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 あの日以来、湊は部屋に帰らない。

 いつぞやの社内旅行後とは訳が違う。そんな事くらい、バカでも分かる。


 正念場おたのしみはこれからだ。

 暗い部屋の中、拓也は溜息と共に自分に言い聞かせた。



「あー……これからどうすっかなぁ……」







 いつから自分はこんなに強い女になってしまったのだろう?

 妹が生まれた時?

 父親が死んだ時?

 母が取り乱した時?

 自分の出生の真実を知った時?

 結婚した時?

 娘を産んだ時?


「まあ、人生の転機がいっぱい」


 ダイニングチェアに座り、テーブルに肘をつきながらかなでは独り言を言った。指折り数えていた手を下げる。午後11時。もうすぐ夫が帰ってくる時間。


 今から迎える人生の更なる転機は、後で振り返った時、どれほど大きいものなのだろう?


 きっと彼は、奏が彼の浮気を知っている事を知っている。泰成が伝えた筈だ。お店は、トラブルには一切関与しない。プライベートに関する事は一切断りします、がモットーだもの。


 ところが。


「ただいま」


 洋一は、普段通りに帰ってきた。


「おかえりなさい……」

「あー、疲れた。はい、これおみやげ」


 ういろうだ。


「……」

「着替えてくるね」


 全く、うろたえる気配が無い。奏は驚いた。え? 泰成あのひと、何も言ってないの?


「……ね、何か聞いた?」

「え? 何?」


 洋一は着替えながら、少し驚いた様に振り向いた。その顔は演技では無さそうだ。

 奏は呆気に取られ、それからああ、と思った。

 わかったわ。あの人、私にチャンスをくれたんだわ。


 不意打ちの、チャンスを。

 それがあの人からの、僅かな償い。

 洋一かれが変に根回しをしたり、逃げ出したりしない様に。


 ……ダメねぇ、私情を挟むなんて。経営者として失格じゃない。


「どうしたんだ、奏?」


 少し俯いて苦笑する奏を見て、洋一が怪訝そうに言う。

 奏は「なんでもない」と呟くと顔を上げ、穏やかな笑顔で言った。


「ねぇ洋一。私達、離婚しましょう」

「……え?」


 キツネに摘まれた様に、呆然とする洋一。

 奏はますますおかしくなってしまった。この人は、あれだけの事をしておきながら、それでもまだ私の台詞が「寝耳に水」だと言うのかしら。なんてバカな人。


 彼女は悠然と言い放った。


「私の人生に、もうあなたなんていらない」





 それから一か月後。





「それでハンコは押してもらえたの?」


 湊が聞くと、かなでは澄まして小首を傾げた。



「さあ。連絡が無いから知らないけれど、まだなんじゃない? どっちでも私はいいもの。離婚しても、しなくても」

「浮気を止めてくれれば、って事?」

「やめないわよ。だってあの人根っからの狩人で恋愛病だもの。あの時だって浮気相手は一人じゃ無かったし。千清ちせちゃん、ですっけ?」



 お茶を入れていた部屋の主、泰成がギクッと固まる。

 かなではその背中に笑いかけた。



「泰成さんの従妹なら、私の遠縁にもあたるのかしら?」

「……女って本当にヤダ」



 泰成は小声で呟いた。

 千清にも「奥さんにばれちゃったの? じゃあちーもおしまーい。もう連絡して来ないでね」とあっさり言われた洋一は、しばらく動けなかったらしい。あんなに自分にぞっこんだった筈なのに。



「でもお姉ちゃん、洋一さんの事好きだったじゃない」

「今でも好きよ、とても」



 かなではソファの上で、湊に向き直った。



「恋愛ってね、付き合って3年が賞味期限って言うじゃない? 私、彼の恋愛対象外にはなりたくないのよ。だから結婚はやっぱり間違いだったわ。でもそれって、ずーっと手に入りにくい存在であればいいんでしょ?」

「……えぇ?」

「いい? ここがポイントよ。手に入らない存在、ではなくて、手に入りにくい存在。掴めそうで掴めない、この距離感が男を惹きつけるのよ。だから別れるの。今でも大好き、愛してるわ、でも私の人生にあなたはいらないの、って言って」

