貴女では副官は務まらない
清涼な空気と水の香り、そして美しい花々と木々が咲き誇る部屋。
かつての『水魔将ウンディーネ』と彼女の姉妹の部屋である。
その輝く金色の髪の女性は花も霞む芳香を放ち、滑らかな白い肌をつたう神衣は音もなく白い輝きを放ち続け、どのような詩人の舌をもってしても語りつくせない美貌は憂いを孕んでただ部屋の中を眺めていた。
「姉さん。ごめん」
突如彼女が残る私室を訪れた吸血鬼の少女は彼女。ニンフに面と向かって言ってのけた。
「水魔将に協力しない貴女に副官の資格なし。私に譲りなさい」と。
彼女の視線が窓の外に向かう。かつて仲の悪い筈の四人の魔将がその力を結集して作った花畑が無残に荒れ果て、花々が踏み荒らされている。
あの『花』は死した人間の兵たちを彼女と彼女の姉が変化させたものであることを新しい水魔将は知ってしまったのだ。
「アイツ。すごく喜んでいたのにね。ニンゲンは勝手だわ」
彼女は憂いを含む表情に皮肉げな笑みを加え、私室を去る準備を始める。
姉がいなくなって弱っている植物たちは彼女に『イカナイデ』と言う意志を伝える。
もっとも植物という生き物はもう少し暴力的な意思を持っている生き物だが。
「『職務放棄をする貴女に第一軍団の副官は務まらない』。か」
そう言い放った吸血鬼のあの少女こそがその典型例のような存在なのだが。
魔王に次ぐ実力を持ちながらあらゆる責務を負わず、豪華な一室で怠惰に暮らしている。
「だいたい、あいつに魔将、姉さんの代理が務まるわけがないのに」
慰問に訪れた由紀子はこともあろうに捕虜と間違われて人間の強行偵察部隊に『救出』され、奪還を目指して急遽出撃した彼女の姉率いる第一軍団の精鋭は彼女の姉を含めて多大な損害を受けた。
強行偵察部隊に『勇者』が混じっていたのだ。
彼女の姉を失い、崩壊しかけた戦線を鬼気迫る指揮を持って建て直したのは、かつて何も知らずに、死した人間の魂が変化した花の中で戯れていた愚かな乙女だった。
「私、もう一人だね」ゾンビマスターとデュラハンはなんだかんだ言って由紀子には甘い。暇があれば片方や指揮や海戦、水泳や騎馬の訓練。片や剣技や乗馬、指揮に軍学の指導を行っていた。
「デュラハンもいないし。ゾンビマスターは」あの腐れ縁の腐った死体は本当に脳みそが腐っている。そう思うと彼女は自分自身を嘲った。
長い付き合いなのにね。と。
ニンフが水魔将の居室を一度振り返り、ゆっくりと鍵をしめようとしたそのとき。
「何処に行く。将が兵を残して逃亡する場合、斬首だということは存じているだろう」
美しい。いや儚い印象のエルフの女性が部屋の外で待っていた。
彼女の知る絶対の主。魔王ディーヌスレイトだ。
「魔王様」「何処に行くと聞いている」魔王の表情は冷淡であった。
「何処にも行きません。私は姉の元に行きたいのです」「そうか」
殺したいなら勝手に殺してくださいと暗に告げるニンフの腕を魔王は掴むとニヤリと笑う。
「姉の元に行きたいのであろう。ついて来い」
抵抗の余地もないほど精神的に疲労していたニンフは魔王に付き従い、道を譲る魔族たちの視線を呆然と受け流しながら広場に向かう。
「魔王様激love!!!!!!!!! 」
首無し騎士がパスを受けて3Pシュートを投げると見せかけてしゃがみ、
背で背面に向けてパスを飛ばす。それを小さな少女が受け取り。
「こっちッ 」首の無い乙女に向けて投げる。乙女はその長身を生かして一気に駆け抜け、大きく跳び、空舞う銀の馬車に乗ってシュートを放つ。
「死ぬかと思った」籠を手に脅えるのは新しい水魔将、由紀子だ。
「あいつではどうにも務まらん」肩を竦める魔王に思わず吹き出すニンフ。
「姉の事は私の責でもある。あいつは私の友だからな」「勿体ないお言葉です」
意味ありげにほほ笑む魔王に戸惑うニンフ。今代の魔王が先代を廃して魔玉を奪った存在であるという異色の経歴を知るものは彼女と彼女の姉、先の魔将たちくらいだ。
見ろ。魔王の視線の先は生首ではなく弾みの良くないおがくずや紐を使って作った球を手に走る人間の捕虜たちがいた。
「実に楽しそうだろう」魔王の笑みに応えることが出来ないニンフ。
「声援を送っているのはあの無血と恐れられた第二軍団は督戦隊だ」火魔将様ナニしているのですか。
「そして彼ら血袋が互角に立ち回っているのは第三軍団が誇る強行偵察部隊の面々だ。まぁ魔法も武器も禁じているわけだが」風魔将。あんたもか。
「貴君の姉は第一軍団内部での同意を伴わない採血の儀式を禁じている。『選手や観客が足りなくなったら困る』そうだ」それは知っている。あの穴掘り第四軍団の将は『義娘』の影響を受けて密かに採血の儀式を禁じている情報も掴んでいた。
「新しいウンディーネはこう言っている」魔王の言葉に追想から戻るニンフ。
「『水のウンディーネは不滅だ』と。
この光景を見ろ。ニンフ。姉を感じないのか」
魔王の澄んだ薄い緑の瞳が彼女の小さな身体を写し、包む。
瞳から流れる暖かいものを止められずに彼女はつぶやく。
「姉さんは絶対、泣かなかったのに。私が。私が」「悲しいときに泣くのを我慢することは可能だが、本当に嬉しいときに涙を我慢するのは、魂ある生き物の所業ではない」泣け。そして職務に復帰しろ。
魔王とニンフに気づいた由紀子と魔族や捕虜たちが一斉に手を振りだす。
「魔王様love!!! 」「魔王様激烈love!!!! 」「ニンフ様の美貌に光あれ!! 」「魔王様love!!! 」「魔王様激烈love!!!! 」「ニンフ様の美貌に光あれ!! 」「魔王様love!!! 」「魔王様激烈love!!!! 」「ニンフ様の美貌に光あれ!! 」
魔王は冷淡な表情を浮かべながら、群衆に向けて手を振って応える。
その頬は群衆側からでは解らないが少し赤かった。
「アレはちょっと恥ずかしい。なんとかならないのか」「耐えてください。魔王様」
ニンフは魔王より冷たい台詞を笑顔と共に浮かべてみせた。