもしれない。そんな淡い仲間意識を砕かれて、クラスの輪の中へ受け入れられた撫子のことを、自分なら果たしてどう思うだろうか。
そんな風に、気負って考えなくても分かるのだ。
そんな感情の存在は、とうの昔から知っていて、たった今、認めたからだ。
「紺野さんは、本当は――雨宮さん。あなたみたいに、なりたかった」
本当は、誰も恨みたくなんてなかった。
本当は、皆と一緒に遊びたかった。
本当は、撫子と。誰より仲良くしたかった。
好きだった。
憧れだった。
撫子のように、なりたかった。
あんな風に――生きたかった。
だが紺野は、撫子のようにはなれなかった。
同じになりたいのに決してなれない寂しさは、純心なはずの感情を、ほんの少し捻じ曲げた。
だから、差し伸べられた手を取れなかった。拒絶するしかできないのだ。
そんなことを、したいわけではなかった。ただ、悲しくて、悔しくて、腹立たしくて仕方なくて、そんな風にしなくてはもう生きてはいけないとまで思い詰めてやまないほどに、身も心も限界だっただけなのだ。
本当の想いは、単純だった。
たったの一つ、だけだった。
「紺野さんは、あなたのことが、好きだった。あなたみたいになりたくて、でもなれなくて、苦しかっただけだった……」
撫子が、「ああ」と短い喘ぎを漏らしながら、胸に遺書を抱いて空を仰いだ。
その姿の優しさはまるで、友達の手を取るようであり、幼児を抱く母親のようでもあった。撫子は黙祷のように目を閉じて、もういない少女の心を、胸にしかと抱き続けた。
紅に燃ゆる紫紺の空へ、鴉が群れをなして羽ばたいていく。
灰色の街。闇に沈む道路の果て。夢現の狭間に取り残された一つの未練が、音もなく解き放たれていくのを感じた。
そんな風に感じたのは、和音だけではないはずだ。
撫子もまた同じだと、和音は確かに感じていた。
温かな暗黙の了解が、二人の間に流れていた。
「……佐々木さん。私ね、本当は……紺野さんが亡くなったこと、あんまり悲しく思ってないの」
不意に、撫子がそう言った。
和音は驚いたが、「そう」と淡白に返事をして、話の続きを促した。
「紺野さんのことを、私は助けられなかった。でも、紺野さんが自殺をしてしまったかもしれないことで、私は自分まで死にたいとは思わないの」
「どうして?」
今度は、和音は訊いてみた。単純に意外だったからだ。
撫子の優しさを、和音ももう知っている。達観めいた突き放しの言葉には、はっとさせられるものがあった。
撫子も分かっているのか、傷付いた風もなく淡く笑った。
「私自身が、死にたいって思ったことなら、あるよ。死んだら色んなこと、なかったことにできるのかな、って。でもそれは、紺野さんとは関係ないの。紺野さんが死んだのは悲しかったけど……私は、紺野さんと『友達』って言い合えるくらいに、親しい仲じゃなかった」
白い喉を反らせて、撫子が感情の読めない顔を空の彼方へと向けた。
「私は、紺野さんを助けられなかったことが、悲しいわけじゃない。紺野さんのことを全然知らないまま、もう二度と会えなくなったことが、悲しいの」
風が、枯葉を赤い空へ巻き上げていく。冷えた空気に、夕餉の香りが混じり合う。この石段の下の家々から、立ち上ってくる生活の匂い。人間として生きる営みの匂い。その日常の匂いに包まれながら、和音はただ、瞠目した。
胸を、打たれていたからだ。
――撫子も、こんな風に思うのだ。
人には見せない、表には出さない、そんな感情を抱くこと。それは誰しも当たり前の事なのだと頭では分かっていても、今まで実感を伴うことはなかった。
だが、そんな曖昧で茫漠とした孤独と気負いが、撫子の言葉で白く解かれていくのを感じた。
――和音だけでは、なかったのだ。
そんな戦い方を極めながら、日々を生きようとしていたのは。
明らかに自分と同じ戦い方で、時には自分と同じ傷を負いながら、それでも生きるのをやめない一人の少女が、和音の傍にいたのだ。
こんなに近い距離に、ずっと居続けてくれたのだ。
沈黙が、流れた。
その沈黙の中で、和音は胸の内に一つの答えを見つけていた。
きっと、自分一人では気づけなかった。色んな人達と言葉を交わし、やり取りを重ね、今こうして撫子が言うように、この少女と共に行くことを己の意思で選んだからこそ、辿りつけた答えだった。
その答えを、和音は素っ気なく言ってあげた。
「友達に、なりたかったんでしょ」
不思議そうに、撫子が和音を見る。
決まりが悪くなった和音は、目を逸らした。
「紺野さんと、もっと話してみたかったんでしょ? それが叶わないまま死なれて悲しかったっていうのは、『友達になりたい』って事とどう違うの?」
