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最後のバイト代を現金にて湊が厳かに貰っていると、祐介が当然の様に言ってきた。
「丁度良かった。僕も彼に会いたかった所だ。一緒に行っても、構わないかな?」
……彼、とは拓の事よね……?
湊が微妙な表情で、祐介の方を見る。確かに彼女はこの後、拓也の所に行く予定。
一緒に行っても構わないかな? とはつまり、俺も連れて行け、と言う事なのでは……。
「……引っ越し直後で、散らかってますよ……?」
「言付けを受けているだけだから、邪魔はしないですぐに帰るよ。車も出すよ。乗らないかい?」
柔らかく祐介に言われて、湊は引きつった笑いを浮かべた。但し見た目的には、完璧な営業スマイル。
どうしよう、あたし二人の関係をよく知らないから、どこが断り所か分かんないわ……
ごめん、拓。
あなたが、この人を苦手としている事だけは、分かる。
「……では、お言葉に甘えて……」
でも逆らうのも色々と面倒そうなのよ、それも分かってっ。
「俺も行く」
横から泰成が口を挟んできた。
「……は?」
気味悪そうに、湊が泰成を見上げる。
「何で?」
「……拓也に会いに」
泰成の憮然とした表情。
……嘘くさい……。
「……」
「どうぞ」
祐介が湊以上に、完璧な営業スマイルで微笑んだ。湊の背中にどっと冷や汗が流れる。ごめーん、拓ぅ。もうマジで後に引けないよーっ。
「……」
扉を開けた拓也は、無言で固まった。
いかにも今まで部屋に引きこもっていました、と言う様な下はスウェット、上はパーカーで頭は寝癖、
そして目が、座っている。
そのまま無言で扉を閉めようとした。
「え、ちょっと待って待って」
湊が慌てて、それを止める。
拓也は三人から顔を背けるように室内に目を向け、眉間に皺を寄せた。てか遠い眼をして、どこを見てんの?
湊が様子を覗っていると、拓也がボソッと言った。
「……見えなくていいもんまで見える」
「はい?」
「何であなた、変なの二人も背後に憑かれちゃってんの?」
言うなり湊を振り向き、指は泰成と祐介の二人を指している。気味の悪そうな表情。それを見た泰成はムッとした。おいお前ら、カップルでおんなじ反応するんじゃねぇっ。
湊が心外だ、とでも言う様に拓也に言い返した。
「いや憑かれちゃってんじゃなくて、付いてきたの。勝手に」
「同じじゃねぇか。それを憑かれてるって言うんだよ」
「ひでぇな、人を化け物みたいに言いやがって」
「役に立つなら化け物でもまだマシだよ。しかもよりにもよってこんな使えない人達……」
拓也は嫌そうに、まずは泰成を、そして次には祐介を、上から下まで眺めた。
そして再び湊に顔を寄せると、眉根を寄せて小声で言った。
祐介を小さく指さして。
「特にこの人。この場に居ること自体がそもそも謎の人。何でここに居んだよ?」
「アシだ」
「……」
祐介の返答。そして拓也と祐介の間に流れる、無言の空気。
拓也の目が白く座り、祐介の笑顔が空々しい。湊と泰成が理由も分からず固まる。
……さむ……
拓也が溜息をついた。
「分かりましたよ。よく分かんねぇけど、分かりました。どうぞおあがり下さい。邪魔になんない様に隅っこの方にでも座ってて。飲み物は冷蔵庫だから、勝手にやって」
言うなり諦めた様に俯きながら部屋に戻る。
金縛りの溶けた泰成が、ホッとした様に後に続いた。「ちーっす」と言って上がり込み、物珍しそうに部屋を眺めると、すぐに冷蔵庫の前に向かう。その後から、居心地の悪そうな湊と、未だ笑顔の祐介。
拓也の新居は、見事なまでに段ボール箱の山積みだった。
勝手に冷蔵庫からペットボトルを出した男共は、勝手に思い思いの所に胡坐をかいて、周りを観察しながら飲み始める。
湊はそれを見ながら、お気に入りのミルクティーを冷蔵庫から出し、自分のコップに注ぎ、電子レンジで温めて、ゆっくり飲もうと床に座り……
「って何であなたまで座りこむの?」
「引っ張んないでよっ服が伸びるぅ」
「唯一のまともな戦力がお茶なんか飲まないでよ。ハイ、これ玄関」
渡されたそれは、傘とか靴とか靴磨きとか、とかとかとか。
湊は恨みがましく、拓也を上目遣いで見た。
「まさかこんなに片付いていないとは。コレをあたし一人に手伝わせる気だったの? なんて恐ろしい男……」
「そう思うならもっとマシなの連れて来て下さいね。それ終わったら台所お願い」
カッコ可愛い顔でエラソーに言われる、寝癖ついてる癖に。これがこの子流の甘え方って知ってるけどね、時々ね、頭叩きたくなるのよね。
ブツブツ言いながら湊は玄関に向かった。居間では泰成が珍しそうに大きな包みを眺めている。これ、引っ越し荷物じゃねぇよな? 何か書いてある。
「お前、これ何だ?」
「いい質問。聞いたね? じゃ、そっち開けて。これから組み立てるから」
「組み立てるって……ソファをか?!」
「値段と座り心地を考えたら、某有名北欧メーカーになったの。ベッドは一人で組み立てた」
「へぇ? どんなだ?」
「プライバシー覗くなよ」
「何だよ、自分で話振っといて」
「エロだな」
今まで黙っていた祐介が一言言う。
拓也は顔を赤くして、勢いよく彼の方を振り向いた。図星だったらしい。
「うるせぇな、つか勝手に人のオーディオ触るなよ」
「ねぇ拓、これ、適当でいいの?」
「触んなって! あんた大人しく座ってろよ!」
「あ、そう分かった、座ってる」
「や、そうじゃなくて! 台所は湊の好きなようにやっちゃって。どうせ俺、あんまそこに立たねぇから」
湊は再びムッとする。人任せですか?!
