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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
パートタイム・ワイフ?
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 田中桃。趣味は編み物。好きな本は星の王子様。好きな花はかすみ草と紫陽花と真っ赤なバラ。小学生の頃よりピアノを続けている。笑顔が可愛く、心優しく明るくキュート。だけどおっちょこちょいの所があり、泣き虫な一面も……



「何だコレはーっ!!」


 みなとは紙を放り投げたくなった。そこにはメールが印刷されていて、中身は女性の特徴が細かく記載されている。


 というか、この女の子、何? 趣味が編み物で星の王子様でバラでかすみ草で、可愛く泣き虫なおっちょこちょいって、これは昭和の少女漫画かっ! 

 じゃなくて、一体これはなんなのよっ、つまりなんなのよっ!


 その時、彼女に無言でその紙切れを投げてよこした、当の本人が通り過ぎた。

 同僚とファイルを片手に、真面目な顔で話し合っている。

 ここは会社なので、それはもちろん、仕事の話だけど。



「そこは国際会計基準が変わらなかったっけ?」

「外貨建有証の評価ですか? 償却原価法ですよね、これは」

「吉川っ! ……くん」



 呼び捨てで呼んでやろうとしたが、先輩がいる手前、かろうじて「くん」を付け足した。

 ところが拓也は、熱くなっている湊とは対照的に、冷めた眼差しを彼女によこす。



「はい?」

「ちょっと」

「すみません、後で」



 にべも無く断られる。「あんたとは話したくない」オーラをバンバンに出して、湊は彼に背中を向けられた。


 何、その態度? 何スカしてんの?

 さっきのアレとの、違いは何??


 湊がポカンとしたその時、向こうから舞彩まあやが忙しなく駆けて来た。



「吉川くーん、休憩室来てー。打ち合わせー。みんな待ってるー」

「あ、今行きまーす!」



 「じゃあねー」と笑って姿を消す舞彩を追う様に、「すいません、僕も」と言って、拓也もその場を去ろうとする。


 湊は、頭の中で「ブチっ」と何かが切れる音がした。



 …んだとコラア!



 小走りに拓也を追いかけると、先ほどの紙切れプラス手にしていたプリント類を丸め、彼の頭を後ろから、

 スパァンっ!

 と叩いた。


 驚いた拓也は後ろを振り返り、湊を見ると目を剥いて言った。



「いって! 何すんだよっ!」

「叩いたんだよっ人の話を聞けっ!」

「仕事中だろっ! 殴る奴がいるかよ、おかしいんじゃねぇのっ?」



 後方で同僚の先輩が、唖然としてこちらを(主に湊を)眺めている。だからなんなのよっ。

 外面がいい人ったらしの癖に、あたしにはスカした気分屋なんだからっ。その根性、叩き直してやるっ。


 湊は拓也のネクタイをグイっと引っ張って、顔を近づけた。


「こっちも仕事っ。無視するそっちが悪いっ」



 なんで無視するのかは知らないけれどっ。


 グイグイと拓也を引っ張り、彼女はなんと手直な女子トイレに連れて行った。

 他に連れ込む場所が無かったし、人前で秘密のバイトの話は出来ない。

 幸いトイレには誰もいなかった。拓也は怒って、勢いよく彼女の手を振り払った。



「いい加減にしろよっ」

「何だコレは?」


 渡されたメールの紙を、グッと付きだす。



「資料だよ、見りゃ分かんだろっ」

「説明してよ、どうすりゃいいのよ」

「その通りにしろよ、それが設定なんだよ」

「…せってい~?」



 怒りで上がっていた肩が落ち、湊は眉根を寄せて拓也を凝視した。

 拓也は服を整えネクタイを直しながら、彼女を横目でジロっと睨んだ。



「そう。社長のおじさんが考えた、それが設定。相手の好みや希望に合わせた人物像。それをもとに、自分で自由に想像して、相手に『ご奉仕』するの。ルールはただ一つ。お帰りなさいと行ってらっしゃいを言う事」


「……メイド喫茶か?」


「信じらんねぇ。人前で切れるか? そーゆー人だとは思わなかった。やっぱヤケになってんじゃん」


「半分はあんたのせい」

「はあ?」

「いやそれ以上」



 湊はツン、と勢いよくそっぽを向いた。

 拓也は怒り半分呆れ半分、で口を開けて彼女を凝視した後、「ありえねぇ」と一言言って、女子トイレを出て行った。



 クッソ。ここまでバカにされたら、やらないでか。

 10万円のお仕事、きっちりさせて頂きましょう。







 

 とある高級なマンションの最上階。


「お帰りなさい」


 

 男が扉を開けると、見慣れない、一人の若い女が立っていた。

 彼は無言で彼女を見下ろし、目を細めて、眉根を寄せる。


「……君は?」


 彼女は柔らかく微笑んだ。スッキリとした美人だけど、表情に愛嬌がある。着ている服は質が良いが、決して派手ではない。多分この部屋のクローゼットにかけてあったものを身につけたのだろうが、中々、自分にどんな服が映えるかを自覚している女だ。


 彼女は綺麗なお辞儀をした。しながら少し脇に移動し、彼に入室を促す。



「桃です。宜しくお願い致します」

「ふーん。泰成たいせいも面白い子を見つけたな。君、素人っぽいね」

「……実際、素人だと思います」

「え?」



 彼女は控えめに、彼の手を引きながら家に上げた。

 廊下の奥の部屋は、まだ日が明るいのにカーテンが閉められて薄暗い。空調がきいている中、間接照明が灯されている。


 彼女の長い睫毛が、上目遣いの瞳を縁取った。



「だから、至らない所がいっぱい、あると思います」



 ゆっくりと、彼を見つめる。男は充分30代半ばに見えるが、40を少し超えている事を、彼女は資料を読んで知っている。しかし最低限の事以上には、あえて目を通さなかった。

