表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/54

 湊は嬉しそうに、戸口の階段に立っている彼に近づいて行った。


「虎太郎」

「湊ちゃん」


 彼は優しく微笑む。湊の笑顔を見てホッとした様子だ。


「よく頑張ったね」

「……色々と、ありがとう。ご迷惑をおかけ致しました」


 虎太郎の笑顔にどこか後ろめたさを感じ、湊は自然と頭が下がってしまった。するとすかさず虎太郎に言われる。


「そういう言い方はやめてよ」


 振られたんだ、って再確認をさせられてるみたいじゃん。そう呟かれているみたいで(実際そう呟いたのかもしれない)湊は俯いたまま、一瞬固まってしまった。

 そうだ、あたし、あの時勢いに任せて……ハッキリキッパリ言っちゃった。

 すると彼の、少し明るい声が聞こえた。


「でも無事で良かった。君に何事も起こらなくって」


 ホッとしてつい、湊は顔を上げる。


「うん。お陰で拓の……吉川くんの、目論見通りに進みそうよ」

「別に彼の目論見なんてどうでもいいんだけど」


 ひぇっ、間髪置かずに言われた、しかも目がグレてる、ひゅん。

 湊は再び、視線を床に這わせた。


「……ごめんなさい」


 その姿を見て、虎太郎は自分が情けなくなった。俺って女々しいなぁ、何やってんだよ、もう。

 笑いたいのに、苦笑い止まりだ。せめて声だけでも柔らかくしないと、自分がみっともなさ過ぎる。


「……そうじゃなくって、ありがとう、でしょ?」

「……ありがとう」



 申し訳なさそうに自分を見上げる湊を見て、虎太郎は再び苦笑するしかなかった。

 気付けば彼女は、いつでも俺の顔色を覗っていた。そうとはバレない様に、覗っていた。俺の理想とする彼女像を壊さないようにと、いつも演技をしていた。

 それに気付いたのは、あの旅館での出来事。

 そしてそれを再確認したのは、あのホテルでの出来事。



 あの日、虎太郎に事情を聞かされた湊は、包まれた彼の両手の中で、その顔を徐々に驚愕の色に染めていった。

 目を見開いたまま、しばらく動けない。信頼していた課長が悪事に手を染めていた(どの程度の悪事なのか、虎太郎には理解出来なかった。お客の金を横領したらしい、ぐらいの認識だった)と聞かされても、しばらくは頭が、その情報を処理出来なかったのだろう。


 彼は君を巻き込みたくなかったらしいよ。それは僕も同じで。

 だからなるべく、僕は君の側に居たかったんだ。


 そんな虎太郎の言葉も聞こえたかどうか。




『吉川拓也っ!!』


 気付けば彼女は、すごい形相で部屋の前に舞い戻っていた。

 先ほどとは打って変わった彼女の様子に、部屋の連中はギョッとし、後ろに付いている虎太郎も手が出せずに見守るだけ。



『……聞いたわよ、全部!!』

『……げ』

『無駄に雰囲気作ったりして!』


 

 ズカズカと入ってくる彼女を誰も止められない。でも誰もが、この後彼女がどういう行動を取るのかハッキリと分かる。


 スパァン!!


 鋭く綺麗に決まった平手打ちは、気持ちいいくらいに部屋に響いた。

 男の一人が思わず自分の頬を片手で押さえる。自分も殴られた気持ちになったらしい。怯えている。


 当の本人、拓也は目を見開いた。まさかここでの平手打ちは、予想だにしなかったからだ。え? 俺、そこまでの事した? ただちょっと待っててくれって言っただけで……。


 するといきなり、抱きつかれた。


 益々、呆然とする。

 後ろにまわった湊の手が、しがみつくように拓也のシャツを握りしめた。

 

 ……震えている?



