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2(R)

 虎太郎が外から帰ると、広いリビングで、湊はテレビにかじりついていた。午後9時をまわっている。


「……ねぇ、湊ちゃん」

「しー。うわ、ひどい」

「……面白い?」

「しっ。……うわー……ケイジ、可哀想ー……」

「あのぉ。本物、ここにいるんですけど」

「もうちょっと待って」

「……」


 全く顔を上げてくれない。もしもーし。「あ、おかえりー」と明るい笑顔を見せてくれた時、画面は来週の予告を流し終えた後だった。何か違くね?

 それでも彼女のご飯は今日も美味しい。二人で遅めの夕飯を取る。



「そんなに楽しかった?」

「うん、来週も楽しみ―。ね、あれどうなるの?」

「言えませんよ。企業秘密だからなぁ」

「ちぇ、ケチ」

「来週も宜しくぅ」

「いやぁ、ケイジって可哀想だけどなんか笑えるね。いい味出してるよ」



 その演技にこの間まで俺が悩んでいた事、君は分かってる? 

 彼女の言葉や眼差しに随分助けられてあのドラマを撮ったんだけど、それに気付いているのだろうか?


 食卓を挟んで、こうして何気ない話をする。とても楽しい。明るい彼女の笑顔は、以前と変わらない様に見える。とても幸せ。


 そして、一緒に住んで気付いた事。彼女は僕以上に、演技が上手すぎる。



「明日で会社、最後だね」

「うん。明日は送別会で遅くなるから」

「そう。俺、迎えに行こうか?」


 

 湊は驚きのあまり、箸をポロっと落とした。虎太郎が凝視する。これは天然? それとも演技? だとしたらベタだ……。



「えぇっ? そんな嘘でしょ?! 大パニックになっちゃうよっ、みんなビックリしちゃうよっ」

「どうせみんな知ってるし最後だし、関係無くない? 俺暇だしさ、夜は危ないし、迎えに行くよ。電話して。近くにいるから」



 何でも無い事の様に言って、虎太郎は箸を運ぶ。湊はその顔をまじまじと観察してしまった。

 一緒に暮らしてみると、彼は想像以上に普通の人間だった。普通に食べ、笑い、驚き、時々拗ねる。寝顔は残念ながら、イケメンのままだけど。


 ……そうよね、この人だって普通の暮らしをしたいわよね……。職業と顔がそれを阻んでいるだけで、本当は普通に道を歩いて、人と触れあいたい筈……。それをあたしが止めるなんて悪いわ。


 湊は想いを巡らせた。それを今度は虎太郎がそっと観察する。そう、彼女はどこまでも俺に気を使うから、断れない事もお見通しだよ。



「……遅いよ……?」

「だから迎えに行くんだろう?」



 恐る恐る言う湊に、虎太郎は綺麗な笑顔を見せた。あ、すごい。ファンの子が見たら喜ぶだろうなぁ……。



 ……でもヨシかれの笑顔も、あたしには相当可愛いのよね……。

 湊は胸が痛んだ。

 あれ以来、拓也は湊と目を合わそうとしない。荷物はどうするんだ、とか、どこに住んでいるんだ、とか何も聞かない。彼女の退職が決まっても、声すらかけて来ない。同じ職場とは思えないほど距離が遠い。その職場すら、もうすぐ失うのに。


 あの瞳と、手と、唇が、恋しい。



「僕を、見て」


 夜、ベッドの上で、湊を抱きながら虎太郎は囁いた。

 彼女はハッとする。あたし今、誰を想像していた?


 虎太郎はそれを見透かしている様に、湊を見つめて彼女の前髪をかき上げた。


「君を抱いているのは、僕。ほら、僕を見て」


 言いながら同時にナカに入ってくる。


「……あっ……」

「目を閉じないで。ほら開けて」


 囁くと虎太郎は、じらす様にゆっくりと動き出した。






「お世話になりました」

「よっ、有名人。お幸せになー」

「寿じゃないですってば……」

「似た様なもんだろう」



 ダメだみんな、あたしが虎太郎ともうすぐ結婚するから会社を辞めると決め込んでいる。違うのよ、後藤課長の引き抜きに応じて、新しい職場で働くのよっ。みんな知ってるでしょ、何で無視すんのよっ。

