闇より深き闇より
「私はお前を養うことは出来ない。やるべきことがあるからな」
魔王ディーヌスレイトはそう告げると寝台から少女を降ろし、何処かに誘う。
二人の後ろを恐ろしげな魔将二人が付き従うもその表情は厳しい。
「市内の。と言っても今は焼け野原だが魔都の治安は宜しくない。人間のお前には特にな」だから『子供たち』の一人に扮して逃げると良いと魔王は薦めてくれた。
「逃げろとは?」自分は曲がりなりにも魔都の住民だ。
今までの魔族ならば人間に対しては血を搾り取る為に殺すことくらいしかなかったし、それすら水魔将や今代の魔王は禁止していた。
農奴であった昔より魔都で何時血を絞られるか解らない日々を過ごすほうが殆どの血袋達にとって幾何が過ごしやすかった。
「今回の件で魔族の多くは人間を取るに足らぬ存在という認識を改めた。
ある種の憎しみ、否。ハッキリ言おう。畏れを抱いている」畏れ? 首を捻る少女。
筋力、魔力、知力そして種の多様性。
全てにおいて魔族は人間のそれを上回っている筈なのに。
「人間は何をするか解らぬという不信だ」人間によって滅ぼされそうになった自分たちを救ったのは人間から排出された水魔将の策だった故に。
「でも。水魔将様。いえ由紀子さんは」「理屈だけで人は動かぬ。本能的な恐怖が理性を上回ることは多々あるのだ。その場合理性は恐怖の奴隷になる」
魔王は暗い道を少女を伴って進む。
「見たまえ。これがこの世界の歴史だ」
神が小さな箱庭を作り、その中に泥と灰、血で練って作った人と魔族を配置し相争わせる姿を映したタペストリは少女の知っている神の教義にはない。
「『金色の髪』の教えでは魔族は……言うまでもないか。まぁよい。
我々の信仰は特殊だ。異世界の魔王である『ディーヌスレイト』という存在がいるとされるが、
その現身と言える『人形』を魔力で作成。
現人神である魔王そのものとして奉る。
その身は一〇〇年ほどで崩壊するためその都度作り直す。記憶と能力だけ受け継いで」
どうしてそんなことを一介の血袋に教えてくれるのだろうと少女は思う。
その不安げな、そして戸惑いの表情を見抜き、魔王は微笑む。
「そうだな。これは由紀子にも言っていない事実なのだがキミには教えてやろう。私は寿命だ。そろそろ廃棄処分だな」
そういって明るく笑う魔王は何処か恐ろし気でやはり魔王なのだと少女は震えあがったが傍に立つ優しい風の揺らぎと炎の暖かさがそれを否定する。
このひとは優しい。暖かい。なのに。
少女の思索を魔王の言葉が途切れさせる。
「だが、『奴』は違う。廃棄処分された魔玉でありながら耐用年数を過ぎても活動し続け、進化を続けている。
アレはともすれば後の世ではこう呼ばれるだろうな」
意味の解らぬことを言われ少女は問い返してしまう。
「『奴』とは?」「壊れた魔玉だ。不完全故に完全をめざし、それ故に世界に絶望と不安をまき散らす我が姉妹と言ってよい存在だ。昨今その所在と正体が解った」
思わず魔王の言葉止めてしまう不遜を行った少女に魔王は優しい。
元々この女性は優しい人なのだと少女は思った。運命に逆らえなかっただけだ。そして恐らく自分もその運命に操られ、儚く散るのみなのだ。
だから、夢なんて持つだけ無駄だと思う。夢を持っていた人たちは皆死んだじゃないかと。
かび臭い通路は風魔将の力で次々と清浄な空気を。
冷たい廊下やボロボロの壁画は破壊と再生を司る炎魔将の力で鮮やかによみがえっていく。
魔王の創造物である二人の魔将は代々の魔王の気質の影響を受ける。
少女にもわかる。解った。理解せざるを得なかった。
この二人の恐ろしい魔将は真の意味では悪魔でも何でもない人物だ。
ただそうあるべきだという使命感が二人をそうさせているのだと。
「人間と魔族の認識する歴史は違う。そのことを幼いうちに知っておくことは意義がある。
なにより。キミは以前面識があるからな。
デュラハンの事は申し訳ない。私の不徳の所為だ」
二人の木靴が通路を踏みしめ、魔将たちがその後を追う。
奇妙な空間に出た。金属質の扉や壁。明滅する小さな文字盤の数々。
意味不明のうわごとや歌を奏でる不思議な箱。クルクル回る不思議な円盤。
魔王はこの世界には不釣り合いな複雑なからくりを操作する。
少女にはそれが何らかの魔法の品に見えていた。
ぴ。ぴ。
魔王の細く美しい指が動き、壁が開いていく。
「この中で『我々』は生まれる」
『魔王』は本来この部屋に立ち入ることが出来ないのだが私は元々本来の意味での魔王ではないので可能だと言う謎の言葉を放つ魔王。
少女は見た。
幾重にも重なるエルフ女性の死骸とも眠った姿とも取れぬものを。
「この中で奴は産まれた。世界に呪いと闇をもたらすために」魔王はつぶやく。
「奴は今、こう名乗っている。『神聖皇帝』とな」
そして、恐らく大魔王と呼ばれるようになるだろう。
魔王はそうつぶやいた。