「私が、紺野さんと……?」
「助けようとしてたくせに、自覚がないの?」
和音は呆れてしまった。死んだ紺野がこの撫子の姿を見れば、怒るか、悔しがるかするだろうか。だが、あまり悪い気はしなかった。
撫子だって、人間なのだ。紺野の手が、届かない相手ではない。
伸ばされた手を、自分には掴めないからと拒むことなんてないのだ。
掴めばいい。
触れられる距離に、助けの手はあった。
確かにあの時、あったのだ。
「……佐々木さん。私は小五の時、美也子があの子に『紺野ちゃん』ってあだ名をつけたのを聞いて、それを止めた方がいいって思ったの」
空を見上げる撫子が、すうと瞳を細めた。
「でも私は、止められなかった。私自身だってあの子のことを、なんて呼べばいいか分からなかったから。……友達じゃ、なかったから」
「……名前で、呼んであげたらよかったんじゃない?」
「名前?」
「うれしいと、思う。あなたに、呼んでもらえたら」
「そう、かな。でも、もういない紺野さんのことを、勝手に名前では呼べない」
「あなたって……真面目すぎるんじゃない?」
和音が嘆息すると、撫子は目をぱちくりと瞬いた。
「佐々木さんに、そういう風に言われると思ってなかった」
「どういう意味?」
「だって、真面目なのは私じゃなくて、佐々木さんの方でしょう? 七瀬ちゃんと毬ちゃんから聞いてたから。勉強も鍛練も、全部真剣に取り組んでるって」
「……やめてよ。恥ずかしいから」
余計に決まりが悪くなった和音は、ぶっきらぼうに言った。
そして、そんなやり取りを交わしながら、和音は己の心の内に、今までの鬱屈とは明らかに質の異なる、新たな感情が芽生えているのに気付いてしまった。
その想いを、どんな言葉で言おうか迷った。
以前の和音なら、すんなりと口にできたかもしれない。だが撫子には散々見栄を張ってきた挙句、最後はかなり格好悪いところを見られているのだ。
今更、どの面提げて言えるだろう。
だが、そんな風に意地を張るのにも馬鹿馬鹿しい。自分らしさというものがいまいち分からなくなった和音だが、結局愚直に、こう言うことにした。
「雨宮さん。私は……あなたと、友達になりたい」
撫子は、とても驚いたようだった。
琥珀の目に、薄く涙が浮かんでいく。白い頬を、涙がはらはらと滑っていった。
その涙を指で拭った撫子が、「うん」と頷いて、微笑んだ。
「佐々木さん。……和音ちゃんって、呼んでもいい?」
「……うん。あなたのことは、どう呼べばいい?」
「撫子で、いいよ」
「あなたのことを呼び捨てにするのは……照れる」
「いいのに」
「……じゃあ、撫子ちゃん、で」
「七瀬ちゃんと、同じ呼び方だね」
目を細めて、撫子が笑った。どきりと、和音の胸が弾む。
撫子が初めて自分へ向けて、心からの笑みを見せてくれたと気付いたのだ。
「……和音ちゃん、ありがとう」
「お礼なんて……、ううん、こちらこそ。……ありがとう。撫子ちゃん」
撫子が遺書を膝の上へ置いて、こちらへ手を伸ばしてきた。
和音は、困ってしまう。照れ隠しの悪態が喉元にまで迫ったが、今だけは、素直な自分でいたかった。和音も、撫子へ笑みを返して手を伸ばした。随分久しぶりに、笑った気がした。
互いの指が、ゆっくりと近づいていく。
二人だけの世界には、優しい幸福が満ちていた。他には、何も要らなかった。
身を寄せ合った二人の指が、あと少しで、触れ合いかけた。
まさに、その瞬間だった。
「……みぃつけ、たぁ……」
しょき、と。
鋏の噛み合う、音が鳴った。
「……!」
冷気が、急激に場へ満ちた。きんっ、と氷が砕けるような澄んだ音が、鼓膜の奥で何故か響いた。
和音は、声が出せなかった。
突然の、事だった。
ぬう、と。撫子と和音の身体の間に、黒いブレザーに袖を通した、少女の腕が伸びてきたのだ。
その腕が、撫子の首を絞めていた。
否、正確には締めているのではなく――背後から、抱き締めていた。
羽のように優しく、次第に蜘蛛の糸のように絡みつき、細い身体へ左手を毒蜘蛛のように這わせながら、刃物を握った右手が首を抱き、刃先が頬を舐るように撫でた。
「っ……」
撫子も、声を出せずにいた。ひゅっ、と喉から細い息が漏れるのが、隣の和音には聞こえた。身体を僅かに反らせて、撫子は身動きひとつ取れずに、恐怖か、絶望か、開いた瞳孔を和音の方へと向けていた。
「撫子ちゃん、撫子ちゃん、会いたかった、会いたかったぁ……えへへ……えへへへへ……」
