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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
目が合ったら、手をつなごう
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 晴れた休日の昼下がり。

 柔らかな日差しが降り注ぐカフェの窓辺で、舞彩はフレーバーティーを飲んでいた。

 すると誰かが近づき、小さなテーブルに影を落とした。


「お嬢さん、お一人ですか?」


 よく通る低い声。長い睫毛を上げて彼女が見ると、細長いサングラスをかけた男が、茶目っ気たっぷりに微笑んでいる。

「よかったら、僕とお茶しません?」


 舞彩は思わず、クスッと笑った。最近あてたショートウェーブが頬にあたり、とても可愛い。

 少し気取って答えてみた。


「一杯だけなら、いいわ」

「光栄だな。……元気?」

「うん。元気」

「それはよかった」


 そう言って彼は、自然に彼女の前に座った。舞彩にはよくわからない種類のコーヒーを注文し、彼女にデザートを勧めてくる。だから遠慮なく、ミルフィーユを頼んだ。

 久し振りの東京だもん。楽しまなくっちゃ。

 なんて理由が無くったって、ケーキは美味しいけどね。



「なんか嘘みたい。テレビの人とお茶してるなんて」

「僕達だって普通の人だよ。それに呼び出したのは君でしょう?」

「そうですね。すみません、どうしても一度会って、お話をしたかったので。でもまさか本当に来ていただけるとは思いませんでした」

「今日は、あの旅館から来たの?」

「はい」



 舞彩の眩しい笑顔に、コタローは目を細めた。あの時見た彼女おんなのことは、全然違って見える。たまにメールでしかやり取りをしていなかったけど、本当に元気そうだ。やっぱり若いって、それだけで違うよな。持ってるエネルギーとか、単純さとか。おまけに可愛いし。


 そんな彼を、舞彩は真っ直ぐに見て、もう一度微笑んだ。

 今の私に、怖いものは、ナイ。


「私、ちゃんと頑張ってます。毎日が楽しくって、すごく充実しています。……なんというか、やっと自分の目標を見つけたって感じで、とても嬉しいです」


 こんな台詞をこんなに笑って言えるなんて、ついこの間までの自分は想像も出来なかった。人間って本当に、変われば変わるものなのね。

 舞彩は、その変わる第一歩を踏み出した瞬間を思い出していた。



『もう拓也くんの顔なんか見たくないの。だから仕事も辞める予定』


 あの時、自分の家の前でそれを告げた時、拓也は自分から目を反らさなかった。


『聞いたよ。それって、俺があの会社を辞めれば、考え直してくれる?』


 その台詞に、舞彩は頬が痺れるほどの憤りを感じた事を、覚えている。


『……どこまで思いあがった人なの?』


 舞彩が初めて、拓也に怒りをぶつけた瞬間だった。


『私が、あなたなんかのせいで、人生を台無しにすると思う? そんな事しないで、って友達にも言われたわ!』

『……』


 怒鳴りつけても、拓也の顔色は変わらない。それを見ていたら今度は急に、舞彩は何だかバカらしくなってきた。特に自分の芝居じみた台詞。全てを覚悟しています、みたいな彼の顔。


『……本当はね』


 息を吐きだして、舞彩は視線を泳がせる。

 そして再び拓也を見て、ニコッと笑った。


『母の実家に帰って、旅館に就職する予定なの。あの仕事が、やってみたら凄く楽しくて。もっとしっかり勉強したくなって、祖母と叔母の元に見習いで入る予定。そのうち未来の女将になるの!』

『……へ?』


 舞彩の大好きな彼のつぶらな瞳が、思いっきり見開かれる。

 舞彩はニヤッと笑った。最後にこんな顔をさせれたなんて、一矢報いた気分だわ。


『本当はあの会社の事務なんてつまらなくて、辞めたかったんだ。でも他にやりたい事も無いし、それより好きな人と結婚してお嫁さんになる事が私の夢だったんだけど、今は違うの。初めて、自分でやりたい事を見つけられたの! だから凄く嬉しくて!』

『……そ、そうなんだ……』


 気押された様に唖然とする拓也。相当度肝を抜かれている。

 それを見た一瞬だけでも、舞彩は晴れ晴れとした気分だった。


 女の子を、舐めんなよ!