 居酒屋で一人一人に酌をしながら、湊は得意の営業スマイルを顔に貼りつけた。今や会社の有名人物の彼女に、彼らは思い思いの疑問をここぞとばかりにぶつけてくる。そんな水商売みたいな男と一緒になって、将来どうするつもりだと聞く先輩までいる。


 でもここには、舞彩がいない。湊の心は重くなった。彼女は電話にすら出てくれない。もう、あたし達がした事なんてバレている。ヨシが言ったのだろうか、今となっては問題はそこじゃないけど。


 後藤課長の席に来た。


「課長、じゃ、お先に」

「ゆっくりして下さい。一か月後から、またバリバリ働いてもらわないといけないからね」


 彼だけは虎太郎の事を何も言わず、いつもの穏やかな笑顔で自分を見てくれた。ホッとする。これからは仕事でこの人について行くんだわ。



 その時、拓也と目が合った。一カ月以上振りに。


 ドキッとした。

 彼の冷たい眼。その瞳が、何か意味ありげに光った気がしたので。すぐに向こうを向かれる。


 昨夜、拓也を想像しながら虎太郎に抱かれた事を見透かされたのだろうか? 動悸が止まらなくなった。

 そんなバカな。



 湊はすぐに隣に酌を注ぎ始めた。だけどやたらと拓也の声が耳に付く。順番が近づき、段々彼の席が近くなる。

 拓也は楽しそうに周囲の人達とバカ笑いをしている。自分の鼓動ばかりが早くなっていく気がする。


 落ち着け落ち着け。

 どうしよう、もうすぐ。



「俺、藤堂ちゃんが好きだったんだよなー」

「上地さんは誰でも好きでしょう?」

「んな事無いよ。可愛い女の子が好きなだけー。なのに山田ちゃんまで会社に出てこないし。あーあ、もうつまんねぇ。働き甲斐がなくなったなぁ、この職場はぁ」

「酔ってますねぇ」

「おいおい吉川、女に電話かー?」


 会話の最中で上地が、湊とは逆隣りの拓也に突然絡んだ。拓也は胡坐をかいて携帯を操作している。


「ちょっと、なんすか上地さん」

「やらしーな、コソコソと電話かよー? このスケベ、ん? どんな子?」

「離して下さいって。もう、既婚者がヤラしく絡まないでよ」

「おう、ヤラしいぜ、俺は。いい女なのか? 藤堂ちゃんみたいに美人か?」


 突然自分の名前を出され、湊はギクッとなる。

 けれども拓也は涼しい顔でそれを受け流した。


「はい? なんつった?」

「藤堂ちゃんみたいに美人かつってんの」

「え? 奥さんとまた喧嘩中?」

「違うよ、シカトされてんだよ一方的に、ってそうじゃなくて。どんな子なんだよっ一体!」

「うっわ、しつこいねー。ウザイウザイウザイ」

「だって俺のウリだもん。うりゃうりゃうりゃ」

「やめて下さいってば。もう、何でそんなに俺にこだわるの? ほっといてよ」



 この二人は普段から仲がいい。だからいつもの光景で、湊はただ眺めていた。これをチャンスにここは通り過ぎて、ヨシの事を抜かそうかな?


 するとまるで湊の声が聞こえた様に、上地に腕をまわされていた拓也が再び湊を見た。

 ドキッとする。

 

 だって……目が……あたしを離さない。



「だってお前、臆病っぽいもん。どうでもいい奴には馴れ馴れしいくせに、本命にはビビって本心を見せなさそうでさ。付き合う女は苦労するよなー、こんな屈折したヤツ。ね、そう思わねぇ、藤堂ちゃん」



 上地の言葉が湊の頭をただ素通りする。

 先程とは違い、拓也の瞳が、誘う様に笑った。そして小さく口を開く。



 お・い・で



 驚いて彼を見ると、彼は僅かに唇の片端を上げ、そのままスルッと上地の腕から抜け出た。

 湊は慌てて我に返り、上地に微笑む。



「どうなんでしょうねぇ」

「ねぇ、あの男前の彼氏ってどうよ? どんな男?」



 今度は湊に絡む上地を尻目に拓也は立ち上がると、ビールを片手に席を移動した。別の輪に入り、何の違和感も無く楽しそうに笑っている。


 今の、何?


