大蛇の逆襲
神官職。
古代から出雲では、シャーマンと呼ばれる存在が多かったんだって。
シャーマンは、癒しの一族。
医術の神、オオクニヌシがそうであったように。
出雲の斐川町。
斐伊川は、スサノヲの尊と櫛名田比売が出会った場所。
スサノヲ様は、クシナダをやまたの大蛇を倒した暁に妻として迎えたい、と申し出た。
スサノヲは、策を練って酒樽を大蛇の頭の数だけ用意し、酔わせ、たたいた。
尾を刻むと神剣草薙があらわれ、姉であるアマテラスに献上したのだそうだ。
その剣は、のちにニニギの尊(アマテラスの孫)と、その子孫ヤマトタケルが使うことに。
私は出雲で生まれて、出雲で育った。
出雲という土地はほんとうに、のんびりしている。
でも現代には違いない。
どこもかしこも徐々に都市化してきて、自然が減少してきていた。
そんな様子をさみしそうに、出雲大社の神様は町の様子をご覧になっているのだろうか。
毎朝大社さんの前で一礼してから、仕事場に行く。
それが私の日課だった。
今日もいい天気。
宍道湖はあいもかわらず、少し曇った空から、朝焼けをうつしだしていた。
「美樹本さん」
ヘルメットをかぶり、バイクにまたがった私を止める声。
大社につとめる神官だった。
まだ大学を出て修行を始めたばかりのその人は、私と同じ二十代前半だそうだ。
ほうきを片手に、にこりと微笑んでいる。
「おはようさんです。毎朝ご苦労様」
とだけいって、再びメットをかぶる。
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
彼が呼び止めるため、あわてて私の腕につかみかかった。
「ちょっとぉ、なにするんじゃ・・・・・・」
「挨拶するのさえ、今日がやっとでしたのに。ひどいなあ、美樹本さんは」
屈託のない笑顔でわはは、と笑う。
「くどい。人の名前を何度も呼ぶな!」
心で叫んで、頭をかいた。
「それでなんか用?」
たばこを一本取り出して、火をつけ吸う。
「ああ、そうだ。あの・・・・・・今夜、暇かなあと想って」
私はライターの火をつけるが、止める。
「誘ってるの?」
「たぶん」
また、屈託のない笑顔。
どうもコイツ、調子狂うなぁ。
「あのね、八重垣さん。人を誘うにしても順序ってものが――」
「非常識なのはわかってるんです。でも、美樹本さん、答えてくれそうにないから」
「私とあなたは、まだ出会ってから三週間ほどじゃない。急すぎるって」
ところが、突き放そうとした私に対して、彼は真剣な眼差しを向けてくる。
まるで・・・・・・そうだ、氷柱のような冷たさを伴う。
「や、やだ。やめてよ」
懐中時計を見ると、出勤時間が迫ってきていた。
「とにかく、誘うのは、もうよして」
「なぜ」
表情を変えない八重垣。
わたしはなんだか、恐ろしくなった。
「時間だから、行く」
心臓がばくばくと脈打つ。
とてもとても、イヤな予感が全身を貫いていた――。
全身を貫くイヤな予感――。
それは、八重垣に対してだった・・・・・・?
おかげで仕事どころじゃなかった。
私の仕事はバイク便というヤツ。
いわゆる自転車のメッセンジャーといっしょってことか。
接客が苦手な私だったが、これだけは不思議とできた。
けれど問題は、八重垣である。
――お願いよ、出雲の神様!
私は神前で、祈らずにいられなかった。
――あいつから私を守って・・・・・・。
その晩。
私は夢を見た。
葦原の中つ国、と古代で呼ばれていた、日本。
芦が生い茂り、風が吹くとかさかさ音を立てながら、穂を揺らす。
その芦のはえた大地で、貴族の衣装――絹の着物に袴、それと勾玉、腰には剣を差した角髪の男が声をかけた。
「クシナダ・・・・・・」
はて、私はクシナダではなく、久美って名前が・・・・・・。
「櫛名田比売・・・・・・」
男は勾玉をはずし、私に手渡した。
「俺だと思って、だいじに、な」
慈愛に満ちた瞳・・・・・・だが、どこか悲しげにして彼は、そう言った・・・・・・。
――俺だと思って・・・・・・?
