昇天
少女のすぐそばで迸った稲妻は稲妻のそれを超えた強烈な熱量の塊となって邪龍を焼き払い、音も臭いも悲鳴すらなく邪龍をこの世から消し去ってみせた。
ずぎずきと痛む身体と朦朧とした意識の中で少女はつい先日まで一緒にいた腕の優しい感触を思い出していた。
相変わらず金属の鎧は硬くて冷たくて痛い。それでも少女を傷つけまいとする気遣いは感じられる。彼女を抱き上げて優しい声をかける力強い男性の声。
その声は聞き覚えのあるそれとは違うが彼女の知る主人であることは疑いようもない。
「もう傷は癒えた筈なのだが。……起きろ。『此渓』」
『名前』を呼ぶ声が聞こえる。その名前は魔族としての彼女の名前だ。
魔族は個体名を基本として持たない。故に名前を大事にする。
夫婦の契りとしたり、親友の誓いとして使ったり、敵から贈られた忌み名を名乗るのが基本だ。
「寝ています。起こさないでください。勇征様」「……落とすぞ」優しい声。
彼女を抱き上げる腕から力が抜けるが本当に落とすことはない。少女は幼い腕の力の限りをもって彼を抱きしめた。
「なんかむかつく」「ふふ」乙女たちの声が聞こえる。
「この、この。起きろ。この狸寝入り」手甲の指先でつんつん少女の頬を押す娘。可也痛いのだが少女は狸寝入りを貫いた。もうすこしこうしていたい。
騎士、勇征と呼ばれたかつてのデュラハンは青い鎧を纏い、マントをなびかせて少女を抱く。
「生きていらっしゃったのですね」更に強い力で抱きしめて涙を流す少女。鎧が錆びる。
「デュラハン、色男ですねぇ」「……オマエは軽口が相変わらず改善しないな。『空海』」
少女はその名を聞いて思わず目を見開く。
筋肉の塊の長身に似合わず童顔で愛嬌のある男が片手を上げてニコリ。
「よっ?! トモッ! 久しぶりだなっ! 」「ええっ?! 」
驚き目を見開き、声も出ない少女の頭をゴシゴシと擦る『空海』。撫でているつもりなのだろうが相変わらず痛い。痛すぎる。
「幻。じゃないよね」「俺が空洞だからって言う冗談にしては面白いな」口元を大きくほころばせて笑う『空海』。その脇腹を『裕子』達が肘で撃つ。
「ぜーんぜん面白くない」「くす」「……お嬢は相変わらずキツイな」
少女は瞳を凝らして周囲を見渡した。
白く輝く空間は見たこともない花々で包まれ、穏やかな風と暖かな香りで包まれていて。
「ここって天国ですか」「近いな」「だな」「三途の川のほとりよ」
少女の言葉に答えを返す死族の人々。
「いやぁ最後に逢えてよかった」そういって勇征から少女を奪い取り、無理やり高い高いと言って弄ぶ空海の足を裕子が蹴る。彼女の蹴りでは彼は怯みもしないが。
「ふざけるな。うちの従者が怪我したらどうするのだ」「素直じゃねぇな」
そういって空海はゆっくりと少女を足元に降ろした。
足元は案外ふわふわしていて不思議な感触だ。少女は彼らを見上げた。
彼らの姿は彼女のしる姿とはかけ離れていて、それでも何故か彼らと解る不思議。
少女はそれが何故かを考えるより再会の喜びを微笑みにしてみせることを優先した。
「勇征様。美男子ですね」「そうか? 普通だと思うが」とぼけた主従の言葉に裕子がぼやく。
「なんか腹が立つ」「クローディア。いい加減にしなさい」薄い金髪の美少女が裕子と少女が呼んでいた女性の脇腹をつついた。
「あなたは? 」「私も『裕子』よ。はじめまして」
華やかな笑みを浮かべる美しい少女。
その顔は少女も知っている。『裕子』の首だったからだ。
「ゆうちゃんのお友達? 」「つまり貴女の友達。貴女の事見ていたわよ」
照れている少女にじゃれ合う娘たち。呆れる男ども。
「そろそろ行くぞ。友よ」整えた髭の美男が裸の少女を伴って現れる。
驚愕に目を見開く少女。美男の後ろには笑顔を浮かべた水夫姿の人々。
その人々を少女は知っている。言葉すら話せず、知性すら奪われていた人々。
彼らは今、笑顔と豊かな言葉で少女に絡んで彼女をもみくちゃにする。
『生死の掟を破る死族は神に呪われ、永劫に救われない』
以前、勇征本人から聞いた筈の言葉が頭によぎる。
その逝く先は生きるも地獄、死んでも地獄のみだと。
「神々は人が罪を償い、天に昇る時を待っている」勇征はふと笑う。
「裏切られ、呪われ、私も裏切り、呪ったが。全て良くなったよ」彼は少女の頭を撫でる。
「トモちゃん。元気でね。デュラハンにしてあげなくてごめん」頭を下げる『裕子』。その脇腹を相方の少女がつついた。
「クローディアの腕では絶対失敗したからいいのかもね」「ひどっ?! 」
思わず吹き出す人々と少女。笑って、笑って、笑って。涙が出た。
優しい光が天から降り注ぐ。その光と共に白く輝く馬車がやってくる。
「行かない……で」そう言いかけて少女は口をつぐむ。今は笑って送り出してあげるべきときなのだと。
「裏切りの罪。許してくれる? 」
『裕子』が少女を抱きしめて言う。
「許す! 」そういって抱き付き思いっきり『裕子』を叩く。
小さな拳が何度も『裕子』の背にあたり、やがて止まった。
「良かったわね。私も『許す』わ。クローディア」「セリシア」
永かったわ。やっと貴女と話せる。これからもずっと。
セリシアと呼ばれた少女は『裕子』を抱きしめた。その身体が淡い光に包まれていく。
「ゆうちゃ……。勇征様。芳一さん。空海さん。海軍のみんな。水奈子さん」「さらばだ」
彼らは淡い光となって馬車に乗り込んでいく。
「お嬢。俺たちのことわすれんなよ! 」空海の声。
「可愛いお嬢。長生きしな! 」「ははは。大将たちは俺たちに任せておきな」「アーッ! 」「俺はそんな趣味はない」「子供に何を言うのよ。ちょっと芳一さん。なんとかいってあげて」「ふふ」
「生きろ。娘よ」「俺たちの事、皆に言っておいてくれ」「さようなら。最後の最後で本当に楽しかったよ。トモちゃん」
馬車をひく馬は白い翼を広げ、天に舞う。
まぶしい光が広がり、視界が白く染まっていく。
「私、忘れない。みんなの事、ちゃんと残すから」
少女がそう口にだしたとき、魔族の少年と犬頭鬼に起こされた。
「良かった。大丈夫だったのか」ううん。大丈夫じゃない。
少女は空を見上げる。倒壊した天井からは輝く天空の『輪』が見えた。
「空が落ちてきそう」そういって少女は微笑み、泣いた。