シズカ
「あの魔女を殺さないと。殺さないと。殺さないと」
その少女を見た魔族の男。
鼻から下がぽかんと一瞬広がった。
そしてその口元はすぐに引き締められ、眉の根元と共に歪む。
「ああ。嫌なものを見た」という表情を浮かべた魔族の男はその血袋の少女を見逃した。
勝利記念と称して人間を浚ったり血袋から血を絞る魔族は少なからずいる。
そんな彼らの心理の奥には『人間は何をするか解らない』という今回の戦役で得た潜在的な恐怖があった。
その妄執を思わせる呟きを続ける少女。
シズカは図らずして己が命を救ったのだ。
シズカは人間軍の兵たちと共に旅をしてきた。
別に望んでの旅ではない。一六〇〇〇〇もの人員がいる軍隊は相応にその軍を支える人間がいる。
補給、輸送、情報の伝達、食料や装備の生産、葬儀、神事。
彼女は古来の軍隊や神事にはつきものの職業に従事していた。
もっとも後者での需要は昨今の人間の世界では邪教のみである。
幼いころから客を取らされ、親の顔すら覚えていない。
逃亡を防ぐために片足の腱を切られていた。
魔族に捕まった際は戯れに女性の証を焼けた器具を突っ込まれ、内臓を穿り出されて潰された。
その上で魔族にとって伝統的な採血具である『鋼鉄の処女』に入れられ、瞳を潰された。
そんなシズカだが現在は『身体的には』汚れを知らぬ乙女であり、
その瞳は怨恨の炎を宿して爛々と輝き、その潰された筈の鼓膜は聞こえぬ筈の『声』を聴き続け、その鈍くなった筈の鼻と抜かれた筈の舌は血の臭いを求めて歩み続ける。
「ウンディーネ。悪魔め。悪魔を、魔王を殺す」少女は何処からか手に入れた鋼鉄の剣を手にその足を進める。
―― ゆっこを恨むのは筋違いだと思うがなぁ ――
「黙っていて。私の狂気」少女は誰かと会話を続ける。
―― いや、お前は正気だぞ。まぁちょっと普通じゃない所あるけど ――
「煩い。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ……」
―― あと、お前の怪我を治してくれたのは赤十字軍のトロール娘だからな ――
「魔族は死ね。魔族は死ね。魔族は死ね。魔族は皆殺しだ……」
少女は歩む。
誰を憎めばいいのかなど知らない。
どうやって生きればいいかなど考えたくもない。
彼女はそうやって生きていた。
彼女を組み伏せて荒い息を吐く男たちを無視して口に出来るものを口に運び、可能ならば盗めそうなものを盗む。
盗んだものを上にとられる。
何も考えず、考えられず。
考える気力もなく空を見上げるといつも星か『輪』か月があった。
太陽はまぶしすぎてみていられなかった。
だが、やっと彼女は生きる力を得た。
瞳も耳も鼻も舌も脚も失った筈だった。
女性の尊厳など物心ついた時からなかった。
今の潰された筈の瞳には光がある。
焼けた鉛を流された耳には音がある。
引きちぎられた筈の鼻は綺麗な形だ。
その愛らしい唇に怨嗟の言葉を蓄え、
その細い脚は確かな足取りで目的に向かって歩む。
「あの悪魔、水のウンディーネを。魔王を。魔王ディーヌスレイトを……殺してやる!!!! 」