 湊は彼に視線を移せないまま、胸だけをドキドキさせながら会話が上の空だった。



 一次会がお開きになり、皆が道路に溢れだした。

 少し上機嫌の後藤課長が、湊に近づく。


「お疲れ様。二次会に行くのかい?」

「……私は……」

「あーっ、コタロウだっ」


 誰かが大声を上げた。見ると虎太郎がキャップを深く被り、肩をすくめながらこちらにやってくる。

 顔が少し赤くなっていた。


「なんかスゲー恥ずかしい」

「ありがとう。あの……」


 その時、車道の方から声が聞こえる。


「じゃ、吉川頼んだ。これで足りるだろ。残りはとっとけ」

「ありがとうございます。ほら上地さん、タクシー乗りますよ? しっかりして下さい」


 虎太郎と湊は、自然とそちらを見た。拓也とその他数人が、酔いつぶれた上地を抱える様にして立っている。そうか上地さん、家の方向が彼と同じだものね。

 虎太郎が少し不愉快そうに息をつき、顔を背けた。


 その時、湊は拓也と再度目が合った。ほんの僅かな瞬間、視線が絡み合う。


 相手の熱が伝わる。自分の欲まで伝わってしまう。まるで唇の上を掠められたキスの様に。



 息が、止まる。



 拓也はタクシーに乗り込んで、去っていった。



「……あたし、二次会に行っても、いい? 最後だし……」



 言葉が勝手に口をついて出る。

 虎太郎を見上げると、彼はタクシーに乗り込む課長を眺めながら微笑んでいた。


「……いいんじゃない? なんか盛り上がってるみたいだもんな」

「ごめんね、遅くなると思う。タクシーで帰るから、先、寝ててくれる? ね?」

「うん、わかった」


 キャーっ。

 虎太郎が身をかがめて湊の頬にキスをすると、固まっている女性たちから小さな歓声が湧いた。

 彼は甘く微笑む。


「気をつけてな……ってやっぱコレ、相当恥ずかしいわ」






 夜、湊はかつての自分の部屋で荷物を片づけていた。床に座り込み、段ボールに詰めていく。


「……何やってるの?」


 後ろから声をかけられた。

 戸口に彼が立っている。

 彼女は振り返らずに言った。


「……荷造り」

「何で今?」



 拓也の冷たい声。湊の血が逆流する。今日のあの瞳を思い出し、胸の鼓動が早くなった。まわったアルコールが、理屈と怯えで固まった頭を崩している。体が確実に、何かを欲して熱くなっている。

 

 湊は下唇を噛んで俯いたまま、手が止まった。

 拓也は戸口に持たれたまま、両手をポケットに突っ込み、ジーッとその後ろ姿を見下ろす。

 二人はしばらく無言になった。


 やがて拓也の冷たい声が、再び響いた。

 


「やっぱ来たんだ。いいの? 俺、過去3回のキスで我慢使い果たしたよ?」

「……」



 彼女は動かない。動けない。

 彼はゆっくり身を起こすと、湊の前にまわった。彼女の前にあった段ボール箱を足で押しのけ、しゃがんで、彼女の顔を覗き込む。

 湊は慌てて眼を反らした。



「その眼。逃げんなよ」



 グイっと顎を掴まれ、上を向かされる。

 拓也の丸くて茶色い瞳が、冷えた光と熱い色をはらんでいた。



「舞彩ちゃんだって湊に本気で来たろ。俺もだよ。なのにあんたはまだ逃げる気? それってかなりズルくて、卑怯だよね」



 強い瞳に捕らわれた。抜け出せない。

 ううん、ずっとこれを望んでいた。ずっとこれが欲しかった。こうやって、見つめて欲しかった。

  


