絶対防衛圏を追われて
「これで最後かな」少女は宿舎の壁を名残惜しそうに撫でる。
『女子供は第四軍団と共に全て至急魔都及び各地の街に避難すること。例外は認めない』
魔王の認め印が押された水魔将直筆の命令状。
緘口令が出ているが土魔将ノームが撤退を助けるために散ったという噂。
その妻、ガイアが今だ行方不明であるという事実。
「荷物、忘れ物ない? 」「新しいお部屋はもう少し狭くなるっていうから勇征様の絵筆だけ持って行くの」「そう」
少女は手早く荷物をまとめていく。「これもいらない。これもこれも」
「もう少し持って行けばいいのに。次元のポケットに入れてあげるよ? 」吸血鬼の少女が呆れる中、少女はつぶやく。
「『使わない物はいらない。しばらく見ていない物もいらない。思い出は心の中に。モノが無ければ忘れる思い出も要らない。いらないものは人に押し付けて恩を売れ』って」知り合いの犬頭鬼と魔族の少年が教えてくれた餓鬼族の言葉。
「だから桔梗様のお部屋は片付いていても散らかって見えるのです」とつぶやく躯にぶうたれる桔梗。
「私だって強いのにぃ」「はいはい。桔梗さんも冗談が上手いんだから」自堕落な吸血鬼の娘は『戦闘? 嫌だ』とつぶやいて裕子たち同様魔都に移り住む羽目になってしまった。
最後まで戦うと言って譲らず、他のデュラハンたちに諌められた裕子とはえらい違いだ。
「ほんとだよ~。私は魔王ちゃん並に強いのよ~!? 」「嘘つき」「だねぇ」
伝説の吸血鬼という評判とはうわはらに裕子やトモに見せる桔梗の態度はどうみても実力者とは縁遠い。まだ穏やかだが怒ると迫力がある躯が強いと言われるほうが説得力がある。
手足をじたばたさせて「やだー。お部屋から出たくない~」と文句を言う吸血鬼。手がかかる娘である。
その躯は既に鋼鉄で出来た馬の無い馬車のような乗り物を用意して三人の到着を待っている。
沢山の手紙や恋人に送る装飾品を託されてその乗り物は既に重量オーバー気味だ。
異臭を放つ黒い排煙が不愉快だが乗り心地は凄くいい。奴隷の馬車とは比べ物にならない。
少女たちがその乗り物に乗ろうとすると声をかけられた。
同じ血袋の男たちや老人たちがにこやかに笑っている。
彼らは少女にボールを投げる。
「持って行ってくれ。それは良く跳ねる」「はい」
「お前の行く道に汝を鍛える鋼の棘あれ」
魔族式敬礼をしてみせる同じ人間に複雑な笑みを見せる少女。
「貴方の行く道に薔薇の香りと夢路の光あれ」あえて人間の敬礼で応じる。
「なぁ。お嬢ちゃん。いいかな」「なんでしょうか」
「ジンケンってしってるか」「なんですかそれ」
不思議そうに問う少女に男は応える。
「水魔将様の本の写しの一部だが、持って行ってくれ」
そういって男はその巻物を少女に押し付けた。
「俺はな。ここにきて、やっと『人間』になれたと思うんだ。不思議な話だろう」
そういって笑う血袋の人々。
彼らの満面の笑顔を少女は忘れることが出来なかった。
少女たちが退去して後。絶対防衛圏は陥落した。
土魔将を失った第四軍団を基とする防衛隊は全滅。
もしくは行方不明。死体すらなかったという。