「……よく分かんない」

「もう、やめようよ、な? 怖すぎるよ、奏ちゃん。網張り過ぎだろそれ」



 言いながら泰成は、運んできた紅茶をローテーブルの上に乗せる。

 奏は泰成を睨んだ。



「張って無いわよー、自由にしてあげるんだから。私も仕事が順調だし、養育費も貰えるし! 身軽になった分、自由恋愛市場に再度参入してもっと女を磨くわよー!」

「……(もうヤダ)」



 うんざりする泰成。

 その横で、湊が呆れて言った。



「別れる前から自由恋愛、満喫していたくせにー……」

「してないわよ、恋愛は。言ったでしょ、カラダだけの「あーっ、オイっ!!」



 泰成は抜群の瞬発力で、勢いよく奏の口を塞ぐ。

 そしてそのまま凄味たっぷりに、上から彼女を睨み下ろした。ドスの利いた小声。



「も、いい加減にしろよ?」

「……ふーん。身内に対しては潔癖症ねぇ。……湊にあんな仕事させてたくせに」

「(ギクっ)」

「それとも本当に身内ってコトだけぇ? 湊を辞めさせた理由。まさか妹に手を出したりはしてないわよね?」



 双方、しばらくの睨みあい。一体こいつは、何をどこまでお見通しなんだ……っ。

 泰成はクルッと向きを変え、今度は湊に迫ってきた。怯えの入った小声。



「おい、藤堂。俺らのアレはまさか、姉貴には言ってねーよな?」

「(……本当にこの人達、兄妹きょうだいだ……)言う訳無いじゃんっ。あたし、お姉ちゃん程露骨じゃないよっ」

「あー、これ見て見て」



 かなでが呑気な声をあげた。

 その声に二人はついつられて振り返る。奏はテレビを指さしていた。



「「「……」」」



 そこに写っているのは、最近発覚した芸能人の熱愛報道。どうやら彼は、お相手の一般人女性と一緒に住んでいるらしい。



「最近のワイドショー、こればっかりねぇ」

「……」

「まさか妹がこんなに時の人になるとは」

「……」

「いいの? これで」

「……」



 まあ一応、まだ顔にモザイク入ってるし? というかあれって入れられてみるとまるで、あたしの顔が汚物みたいな気分……。



「いくらあなたでも、自分を愛してくれるなら誰でもいい、って訳じゃないんでしょう? 全く別世界の人じゃない。昔からの顔なじみなんかでもないし、分かりあえるの、それで」

「……」

「あなたは私と違って、一人じゃ生きていけないんだから。そうそう器用に代えを見つけれるタイプでもないし。パートナー選びには慎重になりなさいよ?」



 お姉ちゃんって相変わらず、マシンガンの様な口だなぁ……。

 湊はぼんやり感心しつつも、曖昧な苦笑いを浮かべた。

 偉そうな子供。そんな言葉が昔からピッタリの姉に対してはむしろ諦めの方が強く、あの時だって結局、姉妹喧嘩にも発展しなかった。しょうがないか、お姉ちゃんだもん。ひょっとしたらヨシの方も多少は被害者かも……等と思ったりさえ、した。