「じゃあ、ヨシの本気を見せてよ。……あたしを止めてみせたら?」



 湊は精一杯反発してみせた。今日一日の、せめてもの反撃。こんな事を言ったって、自分の熱がバレバレなのは分かっている。


 喉が、渇く。



「……いいよ。ここで試す?」



 ゆっくりと、彼の薄い唇が近づいてきた。鼓動で胸が破けそうに感じる。

 ペロっと唇を舐められ、それだけで湊の体が震えた。


「……っ」

「それで湊の気が済むなら」



 スルッと舌が入ってきた。全身が痺れる。咄嗟に声を我慢する。だって早すぎる。

 ソレに自分の舌の根元を舐められなぞられ、彼女は呆気なく陥落した。


「……ん……っ」



 アルコールだけじゃない。ずっと彼が欲しかった。体が彼を求めていた。

 だから今、たった少しの舌の動きで、体全体が感じてしまっている。


 痺れる頭は何の役にも立たず、ただひたすら、彼の舌の動きを必死で追っていた。

 長い長いキスの合間に、拓也が唇を掠めながら囁く。



「とことん付き合ってやるよ」

「……ひねくれ者っ」



 僅かに残った理性の欠片で、湊は返す。いつの間にか彼に押される様に、彼女は壁に押し付けられていた。

 その彼女の足を押さえつける様に、拓也の足が上から圧し掛かる。

 キスを続けながら、彼の手が湊の胸に伸びた。揉まれて、咄嗟に彼を押し返そうとする。

 するとその手がするりとカットソーの襟ぐりから入り込み、彼女の突先を捜し当てた。


「あっ……」


 抵抗している腕とは裏腹に、期待している様な甘い声が出る自分が嫌だ。

 そう思う間もなくそこを強く摘まれ、甘い痛みが全身を貫いた。明らかな嬌声が出る。



「そのひねくれ者が、好きなんだろ?」


 

 言いながら拓也は唇を彼女の首筋に這わせ、片手は彼女の手首を掴み、片手は胸への刺激を続ける。

 

「あっ、あっ……ん、やっ」


 彼が与える快感に溺れそうになる。頭が白く霞む。湊はやっとの思いでその手を押しのけた。

 勢いがあり過ぎる、展開が早すぎる。彼に迷いが無さ過ぎる。


 ありったけの力を振り絞って、彼を睨みつけた。熱で瞳が潤んでいるのが、自分でもわかる。

 膝が震えて、何より下がひどく濡れてしまっている事が、どうしようもなく恥ずかしい。

 拓也は冷たく言った。



「何、そのエロい目」

「……」

「そんなに続きがしたいなら、俺の部屋に来る? それともまだココでやる?」

「……っ」



 違う、あたしはあんたを押しのけたのよ、バカにしないでよ。そんな言葉が出てこない。それ程体が、言う事をきかない。


 でも怖い。これを経験したら、もう後には戻れない。誰にも何の言い訳もきかなくなる。

 それどころか、自分が正常で居られなくなる気がする。彼を失うのが怖すぎて。


 今なら、まだ。手に届く前なら、まだ。



「抵抗すんなよ、今更」



 拓也が湊の両手を壁に押し付けた。間近に迫る茶色い瞳には、自分を求める熱い欲望と苛立ち、そして少しの切なさが見てとれる。

 それを感じた湊は、今度こそ自分が彼の中に堕ちていくのを知った。


 もう、ダメ。

 泣きたく、なってくる。



「あたしの事傷つけるって、まさかああいう事だったとは。ホントお見事よね」



 半泣きを隠す様に必死で言ったのに、拓也は彼女の言葉を聞くでもなく、再び首筋にキスを落とし始めた。



「まだまだだよ。まだ足んない。もっとボロボロになって逃げてご覧よ。ズルくて卑怯なまんまで、どこまでもさ。思いっきりもがいて、何回でも試してごらんよ。必ず掴まえるから」



 彼の吐息と、舌の動きと、そして毒の様な言葉が、甘い液体の様に全身に浸みわたる。

 彼の低い声は心地よく、湊から何かを取り除く。



「そしたら、安心するんだろ? 俺を信用できるんでしょ? じゃあ、そうしなよ。どんなに傷つけても、あんたの事は逃がさないから」



 その声色は誘惑に満ちていて、湊は何も考えなくていいんだよ、と洗脳していく。

 心が徐々に軽くなり、ふわふわと浮く様で、だけど体はどうしようもなく次の快感を求めている。



 だから集中しなよ。コレに。



 拓也の手にそう語りかけられたように、湊は彼との行為に没頭していった。




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