葛藤
遠くでにぎやかな音楽が聞こえる。
なけなしの薪が燃えパチパチと爆ぜる香り。人々の笑う顔。
寝台と言うには余りに粗末なそれは冷たく固く少女の身体を苛む。
少女は寝台から身を起こし、ふらふらと瞳をその部屋に向ける。
「ああ。夢だったのかな」家具と言うには粗末な壊れかけの品々。すえた臭いを放つ食料。ひび割れた手足を擦って寒さに耐えながら彼女は裸の足を凍った土間に降ろす。木靴なんて無い。思いのほか冷える感触。
「トモ」「トモ」「お姉ちゃん」
兄妹は凍死したり餓死した筈だが。
楽しそうな声が聞こえる。家の粗末な扉が勝手に開き、篝火を前に皆が踊っている。
適当に作った笛は調子の狂った音を陽気に奏で、なけなしの豚を潰したソーセージの香りに少女の干からびた舌は潤いを帯びる。
「どこに行っていた」「うふふ。こっちにいらっしゃい」自分を売りとばした両親の声はとても優しく響く。
「おーい」「あはは」「ニンゲンの世界に戻ってこい」「そうだよ。君は人間だから」
踊る人々は凍死した近所のおじいちゃんや友人、人買いに売られた娘や子供、生まれてすぐに絞められた赤子までいる。
「キミは人間。人間として生きるの」
踊る一団の前に水で構成された身体の女性が立つ。
「そうだよ。人間なのに魔族と一緒にいるなんておかしいよ」「魔族は殺せ」「俺たちを殺した魔族を許すな」「血を絞られたの。私。貴女が不味そうだから」「エサ代わりにもなりゃしない」「この無能め」「ほんと、貧相だし使えないしこんなの頼まれたからって買い取ってやるなんて俺はなんて親切でお人好しなんだろうね」彼女を虐げた人買いや奴隷商。高級奴隷や奴隷頭の言葉が蘇る。
「魔族を皆殺しにして、俺たちの処に帰って来いよ」
死した筈の人々が叫ぶ。その手が伸び、彼女を掴み、火の輪の中に誘う。
「ともちん」声が聞こえる。思わず振り返る。桔梗だ。
「そいつはウンディーネじゃないッ 」強く叫ぶ桔梗。更に握る手を強めるウンディーネの顔をした何か。
「放してください」少女は叫ぶがその手は強く少女を引く。
「本当は心の底で望んでいたのではないか。魔族との戦乱が無ければと」
視界が広がる。豊かな農園が見える。
優しい笑みを浮かべ、作業に従事する人々には明日の死への不安は無く。
穏やかな風が運ぶ花の香りに頬を緩ませ、信じられないような御馳走を毎日食べ、恋人たちは愛を語らい、盛大なお祭りは沢山の山車がでる。
幸せそうな人々。しかしそこには彼女が日常的に見る魔族の人々の姿はない。
人形劇で人々は残虐だが愚かでどうしようもない魔族が勇者に倒される演目を行い、笑い声が響く。
「からっぽの騎士はこうして勇者に倒され、能無しの水魔将も首無しの騎士も」道化が笑い声をあげる。
「やめてっ!!!! 」少女の叫び声に人々の視線が集まる。
「魔族は残虐だ」「魔族は俺の両親を殺した」「魔族は血を啜る」「脳みそないじゃん」「頭もない」「地獄に必ず落ちるって」「こいつ、実は魔族じゃないのか」
笑顔の人々は彼女の手を強く引き、燃える炎の前に引きずりこんでいく。
「嫌だッ いやだッ 勇征様ッ 空海さんッ みんなっ?! 」
群衆はあざ笑う。
「何を言っているの。この子は」「貴様はこの結幕を望んでいたのだ」「満足だろう」「お姉ちゃんだけ美味しいモノ食べてずるい」「お前だけなんで綺麗な服を着ているんだ」「何故生きている。死ねばいいのに」「あはは。魔族は地獄行きだ」「暖かいスープが毎日飲めたんだ。暖かい炎の中にさぁお入り」
頭を振る彼女の頭を誰かが掴み、炎に注視させる。
「ほら。皆待っている。焼けちゃえ」ケタケタという笑い声がこだまする。
「此渓ッ 此渓ッ 」ゆうちゃん?
