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3(R)

 彼の固い手が肌の上を這う。それだけで酸素が吸えなくなる。

 彼の濡れた吐息が耳に押し付けられる。それだけで甘い声が出る。

 彼の首筋からの香りが鼻腔を犯す。それだけで脳が麻痺する。

 彼の湿った唇が全身をなぞる。それだけでナカが乱れていく。

 彼の男らしい肌が自分に密着する。それだけで気が狂っていく。

 彼の熱い舌が、武骨で器用な指が、頂きを、嘴を、濡らし攻め続け腫れ上がらせる。それだけで人格が壊れていく。


 自分の上に被さる拓也の苦しげで耐える様な表情が、湊の頭の中でまるで壊れたフィルムの様に、何度も再生され焼きつけられていく。


 過去に好きになった人は何人かいた。けれどもそう言えば、自分から好きになった人とこういう行為に至った経験は、無い。



 好きな人と犯す秘め事が、これほど淫らで自分を狂わす物だとは知らなかった。





 明け方、二人で寝るには少し狭い、拓也のセミダブルベッドから抜け出した時。



「こんな時間にどこ行くの?」



 急に声をかけられ湊は飛び上がり、抱えていた服で前を隠しながら言った。


「あ……えっと、やはりひとまず帰ろうかと思って」


 は、恥ずかしいから見ないでよ。

 すると布団にくるまった拓也が、腕だけ出してクイクイと手招きをする。目が真剣。

 つい近づくと、ガバッと布団を広げ同時に腕を掴まれて、湊は中に引き込まれた。


「きゃっ」 

「あなたの居場所はここでしょ? 余計な所に行かないの」


 そう言って横たわったまま、抑え込むように抱きしめられる。顔が見えない。

 湊はやっと思いで顔を上げ、そして思わず噴き出した。


 拓也の、不満そうな表情。


「……何で笑うの?」

「だって何だか、子供がしがみついてるみたい」

「お互い様だろ」

「イタイイタイイタイっ」


 拓也はわざと力を込めて湊を抱きしめると、茶色い瞳を近付けじっと見つめてきた。うわっ。


「帰る必要無いだろ? それともやっぱ俺は信じられない?」


 ……わ、わざとやっているわね……? カッコ可愛すぎるじゃないやめてっ。さっきまでのSキャラは何処に行ったの? ああでもいくら似た者同士でもベッドの中までキャラが被らなくて良かったわ、SSとかMMとか重なったら最悪だもんね、じゃなくって!

 でもその瞳にドキマギしながらも、「そんな事無いわよ、あなたが大好き!」とあっけらかんと宣言できない自分がいる。



「……違うよ。でも……お世話になった人に、このまま顔を合わさずって訳には……」

「とかいってあいつの所に戻ったら、やっぱ悪いとか申し訳ないとか思って、出て来れなくなるんじゃねぇの?」

「……」


 図星かも。


「湊がさ、今まで本気で人を好きになれなかったのは……」

「……」

「多分、そういう人に出会っていなかったからなんだよ」



 湊はしばし固まり、それからサーっと青ざめていった。



「……だけど今は僕に出会ったでしょ? なんてまさか、そんなお約束を……」

「あれ? おっかしーなぁ、これでオチると思ったのに」


 ちょっと何それ! 滅茶苦茶寒いんだけど! というかその態度やっぱあたしの事バカにしている?!

 拓也はクスッと笑うと、仰向けになって天井を見上げた。



「俺さ、今まで……本気で好きな女には、甘えてばっかだった。相手がどれだけ自分を見てくれているか、愛してくれているか我儘を受け入れてくれるか、それを測って、いつもそればっかりだった」

「(今でも十分、そんな感じが漂っているけど?)」

「でも……あなたが側にいるなら、それでいい。それで充分」


 

 ふっと横を向き、見つめられる。甘い瞳と、柔らかな笑顔。

 湊は目を反らせなくなった。



「……」

「俺の側に、いてよ」

「甘えてんじゃんっ結局っ!」

「いてっ」


 もー、シャワーを浴びて来てやる。

 そう思って彼女が再度体を起こすと、後ろから彼の手が伸びてきた。

 湊の腹部に、柔らかく回される。

 キュッと抱きしめられた。



「好きだよ」



 ……何っ?