「やっぱエロだな」
すかさず祐介に言われた。人によって解釈は色々違うのね、と湊は眼を丸くする。
そして拓也は益々ムキになって、益々顔を赤くした。それにも湊は眼を丸くする。めっずらしい!
「だからあんたは一体なんなの? 壊すなよ、死ぬほど機械音痴なんだろ?」
「機械音痴じゃない、興味が無いだけだ。所詮は道具、誰が動かしても同じだろ?」
「おーい、コレ、どうすればいいんだ?」
「あ、そう。じゃあ何で俺のオーディオには興味示してんの? いいから手を下げてよ」
「吉川の癖にいいもの持っているから」
「なんっだ、ソレ?! 吉川の癖に?」
すっごい、拓がキレてる、やり込められてる。藤田さんの実力、ハンパ無いわ。
湊は思わず称賛の響きを混じえて言ってしまった。
「究極の、シンプルなのにダメージ最高の言葉だよね。の○太の癖に」
「なぁ拓也。これ分かんねぇよ、どうすりゃいいんだよ?」
「読めよ、説明書を!」
「分かんねぇよ、字が書いてねぇんだもん、絵ばっかなんだぞ?」
「じゃ、余計分かるじゃねぇかよ、誰でも!」
「お前ら本当にうるさいなぁ」
涼しげな顔で言う祐介。手は相変わらず、拓也のオーディオを触っている。
湊は食器を仕舞いながらそれを眺めていた。あ、何だか段々、拓が可哀想になってきた。こんなにいじられてる拓也を見れる機会も滅多に無いけど、あたしに憑いてきた(付いてきた?)人達だと思うと少し責任も感じたりして……。ヤバっ拓がこっち見たっ。
湊は慌てて台所に向き直る。うう、サッサと片付け終わらせて宴会にでも突入させちゃお。あの眼は絶対あたしを逆恨んでる、長引かせると我が身が危険だわ、本能がアラーム出している。
数時間後。
適当なお酒のつまみが所狭しとカウンターに並び、そこに男三人が所狭しと並び、揃って舌鼓を打っていた。
泰成がしみじみと感心をする。
「すげぇ上手い。お前、小料理屋出来るんじゃねぇの?」
「めんどくさい。そんなのしなくていいもん。その代わり時々、食べに来てね❤」
湊は台所に立ちながら、わざとらしく色気を出して唇を突き出し、エアキッスをしてみせた。ついでにウインク。女優みたいに決まるもんだから、泰成はさり気なく目を反らす。
すぐさま拓也が冷めた声で言った。
「そこで特技繰り出さなくていいから」
「ふふ」
可愛らしく肩を竦めると、「ちょっとゴミ出してくるねー」と湊は出て行ってしまった。
それを男三人が、なんとなく身を乗り出して見送る。
祐介がカウンターに両肘をつき、缶チューハイを手で回しながら、いつも通りの口調で言った。
「この場合の特技とは、あの愛想の良さだな。職業病か?」
「元からだよ。天性なんだ。期待されるとそれ以上で応えちゃうの」
拓也は横目で祐介を見る。この人、酒飲んでも全然変わんねぇんだよな。「あんた、車じゃなかったのかよ?」「人を呼んでる。気にするな」「いやそれ普通に気になるだろ。どこに待たせてんの?」とやり合ってると、泰成が皮肉っぽく口角を上げて言って来た。
「だから余計なプレッシャーを与えるな、ってか?」
「余計な入れ知恵もね。考えすぎるから」
そう言って拓也はグビッとウーロンハイを煽る。
そして二人の視線に気付いた。
「……何だよ?」
祐介と泰成が、ニヤニヤと笑っている。
再び気味悪く二人を交互に見やると、祐介が含み笑いを抑えながら言った。
「いや。……いい感じに落ち着いたな、お前」
「……」
失笑、ってやつですか、ソレ? なにそのバカにした様な笑顔。
すると泰成までが、愉快そうに追い打ちをかける。
「俺も同感。坊が成長して、親父は嬉しいぜ」
「さっさと帰れよ、あんたら」
拓也は低い声でドスを利かせて言った。が、二人には全く通用しない。すっげぇムカつく!!
