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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 58

『……どうやら。無事に逃げれたようですね』

「無事……かどうかは、怪しいけど」

 しどろもどろに答えながら、拓海は携帯を見下ろした。

 阿鼻叫喚の地獄絵図を音声で伝えていた携帯は、今やすっかり静かだった。和音と撫子の声は遠ざかり、美也子の母と思しき女の声も消え失せると、今度はざあざあと雨音のようなノイズが、静かに流れるばかりとなった。

「……よかった……!」

 柊吾が、血を吐くような声で叫んで蹲る。七瀬が気遣うようにその肩に触れた。拓海も細く、息を吐いた。まだ楽観はできないが、それでも深く安堵した。

「なあ、坂上……これって雨宮達、逃げれたんだよな?」

「うん」

「じゃあ、ここでタイムアップだ」

 立ち上がった柊吾が、叫んだ。

「俺達も学校出るぞ! イズミさんが黒なのは分かったし、雨宮達が今無事なのも分かった! けど、これからも無事だって保障はねえ!」

「三浦、待った!」

 拓海は慌てて柊吾を呼んだ。下手に和泉を刺激して欲しくなかったのだ。多分だが今の和泉は、柊吾を傷つけることに躊躇がない。拓海は和泉に、そんな風にして欲しくないのだ。

 そんな心を読んだのか、和泉が不意に、感情のない声で言った。

『拓海君。さては君、まだ僕の目的にまでは理解が及んでいませんね?』

「……」

『この点だけは、君に見破られるとは思っていません。克仁さんにさえ僕の目的は明かしていないのですから』

「……はい。俺には、イズミさんの最終的な目的が何なのかは、まだ確信が持てません。何の為に風見さんと雨宮さんを会わそうとしてるのかも分かりません。でも」

 拓海は、おもむろに陽一郎を振り返った。

 視線を受けた陽一郎が、「ふぇっ?」と声を上げている。一歩近づいてその手に握られた物を引き抜くと、見えているかは分からないが、拓海は携帯の方へそれを翳した。

「イズミさん。今俺が持ってる物が何か分かりますよね?」

 拓海の手に、視線が集まる。柊吾が、驚いたのも分かった。携帯のスピーカーから、吐息をつくのが聞こえてきた。拓海にはそれが驚きの声だと何故か分かった。人が『判る』男でも、不意を打たれて驚くのだ。拓海は、手中の表紙を見下ろした。

 ――『山椒大夫・高瀬舟』

「イズミさんはこの事件のヒントとして、文学作品を挙げてくれました。森鴎外著、『山椒大夫』。学校の授業で鴎外の作品を少しだけ読んだことがあるけど、皆には受けが良くなかったです。でもイズミさんは鴎外作品では他にも『舞姫』を読んだって言ってましたよね? お爺さん……お父さんの生い立ちと、ちょっと似てる話だから」

 携帯の向こうが、沈黙した。

「俺には、イズミさんがこんな事をした動機は分かりません。でも、イズミさんがこんな事をした理由は、俺達に悪意を向けたわけじゃなくて、助けてくれてるんだって事も分かってます。だって、イズミさんが文学作品を挙げたんだ。今までにもそうでしたよね。色んな事件の中で、イズミさんは文学を扱った。九年前の夏にも。イズミさんの目を通して、俺はたくさんの文学に出会ったんだ」

 自然と、照れ笑いが薄く浮いた。

 本当に、こんなきっかけがなければ、まず読まなかった本だと思う。拓海自身読書は好きだが、硬派で古めかしい文章を積極的に読むかと問われたら、首を縦には振りにくい。何だか不思議な縁だった。

「そのイズミさんが、文学をまた扱った。そこに出てくる悲しい母親と姉と弟たちを、俺らの事件に当て嵌めて。三浦と雨宮さんになぞらえて。……イズミさん。雨宮さんは、最終的には助かります。それをこの一冊の本が、確かに証明しています」