目を覚ますと、いつもの自分の部屋。
手元には、夢で渡された勾玉を握っていた。
「どういうこと」
でも、不思議と怖くなかった。
勾玉を抱きしめる。
すると、たちどころに勇気がわいてくるような気がしてきた。
――怖くない。
勾玉を握っていれば、きっとだいじょうぶと想えた。
仕事の帰り、駅の前にある小さな本屋に向かう。
毎月買っている雑誌があって、そこに注文しているからだった。
「久美ちゃん、だんだんね」
だんだん、というのは、ありがとうという意味で使われる出雲弁。
「ああ、どうも」
店のおじさんが雑誌をよこし、私は引き替えとして代金を払った。
「聞いたかい。あの話」
おじさんが耳打ちをする。
「なに? あの話って」
「大社さんにでるんじゃってよ」
私は硬直した。
「いつも行ってるけど、そんな噂でなかったよ」
「それが・・・・・・でるんじゃて。もっとも噂のある場所で、そないなこと、いうちょーわけ、ないがぁ?」
それもそうか・・・・・・。
「大社さん行くときは、気をつけんしゃい」
と言われ、私は放心状態で店をでた。
うそ、でるの?
でるといったら幽霊に決まってる――!
ポケットにしまったままの勾玉に気づき、急いでそれを握った。
勾玉を握ると、不思議に落ち着く。
どうしてだろう。
それから、帰り道、コンビニでビールを買って家路にたどり着いた。
またその日の晩に、夢を見た。
あの貴族の男が現れ、私に語りかけてきた。
「頼みが、あるんだ」
「頼み?」
私は首を傾げて眉間にしわを寄せる。
「聞いてくれるかい?」
うなずいて私は、話だけでも聞いてみようと想った。
「八岐の大蛇、知ってるだろ。あいつを倒さなければならない。だが今の俺では無理なのだ。力が封じられている。きみの力で解放して欲しい・・・・・・」
「八岐の大蛇ッて・・・・・・蛇の化け物でしょ。なんで今頃復活を? それに私に力の解放って」
「きみにしかできないことなんだ」
――ばかばかしい、聞いて損した。
帰ろうとする私を、彼は引き留めた。
「待ってくれ。話は最後まで聞いてくれ」
「聞く耳もてない。神話ごっこでもするつもりなんでしょ? いいかげん――」
「・・・・・・八重垣、と言う男だが・・・・・・気をつけろ」
私は振り返って彼を見つめた。
「何であいつのこと知ってるの?」
「あいつは・・・・・・八岐の大蛇の化身だ。倒さなければならない・・・・・・」
――うそ。
私はごくりと音を立てて、息を飲み込んだ。
「つまらない冗談はやめて。八重垣くんが? でたらめを言ってる」
「そう思うか? 俺の言葉を信じなければ、クシナダ、きみはあいつの妻にされる。そうしたらきっと、俺の存在も消えてしまうし、この世界を創った創造神さえも」
「創造主? 悪いけど私、神様なんか信じないから」
「ニヒリストか。それもいいだろう・・・・・・しかし、俺の言葉だけは信じてくれ!」
目を覚ました私は、なぜか涙を流し、顔を濡らしていた。
あの人は誰なんだろう。
私のことをクシナダと呼ぶ、あの人は・・・・・・。
神話ならイヤと言うほど読んでいたくせに、こんなとき知識というのは頼りにならなかった。
台風の近いせいか、洪水注意報が出された。
おかげで仕事も休み、安いアパートの一室にいて膝を抱えねばならなかった。
窓は強風でガタガタ揺れている。
「やだなあ。嵐なんて」
夢の一件以来、大社に行くのは控えていた。
怖いと言うより、気味が悪いし・・・・・・何より不安だった。
八重垣の存在。
あいつがこれからどう、私の人生に影響を及ぼすのか。それを考えると気持ち悪い。
『八重垣は・・・・・・大蛇は、きみを妻にするだろう』
世界を滅ぼして、それで大蛇ってヤツは、いったいどうするつもりなんだろう?
死にたくない。
私は耳を塞いだ。
風の音も、部屋がきしむ音も、何も聞きたくなかったから・・・・・・。
私は次の日、大社に赴いた。
そして、八重垣のことを確かめてみたかった。
ところが、
「え、八重垣? そんなヤツはいないけど・・・・・・」
と言われてしまい、どういうことかと神官を責めた。
「だから、八重垣とか言う神官は、この大社にはおらんのよ。わかった?」
「わかりませんっ!」
腹立ち紛れに怒鳴り、私は大社をでた。
――いったいどういうこと?
夢の男の言うことは、もしかしたら真実かも知れない。
本気でそう思い始めたとき、例によって八重垣が現れた。
「八重垣くん・・・・・・」
私は勾玉を握った。
こうしていると、ぬくもりに触れ、恐怖が消える。
「久美さん。あいつに会ったんだね」
八重垣はにやりと笑った。
唇が裂け、蛇のような顔になる。
「あんた、やっぱり・・・・・・」
「そうだよ久美。いや、櫛名田比売。ははは、何千年ぶりかで、ようやく再会した。スサノヲのヤツはどうやら、解放されていないらしいな。かわいそうだ。このわたしが先だって解呪されたというのにな」
「解呪って、どういうこと」
「久美、きみは自分の存在がどういうものか、全然わかっていないんだね」
八重垣は右手をかざすと、周囲の時間を止め、蛇に姿を変えた。
それも、大きな蛇――八岐の大蛇に!