湊が部屋に戻ると、拓也はすっかり二人のオモチャになり下がっていた。湊はポカン、とする。一体今日はどうなっちゃってんの?
湊に気付いた祐介が、物腰穏やかに言った。
「じゃあ、僕はそろそろ」
「え? 帰るんですか?」
「うん。ちょっと予定があってね」
祐介がニコニコと(胡散臭く)笑っている。この人結局、何しに来たんだろ?
「あの」
「?」
湊は意を決して、声をかけた。
「……お世話に、なりました」
「……何の事?」
「……今度の、職場……藤田さんが、口を利いてくれて……」
後から知ったのだ。紹介主が、祐介だったという事に。
後藤との再就職がダメになり途方に暮れていた湊は、それでも元の職場に戻る事は考えなかった。皆が優しい言葉をかけてくれるが、一度決心して去った場所、リセットした気持ちを中々元に戻すことは出来ない。
それに舞彩がいないし、ね。
あたしはきっとずっと、それを気にし続ける。
そんな時、前の会社の部長が紹介してくれたのが、今の新しい仕事場だった。只一言、「こんな会社もあるんだが、受けてみないかい? あなたに向いているかもしれませんよ?」と言われて、下手な鉄砲数打ちゃ当たる、部長の顔も立てましょう、の軽い気持ちで面接に行ったのだ。
するとあれよあれよで適正検査だの二次面接だの、最終だの、と進んで行った。
しかも知れば知る程、明るく居心地の良さそうな職場で、湊もすっかり気に入った。
それがまさか、祐介が部長に薦めた仕事先だったとは。
顔、広すぎる。
「僕は何もしていないよ。採用されたのは君の実力だろう。実によく出来た女性だって社長が褒めていたよ。能力も、性格も、申し分無いって」
いつもの笑顔で答えているが、これは多分彼の本心だろう。
湊も綺麗な、いつもの笑顔を見せた。
「そんな事、」
「帰るんですか?」
まだいんのかよ? とばかりに拓也が割って入る。
すると祐介が顔色を変えずに、手にしていた大きめの茶封筒を彼に差し出した。
「そうだ吉川。これ」
「……なんすか?」
拓也が中を覗くと、祝儀袋が入っている。
「碧から、引っ越し祝い」
……あいつ……。
拓也の脳裏にタレ目の笑顔が思い浮かんだ。そしてムッとした。
しかもなんで祝儀袋? シャレのつもりか?
「……いらないっすよ。貰う義理無いし」
憮然として突き返す。すると祐介は冷めた視線を拓也に送り返した。
「そうか? お前の事話したら、あいつ、我が事の様に喜んでいたぞ?」
「そりゃ我が事だからっすよ」
「とにかくしっかり掴んで幸せになれ、と言っていた」
「結婚祝いかよ」
「……っ!」
拓也の突っ込みに、部外者である筈の湊が隣で思わず赤くなる。
「「……」」
それを祐介と泰成の二人が、真顔で観察する。
「? !」
彼女の様子から、ワンテンポ遅れて自分の失言に気付いた拓也が慌てて言った。
「あ、いや、とにかく貰えません。一人モンが引越すから金渡すなんて、普通にあり得ませんし。コレはお返し下さい」
一人モン、と言う所を微妙に強調して、拓也は封筒を祐介に今度こそ返す。
すると祐介は、どこかわざとらしく、渋々とそれを受け取った。
「……ふーん。そうか、勿体無い。半分は俺も出したのに」
「嘘でしょっ」
慌てて拓也が祐介から封筒をひったくる。そしてすかさず、祝儀袋の中身を確認する。
その変わり身の速さに、湊は唖然としてしまった。……それこそ嘘でしょ?
「うわ。すっげ」
「……ちょっとぉー……」
「あ、じゃあコレ」
湊の非難めいた白い声をよそに、拓也は台所に向かう。
そして湊が泰成の事務所に持って行き、そのままここに流された手土産のお菓子を、そのまま祐介に手渡した。
「皆で食べて下さい」
「おいコラ」
湊が喰ってかかる。なにその現金さっ。しかも皆、なんであたしのお菓子をまわすのよカンジ悪いっ!
「だってすっごいいっぱい入ってんだよ?」
「あんたには恥ってもんが無いの?」
はたと真顔で考える拓也。
「…………無い」
「うぎゃーっ」
「冗談だよ、つかこの人達相手に恥感じてもしょうがないし、って、うぎゃーって何なの?」
「この甘えったれっ」
「えぇぇ?」
微妙な女心。結婚をちらつかされても戸惑うし、一人者を強調されてもムカつく。こんな事、本人に自覚が無いのだから周りの男共が気付く訳が無い。
ただ、分かる事。兄貴分二人は目つきが生ぬるくなった。
こいつら似た者バカップルだ……。