ゾンビはデュラハンに敵わない
少し遡る。
ゾンビマスター・芳一は自らと親友の『名付親』である少女を訪れていた。
魔都には円月湾と呼ばれる大きな湾があり、この湾が天然の堀として機能する。
大型の軍港も備えており第一軍団は海軍の拠点になっている。
海軍と言ってもその将であるゾンビマスターは無限に沈没船を配下におさめる能力を持っているため、魔王軍が保有する艦は意外と少ない。
そもそも魔族というものは空を飛べたり船を必要としない水棲魔族だったり、水の上を歩く魔法が使えたりする。
それほど海軍に力を入れずとも船や離島を攻撃したり防御したりすることは人間の国家より楽なのだ。ゾンビマスターのような能力者がいればなおさらだろう。
非常時には幾重もの鎖でつなげた武装船で湾をふさぎ、
セイレーン族の歌を聞いた不埒な侵入者は海の藻屑となる定めである。
強烈な臭気に『鼻が曲がる』と露骨に鼻を押さえて逃げる桔梗。
ニコニコ笑いながらも口元が引きつっている躯はさておき、
将を目の前にした裕子は直立不動で礼をしてガチンコチンに固まっている。
「芳一さんだ~~~~~! 」以前は躊躇いがあった。しかし少女に身内と言える存在は少ない。
びちゃ。服が汚れるのを問わず少女は芳一に抱き付く。
「む。服を汚してすまぬ」意外と律儀が海軍提督だ。
「水奈子さんは? 」「こら。妻の名前を勝手に呼ぶな」「へへ」
「詳しくは言えぬが実家だ。今は戦時体制だからな。セイレーン族にはやらねばならぬ仕事がある」「寂しいね」「ふむ。しかし求められ応じることは喜びだからな」
裕子はまだ固まっている。
自分の首が足元に転がっているのだが拾うことも出来ずに固まっている。
偉大なる魔軍の英雄の一人を前に固まっている。やっぱり死族はちょっと変わっている。
話には聞いていたが友人は大物の名付け親だった。
ゾンビマスターは死族の女の子にはちょっと。いや可也人気である。
紳士的な態度とすぐれた資質を備え、勇敢で実績もある。まさにリア充だからだ。
「ゾンビマスター。だったっけ。ひさしぶり~? 」
ちゃらちゃらと声をかける桔梗だが表情が露骨にひくついている。それを咎める躯。
部屋中舌まで麻痺するゾンビマスターの腐敗臭だらけでもう酷いことになっている。
歩けばぴちゃぴちゃとなんか肉汁ついているし。
そのゾンビマスターは桔梗に律儀に魔族式敬礼を行う。
「魔王様と水魔将様を宜しく御願いします」襟ならぬ腰蓑を正して請うゾンビマスター。やっぱり死族はちょっと変わっている。
「芳一さん」「おう。そうだそうだ。この図を見てほしい」
少女の瞳が見開かれる。
何人もの魔族や人間が描かれた図解と豊富な資料。
「今までの試合の記録? 」「うむ。私が不在の時は水晶球に映像記録を」
映像記録の中で芳一ことゾンビマスターと激しく戦う師匠の姿を見た少女は少し鼻がツンとするのを耐えながらそれを眺めていた。
「そもそもデュラハンとゾンビでは身体能力も魔力も違う。ゾンビは一部の例外を除いて知性があったり喋ることが出来るものは少数だからな」それは知っているが、それでも芳一ことゾンビマスターは互角以上に戦ってきている。メンバー上限を無視する能力を考慮に入れずとも。だ。
「反して基本的にデュラハンは個人の能力が高い。高すぎるともいう」
それに打ち勝つには個人技以上に献身的な集団戦術を必要とするとゾンビマスター。
なんども試合でゾンビマスターに煮え湯を飲まされてきた親衛隊の裕子にとっては納得のいく話だった。
能力で遥かに劣る筈のゾンビたちに何度も負けて涙を呑んだ日もある。
「この動きは複数人で敵の有望な選手の動きを防ぐ」
「このゾンビは足が速い」「このスケルトンは敵に気付かれずにパスを回せる」
同じく当時の布陣等から少女がかつて裕子を救った戦いも再現していくゾンビマスター。
「この戦術書をお前に託す」ぽんと渡された書類に目を見開く少女。
「そ、そんなことをしたら海軍が」「今は海軍と親衛隊が余興を兼ねて軍事訓練をする時期ではなくなっている。それでも」
この書は役立つ。
力亡き者でも人に希望を与え、夢を追う力を奮い立たせる『キュウギ』の脈を絶やしてはいけない。
「貰ってくれるか。そしてその書を写本し、広く広めてほしい。魔王様の、水魔将様の御為に」
こぼれた眼球はそれでも少女を真摯に見つめ、少女はその書を黙って受け取ることでその答えとした。