 それでも、姉と関係があった、という事実は強烈で、以来彼から逃げているのは確か。



「……でも、浮気する人は嫌だなー……」


 湊がぼーっと呟くと、


「それは誰でも嫌よ。でも彼なら、大丈夫」

「はっ?」

「するなら浮気じゃなくて、本気よ、拓也は」

「……」



 姉に断言され、湊は絶句した。そして次には、眉間に皺を寄せる。

 その隣で泰成が、はあー、と深い溜息をついた。



「またそうやって相手を悩ますー……」

「えぇ? 私なんか変な事言った?」

「藤堂の一番の不幸は、こんな姉を持った事だな……」



 その時、自分をネタにした騒ぎがテレビから聞こえた。うっ追い打ちだわ……。湊はガクッと沈み込む。

 それを泰成が、憐みの籠もった目で見つめていた。






 日曜の昼下がり、拓也は外に立っていた。少し疲れた笑顔を見せる。


「やっと会ってくれた」

「……だって拓也くん、毎日なんだもの。知らなかった、こんなにしつこい人だなんて」


 舞彩は不自然に目を反らしながら、少し唇を突き出していった。

 拓也が苦笑いをする。


「うん……俺も驚き。ちょっと生まれ変わり中だから。頑張った」

「うちの両親、拓也くんの事ストーカーだと思ってるよ? これ以上続くようだと警察に通報するって言うから、それで私出てきたんだよ」

「……そか」



 拓也は肩をすくめた。その様子を舞彩は、横目でチラ、と観察する。今日もやっぱり、頭に来るほどカッコいい。

 あの日以来、彼女は会社を休み続けた。同僚は病欠の彼女を心配したが、デリケートな何かを感じ取りあまり深入りはしない。

 けれども拓也は、毎日通い続けた。


 正直、舞彩は驚いた。

 けれどもいつしかそれが、彼女の休む目的になっていった。こうすれば、口をきく事無く、彼を縛りつづける事が出来る。

 それは彼女の両親が痺れを切らすまで、一カ月も続いた。



「で、何?」

「……俺の話を、聞いて貰いたい」


 あの日の舞彩は、拓也に話すチャンスも与えずに走っていったから。

 だって当り前よ。私そこまでお人よしじゃないわよ。



「ねぇ、これって自己満足だと思わないの? 私に迷惑だって思わない?」



 拓也の殊勝な態度に勢いづいた舞彩は、キツイ口調と共に彼を睨む。

 すると彼の、丸くて茶色い瞳とモロに視線がぶつかってしまった。

 彼女の大好きな瞳。



「思うけど、俺、一度も舞彩ちゃんに本気ぶつけれてなかったから。君は全力で俺に来てくれたのに。だから伝えなきゃダメだと思った」

「……」



 思いの外に強くて真っ直ぐな瞳に、舞彩は胸が跳ね上がる。

 それを知ってか知らずか、拓也は僅かに微笑んだ。



「いいよ、警察に突き出しても。後はもう君の思う様にして」



 拓也くんって、本当にズルイ。

 こんな時まで私を追い詰める。


 ずっと逃げてて欲しかったのに。そしたら私、いつまでも拓也君を責め続けて、繋がっていられたのに。


 あの優しかった笑顔と手を、彼の唇を手放さなくてはならないかと思うと、見えない力で胸をねじ上げられるようだ。心が泣いている。



「……私、天使になんかなってあげない」

「……」

「もう拓也くんの顔なんか見たくないの。だから仕事も辞める予定」



 目を真っ赤にして、唇を震わせながら顔を反らして言う。

 それを拓也が、切なげに見つめた。


 しばらく沈黙が続く。


 やがて彼の低い声が聞こえた。



「それ、俺が会社辞めるって言ったら、考え直す?」


 え?


 舞彩は驚いた様に彼を見つめた。

 そして徐々に、頭に血が上っていった。


 そんな事じゃ、ないのに。


 バッカじゃないの?


 私って何?



「それよりも、私の言う事を聞いてくれたら考え直す。出来る?」



 射る様に睨みながら言うと、拓也はキュッと眉根を寄せた。





はい。この章で一気に決着をつけます(予定)。テーマは「こんがらがった糸はほどかずに、焼いてしまいましょう」。かなりの力技です。そして中々動こうとしなかった二人を動かすのは、結構大変です(笑)。大人って面倒臭い……。


ところで前話で、祐介と拓也が知り合いだったことが明るみに出ました。話すと長い、と拓也が言う彼らの関係は『リコレクションズ』での事です。

祐介が『みどりの結婚式以来か?』と言いますが、察するに碧は相当焦った様ですね。まあ結婚願望の強い男でしたので、綾香は絡め取られてしまったのでしょう。めでたしめでたし。


それではもう少し、お付き合い下さいませ。

いつも目を通していただき、ありがとうございます。



戸理 葵

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