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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
譲れないもの-ごめん、もう決めた-
41/54

6 それでも、あなたが

 目で許可を求める湊に、祐介は軽く肩をすくめ「いいよ。ごゆっくり」と言った。

 それではお言葉に甘えて、頭整理してきますっ、じゃなくて舞彩かのじょ捜して来ますっ、と一目散に退場。



 そして、取り残された6人。

 シーンとなり、なんとも気まずい。



 その時、それまで壁にもたれて腕組みをし、事態を見物していた祐介が、ゆらっと体を起こした。



「やあ、吉川。久し振りだな。みどりの結婚式以来か?」


 えっ? こいつら知り合いか? 泰成が目を丸くする。

 騒ぎの最初から祐介の存在を認めていた拓也は、驚くでもなく、ブスっとした表情で、僅かに口を尖らせた。

 少し上目遣いで、祐介を見る。



「……ども」

「しかし見物みものだったな。教えてくれないか? どんな悪事を働いたら、そんな天罰が下るんだ?」

「……見りゃわかるでしょーよ……」

「だな。楽しそうでいい事じゃないか」


 微笑まれる。

 先日の結婚式で、拓也がボロッボロだった事を言っているらしい。

 だから全てがみっともなくって、拓也は何も言い返せない。くっそぉ、コイツっ! 今頃俺に仕返ししやがるっ。

 

「……」

「ここに来たのは、あの時、僕がこの旅館を薦めたからか?」


 ギクっ。


「……」


 祐介が感心したように言った。


「お前、案外素直なんだな」

「ねぇかなでさん、俺も彼女たち追いかける、ごめんっ」


 藤田コイツの笑顔とか耐えらんねぇっ。拓也は奏に明るく笑いかけるや否や、素早く逃亡を図った。唖然とする4人と、ニコニコする祐介。


 ところが虎太郎の横を通り過ぎる時に、彼の視線に気付いてしまった。


 そうだった。



「ごめん、やっぱ弟じゃない。腹違いはあっち」

「……」


 自分を見つめる虎太郎に、拓也は泰成を指さす。もうこのネタ、湊が虎太郎かれに仕込んでるかもしれないし。


 ……あれ? でもさっきの話、つまり泰成あのひとかのじょって、……血は繋がって無い……?



 拓也は一瞬眉根を寄せて考え、そしてすぐに諦めた。どっちでもいいか。後で考えよ。

 軽く両手を上げて虎太郎に言う。



「でも安心して。手出してないから」

「……そ」

「近親相姦も……いっそそれで燃えれりゃね」



 微かに自嘲し、呟く。そんな拓也を見て、虎太郎は無表情に言った。


「君、節操無いんだな」


 チラ、と彼を見上げた拓也は、軽く肩を竦めるだけ。

 虎太郎は低い声で、ハッキリと言った。



「彼女は連れて帰るから。もう近付かないでくれ」



 拓也はジッと床を見続けた。湊に殴られた頬が赤い。

 やがて黙って、小走りにその場を去った。



 再びの、妙な沈黙。



 気まずそうに自分を見下ろす泰成に、かなでがジロッと睨み上げた。



「……今更兄妹きょうだいの親交を深めましょう、とか言わないわよね?」

「……言わねーよ」


「別にあなたのお父さんのせいで辛い目に合った訳でもないし、あなたの仕事のせいで主人が浮気に走った訳でもないだろうし、そのせいで私が人生ヤケになって、彼とこういう関係になっていた訳でもないから安心して。全く全然、あなたのせいじゃないから」

「……」



 めっちゃ言ってるじゃねぇか、俺と親父(主に俺)のせいだって。



「母は父を愛していたわ。とても深くね。父も私達家族を、とても愛していた。だからあなたのお父さんに伝えてくれる? もう二度と、私の前に姿を現さないで、って」

「……」



 何も言えずに、泰成はただ黙って俯いた。

 奏はそんな彼を一瞥してから、言った。


「会いたくなったら、こちらから会いに行きますから」


 え?

 ワンテンポ遅れて、泰成が顔を上げて奏を見る。

 彼女は大人の微笑みを見せた。



「お兄さん。いつでも活き活きとしてて、私、結構好きよ?」



 一体彼女は、どんな想いを抱えてこの8年間を生きてきたのか。泰成に知る術はない。

 けれども彼女の微笑みは綺麗で穏やかで、彼は見入ってしまった。





 舞彩、どこに行ったんだろう……。

 いくら捜してもいない彼女に、湊は焦りを感じ始めた。まさか外とか?