 驚いて振り返る。今この男、爆弾落としたっ! 想定外だっ!


「嘘っ! ヨシがそんな事言うのっ?」

「何だよ、人が誠意込めたのに!」

「信じらんないっからかってんの、キャラ替えなの?!」

「うるせぇな、茶化すなよ、キャラ替えって何だよ、つかヨシって呼ぶなっ」


 先程までの甘い雰囲気はどこへやら、お互い裸にシーツ一枚でいつも以上に喧々囂々ケンケンゴウゴウとした。拓也も湊も顔が赤い。だってあり得ないでしょ考えられないでしょ、そんなこっぱずかしい台詞を面と向かって言うなんて(後ろからだけど)、どんだけネジを飛ばしてるのよって、

 ……あれ?


「……は?」

「拓也」

「え?」

「俺の名前。ちゃんと呼んでよ。前から言いたかったんだけど、ヨシ、って言われ方苦手」


 好きだよなんて恥ずかしすぎる台詞、あまりの照れ隠しに拓也は必死で話題を誤魔化す。


「……ええーっ、今頃ーっ? 何で苦手なの? 専門の友達、結構みんなそう呼んでんじゃん」

「まあ、そうなんだけど……ある人を彷彿とさせる、というか……コンプレックスを刺激されるっていうか……」


 くっそ、余計な事を思い出しちまった。


「え?」

「まあいいじゃない。ほら呼んでよ、名前」

「……なっ……」

「ほらほら」


 拓也は急に水を得た魚の様に、瞳に意地悪な光を浮かべニヤリとした。お、いいんじゃないの?


「……た、たく……」

「どうしたの? シテる時は平気で連呼してたのに」

「あれはあんたが言わせたからでしょっ」

「だって可愛いかったから」

「……(死亡)」

「湊?」


 湊は低く呻いた。……甘い……甘い甘い甘いっ甘すぎるっさっきからっ。お互い柄じゃないんだからやめて欲しいっ。

 耳まで真っ赤な湊を見て、拓也は満足そうにクスッと笑った。


「後ちょっと、しょうがないか」

「?」

「あいつんち行って話着けたら、誰にも会わずにすぐに戻って来いよ?」

「……え、誰にも……?」

「今は色々マズイでしょーよ、立場的に。騒がれてるでしょ、湊」

「……ああ。そっか」

「なんだったら実家に帰ってたら? 男ん所ハシゴしてるって思われるのも、あんま心象良くねぇもんな」

「……」


 何だソレ。湊は頭を突然殴られたみたいに、衝撃を受けた。

 でも否定出来ない。だけど好きな人に言われるとやっぱり凹む。キツすぎる。


「……ごめん。言葉が悪かった」


 湊の変化を感じ取った拓也が、ああ、と顔を反らして額を片手で覆いながら言った。ああもう何言ってんだよ、俺。しっかりしろよ。

 それから彼女に向き直ると、男の色気を感じさせる茶色い瞳で湊を覗き込んだ。


「迎えに行くから、必ず。どこへでも、必ず」



 湊は胸がキュン、とした。欲しかったものが、まっすぐに自分を見ている。逆らえる、訳が無い。

 僅かに頷く。

「……ん……」


 彼に見つめられると、脳が麻痺して、色んな面倒事や心配事を気にかける事が煩わしくなってくる。例え今だけでも……。

 すると拓也がつぶらな丸い瞳でニコッと笑った。


「……ね、その前にもっかい……」

「今日はお終いっ」


 前言撤回、理性は麻痺しておりませんっ、そう何度もヤれるかっ人を嵌めるなっこの小悪魔めっ!

 それを聞いた拓也は、嬉しそうに極上スマイルを見せた。


「じゃ、戻ったら毎日ね」


 なっ……あたし墓穴掘った?

