名前の価値
「何を言っているの。たかが血袋の小娘の分際で」
女性のデュラハンはその一言が言えなかった。
既に彼女の意識は揺らぎ、地獄への門が開きかけている。
死族は滅べば地獄行き。それは生死の掟に逆らう彼らの運命。
「早くッ 」トモはゾンビマスターたち水軍の籠を守る水奈子の前に向かって走る。小さな足は恐怖と今だ改善されていない栄養失調で震え、その骨のように細い腕は彼方此方に小さな傷がある。
ニンフは目を見張った。そして敵方の少女に叫ぶ。「ダメッ 殺されるわよッ 」
繰り返すが召喚されたゾンビたちには知性などない。ボールを持ったものを倒すことしか頭にないのだ。
「ゾンビマスターッ 」デュラハンこと勇征の剣が雷撃を帯びて輝く。
その一撃を石の剣でしのいだゾンビマスターこと芳一。片腕を外して飛ばす。
「エルボーロケットッ!! 」何を見たのだゾンビマスター。
揺らぐ勇征の巨体に肉汁を飛ばしてぶつかる芳一。
思わぬファンサービスに観客席の腐女子の皆様大歓喜。
ただし、この世界の腐女子は本当に腐って異臭を放って蛆が沸いていたりす
る。やはり死族は変わっている。
「トモっ 辞めんかっ 死ぬぞッ 」異常に気付いたゾンビマスターはその身を勇征から外そうとするが。「行かさんッ 」意外なことに止めたのは勇征本人。
ゾンビマスターには血も涙もない。だが熱い魂を持った『元人間』だ。
「ばかっ お前の後継者を殺す気かッ 」先ほどの背中への一撃が祟って再生がおぼつかない。ほとんど張り付いている彼は勇征に阻まれ動けない。
ゆっくりと首の無い女性の鎧武者が大地に倒れる。
首を持たない彼女を攻撃する理由を無くした知性の無いゾンビたちは手を止めた。彼女自身の生首は空を舞い、トモの胸に向かって飛んでいく。
彼女は知っている。
力尽きたのではなく『滅び』を前に心が折れたのだ。
彼女の胸を切り刻んだのは敵の剣ではなく彼女自身の悔恨。
その首は地面に向かって落ちていく。トモは身体を使って地面との激突からその首を守る。
「大丈夫。ですかっ?! デュラハンさん」「……」
しっかりしてください。叱責が飛ぶ。女性のデュラハンはその言葉すら自らを責める声に感じた。このような無力な子供に自らの首を託してしまうなんて。
少女はその小さな体に余る女性の生首を大切に抱えて水奈子の持つ籠に迫る。
その鬼気迫る表情にダブルドリブルを宣告しかけた審判は首を振った。見なかったことにすると。
デュラハンの女性の唇から言葉が漏れた。
「あなたは、死ぬのが怖くないの? あなたは人間。死んでしまう身なのよ」
腐敗臭が迫る。びちゃびちゃと腐敗した肉が飛び、骨だけの身体が迫ってくる。
「怖いです」少女は迫りくるゾンビを背に感じ呟いた。
女性のデュラハンの生首は少女には大きく手が余る。
「でも、何も出来ないまま死ぬのはもっと怖いです。無能と罵られてそれだけで終わるのはもっと」
知性の無いゾンビマスターたちの眷族にその身を晒し、少女はつぶやいた。
「あと……『あなたの頭を大事にしなさい』って勇征様が」「ばっ?! バカっ?! 」
剣を、棍棒を手に少女に迫るゾンビたち。彼らにはトモの知るゾンビマスターの暖かい表情は一切ない。
「だから、護ってあげます。貴女を。名前もない貴女を」
少女はよたよたとした足取りで水奈子の持つ籠に向かう。
「私は『此渓』。荒れて冬の寒さに凍り付く谷も春になれば水をたたえ花を咲かせて命を育む。勇征様のお言葉です」
少女の脚はゆっくりと前に進む。走っていはいるが年相応に動きが鈍い。
その短い髪をゾンビが掴み、その細い脚をスケルトンが蹴った。
「貴様らとま……」ゾンビマスターの声に人間ならかぶりを振ったであろうデュラハン。
「トモッ!! 魔族なら『名前の価値』を知れッ 貴様は魔王軍一二八魔将。わが親友ゾンビマスターと我デュラハンの」
『名付け親』です。
トモは微笑み、デュラハンの女性の首をその小さな体で包んだ。
ゾンビたちの拳が彼女を容赦なくうち、スケルトンの爪が彼女の肌を切り裂いていく。
「辞めなさい。放せ。放してッ 子供に守られる私では」「私の知るぼーるは喋りません。黙っていてください」案外冗談を言えるものですねとトモはつぶやく。
その幼い背をゾンビの持つ棍棒が打った。
「私だって『名有り』なんです。デュラハンさん。って同じ名前はややこしいですよね」
虫の息の少女の顎に骨でできたつま先が突き刺さり吹き飛ばす。