 あり得ないと思いつつも、玄関を出て暗い駐車場を見る。居ない。

 道路に足を伸ばした。そこにもいなかったら、後は庭だわ……。


 まさかで、居た。暗くて曲がりくねった山道を、何故かとぼとぼ歩いている。はあ? 歩いて駅まで行く気? 仲居姿で?!


 その時、上からスピードを出した車がやってきた。彼女は気付かない。いや、気付いている?


「舞彩、危ないっ!」


 叫びながら走り、湊は舞彩を掴んだ。

 派手な音を立てて車はハンドルを切り、そのまま走り去っていく。何あの車っ、感じ悪いっ!



「……みなちゃん」

「大丈夫? しっかりして! ほら、立って!!」


 足から力が抜けて呆然する舞彩を、湊は支える様に立たせた。



「あんな奴のせいで人生台無しにして、どうするの?!」

「あんな奴言わないでっ!」



 いきなり叫ばれる。湊は面喰った。



「拓也くんは舞彩の大事な人なのっ! 悪口言わないでっ!」

「……舞彩……」

「……ふぇ~ん……!」



 今度はいきなり抱きつかれる。

 湊は面喰って、両手が宙に浮いた。しばらく固まり、やがて恐る恐る、彼女を抱きしめる。


 そんなにショックだったの。そりゃそうだよね。

 罪悪感につまされる。あたし、キスしちゃったし。しかもヤツの浮気相手、あたしの姉だし。こりゃ共犯者だわ。



「私、心のどっかで、舞彩は拓也くんの一番じゃないかもって思ってた……! でも、それでも、私が拓也君の彼女なら、それでもいいかなって。いつかは一番になれるよう頑張るぞ、って……!」


「……うん。そうだね」


「だけど、それでも、拓也くんがどうしても他の人がいいって言うなら、それも仕方ないかもって思ってた……っ。……でもね、でもね……っ」



 舞彩は湊の肩にしがみつき、震えながら、顔も上げずに言った。



「みなちゃんだけは、ダメ……っ」


「……え……?」


 

 湊の心臓が、跳ね上がる。



「みなちゃんだけは、ダメだよ? 拓也くんの、一番になっちゃ、ダメだよ?」


「……舞彩……」


「だって応援してくれるって言ったじゃない。二人は友達だって言ったじゃない。みなちゃんは舞彩の、一番仲のいい友達じゃないっ」



 泣き叫ぶ舞彩の言葉が、やいばの様に、湊の胸に突き刺さる。



「私、彼氏と友達の両方を、いっぺんに無くしたくないっ」



 ギュッと自分にしがみつきながら、紡ぎだされた彼女の本音。

 いや、本音なのか。本当に未だに、自分の事を友人だと思ってくれてるのか。でもそれはもう関係無い。


 彼女に激しい想いを突き付けられ、湊は自分が、身動きが取れなくなるのを感じた。



「……うん。わかった。……わかったから……」



 そのまま、彼女を抱きしめ立ちつくす。

 泣き続ける、舞彩。


 その時後ろから、湊の肩に手が乗った。


「俺が、代わる」



 振り向くと、拓也だった。


「……たっ……くや……くん」


 

 舞彩がビクッとなって顔を上げる。

 拓也は、無機質な瞳で湊を見て、一言言った。



「消えて」



 なっ……ん……。


 雷で打たれた様な、衝撃。

 湊は目を見開き、固まる。舞彩も息を飲んでいる。

 拓也は、舞彩を見つめている。


 ……あたし……そうか、邪魔者なんだ……。


 やっとの思いで拓也から視線を反らすと、黙って、その場から立ち去った。


「……」


 今は、かのじょに居て貰っては困るから。

 拓也は舞彩を見つめ続けた。



 

