コンテンツの制作と鑑賞、それに起因するSNSのUI
tinamiの小説投稿のインタフェイスは、操作勝手が悪すぎる。「なろう」と比べれば一目瞭然。tinamiのインタフェイスは、ほぼ、書き上げられた小説だけを対象にしている。そのSNSが提供するエディタで書くことは、全く考えられていない。投稿のみを主眼に置いている。ついでに、投稿画面では「戻る」ボタンは存在しない。このtinamiの不便さは、一体何に起因するのか?
画像とテキスト、その編集シーンは異なる。画像をブラウザ上で制作するのは難しい。画像を描きあげるには、ブラウザ以外の強力な専用ソフトウェアが必要になる。が、テキストはブラウザでも制作できる。
コンテンツ制作環境の違いがSNS管理人の認識を固定し、SNSのインタフェイスの違い――あるいは不便なUI――をも生みだしてしまう。tinamiの管理人は、「コンテンツは専用ソフトウェアでつくるもの」「ブラウザは見るだけ」「サイトの機能は閲覧だけ」という信念があるのだろう。絵を中心としたコンテンツを扱ってきたtinami、その管理人が「制作と鑑賞の分離」という信念に陥るのはごく必至。
画像系SNSは、単に完成作品を陳列するだけの陳列棚であり、美術館である。だが、エディタ機能を持つ小説系SNSならば、そのSNSは陳列棚であると同時に作業場でもある。陳列棚と作業場の分離、これが画像系では顕著であり、そういう先入観を構築するのだろう。tinamiのUIは、そういう前提で構築されたとしか思えない。
閲覧台と作業台が異なるのは画像・3DCG・音声・動画などであり、同じなのはテキスト。作業台がテキストエディタやらフォトショップであり、閲覧台がSNSの提供するインタフェイスである。逆に、作業台と閲覧台が同じソフトウェア(ブラウザ)で十分なのは、テキストぐらいだ。
さらには、コンテンツ閲覧・制作に関しては、絵/陳列棚/個展のような閲覧インタフェイスと、本/机/読書台の制作インタフェイスはおのずと異なる。tinamiやpixivは、同じサイトに全く別の発想からなるインタフェイスを二つも詰め込まなければならない。そこを知ってか知らずか、なろう系列の画像サイトは別に用意されている。「みてみん」である。別のものは別の革袋に。これは良い判断であろう。