「帰ってきなさい。それは幻」躯さん。
視界が広がる。
大きな畑に身を焦がすような太陽の煌めき。
青々と伸びる木々に信じられないほど大きな白い雲。青い青い空。
少し据えた臭いは肥料の臭いだろうか。舌にまとわりつく臭いはいい気分がしない。
裸の足が適度な湿気を持つ土を踏みしめる。ゆっくりと歩むその先には不思議な木材で出来た神殿。
その神殿の日蔭に腰掛け、本を読んでいる美しい女性がいる。
長身で少しきつめの顔立ちだが、表情は優しい。
「大精霊……様? 」「ん? あれ? 」
女性の声が響く。「えっと。デュラハンさんとこの子供だったっけ」「ええ」
石畳に躓き描ける。焼けるような太陽に対して石畳の冷たさが心地よい。
遠く不思議な生き物の声、少女はその声がセミの声だと知らない。
鼻に入ってくる清涼な水の香。少女はそれほど澄んだ水の香りを知らない。
しばし少女と娘は対峙していたが、少女は強い決意を新たに呟く。
「私。帰ります」「そか。ゆっこを頼んだ」
ほほえむ大精霊は想像通りとても優しい表情を浮かべている。
ふと足をとめて少女はつぶやいた。「私、ニンゲンでしょうか」「??? 俺には人間に見えるが」「有難うございます」
ゆっくりと少女は大精霊にお辞儀をする。
「帰っておいで~ こっちこっち~ 」桔梗の声に苦笑いする少女。
「桔梗さんがうるさいので帰ります」「おう。帰りは気を付けろ」
かしゃん。かしゃん。首無しの騎士が現れ、大精霊に深々と礼をする。
「帰ろうか。トモ。絵の描き方を教える約束だったからな」「うん。勇征様」
少女は振り返って大精霊に手を振る。大精霊は気さくな笑顔を浮かべて手を振り返してくれた。
「絵を描くときって笑顔を浮かべるのは邪道って聞きました」「人間はそうだな。金持ちは澄ました顔がお好みだ」『勇征』の済ました声に吹き出す少女。
「ともちゃん。ともちゃん。起きて」もう。煩いなぁ。ゆうちゃんは。
「ゆうちゃんがうるさい」「心配しているのだ。そういうな」冷たい手甲が暖かく感じる。
「もう少しここにいたい」「それは許さん。あの娘には後を頼んでいる。お前が成長したらデュラハンにしてくれるのはあの娘だ」
ふと視線をあげ、首の無い主人の顔を見ようとする。
デュラハンこと勇征の首の上に彼女の知らない顔がある。
でも彼女の知る『勇征』だということは確信できる。
「何か? 」「勇征様ってそういうお顔だったのですか」
「悪いか」膨れる騎士に微笑む少女。
「すごく。すごく素敵です」「愚か者」師匠の言葉が思いのほか優しく響く。
「立派なデュラハンになれ」「ええ。そうさせていただきます」
師匠の手が彼女の背を押す。彼女は光に。魔王や新しい水魔将。今の友達が待つところに走っていく。
水で出来た身体の娘と、彼女の知る新しい水魔将が両手を広げて彼女を迎え入れる。
「戻ってきて、いいですよね」「勿論だ」「もちろんです」
少女は微笑みと共に寝台から身を起こして叫んだ。
「ゆうちゃん! ごはん! 」「今日はお前が作る日だろう。まったく」
呆れるデュラハンの娘に少女は思いっきりの明るい笑顔を向けた。