自らの身体の破損すら意に介さない怪力で迫るゾンビの攻撃に少女はあまりにも無力だ。それでもその小さな二つの腕は女性のデュラハンの頭をしっかりと抱きかかえる。
「顔は女の命。だそうですから」その言葉は吐息にしかならなかったが女性のデュラハンにはその意味が伝わった。
もういいわ。
セイレーンことゾンビマスターの妻である水奈子は台から降り、自らの籠を少女に捧げるように差し出す。
「ま、まお。」必死で手を伸ばす少女はもう言葉すら話せる力が無くその鼻は折れ、顔は腫れあがり血まみれで。
「魔王様。激love」水奈子が微笑み少女の言葉に続ける。
ゆっくりと白い肌の頭が籠に吸い込まれていく。
女性のデュラハンは籠に向かって落ちていく。
水奈子が籠ごと彼女の頭を大事そうに抱きしめる。
水奈子の身体は思いのほか暖かくて優しい。
デュラハン族の女性は瞳から暖かくも冷たい不思議な液体が流れ出すのを感じた。
この気持ち。この感覚はなんだったろう。彼女は意識を探る。
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッッルルルゥゥゥッッ!!!!!!!! 」「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッッルルルゥゥゥッッ!!!!!!!! 」「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッッルルルゥゥゥッッ!!!!!!!! 」「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッッルルルゥゥゥッッ!!!!!!!! 」
歓声が沸きあがった。
小さな少女を讃え、魔族が。捕虜の血袋が拳をあげて歓声を放つ。
彼女の勇気と献身に涙を流す鬼族の戦士。小さな少女の誇りに胸打たれ新たな戦いを心に誓う魔族。そして同族の少女が成したことに感動と感激を表にだし、抱き合って喜ぶ血袋たち。
「魔王様。この娘には」
トモを抱き起し、治療をと叫ぶ魔王に戦場から帰ってきた娘の声が響く。
さわさわと清涼な空気を放ち、水の香りのする美しい魔将。
「ウンディーネか」「はい。勇者『博志』確かに討ちました」その魔将はゆっくりと少女に膝まづく。
「よくやった。君は第一軍団で一番勇気の有るコだよ」耳朶の取れた耳にささやくウンディーネ。
「この勇気ある少女に勝利の口づけをッ 」魔王が叫ぶ。
魔族は知った。無力で力が無く、臆病で群れるが内紛する愚かなヒトが見せる勇気を。
魔族は知らなかった。戦働きだけでは発揮できない勇気があるということを。
人々は知った。無力な少女すら、その勇気と献身で誰も傷つけずに人に勇気を与えることが出来ることを。
「讃えよこの勇士の名前をッ 名もなき勇士ならばその意をッ 」魔王が叫ぶ。
「『此渓』だ」デュラハンとゾンビマスターが続ける。
誰かが呟く。
「『此渓』……」「『此渓』」
「『此渓』」
「『此渓』」
どよめきが広がっていく。
「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」「『此渓』ッ 」「『此渓』ッ」
ウンディーネの水の身体は光を通して透ける。
その柔らかな唇は彼女の額に触れ、治癒魔法を放った。
「がんばったね。キミは偉いよ」「……みず。ましょう……さま……」
その水で出来た身体は思いのほか柔らかくて暖かかった。
ある者は泣きじゃくり、ある物は抱き合い喜び、ある物は剣を手に興奮し、ある者は楽器を打ち鳴らす。
「魔王様激loveッ!!!!!! 」「魔王様激loveッ!!!!!! 」「魔王様激loveッ!!!!!! 」「魔王様激loveッ!!!!!! 」「ゾンビマスター様に敬礼ッ 」「第一軍団に栄光あれッ 」「デュラハン様に武運長久の加護ありますようにッ! 」人々は叫ぶ。
その日、魔族も人間もなく、人々は抱き合い泣きじゃくり、選手たちの健闘を讃えあい帰路についたという。
「あ。心臓忘れた」「またか芳一」「ちゃんと内臓共々拾ってきましたよ。あなた」「あ、あの。私妻が待っていますので頭代わりに持ち帰るのは辞めてくださいゾンビマスター様」
「かぼちゃが喋ってるわ」「ははは。ニンフ殿は冗談が過ぎる」「なによ。ゾンビマスターの癖に」
「私も頭をどこかに忘れた」「あれだけ我々に言っておきながら。いい加減にしてください勇征様」