忘れないこと
「立ちなさい」
少女を伴って桔梗は歩く。ギンカとシロは集中治療で搬送された。あの怪我で軽口をたたいているほうがおかしいのだ。
家族と言っていい人々と別れ、偶然生死を共にした友人たちとも別れた少女は吸血鬼の少女の命じるままに歩いていた。
いつもの『ともちーん』が無く、逆に戸惑う少女に吸血鬼の少女は何処からか取り出した毬を投げつける。可也早い。
「?!!ッ」鋭いパスを何とか受け止めた少女。指先がじんじんとする。
「バスケットボールっていうのは三日もしない内に感覚が衰えていくの。維持するためには練習の習慣が必要」
桔梗はいつの間にか少女からボールを奪っていた。
自分の手の間にあった球の重みの無さに戸惑う少女の目の前で優雅に跳ねる。
ふわりと舞う球はゆっくりと空を舞い、大きく山なりのカーブを描いて少女の知らない形をした何かのリングをくぐる。
その奇妙で大きな物体が何かは解らないが、籠を持たずとも『ばすけっとぼーる』が出来るようにするためのものであるということは少女にも理解できた。
「今のルールだと、脚を使っても問題ないのよね」
時々ズロースが見える。
桔梗の細い脚のつま先が何度も何度も毬を突き、小さく、大きく跳ねる毬。
時々背中の上に乗ったり、股間に挟まってスカートで隠れたり。
スカートで隠れた球はスピンのかかったバックヒールで再び桔梗の頭上に。胸で受け止めた桔梗はそれを軽く蹴って少女に渡す。
「練習しなさい」「なんの意味が」
「教えてあげるわ。非力でも出来る技術もあるし、小柄だからこそ可能な抜き方もある」
そうはいうが吸血鬼と人間の少女では身体能力が違いすぎる。
そうは思っても桔梗の真剣な目つきに押されて少女はその指導を受け入れた。
「遅い。子供に負担をかける指導はしないけど怠慢は許さない」いつもと態度が違う桔梗に戸惑いながらその厳しい指導を受け入れる。
「この動きは貴女の身体ではまだ無理。出来ても身体に負担がかかるから教えないけど背丈が伸びきったらやってもいいわ。今は瞳に焼き付けておきなさい。瞬きひとつでもひどい目に遭うと思いなさい」
そういって難易度の高い技を見せつける桔梗。少女には大人になった自分が想像できない。大人になるまで生き残れるということを今まで考えたことが無かった。
だから生きている限り忘れてはいけないということを軽く見ていた。
長くてもあと数年程度で良いと思っていたのだ。
しかし思っているより少女は長生きするかも知れない。そう考えをめぐらす。
「たとえすべてを失っても、貴女にはこれがあるわ」その手にふわりと毬が収まる。
だから、忘れないでね。
少女は頷く。勇征ことデュラハンと芳一ことゾンビマスターの痴話げんかから始まり、水魔将様や他の魔将。魔王様から捕虜まで巻き込んだあの楽しい日々を。
みんなのこと。私は忘れない。毬を手に頷く少女。
桔梗は手首だけで毬を空に放つ。その毬は易々と遠くのゴールを貫いた。