 小ぎれいな身だしなみだが、着ているスーツが上物である事は触れなくても分かる。ジムで鍛えていそうながっしりとした体つきをして、僅かにコロンの香りがした。


 一部の隙もない、男。

 その空気をまとって、ここに来た。


 それに疲れて、ここに来た筈。だから。



「でも一生懸命頑張ります。気に入らなかったら、追い出していただいて構いません。教えて頂く事は何でもやりますので、」



 彼女は、彼をじっと見つめた。

 そして彼も、彼女を見つめた。彼女のぷっくりとした唇が、花が咲く様に、ゆっくりと開かれていく。

 赤い舌が、僅かに見えた。



「どうか、躾けてください」



 艶っぽく、甘い声。なのに表情はむしろどこかあどけなく、頼りなげに見える。

……うわ。彼は心の中で呟いた。思わず、生つばを飲み込む。

 玄関先で、二人の視線が絡み合った。



「……見事な設定だな」

「はい?」

「俺の好みに合わせた演技か? だとしたら合格だ」



 皮肉っぽく、口角が上がる。

 湊はそれを、冷静な気持ちで眺めていた。



「それが天然だとしたら、大した物だ。無意識の才能ってのは手の中にあってもコントロールが利かないものだから、恐いよ」



 とりあえず、第1段階はクリアしたらしい。相手に興味を持ってもらえたようだ。

 内心の冷や汗を上手く隠しながら、湊は少し微笑んだ。リビングへと足を運ぶ。彼も後ろからついてきた。


 ソファに座った彼の正面に立ち、立て膝をつくと、彼女は彼のネクタイに手を伸ばした。

 それをゆっくりとほどいていく。

 彼はその動作をジッと見ていた。


 ほどき終わったネクタイを脇のローテーブルに置き、彼女は首を傾げた。

 ヤバい、この先どう進んでいいか分からない。でもこの人は、この素人の雰囲気が好きみたいだから、このまま相手のペースに合わせてみよう。


 あの女の子の好みを見て、純粋な少女を想像して、一か八かの賭けに出た。その上での素人宣言。よかった、それが裏目に出なくて。


 

「俺の事、知ってる?」


 不意に男が、低い声で聞いてきた。

 湊は僅かに微笑んだ。



「はい」

「どの程度?」

「テレビに出ている程度には。詳しい事は、存じ上げません」



 世間で人気の、若手イケメン代議士。誠実な人柄と家庭的な雰囲気が、その人気を盤石なものにしている。

 一方で、そんなにハンサムでやり手の政治家が誠実な夫であるわけがない、とマスコミが日々、彼を虎視眈々と狙っている事も、大人だから容易に想像がつく。



「勉強不足だな」



 皮肉っぽく口元をゆがませる彼は、少なくともテレビで見る表情とは全然違った。

 まあもともと、これが身近な人達に見せる表情なのかもしれない。

 だとしたら、ここでは更に、別の自分でいたい筈だ。



「ここは、外の世界とは違います。浮世を離れて、くつろげる場所」



 彼女は柔らかく微笑んだ。

 唯一、人目を憚らず違う自分でいられる場所。

 

 だったら、今から相手をする男の細かな情報など、先入観を植え付けるだけで、害になるものだ。



「だから、あなたはここに『帰って』来たのでしょう?」



 そう言って彼を見上げた時、湊はいきなりグイっと抱きしめられた。

 彼の強い眼差しが降りかかる。



「教えれば、理解できるのか?」



 なりましょう、別人に。



「何でも、教えて」



 すると彼は、満足そうに片方の口角を上げて言った。



「望み通り、躾けてやるよ」



 不思議な事に、その場にいる湊も、彼の事しか見えなくなっていた。

 本当に、誰の事も頭に浮かんでこなかったのだ。


 壮太の事も、拓也の事も。







「行ってきます」


 扉を開ける前に、彼は湊を振り返った。笑顔で彼女を引き寄せる。



「行ってらっしゃい」



 彼女はクスっと笑うと、彼の薄い唇に軽いキスをした。



「お仕事、頑張って下さい。お帰り、待っています」



 じっと見つめた彼が、満足そうに微笑んで頷く。そして部屋を出て言った。



 しばらく彼女は、そのまま玄関に佇んだ。



 コレで良かったのかな? 取り合えず返品をされなかった所を見ると、まあ、やりきれたらしい。

 結構なんとかなるもんだな。

 この部屋はありとあらゆるものが揃っていて、雰囲気を上げる小物などもそれはまあ、色々と置いてあった。へえ、こんな物もあるんだ、これ、プライベートで使ったら面白いかな、とか思ってしまい、それっていつの話だ? と自分で突っ込んでしまった。足りないものも、電話一本で取り寄せられる事が出来た。一体どういうシステムになっているんだろう、と思う。

 手料理をふるまわなくていけないか、と覚悟をしていたけど、それすらディナーのフルコースを「宅配」することで済んだのだ。



 湊は頭をぽりぽりと掻いた。



「……しっかし、世の中には色んな男の人がいるなー……」



 有名人は大変だ。息抜きするのにも一苦労だ。



「さってと、出勤いたしますか」





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