 しかしその後に拓也から例の計画を聞かされ、舞彩は何とも複雑な気分になる。

 つまり私って、拓也くんにとってどんな立ち位置なんだろう、と。


 みなちゃんより上? みなちゃんより信頼出来る?


 多分そうじゃない。

 私は彼の大事な友達で、


 彼はみなちゃんを一番に守りたいだけなんだ。




「よかったね」

「コタローさんのお陰です」


 テーブルを挟んで、お互いに微笑み合う。


「僕は何もしてないよ。舞彩ちゃんが自分で頑張っているんじゃない」

「でも、やっぱりコタローさんのお陰です。コタローさんがわざわざ会いに来てくれて、励ましてくれたから。あの言葉、すごく胸に染みました。それが言いたくって」


 すると彼は、サングラスの向こうで柔らかく目を細めた。


「それはよかった。役者はね、胸に染みる言葉、とか印象に残る強烈な言葉を、沢山知っているんだ。それが商売で、毎日練習しているからね。だから僕のアレだって、前にどこかで聞いたか言ったかした台詞なんだよ。受け売り受け売り」


 確かに彼女に会いに行った。けれどもそれは、単なる気まぐれだったと思う。自分と同じ様な立場だけど、自分が出来ない様な駄々のこねかたをしている彼女。そんな彼女を、見てみたかったから。

 

 見てみて、それがどんなに惨めなものか、確認したかったから。


「そうですか」


 屈折した彼の内心を知らない舞彩は、素直に笑う。



「素敵ですね。羨ましい」

「そう? でもすぐに忘れちゃうよ? 最近は覚えるのも大変だし。頭が、ね」

「素敵な言葉をいっぱい耳にして、口にして、囲まれているんですものね。なんかあったときはその言葉で励まされるし、誰かを励ましてあげる事も出来るし。ほら、コタローさんみたいに。すごくいいじゃないですか」


 あまりにも単純過ぎて、素直すぎて、虎太郎は言葉に詰まってしまった。

 無邪気な浅はかさも、ここまで来ると強さなんだろうか。


「うーん、そう?」

「そう。それに言い方も良かった。さすが役者さん」

「あはは。仕事を褒められた」


 虎太郎は肩をすくめた。

 何だろう? もう自分が何を言ったかなんて、殆んど忘れている。


 ……ああ、そうだ。思い出した。



『……人生でさ、一番大事なのは自分じゃないかな? なのにずっと引きこもっていたら、自分が可哀想だよ』


 まさか虎太郎が自分の家を訪ねてくるとは、思ってもみなかったのだろう。舞彩は唖然として彼を見上げていた。

 でもそれだけじゃない。焦燥した瞳。答えを探しているような、縋りつく様な眼。


『君の手も、指も、頬も、脚も、みんな元気で、こんなに綺麗なのに。ずっと暗い気分でいたら、君の体が可哀想だろう? だから自分の為に、元気だしなよ』


 虎太郎の口から、自然に言葉がついて出る。

 あの時は、本当に、あまり考えていなかった。


『外に出て、君を待っている人達に、答えを突き付けてやりなよ。……人生、先にはもっといい事が待っているよ、なんてさ。とても落ち込んで辛い君に、そんな無責任な言葉はかけてあげれないけど……。俺も、まだ大した人生経験積んでないし。……でも』


 泣き腫らしたであろう、目蓋。この子、前に会った時はもっと可愛かった気がする。

 虎太郎は彼女の手をそっと取って、彼女の胸に、あてがった。


『ほら。君の心臓は、まだこんなに、元気に胸を打ってる。だから大丈夫だよ』


 そう。心臓は、どんな事があっても動いている。




「……コタローさんは、みなちゃんの事を吹っ切れましたか?」


 急に話を振られ、虎太郎は思わず黙り込んだ。


「……」

「私……彼の事は吹っ切ろうと努力して、頑張れても……相手が、みなちゃんだと……友達だと思うと、今でももうダメ。頭と心がぐちゃぐちゃになるんです」

「……」

「この間みなちゃんが来た時は、なんとか笑って上手く話せたんですけど……」

「殺しちゃえば?」


 普通の口調で言う。


「……え?」

「殺しちゃえばいいじゃん。スッキリするらしいよ?」

「……コタローさん?! ええっ?」

「俺じゃないけど。知り合いの女の子が言ってた。嫌なヤツは殺しちゃうんだって」


 舞彩が彼の正面で、全身を強張らせた。

 虎太郎は淡々と続ける。


「ただし、頭の中で」



 一瞬の無言の後、彼女はガクッと力を抜いた。



「……あ、なんだ、そう言う事……」

「そうは言っても、頭の中でも人を殺すなんて相当ヤバいと俺は思うけど。だって気持ち悪くなっちゃうもの。それでスッキリ出来るどころか、余計ハマっちゃう奴もいる様な気がしない?」