『それは、何故です』

 和泉が、訊いた。九年前の、夏のように。

「決まっています」

 拓海は、答えた。

「イズミさんは、文学を愛する人だから。もし今回の事件で雨宮さんの身に取り返しのつかない事が起こったら、俺達はきっと、この文学のことを嫌いになってしまうと思う。タイトルが目に入るだけで今回の事を思い出して、辛くて、苦しくなると思う。――だから。イズミさんが文学を扱ったってことは、絶対に大丈夫だっていう保障だと思います。それに」

 そう拓海は付け足した。

 もう一つだけ、主張したい理由があるのだ。

「……イズミさん。この『山椒大夫』を引き合いに出したのって、今までの文学作品もそうだけど、自分のお勧めも入ってます? 今まで話してくれた文学全部、実はただイズミさんが好きなだけで、名前を出したんじゃないですか? って、いうか」

 変な言い方になると思う。それを承知で、言い直した。

「イズミさんは、この『山椒大夫』――『実は、好きなんじゃないですか?』」

 沈黙が、広がった。

 その静寂が数秒ほど続いたのち、突然弾けるように和泉が笑った。

 拍子抜けする拓海を尻目に、『これは失礼』と優雅な声で和泉が言う。

 その声には先程までの揶揄はなく、ただ純粋に拓海の言葉を面白がっているような、子供のような響きがあった。

『その〝言挙げ〟には、僕はこう返すしかないのでしょうね。――『妬ましいほど、好き』、と』

「イズミさん」

『参りました。拓海君。降参です。白状しましょう。――氷花さん、こちらにいますよ。僕と克仁さんで預かっています』

「!」

 緊張が場に走った。

『お見事です。ですが君達がその保障とやらに乗っかって手を抜く気であれば、撫子さんが今後どうなるかは分かりませんよ。言っておきますが、僕が『見た』ものはごく一部。彼女が無事に帰って来るかは君達の行動次第です』

「てめえが仕組んだくせに、何言って……!」

 激昂する柊吾の腕を抑えながら、拓海は「もちろん、全力で助けに行きます」と即答した。

『もう一度訊きましょう。君達は、これからどうするのです?』

「……神社へ、行きます」

『成程。風見さんの自宅ではないのですね』

「ここからなら多分、神社の方が近いですから。神社に着いてから二手に分かれて風見さんの家に向かってもいいけど、雨宮さん達もあれから場所を変えたと思う。行っても無駄なら、最初から神社に向かうべきです」