振り乱された茶髪が、ぞろりと撫子の身体にかかる。華奢な肩に顎を乗せた少女の目玉が、湿った前髪の向こうに覗いていた。完全に一切の正気を失くした眼球が、撫子の姿だけを映して蠢いた。
「み、みや、こ……?」
「撫子ちゃん、変わらないね、やっぱり声が綺麗だね……? 嬉しい……私の名前、覚えてくれてたんだね……っ!」
「まっ、て……嫌……はなし、て……!」
「可愛いね、可愛いね、撫子ちゃん……ずっと探してたんだよ? あれ? 大人っぽい雰囲気だったのに、ちょっとだけ変わっちゃった? 同じくらいの背だったのに、今では私の方が、ちょっと背が高いのかなあ……?」
「……かず……ね、ちゃ……た、す……」
撫子が、空気を嚥下して身じろぎした。だが、それだけだ。身体が、動かない。蛇に睨まれた蛙のように、怯えの目で固まるだけだ。
そんな撫子の姿と、背後の〝狂気〟の権化――風見美也子の姿を、見比べた、刹那。
ある警句が天啓のように、和音の脳裏を駆け巡った。
瞬間、和音はそれに従った。
和音は渾身の足刀蹴りを、美也子の横腹目掛けてお見舞いした。
「! ぎゃッ!」
人間とは思えないひしゃげた悲鳴を上げて、美也子の身体が吹っ飛んだ。撫子に絡みついていた腕が一瞬にして離れ、美也子の小柄な体躯が玉砂利の上へ叩きつけられる。砂利がばらばらと出鱈目な方向へ乱れ飛んだ。
胸が刹那痛んだが、和音はそれを気の所為として処理すると、淡々と冷酷に目を細めた。
「……本気で嫌がってる人間に、べたべた気安く触らないで」
だがそうやって威圧的に立ちながら、己の心音は太鼓のように打っていた。
背筋には熱い汗が流れ、激しい緊張と恐怖がぶり返し、足が震えそうになる。
――和音は、知人を蹴ったのだ。
だが己がそんな暴挙に出たのは、撫子の為だけではなかった。その為なら単に美也子を引き剥がせばいいだけだ。己の手で、身体に触れて、美也子を退かせばいいだけだ。
それらを一切せずに、いきなり武力行使を選んだのは――突如蘇った少年の声が、激しく警鐘を鳴らしたからだ。
――この〝アソビ〟、氷鬼だ。
「撫子ちゃん!」
和音は俊敏にしゃがみ込んで、石段の最上段に倒れた撫子を抱え起こした。
途端、ふっと音を立てて何かが緩んだ感触があった。場違いに温かな風が、一瞬身体へ吹き付ける。
「っ?」
謎の感覚に気を取られかけたが、和音は自分の右足にも違和感を覚え、思わず手を添えて吃驚した。
――冷たかったのだ。
まるで氷水に浸したかのように、ふくらはぎが冷えている。霜が降りるように冷気が立ち上ったが、その感触は徐々に本物の霜のように溶けた。
――何? 今の?
「和音ちゃん……!」
撫子の声で我に返った。和音は今度は「立って!」と叫んで腕を引くと、軽い身体はあっさりと持ち上がり、撫子も自力で和音の腕から起き上がった。その手助けをしながら、和音はぎょっとして血の気が引いた。
――撫子の身体も、冷え切っていたのだ。
「和音ちゃん……和音ちゃん……!」
撫子が、酷く狼狽えた様子で和音にしがみ付いてくる。今まで冷静な態度をあまり崩さなかった撫子の怯えに、和音は反応が遅れてしまう。すぐに慌てて抱きしめたが、怯えているのは、和音も同様だった。
耳に蘇る、声があった。
それは、少年の声だった。
坂上拓海の、声だった。
――この〝アソビ〟、氷鬼だ。
――触られたら、『動けなく』なる。
「……まさか……本当に、そういう、ことなの……!?」
愕然とした。畏怖と猜疑に心を掴まれながら、それでもまだ信じたくない和音は悪足掻きのように頭を振る。だが撫子は真っ青な顔で頷くと、和音へ最悪の現実を突きつけた。
「私……毬ちゃんと、同じだった……身体、『動けなく』なってた」
じゃり、と背後で足音がした。
二人揃って、弾かれたように振り返り――戦慄した。
「……み、美也子……」
掠れた声で和音が呼ぶと、相手は「えへへ……」と笑い声を返してきた。
東袴塚学園で対峙した時よりも、頭髪がひどく乱れている。制服も、傷と泥で汚れていた。まるでその格好で山の中を一晩中歩いたかのようだった。
幽鬼か、化生か、人の身では保持できない程の妄執と熱情を滾らせた少女が、ふらりと立ち上がり、顔を上げた。
そして、和音の友達だった筈の少女は、凄烈な存在感と悲愴感を放ちながら――狂気の笑みを、顔に乗せた。
「和音ちゃん……えへへ、ひどいなあ……いきなり蹴るなんて、ひどいなあ……」
――風見美也子、だった。
紛れもなく、美也子だった。
東袴塚学園のグラウンドに突如現れ、そして姿を消した同級生。
その手には、あの時と同じように――青色の鋏が、握られたままだった。




