水の盃
水で構成された細い指先がなまめかしく動き、小さな黒い石をつまむ。
小さな音を立てて黒い石を置いた水魔将は微笑む。「私の勝ち」
「む~」膨れる女子高生に水魔将ウンディーネは笑う。「もうイゴでも由紀子に負けることはなくなったわね」意外と簡単だしと笑う彼女に由紀子は「もういっかい! 」とつぶやく。根本的に負けず嫌いらしい。
「なんどやっても同じよ? 」「そんなことないです。囲碁も将棋も花札だって元々私のほうが強かったんですから」
小首を傾げて艶然と微笑む親友に由紀子は再び勝負を挑むが。
「はい。由紀子の負け」「えええっ?! 」
素直すぎるのよ。貴女の手はとウンディーネは笑う。
「私が絶対勝てるように教えてあげるわ。用兵術も一緒にね」「? 」
二人の娘は日が暮れるまで囲碁を楽しみ。「あの」「♪♪♪ 」
女子高生は困惑した表情でウンディーネに告げる。
「ガイアさんが待っているので、そろそろ帰らないと」「♪♪♪ 」
延々と由紀子を抱きしめて髪の毛に頬ずりをする水魔将。部下たちには見せない一面である。
「もっふもふ♪ もっふもふ♪ もっふもふ~! 」「……」
『たっちぃとはここが違うんだな』
由紀子は鳥取県に残してきた親友を思う。
はじめて彼女と出会った時、由紀子はたっちぃこと『武田彰子』と彼女を間違えかけた。
由紀子が『がいな』と呼ばれる長身と異常な美貌を持つ田舎町の女子高生と誰もが『残虐』『戦いさえあれば満足する魔女』と呼んだ女を間違えた理由は由紀子本人でも『なんとなく』らしい。
「ねえ。たっちぃ」ぴたり。ウンディーネの手が止まる。
「ごめんなさい。間違えました」失言を取り繕う由紀子にウンディーネは応えない。
「ウンでーネさん? 」「私は、『たっちぃ』などと言わない。『武田彰子』などという娘でもない」
普段の軽薄な口調ではなく、何処か怖さを感じさせる口調。
彼女の水で構成された腕は由紀子を抱きしめる。不思議なことにその身体は由紀子の服を濡らさず、きつく締めあげる。
「『名もなきニンフ』が『ウンディーネ』になっただけだ」
「ウンでーネさん」由紀子は静かに呟いた。首を締め上げる苦しさより親友の心を察して。
「盃と、『霧雨』を」
由紀子に言われるままに魔剣『霧雨』から聖なる水を生成したウンディーネ。その水は盃に注がれ、二人の手の中にあった。
「知っていますか。うんでーねさん」
女子高生、由紀子は告げる。彼女の手には小さな盃。
「私の生まれた国では誓いの印に水で盃を交わすのです」
女子高生と魔将は盃を交わした。
「私は誓います。私はウンでーネさんの友であり続けると」
「私は誓う。友の為。魔族の未来の為に戦う」
ウンディーネは目の前の子供のような姿の娘に目を細めた。
不思議な娘だ。美貌とは縁遠い。小さな姿はかわいらしいが気丈さも併せ持つ。
無言で二人は盃の中の水をくみ交わす。
魔族であるウンディーネには血のほうが『美味しい』はずだ。
それなのになぜこの水はかぐわしいのだろう。何故こんなに甘いのだろう。
忘れた涙の苦みと塩気を思わせるのだろう。
何故由紀子とのこの盃は捨てた喜びを思わせるのだろう。
ウンディーネは知った。無力な子供でも多くの者に勇気を与えることを。
無辜の笑顔こそなにより強い力だと。それを知った。このたった一杯の水が思い出させてくれた。
「必ず。皆の笑顔の為に戦う。それが魔将『水のウンディーネ』。由紀子。貴様の友だ」
微笑む小柄な少女に彼女は微笑みを返した。
永い永い旅をしてきたような気がする。
恋もした。夢もあった。絶望も味わった。涙を捨てて戦い抜いた。
でも、これからは涙と共に生きても良い。
「実は好きな人が出来たのだ」「ホントですかッ 聞かせてッ?! 」
ふふふと笑うウンディーネはとぼけてみせた。
「おしえませーん♪ 」「ひっどい。親友の盃を確認したじゃないですか?! 」
とぼけるウンディーネと抗議する由紀子。
「隙ありッ♪ 」「きゃ」再び抱き付き、由紀子の髪を弄りだすウンディーネ。
「もうっ いい加減にしてくださいッ 」「い♪ や♪ だっ♪ 」
水魔将は小さな声でつぶやいた。「だってこれが……。なんでもない」「え? 」
水魔将は由紀子の髪に頬をうずめて「モッフモフ~♪ 」と叫んだ。