「じゃ、なんで私に薦めたんですか?」


 舞彩は文句を言いたげに唇を尖らし、虎太郎を睨みつける。

 虎太郎は片肘をついて外を眺めていたが、舞彩に視線だけ移し、そして小さく笑った。


「偽善でいいんじゃない? って言いたかったんだ」

「……偽善……?」

「そう。偽善って、大人の大切なスキルだと思うよ? 偽善は社会の潤滑油。それで物事が上手く進んだり、お互い気持よく過ごせるなら……少なくとも自分が心穏やかに過ごせるなら、それでいいんだよ、たまには」

「……」


 彼の優しげな表情は、包み込む様でいて、どこか投げやりな部分がある。それを舞彩は複雑な気分で眺めていた。


「彼女を頭の中でメッタ刺しにして、恨み事を言って、それでどうする? 犯人は分からずじまいで、君はあの男の不幸をゆっくりと堪能する、とか?」

「やめて下さい」

「そしたらスカッとするかな?」


 少し意地悪な質問。そして意地悪な笑顔。

 舞彩は困った様に、視線を空中に泳がせた。


「……ちょっと、したかも」


 すると虎太郎の目が見開かれる。


「……女の子って、怖い。そこまで人に執着出来るんだ」

「だから薦めたのはそっちなのにぃ」


 舞彩は再び唇を尖らせた。虎太郎が愉快そうに笑う。

 けれども彼女は、そのまま真顔で続けた。


「でも、それじゃ私は幸せになれない」


 偽善じゃ私は、幸せにはなれない。


「……」

「だってみなちゃんは……きっと私になら、殺されてもしょうがない、って思っちゃうと思うし……拓也くんは……一生みなちゃんを忘れられなくなる」

「……」


 だから殺すそんな妄想は、妄想だけでもむなしくて。



「あの人達、本当に似た者同士で」


 舞彩も何となく、窓の外を眺めた。様々な人が行きかう通り。でもどうしても、若いカップルに目が行ってしまう。


「傷のつき方もおんなじで。きっと息詰まるタイミングも同じなんじゃないかなぁ……。そしたらどうするのかな? 誰がひっぱりあげるのかな?」



 幼い幼いと思っていた彼女が放った、鋭い一言。洞察力に満ちた、大人な発言。

 虎太郎は息を飲む程、驚いた。

 それと同時に、彼女の言葉で、思い出したくも無いものを思い出してしまう。


 あの時、泰成の事務所で、拓也が始めに言った台詞。



『彼女が好きなのは、俺です。俺が好きなのも、彼女です』

『……』

『……俺達……多分、これからも、傷つけ合いながら生きて行くと思います。お互いぶつかり合いながら、時々苦しみながら、前に進んでいくんだと思う。それでもお互いが必要なんです。そうするのが、俺らには必要なんです』

『……』


 こちらを見据えて言う男の気迫に、虎太郎と泰成は口を開けなかった。


『今から二人には頼みたい事がありますが……その前に』


 そう言って彼は、虎太郎をじっと見続ける。


『お願いです。彼女を俺に、返して下さい』




 虎太郎は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出しながら、椅子に深く座りなおした。

「優しいね、君は」


 舞彩も大人びた笑顔を見せる。

「コタローさんも」


 そして二人は、どちらともなく声を揃えて言った。



「「あの二人、勿体無い事したね」」


 

 声を上げて、愉快そうに笑う舞彩。

 虎太郎はそんな彼女を、少し眩しい想いで眺めた。



 無邪気なまでの浅はかさも、それを貫けば武器となって、真実ほんものを作り上げるのかも知れない。

 

 ひょっとしたら彼女は、僕が思っているよりずっと大人で、全てが計算ずくなのかも知れない。



 ……どっちでもすごいな、それって。


最終章です。

やっとここまでたどり着けた……。

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