『……いや、俺、後から……』


 迎えに行こうと……思っていたんだけど……。

 言葉が段々、小さくなっていく。



『……本当に……っ、……どうしようかと、思ったんだからっ!!』



 しゃくりあげながら、湊はしがみつく腕に更に力を込めた。拓也は柄にも無く、胸がドキドキしてきた。すげーこれ、究極のツンデレだ。下げて、上げるってヤツだ。このひと、人をたぶらかす天才だ……。

 顔が赤くなる、ってこれは殴られたからか。そういや、さっきからジンジンする。


 でもなんか、違う所までジンジンしてる、気がする。何なんだよ。

 いっそのこと、そーゆープレイにでもしてくれよ。身が持たねぇよ。


 

 組み伏せたくなる。



 言ったの? と恨みがましく虎太郎を睨みつけた。ところが虎太郎は不機嫌そうに目が座り、子供みたいに口を尖らせ、腕を組んで睨み返すだけ。そんなね、俺がいつまでもお人よしに君の言う事を聞く訳ないでしょ? つか嫌がらせのつもりで全部話したのに、どうしてそこで愛を確かめあっちまうんだよ。あーあ、言って損した。と言っている。


 でもな、湊ちゃんのあんな顔見たら、知らないフリはもう出来ないよ。

 それがやり通せるとしたら、やっぱり君って相当性格悪いよね。



 とも言っている。それが全部、目で語られる。拓也はクラっときた。あいつの睫毛バサバサの、男から見ても可愛いい大きな、一体どんだけ雄弁なんだよ……すげぇ特技。役者って恐ろしいなぁ……。



『うぇーい』

『熱いねぇ』


 見物人が騒ぎだした。高階は眉を下げて、おどおどと困った様に、かろうじて笑っている。

 するとそのうちの一人が、解せないと言う様に眉根を寄せて隣の男に耳打ちをした。


『ねぇ。あの人って、コタローさんの彼女じゃなかったの?』

『……あっ、ホントだっ……』


 顔色を変えて飛び上がり、慌てて虎太郎の様子を覗う。

 チンピラ役は実は劇団員で、虎太郎の後輩分。今回の件にあたり、彼が手配した人員だった。

 そんな彼らを、虎太郎は腕を組んだままジロッと睨んだ。


『振られたんだよ。人の傷を抉る様な事言うなっ』

『ひぇっ、うわ、すいませんっ』


 あたふたとする彼らと、ワザと騒いで彼らを抑え込む虎太郎を、スーツ姿の男達は苦笑いをして見ていた。ちなみにその内の二人は、祐介の部下だ。



 一方の拓也は、先程から抱きついたままの湊の背中を、優しくポンポン、と叩いた。


『いつまでしがみついてんの、湊さん』

『……あたしも行く』

『……はい?』

『後藤課長のとこ』



 拓也の胸に顔をうずめたまま、湊が言う。

 彼は一瞬目を細め、それから彼女の肩をそっと抱いて引き離した。


『それはダメ。あの人が何を考えているのか、イマイチまだ分かってないんだから。どれだけ危険か分からない。だからこんなふざけた芝居を打って、課長を引っかけてみようとしてるんだぜ?』


『だってそれなら拓だって危険じゃない。高松精機って元はあたしの担当だよ? きっと上手くやれる。あたし芝居上手いもん』


『もん、って。あなたの芝居が上手い事は百も承知だよ。でもそうじゃないでしょ』


『だって舞彩は最初からこの計画を知っていたんでしょう? それで何であたしはダメなの? あたしだって使えるってば』 



 言葉とは裏腹に、何かに怯える様に必死に食い下がる彼女。

 拓也は内心どこか引っかかりながらも、彼女をジッと見つめた。そして軽く、溜息をついた。



『……あのねぇ。俺がどれだけ根回しして、あんたを守ってきたと思ってんの』

『……え?』

『そう簡単には引き下がれねぇよ。ここは大人しく、待ってなさい』


 

