あなたの名前は『裕子』です
どうしてお前なのだ。
首のない少女は幼女の肩に抱き付き、嘆く。
しかし彼女には首が無く、涙は流れない。
「勇気もない。卑劣で卑怯で臆病で。どうしようもない。私はデュラハンとして戦い続ける自信が砕けた」貴様の所為で。戦働きでもない球遊びでだ。
理不尽な事を子供相手に言っている。
幼女に乱暴に振る舞い、愚痴を聞かせるなんてデュラハンにあるまじき恥だ。
デュラハンの娘だってそのことは解ってる。故に言葉は続く。
「どうして貴様なのだ。私ではダメなのか。私にはあの方の背すら追うことが出来ないのか」
動く鎧が去った部屋の中、幼女に対して醜く毒を吐く首無しの女騎士。
その嘆きを少女は黙って聞いていた。「私だって臆病で卑劣で卑怯です」
少女はつぶやく。
「私だって醜いですよ。本当です」
子供の頃は少ない食料を巡って兄弟たちと相争い、
冬の度に死んでいく村人を看取りながら嘆くとともに「ごはんが食べられる」と思った事。
冬の切り裂くような寒さに震え、鼻水を垂らして夜を明かし、凍死した人を見ても自分ではなかったことに安堵したこと。
身売りされるときの「こんな貧相な娘が売れると思っているのか」という人買いの蔑む瞳に「なら適当に持って行ってください」と頼む身内に妙にすっきりしたこと。
鞭打たれる娘に憐憫を向けながら自分ではないことに安堵する日々。
魔族のエサに放り出されたのに奴隷商たちや同じ奴隷たち、
特に高級奴隷たちが殺され、生き血を啜られている事に爽快な気になったこと。
自分だけ生き残った事に喜んだこと。
「こんな貧相では血袋にもならない」と魔族たちに苛められ、
全て死んで自分だけ解放される夢を見る事。
「勝手でどうしようもなくて。無力な子供ですよ」「だが。あの方はお前を選んだッ 」
どうしてだ。私には何故勇気が無いのだ。
騎士は悔しさに何度も黒水晶の篭手を石の床に叩きつける。
「勇気はありません。だけど。『怖い』と思うことはあります」
トモは騎士に張り倒された頬の痛みに構わず呟く。
「私は気付きました。誰の役にも立たず、誰にも求められないなんて『怖い』と」
だから、私はあのとき走りました。
トモは不思議な気分だった。あの時の脚の震えが蘇る。
怖いのに、それ以上の熱狂に包まれ、足が勝手に動くような感覚を。
「『怖い』って良い事じゃないですか。女の人は皆死の恐怖に耐えて未来を生み出すと勇征様が仰っていました」よく意味が解りませんですがと彼女は続ける。
「貴女に名前を授けます」
トモはつぶやく。
『魔族に名を与える』とは人間の言葉で魂を削る意味がある。おそらくそれは間違っていない。
トモの小さな唇が動き、一つの言葉を紡ぐ。
「ゆうこ。ゆうこちゃんってどうです? 勇気の有る人」「勇者など誰が名乗るかッ アイツらは私たちに何をしたと言うのだっ 」
叫び、嘆くデュラハンの乙女に少女は告げる。
「じゃ、優しい人でゆうこちゃんというのもありますよ」「私には勇気も優しさもない」
地面に伏し、転がった親友の首に向けて嘆きと後悔の念をつぶやき続ける彼女。
「忘れていた。忘れていた。お前の首だということを、私の罪を。私の正義もッ デュラハンとして生きて、迷いなく正義を貫いている。そんな嘘を信じていたッ 」
許してくれと自らの首に許しを請う娘に少女は告げる。
「『裕子』」
はっと首のない女性の身体が動く。
「返事しましたね。貴女の名前は『裕子』になりました」
ジジジと獣脂と魔香が焼ける匂いの中、少女は彼女の主人のように毅然として告げる。
「真の勇気は、恐れを知ること。真の勇気は優しさを失わないこと。
優しさとは如何なる困難の中でも微笑みを守ること。
……不完全でもいいじゃないですか。罪にのたうっていても良いじゃないですか」
首を抱き、涙を流す騎士にとり憑かれた様に少女の唇は動き、彼女に新たな力と勇気と、正義をきざんでいく。
「貴女の名前は『裕子』です。微笑み、優しい人を目指す人です。それって『正義』って言いませんか」