現実との接続
○ 現実との接続
・「死者の奢り」と死体洗いのバイト
・虚構の進出、現実との接点。この接点という観点で見れば、ホラーや怪談は数多くのコネクタを持っている。つまり、虚構と現実が上手く接続されている。現実に飛び出した虚構、嘘と本当の境目が無い、これらの言葉は虚構に対しては褒め言葉に近い。だからこそ、接続が重要になる。文芸理論も、全ては虚構に対する技術でしかない。貨幣コントロールも、虚構に対する技術だ。そしてその虚構は信じられている間だけ、現実と接続される。つまり、現実とうまくコネクトするには、それが真実だと思わせなければならない。より真実に近いウソ、ありそうな話であれば読者はそのお話を信じることが出来、より現実に接続することが出来ていることにもなる。
では、信じるとは何か。確信とは何か。なぜ人はその情報を信じるのか。自分が信じていなくても他者が全員信じているから、あるいは「他人はそれを信じているから私もそれを信じるフリをしよう」という核の無い信用/確証なのか。ともかくも、貨幣と違って文芸は無理に信じさせなくてもいいし、万人を信じさせなくてもいい。
信じるパタンの内、最も簡単なのはそれが予言書である場合。経済小説などであれば、予言書として扱われる確率は高い。同様に、SFも予言書としての性格を帯びる。一般文芸であっても、書かれた事件が実際に起きれば、それは予言書としての性質を帯びる。
文芸では、絶対に現実では起こり得ないパタンを描いているものもあるはずだ。現実との接続を目指していない、むしろ現実とはキッパリと隔絶しているような舞台設定やら人物やらを提案するものもあるだろう。
・設定と様式。ミュシャやギーガーは、既に一種の様式となっている。特にギーガーは絵画でも建築でも両方の様式を与えている。つまり、様式とはそこからいくらでも作品を湧きあがらせることのできる設定群だ。その様式に従えば、その様式に沿った二次創作がいくらでも可能となる。つまり、様式を生みだす美術家は二次創作のための設定を与えている。