『アナタ』
「アナタたちには解らないでしょうね。この先にある物がどれほど大切な宝なのか」
炎上する魔都の中央。桔梗は傷ついた身体で嗤う。
油断したなぁ。ああ。美味しい物一杯食べたかったなぁ。そう頭の端で思う。
すうと右手を差し出すと真っ黒な空間の刃が出現し、その『闇の炎』に薙がれて人間どもが死んでいく。
ある者は腕を刈り取られ、またあるものは首を跳ねられて忘れたかのように血を噴きだす。
その赤い血を浴びて歓喜の声を上げる吸血鬼。
体中に刻まれた傷からひとつ、ひとつと銀色の弾丸が落ちる。
「この時代、この世界に銃なんてあるわけないのに」吸血鬼の少女はつぶやく。失敗したなぁ。魔王ちゃん泣くだろうなぁ。ああ。ともちゃんになんて言おう。私って流れる水が苦手だから水浴びダメだしこの服どうしよう。
「吸血鬼など既に伝説だ。怯むな」また銀の弾丸が一斉に放たれる。
吸血鬼の力と相性の悪い聖別されたそれは殆どは彼女の力によって空間の狭間に消え去っていくが幾何かは少女の心臓にある反魂樹を少なからず傷つけた。
体中に魔都から略奪した財宝を巻き付けた男どもは知らない。
四〇〇〇〇の民が退避済みなこと、そしてその残された財宝はエサであることを。
「この先は貴様たちのような下賤な連中に踏ませない」桔梗はまたも手を振う。
幾数人もの人間の首が飛び、腕が引きちぎれ足が飛び胴が消失し血が飛び散る。
桔梗は知る。威力が格段に落ちていると。
「魔王ちゃんより強い私がこんな格下に」歯ぎしりしたくてもその牙に力が入らない。本当は燃えていく魔都そのものを守りたいがそれは敵わないようだ。
彼女に巻きつき、身体に侵入してきたそれ。
体中に刻まれた呪紋のように見えるそれ。
『封印樹』。伝説の聖木である。其れは反魂樹と対をなす。
封印樹は彼女の身体に侵入し、彼女の神経となっている反魂樹を冒していく。
肥った豚のような男は下卑た笑みを浮かべて呟く。
「魔族の女を楽しめると思ったのに誰一人もいない」
下衆めと呟く桔梗。
桔梗のひと睨みで男の頭は爆発した。邪眼である。
ある者は聖別された剣を持ち、ある者は生木の杭を打ち出す連続式のクロスボウを持つ。
「私一人に豪勢ね」桔梗は諦めたように笑う。
一六〇〇〇〇の敵を魔都そのものをエサにしておびきよせ、四門の力であえて主要位置に送り出して全てを一気に焼き払う作戦は吸血鬼の少女も知っていた。
避難することは桔梗にも出来た筈だ。しかし少女は敵を正面から迎え撃った。
彼女の身体すら焼くことのできる火魔将の炎が迫るも桔梗の今の力の大部分を注いで守り続けるその空間を焼くには至らない。
「火魔将の力って私と相性悪すぎるわよ」悪態をつく。傷ついた身体で戦いながらでは想像以上に力を使う。本当は魔都そのものを守れたはずだったが戦いは彼女でもままならないことがある。
「でも、火魔将の所為でも風魔将の所為でもないわ。作戦を作った新しい水魔将の所為でもない」ここに残ると決めたのは私の意志で、我儘だ。
「あなた達にはこの先は踏ませない」赤黒い血の花が炎に照らされた。
「きったない花火だこと」血にまみれ、炎にまかれていく死体を呆然と眺め、吸血鬼の少女は膝をつく。
ちょっと無理しすぎちゃったなぁ。勇征君の顔が見たいなぁ。
ゆっくりと面を上げ、彼女を見下ろす美しい娘を見て微笑む。「躯」
躯の手に握られた生木の杭が少女の心臓を貫き、彼女の身体に巡る反魂樹を滅ぼしていく。
炎に照らされ、黒い影になる主従を風魔将の風が優しくなでる。
「知ってた」「どうして」内通者は確実に魔王の身近にいると。
「だって、知ってるもん♪」
崩れ落ち、灰になっていく少女は人造人間の少女を抱こうとする。その腕は虚しく灰となって崩れ落ちた。
「世界が滅びるとの躯がいなくなるのと比べたら、躯のほうが大事」「ならどうして。どうして桔梗様は私を選んでくださらなかったのですか」
「寂しかったんだ。楽しかったんだ。この世界の人たちは優しすぎて嬉しくて」「それが間違いだったのです」強く桔梗を抱きしめ、その崩れゆく額にくちづけをする躯。穏やかな表情で空を眺める桔梗。
「ごめんね。寂しい思いをさせたね」
桔梗は微笑み、躯の身体を元の肉塊に戻した。
ペースト状になった肉片を呆然と眺めながら桔梗は崩れ落ちていく。
「次の世界では、そうしようね」私は躯が一番大事なんだ。本当だよ。
ごめんねともちん。キミは二番目みたい。
崩れる身体。それでも今守る空間は消させない。消すわけにはいかない。
薄れていく意識。自らには流れない筈の涙。残される少女に言葉を伝えたい。あなた。
毅然と振る舞う癖に自分より甘ったれで子供っぽいあの魔王を励ましたい。貴女。
殆ど関わることが出来なかったけどあの水魔将と彼女の意志を継いだ少女に言いたいことがある。あなた。
親友であり友であり無二の絆で結ばれた乙女に伝えたいことがまだまだある。あなた。
この世界の皆に感謝している。汚らわしい敵ですら愛おしい。あなた。
「言いたいこと。伝えたいこと。
いっぱい。いっぱいあるのにぃ。ねぇ」
少女は最後の力を振り絞り、
炭化し灰になっていく身体、すべての名残を用いて地面に辞世の句を描く。
彼女の護ったものは魔王軍の人々と捕虜たちが楽しんだコートと器具のある空間。
火魔将の炎が通り過ぎたのを確認して少女は勝利の笑みを浮かべる。
風魔将の風が少女だった灰を天空の『輪』に届けていく。死出に向かう人々を星の世界に導く橋と信じられている大空に輝く輪に。
少女が存在した痕跡は炭で描かれた辞世の一筆。
炎魔将の炎に焼かれ、風魔将の風に煽られ崩れゆき消え去る自らの身体で描いた遺言。それでも消えない彼女の想い。
『アナタ』
絶筆。