 堪えていた涙が、ついに出てきた。歩き続ける彼女の頬を、涙が伝う。

 迷いが晴れた矢先だったのに。決心したばっかりだったのに。拓也かれの胸に飛び込んでみようって、決めたばかりだったのに。


 なのに彼は、あたしの姉の浮気相手だった。

 それを隠して、舞彩と付き合ってまでいた。

 そしてあたしと、キスをした。


 ひどいよひどい、ひどすぎる。こんなのってない、あんまりだわ。あの男、酷過ぎる。


 

 ……でも、あたしだって、似たようなものじゃない。

 だってあたしのお客は、基本的に既婚者。


 ……あたし、奥さんにこんな思いをさせてたんだ……。


 レンタルワイフみたいな仕事バイトをして。

 それを承知の虎太郎に甘えて、付き合っていた。

 そしてヨシと、キスをした。



 ……ああ、あたしって最悪だ……。

 しかもそれを、商売にしている。お金を貰っていないだけ、ヨシの方がまともだわ。



 あたし、まともじゃない。



「湊ちゃんっ」



 そこへバッタリ、虎太郎と出くわした。彼は少し息を切らしている。

 湊は驚き、慌てて涙を拭った。だって泣いている所を見られるなんて、プライドが許さない。

 

「……っ」


 恥ずかしくって顔を背ける彼女を、虎太郎は切なく見つめた。

 湊は顔が赤くなる。居心地が悪い。やめて欲しい、そういう風に見つめるのは……。


 やがて彼は手を伸ばし、湊の頭をそっと撫でた。



「……泣くなよ」



 その言葉と手に、グッとくる。不意打ちだ。

 すると彼は優しく、包み込むように、彼女を自分の腕の中に閉じ込めた。

 彼の匂いがする。男らしい、固い胸が頬にあたる。


 優しさと切なさが、真っ直ぐに伝わってくる。

 自分の足元が、グラっと揺れる気がする。

 

 耳元で彼が、低く囁いた。



「もう、あの部屋には戻るな。……俺と、暮らそう? 今すぐ。……な?」


 ……そっか。


「……うん」



 頷いてしまった。

 虎太郎はキュッと目を細める。それでも腕は緩めない。


 そのまましばらく、二人は動かなかった。

 一番強く思っている事を、お互い口に出来ないまま。


 やがて湊が顔を上げ、虎太郎は彼女を見つめた。


 

「……ごめんね。あの、まずは仕事に戻らなきゃ……」

「そっか」

「……そのあと」



 ふっ、と彼女が微笑んだ。



「荷物まとめて、……行くから。虎太郎んちに」



 これがどんな種類の微笑みなのか。

 僕は知らなくていいんだ。


 だってこれが、彼女の選択なんだから。


 僕は彼女を、手に入れた。



「うん。おいで。待ってる」



 虎太郎は柔らかく笑った。






「ごめんね、一緒には帰れないや」


 真っ暗な庭の中で、拓也が言った。かなでも苦笑する。


「当然よ。こんな状態ではあたしも無理。ここで別れましょ」

「……そうだね」


 奏を見つめ、拓也が微笑む。

 その人懐っこい瞳に、彼女も微笑んだ。


「あの人、政治家ですって? 何の知り合い?」

「話すと長いんですよ」

「あら、秘密主義」



 目を見合わせ、二人で声を上げて笑う。

 最後に散々な事になったのに、どこかスッキリしていた。



「私のせいで、あんな目に合わせてごめんね? あと少しでバレずに終わったのにね」

「ふふ。悪い事は出来ないね」

「お詫びに、湊のトラウマを教えてあげる」

「トラウマ?」


 拓也がキョトンとする。

 奏はふっと、真面目な顔になった。



「あの子が高校の時。父親と電車に乗っていたの。朝の通勤通学の電車よ。そこでね、父親が倒れたのよ」

「倒れた?」

「そう。死んだの。突然死」

「……え?」



 拓也は眼を見開いた。

 奏は視線を、暗闇に漂わせた。



「吊革につかまっていたの。そしてね、みなとの目の前で、ゆっくりと、ふらぁと前後に揺れたんですって。後ろに倒れた父親を湊が咄嗟に抱きかかえたらしいのだけれど、そのまま倒れ込み、二度と目を開けなかったって話。電車の中は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになったらしいわよ」

