おいで。ぶぅぶ
由紀子がたっちぃこと武田彰子に出会う前、彼女の家では豚と山羊が飼われていた。
戦後のタンパク原不足を解消するため、粗末な食事でも元気に育つヤギは一般民家で飼われていてもそれほど珍しい存在ではなかった。ヤギ乳は癖はあるものの牛乳アレルギーの回避にも役立つ。当時はアレルギーという概念は無かったようだが。
GHQの指導により、また日本国が高度成長期に入るにつれてヤギ乳は貧農の食卓から姿を消していくが。
「シロ。シロ。ごめんね」
寝台の上でうなされる由紀子を見下ろし、純魔族の少年と犬頭鬼の少年は顔を見合わせる。
「おまえ、こいつに謝られるようなことしたか」「してない」確かに絶対防衛圏を追い出されて難民生活はしているが魔族はあまり財産に拘らない。あれば使うが友人や仲間や子供の為に使う。
シロと呼ばれた犬頭鬼はふさふさの白い毛を持つ珍しい犬頭鬼だが「たぶん、ぼくの事じゃない」と答えた。
「そっか」魔族の少年はツンツンと由紀子の頬っぺたをつつく。
「こんにゃろう。子供は出て行けと言って自分は最前線とか虫が良いんだよ。こうしてやる」墨でひょいひょいと顔に絵を描く純魔族と犬頭鬼。
『重要案件につき進入禁止』
そう書かれた水魔将の部屋に首尾よく入り込んだ二人が見たものは。
「うーん。幸せ~!!!!!!!!!! 」新しいお菓子、『おはぎ』を頬張る由紀子だった。「なにやってるんだ? おまえ」「たまには息抜きも必要だよ。ギンカ」
そう言ってつつき合う二人に振り向き固まる由紀子。
「な、な、な」よくわからない言葉で彼是言う由紀子。二人には鳥取弁は解らない。
「また変なこといってる」「ほっとけ」そういって当然のようにおはぎをパクつく二人。
「とりあえず『安らかなる眠り』」
絶交だのなんだの言いだした友人を二人は一発で寝かしてためいき。
「『勇者』の癖にこんな子供だましの術にかかるなんてよっぽど疲れていたんだろうな」「親しい人が使う無害な術は効きやすいからね」
二人はまだ魔王城が平和だったときに由紀子と親しくなった間柄である。
「しかしサラマンダー様やシルフィード様は寛大だよ。他の兵隊さんに頼んでも全然取り合ってくれないんだもん」「あはは」
二人はパクパクと由紀子のお菓子を食い尽くすと「またな」「またね」と言い残して窓から身を投げ、『落下速度制御』の力と純魔族の闇に隠れる力で抜け出した。
そんな二人の親しい人に安らぎをもたらす術に囚われた由紀子は悪夢のくびきから逃れ、やがて幸せな夢に包まれていく。
鳥取の西瓜の味、梨の香り、冷たい雪や熱い日差し、瞳一杯に広がる砂丘。友達の、家族の声。
「おいで。ぶぅぶ」
豚は綺麗好きで賢い生き物だ。糞尿で育てるという話もあるが素人には失敗する案件である。
粗末な食事で大きく育ち、人に懐き、愛情に報いる。
由紀子の幼いときに飼っていた豚は子豚の時から由紀子に懐き、家と学校の送り迎えをしてくれていた。
その合間に野菜くずを貰って子豚のエサとする。この時代では珍しくはない。
母はそんな由紀子を案じていたが、父はあえてそのままにしていた。
この時代、鶏を肉で買うことは少ない。鶏を〆て肉にする。
育った豚は売られ、肉になって由紀子たちの生活費の足しにになる。
話変わってヤギは木に登るほど運動能力に優れた生き物だが、だからと言って転んだりしたらその大柄な体、無事では済まない。
かの山羊、シロは由紀子が目を離したすきに土手を滑ってしまい、死んでしまった。
由紀子が飼っていた豚は時期が来ると彼女たちの学費の足しになった。
1960年代。この時代はヒトが生きるため、他の命に生かされているという当たり前の事実と子供たちが近かった時代である。