 すると湊の顔が、歪んだ。

『やだ』


 拓也は驚いた。

 こういう駄々のこね方をする湊を、見た事が無かったからだ。いつも颯爽として、基本プライドが高いのに。


『やだって湊……』


 子供じゃないんだから。そう言おうとした時。



『あんな思いは、二度とやだ』


 顔を歪ませたまま、湊が言った。



『置いてかれるのは、二度とやだ』



 それが、つい先ほどの拓也とのやり取りを指しているのだとわかっていても。


 10年以上前に死んでしまった、父親の事を言っているようで。


 ああ、と拓也は溜息をついた。湊の目尻が、再び赤く染まる。



『……ごめん。……わかった』

『え?』

『置いてかないよ』


 俺、一番やっちゃいけない事を、やっちまったのかも。



 目の前で父親を無くした事が、潜在的なトラウマになっている彼女。大事な人が目の前から消えていく事に、ずっと怯え続けていた彼女。

 それを俺は、再現しちまったんじゃないのか? さっき、このひとの前で。

 どうしてあの時、彼女の怯えた瞳の意味に、気付いてやれなかったんだろう。


 悔やまれる。

 挽回、出来るんだろうか? いや、しなくては。



『どうにかする。手を打つ。……ヤな思いさせて、ごめん』

『……』


 苦しそうに空中に視線を漂わせる拓也を見て、湊はギクッとした。

 初めて言った我儘。

 あたし、困らせてる。引かれたんだろうか?


 どうしよう。やっぱ我儘なんて言わなきゃ良かった。



 その時、拓也が視線を彼女に戻した。

 湊の大好きな瞳。茶色く大きな瞳が、優しく、包み込むように笑う。


『おいで。一緒にやろう』



 一瞬で胸がきゅんとした。不安が全部、彼にすくい取られてしまった。

 拓也がにこっと笑う。



 おいで。



 計画を聞かされた湊が唖然として口を開け、『はい、今更顔色変えない、後ずさらない、聞いたからには最後まで責任持つー』と拓也に首根っこを掴まれるのは、その数分後の話。






「あいつらも楽しんだみたい。不謹慎だなぁ」


 店の中の様子をチラッと覗って、虎太郎は笑った。一件落着、と言った感じで皆が寛いでいる。祐介の部下であろう男たちが後藤の周りを固め、拓也は忙しそうに携帯で話をしている。


「……あはは」

「ねぇ、湊ちゃん。これからどうするの?」

「……」


 グッと詰まる。あたしに言わせたいんだろうか? あなたの元には戻りませんって……


「前の職場に、戻れたりはしないのかい?」


 あ、そっちか。


「……さあ。そう都合よく、行くかどうか……」

「おい、確認取れたらしいぜ」


 後ろから泰成がぬっと顔を出してきた。ビクッとする湊。この人ってホント、神出鬼没よね。


「今まで分からなかった現金の動きが、課長さんの吐いた銀行口座の動きで分かったらしい……と拓也が言ってた。何のこっちゃ」


 それでその銀行口座の動きを調べたのが藤田さんなの。それこそ何のこっちゃ、よ。銀行って普通、対外厳秘よ? どれだけコネがあるのよ、あの人は? 

 湊は仕事モード(表の仕事。会計士です)で答えた。


「現金で引き出されると基本的にアトが残らないから、お金の流れを追うのが難しいんですよ。だから今回、それに携わった後藤課長の証言が必要だったんです」

「……ふーん?」

「……言う事、それだけ?」

「え? ……うーん……じゃ、マネロンって何だ?」

「……マネーロンダリングの略で、不正なお金の出所でどころを分からなくする為に、あっちこっちに複雑に資金を移動する事です」

「……へぇー」

「……今適当に、相槌打ったでしょ?」

「……じゃ聞くなよ」

「いや聞いたのそっちでしょ!」

「お前が俺に何か聞けっつったから」

「何か聞け、じゃなくて何か言え、よ。加えて言うなら何か言え、じゃなくて言う事無いか、よ!」

「んだよ、その禅問答みたいなのは」

「そっちがいきなり来るから!」

「だから何だって。頭いいヤツは訳分からねぇなぁ」

「二人とも、落ち着いて下さい」



 虎太郎が間に割って入った。兄妹、だっけ? 兄貴で雇い主? なんか複雑な事情なんだよな。だからこんなに賑やかなのかな?