 湊はゴクっと息を飲んだ。

 こ、こーゆー笑顔を見た後には、大概良くない事或いは面倒事或いは厄介事が待っているのよ……。






 俺の必殺技、結構色々駆使したんだけどなぁ。

 日が上り明るくなった室内で、Tシャツ一枚のラフな姿で、拓也は壁際に座りこんだ。彼女はそそくさと出て行ってしまった。

 手ごわいですねぇ、まだまだ修行が足りないって事ですか。考えてみれば俺、本気の恋愛って数える程もしてねぇもんな。もうすぐ27だけどさ。


「はー……やっぱ一回寝ただけじゃダメか」


 長年凝り固まった彼女のトラウマと、お互いのお友達ポジション。そして自分が彼女にして来た数々の仕打ち。そりゃそうだよなぁ、当り前だよ。彼女の姉と付き合っていた理由とか、ちゃんと説明したかったんだけど今更って気もするし。普通許せないでしょ、何言われても。


「……ああぁー……」


 拓也は両手で顔を覆った。


 ……しかしあのセリフやっぱ恥ずかしいなーっ。まともな恋愛ってマジ照れるよ……。






 どの面下げて帰れるんだ……。

 湊は一人、頭を抱えた。世の中は平日、今日も動き出している。つかの間の一カ月休暇のスタートが、こんな情けない状況での朝マックだなんて……。

 幸い着替えはあの部屋にまだ数着あった。昨日の服を着続けるなんて、いかにも朝帰りでみっともない。

 

 私、あなたを裏切りました。だから一緒には住めません、さようなら。


 ……なんて言えるかっ。そこまで分厚くないよ、あたしのお顔の皮膚はっ。ああでも全く言葉の通りの事をしでかしてしまっている訳だし、今更常識人ぶってどうすんの、最悪の女だわ。優しく手を差し伸べてくれて優しく抱きしめてくれた、虎太郎あんなにいいひとを傷つけるなんて……。

 湊は益々、頭を抱えた。

 じゃあヨシ……拓に言えるの? ごめんねやっぱり彼を傷つけられなかった、だからあなたの元には行けないわ……。


 拓也の笑顔が、ちらつく。


 ……ダメだー……あたしのバカー……。



 その時ふと外を見て、次の瞬間、湊は心臓が凍りついた。

 あれ……あれ。舞彩? 舞彩だ!


 自分が決定的に犯した彼女への裏切り行為を思い出し、血の気が引く。彼女は通りの向こう側を、湊に気付く事無く歩いていた。どうしたの、舞彩? 会社に行く事にしたの? あたしが辞めたから?

 

「……舞彩……と、あの人は……?」


 え? 湊は眉根を寄せた。一緒にいる男性、見た事がある……あの人、取引先だ。高松精機だ。

 途端に頭の中が一気に仕事モードになり、湊は嫌な感覚に捕らわれた。

 舞彩、何でその人と難しそうな顔をして歩いているの?

 湊が知る限り、総務担当の舞彩が一取引先の経理担当者と街中を歩く理由が無い。しかもあの人、転勤で九州に行ってなかったっけ?

 湊に思いを寄せている中年独身男性で、別れ間際に口紅を贈られた。そして彼女はお礼に、彼の頬に形だけのキスをした。そこを拓也に見られて呆れられ、例のバイトを紹介されて……て、そこはいい。


 何か変だ。ほっとけない何かを、舞彩に感じる。

 ……まさか拓に振られて自暴自棄に?!


 湊は彼女に対する後ろめたさを一瞬忘れて、店を飛び出した。

「舞彩!」


 振り向いた舞彩が、湊を見て明らかに狼狽する。

「……み、みなちゃん……っ」

「藤堂さん?!」


 取引先の担当者も彼女の隣で目を丸くした。


「舞彩、その人とどこ行くの? 仕事?」

「……み、みなちゃんには関係ないでしょっ」

「高階さん、九州から戻ってらしたんですか?」

「ええ、まあ、はい……」

「彼女に何の用なんですか?」

「やめてよ、みなちゃんっ」


 あの温泉地以来の会話。再び舞彩に怒鳴られた。

 けれども今度は怒りの矛先が、確実に自分に向いている。



「いっつもいっつも、横から私に割り込まないで! 親切そうに言うのに本音を見せてくれない人なんて信用できないっ。あっち行って!」

「舞彩……」

「私、結局みなちゃんから本当の事を聞かされていないもの、何にも、一個も」

「話す、話すから」

「ちょっと掴まないでよっあっちに行ってよ!」


 道行く人達がギョッとした様にこちらを見る。あぁこんなシチュエーション、前にもあった。

 でも今日は、ここで怯んではいけない!