「……」

「私達姉妹は、強烈なるファザコンだった。特に妹はね。目の前で最愛の人に死なれる、というのは、あの年の子には相当なトラウマだと思う」

「……」

「あの子はね、人を愛するのが怖いのよ。丁度今のあなたの様に」



 彼女は拓也に向き直り、じっとその瞳を見つめる。



「加えて私達姉妹にはもう一つトラウマがあってね。母親が……これまた旦那命のひとだったもので、しばらくの間、精神を病んじゃって大変だったの」



 初めて聞かされる事実の連続に、拓也は瞳を見開いたまま、じっと聞いている。



「その時、私達は思ったのよ。一人の男に依存し過ぎるのは、色んな意味で怖い、って」



 拓也を見つめる奏は、彼を通して、自分の過去を見つめていた。

 あの頃の、どこか不安定な湊。自分の出生の真実を知った、奏。



「そして二つに分かれた。私は今でこそ主婦だけど、多分男がいなくても生きていける。娘もいる事だし。これでも、自分一人の稼ぎでどうにかする自信はあるのよ、いざとなればね。一方の妹は……」



 そこで彼女は僅かに目を伏せ、切なげに微笑んだ。



「経済的には私より自立しているけど、あの子は男がいないと生きていけないでしょうね。本人も気付いていない所が厄介だけど。あの子は自分の心の安全地帯を、いつも捜している」



 そして顔を上げると、拓也を強く見据えた。



「自分を最愛の人として迎えてくれる、そんな心の安全地帯を捜しているの。父親を目の前で無くして以来。そして仮に見つけても、その安全地帯に踏みいる勇気が無い。あの時の様に、いつかその安全地帯を失う事が怖くて」



 拓也は奏を見つめたまま、僅かに眉根を寄せる。

 彼女は拓也を見つめ続ける。



「母親の様に、気が狂う寸前にまで陥るのが怖くて」



 彼女の危うさは、そこにあったのか。

 拓也は今、初めて気付いた。

 

 初めは、自立している女だな、と思った。顔は美人だけど性格がきつそうで、正直あまりタイプではなかった。


 けれど目が、離せない。



 美人で評判もいい。なのにどこかすましちゃってるの、俺には分かっちゃうんだけど。

 いつもどこかつっぱってる。なのに時折見せる笑顔が、ハンパないよね。

 誰とでもフラットに話せるクセして、絶対自分の事は話さないよな。似たもの過ぎて、笑っちゃう。

 怖いんだろ、人が。


 なら最後まで、ボロだすなよ。あんたのあの笑顔と泣きそうな顔、反則技なんだよ。



 油断している間に、彼女は俺の心の中に、こっそりと忍び入ってきた。

 そしてゆっくりと、そうとは気付かぬうちに、俺の中に根を這わしていった。それはいつの間にか、緑豊かな大樹たいじゅになって、俺は今、それに絡め取られている。



 どうしようもない危機感と共に。息苦しさと共に。

 誘惑にも似た、陶酔感と共に。



「こんな事、私が聞けた立場じゃないけど……どうするの? これから」




 本気で人を愛する事が怖い彼女と、愛されない事が怖い俺。こんな俺達は、一緒になってもお互いを傷つけあって、不幸になるだけだと思っていた。堕ちてく一方だ、そう思っていたのに。




 愛してくれなくても、いいよ。

 俺が、愛してやるから。あんたが溶けて、無くなる程。


 だから安心して。

 俺の隣で、笑っていて。あの笑顔で、俺を包んで。



「……舞彩かのじょと、別れる。あなたみたいに、どんな償いでもする。……それで」



 暗闇を見つめていた拓也は、奏に視線を戻した。

 そして少し首を傾げ、可愛く微笑んだ。



「ねえ、かなでさん。……あなたの妹、俺に頂戴」



 許してくれなくても、いい。



 だってかのじょが好きだから。



 どうしようもなく、彼女が好きだから。







 

……長いですね。これでこの章は終わりです。

少しお休みを頂いて、次章でほぼ、カタを付けます。後少しっ。

ちょっぴり暴走した拓也くんが見れるかも(笑)


取り乱す舞彩。結局、やすきに流れる湊。二人の関係に目を反らす虎太郎。湊にロックオンした拓也。どこで絡むかお兄ちゃん。



毎回長いにも関わらず、お付き合い下さる読者様に、大変感謝しております。

このお話が、皆さまのお暇つぶしになりますように……。



戸理 葵


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