 二人の過去の過ち(?)までは彼は知らない。

 虎太郎に「湊ちゃん、三田さんに聞きたい事があるんでしょう?」と言われ、湊は悔しそうに口を閉じた。

 膨れて泰成を睨み上げる。彼の目が白くなった。おーい、その目やめろー。


「……いきなり登場するから、ビックリした」


 泰成はシレっと湊を見下ろす。そして事も無げに言った。


「ああ。岡谷さんから連絡を貰ったんだ。俺としてはお前のいきなりの登場に、びっくりしたけどな」


 ……すいません。あたしが出しゃばった、って言いたいんでしょ?


 今回の騒動には舞彩も一枚かんでいた。拓也が高階と接触した事を後藤課長に知らせるのは、本来、舞彩の役目だったのだ。彼女はあの時、高階と打ち合わせをしようとしていた。そこに湊が割って入った形になった事は、彼女みなとも今では十分承知していたが。


 虎太郎が、泰成に知らせた? 一体、何故?


 湊が虎太郎を見上げると、彼は少し笑った。


「彼には聞く権利があると思ってね。僕達は二人とも、ここ一カ月、君を守って目を離さない事を、命題としてきたから」


 え?


「……守る? ……目を、離さない?」


 何の事を言っているのだろう?

 

 驚く湊を見て、泰成は少し意地悪な笑みを浮かべて面白そうに言った。


「あいつの土下座、見物だったぜ? ま、正確には土下座もどきだが。ああいう所、プライド無いのなあいつ。妙にあっさりしてるというか」

「人と価値観がちょっとズレているんでしょうね」


 泰成と虎太郎は顔を見合わせ、どちらともなく肩を竦める。

 土下座する程守りたいんなら、何故今まで放っておいたのか。どうして今まで、彼女の目の前で、彼女の関係者に手を出して彼女を傷つけてきたのか。

 さっぱり分からない。



「……どう言う事?」


 眉根を寄せて彼女が聞くと、泰成が答えた。


「思い出してみろよ。ここんとこお前、いつも俺か岡谷さんと一緒にいたろ? そう言う事」

「……何で?」

「拓也が泣いて頼むから」


 これを拓也が聞いたら「ふざけんな、泣いてねーよっ」と大騒ぎをするだろう。


「どうして?」

「あの課長さんが、お前に悪さすると警戒してたから。言わばまあ、根拠の無い不安だな、あれは」


 呆れた様にバカにした様に小さく笑い、泰成は一か月前の拓也を思い出していた。

 


『お願いします』


 彼はそう言って、二人に頭を下げた。三人しかいない、泰成の事務所の居間で。

 湊を、守ってくれ。自分は今、彼女に近づく事は出来ないから。

 拓也は頭を下げたまま、動かない。泰成と虎太郎は無言になった。

 それまでに投下された拓也の爆弾発言によって、部屋の中はこれ以上ないくらい、ピリピリと張り詰めている。泰成はハラハラしながら、虎太郎の様子を覗った。


 そもそも拓也が、人との面倒事を一番に避ける拓也が、こんな事をしでかすなんて珍しいんだ。というよりあり得ないんだ。

 泰成は信じられない気持で口を開く。どうしちまったんだよ、お前は。


『……それを何で、俺らに頼むんだ? 俺はともかく、……岡谷さんにまで』


 虎太郎は射る様な目つきで拓也を睨みつけたまま、一言も離さない。優しげで柔らかな雰囲気がどこにもない。

 彼は実は感情の激しい男だったんじゃないか、と泰成はその時初めて思った。

 ところが、顔を上げた拓也も、一向に怯む気配が無い。

 それどころか、彼らを見据えたまま、キッパリと言いきった。


『だって二人なら、確実にやってくれるだろ? 二人は絶対、彼女を守る』



 どこか達観したような、それでいて攻撃的な瞳。



『俺、手段とか選ばないから』



 それを見て、泰成は悟ったのだ。

 あーあ、スイッチ入ってら。こりゃダメだ。



 勝敗なんて、明白だわな。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