 湊は騒ぐ舞彩に構わず、取引先の顔を強く見据えた。


「彼女と何処に行くんですか? 教えて下さい」

「いえあの……プライベートでして……」

「ありえません。分かりますから」

「……」


 眼鏡の奥の彼の目が、薄く光った様な気がした。湊は確信する。これは良くない事だ。

 久し振りの感覚が蘇ってきた。この子は庇護する対象。舞彩は私が守らなきゃ。


「彼女を離して下さい。話ならここで覗います」

「……それじゃあ吉川くんが困りますよ?」


 一瞬湊は頭が白くなった。

 思いもかけない人物の名前を言われたからだ。


「……拓が?」


 その呼び方に、舞彩がギョッとした様に湊を見つめる。けれども湊はそれには気付かない。

 嫌な感覚。その理由が分かった。高松精機って、粉飾決算で騒いでいたんだわ。

 その騒ぎの元が、あたしと拓だった。


「……まぁ、いいか。話が進むなら、どちらでも」


 目の前の彼が気味悪く呟く。こんな人だったかしら。

 つまり彼は、拓で舞彩を釣ろうとしたって事? 何の為に? やっぱイタズラをする為?!


「それに僕は、あなたに会いたかった」


 ねっとりとした彼の微笑み。ゾックゥゥっ。イタズラ決定! 変態認定! 

 だ、だけどだけど、拓の名前を出された以上、仕事の話かもしれない、そしてそれは拓には不都合となる話なのかも知れないっ。

 今ここで、この変態の手を離す訳にはいかないのかも知れないっ(掴んでないけど)。


「みなちゃん……」

「イタっ」


 ひやぁぁっ、掴んでないのに掴まれたっ!


「車に乗りましょう。話を聞きたいのでしょう? そもそもあなたにも責任の一端はある」

「やめてくださいっ」

「藤堂さんと行くよ。彼にはそう伝えて」


 目の前で、舞彩と取引先高階が言い争う。

 その間に湊は急いで腹を据えた。お陰さまで、変態さんの取扱いには、あの仕事で慣れました。ええい、その経験値をここで使わずしてどこで使う! 


「舞彩、大丈夫だから。心配しないで」

「でも……っ」

「今までごめんね。後で話そう? ね?」

「……」


 舞彩は、たった今湊に叫んだとは思えない様な、頼りなげな表情で彼女を見ている。

 それを見た湊は彼女がとても愛しくなり、とても申し訳無くなり、とても素直な気持ちになった。


「もう舞彩には嘘をつかないから」


 ……今なら言える。やっぱり拓也かれだけは譲れないの。今頃、本当にごめんね。

 自然と出た、切なくて柔らかな微笑み。舞彩がハッとした様に湊を見る。

 直後、高階に引っ張られる様にして湊は連れて行かれた。白昼堂々、道の真ん中で。

 

 一人残された舞彩は、青ざめた顔で呟いた。


「……どうしよう。拓也くんに知らせなきゃ」




 車内では緊張感漂う無言が続く。


「……吉川と、何があるんですか?」


 思い切って湊が尋ねると、前方から目を反らさずに高階は言った。


「うちの会社の粉飾決算の事、あなた知ってるんでしょう?」

「……ハッキリとは……」


 つか、その発見者第二号ですけど。第一号は吉川拓也って事で。でもしらばっくれさせて下さい、何しろあなたの情報が少なすぎるんです。

 けれどもやっぱり、仕事関係の話だったのね。

 良かった。あたしはてっきり、やけを起こした舞彩が顔しか知らない独身中年おじさんと、平日昼間から一回きりの大人遊びでも興じるのかと思っちゃった。一瞬だけだけど。ごめん、舞彩。


「……高階さんが……やったんですか?」


 恐る恐る、けれでもなるべく毅然とした態度で湊は尋ねた。傍から見ればクールビューティ、けれども内心は冷や汗モノだ。


「……僕は会社に、人生を狂わされました」


 運転をしながら、高階は遠い眼をして言った。


「だから復讐するんです。彼には、後始末をつけて貰う」



 ……何ですって? 

 湊は血の気が引いた。


 復讐? 後始末?

 

 ……え、どこの世界の話?






ヨシ……ヨッシー……そりゃあ嫌だろう。

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