『……長い、籠城でしたね』

 皮肉な言葉に、拓海は返事をしなかった。きっ、と表情を引き締めて、この場の全員を振り返る。めいめいが、拓海へ頷き返した。

「……皆、行こう!」

 それを合図に拓海達は、一斉に階段を駆け下り出した。

「間に合うんだろうな!」

 柊吾が怒鳴った。何に、とは訊かれなかった。訊かれるまでもないからだ。

「間に合わせよう!」

 拓海は答えた。和音と撫子が、これ以上危険な目に遭う前に。

 この東袴塚学園で、様々な事を議論した。その一方でまだ不明な事実も残っている。その最たるものが、風見美也子の現在の居場所、そしてこの〝アソビ〟を終わらせる方法だ。

 まだ拓海達は、〝アソビ〟を終わらせることが出来ない。

 美也子の心に、まだ行きついていないからだ。

 何故、〝アソビ〟に拘るのか。これでは九年前の幼女と同じだ。何故、〝アソビ〟続けるのか。それは、一体何故なのか。

 問うて、判らないのなら。

「必ず、俺が見つけるから! どうやったらこんな悲しい事が終わるのか、必ず、見つけてみせるから……!」

 息を切らせて昇降口まで辿りつき、その最中に、はっとした。

 自分は一つだけ、まだ得ていない情報がある。

「……。三浦。最後に一つだけ、訊きたい事がある」

 靴を履き替えていた柊吾が顔を上げた。焦りの強く浮き出た顔に、これは本当に今確認すべきことなのか、拓海は刹那判断に迷った。

 だが、引っ掛かりを感じたのだ。今、それを問うべきだと。きちんと、確認すべきだと。

 削れゆく時間をさらに割いて、拓海はこの学園での最後の質問を、友達に向けて投げかけた。


「――雨宮さんの『目』の事で、再確認したい事があるんだ」


 一同に、薄らと別の緊張の気配を感じた。七瀬が「ちょっと」と拓海を肘で小突いて、後ろめたそうな顔をする。拓海もその気持ちが伝播したが、そういう状況ではもうなかった。撫子の『目』を知らない毬はきょとんとしたが、柊吾が難しい表情ながらも首を縦に振ったので、拓海は無理やり、我を通した。

「雨宮さんの『目』は、雨宮さんの体調や精神状態によって、『見える』人間の対象が制限されるよな?」

「ああ」

「でも、人間全員が『見えなく』なるわけじゃない。『見える』人間もちゃんといる。そのメンバーは、三浦、日比谷、あとは雨宮さんの両親と、学校関係者。雨宮さんが生きていくのに、最低限必要な人間達。そうだよな?」

 中学二年の初夏。氷花が拓海の周囲で起こした、最初の事件。

 撫子の目が『見えなく』なった時の、『見える』側のメンバーを、拓海は記憶を頼りに挙げていった。

 顛末は、訊いている。だから、拓海も七瀬も知っている。

 知らないのは、最終的な決着を知らない陽一郎と、まだ何も知らない毬だけだ。

「……坂上。間違いが一個あるぞ。そのメンバーからは、俺を外せ」

 柊吾が、ほろ苦いものを飲み下したような顔で言った。

「お前だって知ってるだろ。あいつの体調がまずい時は、俺の姿だって『見えなく』なる。本当の意味で、最後まで『見える』人間は」

「ああ。分かってる。けど、ごめん。今確認したいのはそこじゃない」

「あぁ?」

 郷愁を湛えた柊吾の目が、ぽかんとしたものに変わった。

 拓海は、時間を惜しんで畳み掛けた。

「三浦。本当に、それで全員? 『見えない』状態の雨宮さんが、それでも『見える』人間は、今ので全員? ……違うよな? まだ、いたよな? 最低でも、一人は」

「は……? ……あ」

 忘れてた、とでも言う風に、柊吾が呆けた声で言った。


「そういえば、あいつ。……呉野のことも、『見えてた』んだった」


 七瀬が呆れたような顔で「なんで忘れてるわけっ? 話聞いただけの私だって覚えてるのに!」と柊吾の腕を引っ叩いた。「ってぇな! しょうがねえだろ! 何で呉野の阿呆が雨宮に『見えた』のか分かんねえんだから!」と柊吾は反論していたが、拓海は、その言葉に考え込んだ。

 これは、以前から考察できはずだった。

 それなのに、思考を止めていた部分だった。

「雨宮さんは……呉野さんの事も、『見える』……生きていく上で『必要』な人間じゃないのに? 『愛』のない相手なのに? ……いや」

 まさか、『愛』がないからこそ、なのか。

 ひやりと、冷たいものを拓海は感じた。

 『愛』を交えない執着。それでも必要と認める相手へ向けざるを得ない、その感情の名前は。


「…………。『憎悪』?」


 柊吾の顔が、強張った。

「雨宮さんは、もしかして……『憎悪』している相手は、『見える』……?」

「坂上くん! 三浦くんも! みんな、行こう!」

 七瀬にせっつかれて、全員が我に返った。柊吾は何か言いたげに拓海の顔を見てきたが、拓海もこれ以上時間を使うのは気が引けた。緊迫感に不穏な空気を混ぜながら、皆で昇降口を出ると同時に、チャイムの鐘が鳴り響いた。

 六時を告げるチャイムだった。

 長い籠城の終わりと共に、下校時刻が訪れた。


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