「や、やまたの、おろち」
「目はほおずきのようで、赤カガチ・・・・・・。まさに『古事記』の通りだろう。驚いたか」
言われたとおり、背中には苔が生え、木の枝らしきモノまであった。
「あ、あんたが世界を破滅に導くって、ホント?」
「ああ、スサノヲがそう言ったのだね」
大蛇は目を細めた。
「正解は逆だ。わたしじゃない、スサノヲが破滅に導く存在なんだよ・・・・・・」
「え?」
「言っている意味が、わからないかね。私は破滅になど導いたりしない。わたしは水をせき止める存在なんだ。しかしあの神というのは、まったくもって不愉快な存在。我々を押しやり、自分だけがいい子になる。憎たらしいヤツらめ」
蛇は舌を出して、目を細めた。
私はあの夢の人がスサノヲであることをようやく理解でき、また、コイツに心をえぐられているような、不快な気持ちに陥った。
「ちがう。まどわされては、ならない!」
頭の中にそんな声が響いた気がして、私は大蛇に向かって、言い返す。
「そうよ、スサノヲがそんなこと、するはずない」
「なぜそう言いきれる?」
大蛇の言葉に、時々屈しそうになる。
けれど、スサノヲが励ます声のおかげで、私は自分をしっかり持てた。
「スサノヲは、裏切られたからよ」
「だれから?」
「・・・・・・アマテラスに」
蛇は沈黙を守る。
「アマテラスは、スサノヲにけがれを与えて追い出したのよ。スサノヲは文句も言わずに黙って出雲の斐伊川に降りた。・・・・・・孤独を抱えて地上に降り立ったときの、スサノヲの気持ちが分かるから、スサノヲを信じる!」
私が叫ぶと、大蛇も、しゃあと声を上げて襲い掛かってきた。
「たすけて、スサノヲさま・・・・・・」
勾玉を握った。
天に祈った。
その甲斐あって、暗雲が立ち込め、雷が落ちた勢いで勾玉が割れ、念願の勇者様が現れた。
「スサノヲ!」
「会いたかったよ。クシナダ!」
よかった、と心底思えて、喜びが全身からあふれ出した。
「私だって、どんなに会いたかったか、しれやしない!」
「スサノヲ。ひさかたぶりだな」
スサノヲは腰にはいた(備えた)十握(とつか・こぶし十個分の長さ)の剣を大蛇に刺し、鱗を貫いた。
「ぎゃあああっ」
大蛇は鮮血を流し、それでも必死でスサノヲに攻撃を加えた。
「くそう、歯が立たぬ」
「ああ・・・・・・」
さしものスサノヲも、ここまでなの?
しかし、大蛇は折れた牙をポロリと落としながら、スサノヲにこう告げるのだった。
「ぐふ、こうなる運命だったというか。古代の、神話時代のあのころと、ちっとも変わらぬと、申すのか!」
「しかたがないさ。相手はアマテラスだもの・・・・・・」
スサノヲはため息をつく。
「ふはは、だったら貴様が倒せばいいものを」
言いながら大蛇は自害した。
古代の慣わしどおりなら、敗者は必ず勝者の前で自害をせねばならない。
この出雲大社の、大国主のように。
「オオクニヌシはね。負けたんじゃないんだ。この私のように力を封じられたんだよ」
「・・・・・・アマテラスによってね」
スサノヲがうなずいた。
「それはともかく、やっと再会を果たせたね」
「ええ」
私はスサノヲの手をとった。
暖かいぬくもりが、懐かしくてたまらない。
それはどうやらスサノヲも同じだったようで、私たちは深い因縁の糸に手繰り寄せられ、・・・・・・愛し合った。
それとはべつに、解決しなければならない問題が山積みだった。
でもま、これからはひとりじゃないんだし、がんばれるわ。きっと。
「久美。お前、また大学の単位落としそうだったろ。それに借金も増えまくりだったぞ」
あちゃ〜、ほらね。
「そこはほら、拍手の呪術とかいうやつで、ね」
「天の逆手か? よせよせ。あれは天に対して絶対服従しますってな、誓いだぜ」
スサノヲが手をあおった。
ががーん、そうでした。
「コトシロヌシみたいに、青い垣根に変わってもいいなら、教えるがなあ」
いえ、結構です・・・・・・。
こういうねたはオチが難しいんだっけ・・・・・・。
しまったなー。
て、これたしか、随分前に出そうとしたやつなので、ちょっと継ぎ足した部分あるんだなぁ。
こんな感じでどうだろうね・・。
読みやすいかな。