5 暴露大会?
「……どういう事? 全然、わかんない。……だって拓也くん、週末用事があるって。だから私と一緒に、出かけられないって」
舞彩は呆然としながら、放心した様に言う。誰に話すでもなく、まるで、自分が喋っている事にも気付いていない様に。
「……」
拓也は口を固く結び、一瞬舞彩から目を反らしたが、すぐに戻した。真っ直ぐに見る。
彼女の後ろにいる湊とも、視線が絡んだ。
湊はカッとなり、自分の顔が熱を持ってくるのを感じた。
その時、祐介が部屋から出て来た。湊と虎太郎のすぐ後ろで、彼らが一堂に会している現場に出くわし、立ち止まる。
舞彩は呆然と、拓也に向かって言葉を続けた。
「……なんで、ここにいるの……?」
「……」
「……その女……」
さっき、家族風呂にいた……。
つまりその女はカップルで。
その女と腕を組んで歩いてきた拓也くんは……
一緒に、家族風呂に入った男で。
舞彩は、頭に血が上り、混乱し、動揺し、訳が分からなくなった。
「……っ」
彼女はお盆を抱えたまま、彼らとは反対方向に走り去っていく。湊の横を通り抜ける。
虎太郎が戸惑った様に、彼女を視線で追った。
そして湊を振り返る。
湊ちゃん。
彼女は先ほどからビール瓶を抱えたまま、微動だにしない。ワンピースの胸から下が、水滴でびっしょりと濡れている。
「それ、大丈夫? 俺持つよ」
虎太郎は、なんとも空気が読めていない、場違いな手の差し伸べ方をしてしまった。彼女の腕から瓶を取る。それでも湊は、前方を見据えたままだ。
その時、拓也たちの背後の、障子をかたどったガラス製の引き戸が開いた。庭からやってきた男女に、虎太郎は目を凝らす。あれ? 男の方って……三田さんじゃないか?
その時、すっと、湊が前に歩いた。
「湊ちゃん?」
皆がかたずをのんで見守る。拓也と奏は、金縛りにあった様に彼女を見つめて動かない。
湊は真っ直ぐに進み、拓也の真正面で、止まった。
「……」
彼女の、強い瞳。様々な感情が渦巻いている。拓也はそれを見つめたまま、奥歯を噛み締めた。
湊。
スパァンッ!
湊の大きな平手打ちが、辺りに響き渡った。
ヒュウ、と祐介が、虎太郎の後ろで尻上がりの口笛を吹く。アレはキクね。数年前を思いだすぜ。
拓也は打たれたまま、床を見つめ、動かなかった。
湊は彼の隣の、奏を見る。
彼女も目を見開きながら、湊から視線を反らさない。
まさか、こんな形でバレるなんて。
自業自得も、いいとこだわ。
「お姉ちゃん……」
そう呟いた湊は、初めて表情を見せた。辛くて、苦しくて、それを堪える様な歪んだ顔。
それを聞いたユミと虎太郎は驚愕し、祐介は「ほう」と感心した。
「……っ!」
絶句したユミは、冷や汗タラタラ。
な、何ですって、この修羅場に重大事実がもう一つっ!
アレは湊ちゃんの姉?! 拓也の相手は湊ちゃんじゃなくって、姉のカナデだったぁ?
あれ、でも湊ちゃんのお姉さんってたしか結婚してる……だって湊ちゃん、お姉さんの子供の面倒を時々見るって……
……拓也っ、不倫かっ!
「好き勝手にも、程があるんじゃない?」
今にも泣き出しそうな顔で湊が姉に言ったその時、泰成が動き、湊に手を伸ばした。
「藤堂」
彼女の上腕を掴む。湊はハッとした様に彼を見た。
途端に、自分が仕事中だった事を思い出す。そう、彼女は我を失うと言う事が、人生に置いてないのだ。常に冷静で、自分を見失わない。
それが彼女の、売りで弱点だから。
「……社長……?」
「落ち着け。な?」
そう言われて、急に色々な事を思い出した。自分は今、祐介の婚約者として会場に戻らなくてはならない。こんな所で油を売っている訳にはいかない。何故ここに泰成がいるのかは分からないけれど。
「……ごめんなさい、仕事中に。……でも舞彩を追いかけないと」
仕事に戻らなきゃ。でもあの子を捜さないと。ほっとけない、ほっとく訳にはいかない。
「おい、しっかりしろよ」
ふらっと動きだそうとする湊の肩を、泰成が更に力を込めて、掴み続けた。
それでも湊は、彼を見ないで歩きだそうとする。
「はい、あの、すいません。舞彩を追いかけないと」
追いかけないと、追いかけないと。まずはあの子を追いかけないと。
冷静なつもりで激しく動揺している湊を見て、拓也は目を丸くする。奏は眉間に皺が寄った。マズイ、この子は日頃しっかりしている分、一旦切れると、とても弱い。あの時みたいに。
「ごめんなさい、祐介さん。あたしちょっと、彼女を」
「いいから藤堂! 落ち着けよ」
「落ち着いてるわよっ!」
急に叫ぶと彼女は振り向き、泰成の手を力任せに振り払った。
怒りをあらわにした彼女の激しい様子に、拓也も泰成も、虎太郎も、驚く。
「するわよ、仕事もちゃんと! やるわよ! でも友達追いかける時間ぐらいあるわよ、それくらいあるのっ! ずっとそこにいたのはあたしだから分かるのよ! 急にやってきて指示しないでよ! 偉そうに、そんなに信用してないの?!」
「してるよ、そこはちゃんと! だから落ち着くんだ」
そう言って泰成は再び彼女の、今度は両肩を掴んだ。
しかし彼女は暴れて、泰成の動きに逆らった。
「何なのよ一体っ! 離してよ、何が言いたいのよっ!」
他の客が、何事だろうと振り返りながら彼らを見る。
その視線に気付いた湊が、ハッとして動きを止めた。マズイ、このままじゃ祐介さんの顔に泥を塗るわ。
その自己統制された彼女の様子に、見ていたユミは気の毒になってきた。もう、いいじゃん。
「泰ちゃんが、湊ちゃんのお兄さんだから心配なんじゃない?」
「わっお前っ!」
飛び上がった泰成が、思わず湊から手を離す。
「……え?」
湊は彼女を見た。
泰成は今度は、ユミを引っ掴む。
「バカっ、ユミっ、やめろっ」
「いーじゃない。ここで言わなくていつ言うのよ? 役者が揃ってんのに、当事者が何も知らされていないなんて可哀想でしょ?」
見るからに大慌てをしている泰成と、負けじと大声を張り上げてその相手をしているユミ。
一番最後に登場したこの二人が、今は一番盛り上がって何やらゴチャゴチャやっている。
その様子に湊と拓也がポカン……とし、その脇で、奏が小声で呟いた。
「……あっちゃー……」
「何の事?」
湊がユミに尋ねる。
ユミは奏を見ながら言った。
「そこにいるあなたのお姉さん。カナデ、さん?」
「……」
わーやめろーっとか泰成が騒いでいるが、傍から見ても無駄な努力。
「あの人、泰ちゃんの腹違いの妹なんだって」
「……」
湊と、そして拓也は、しばらく時が止まった。
「「はあぁぁぁっ??!」」
二人、とても綺麗なユニゾン。
どっ、どっ、どう言う事っ? どう言う事、今なんて言った?!
湊と拓也はまるで双子の様に、揃ってビックリ眼の大口を開けた。
虎太郎も目を見開き、祐介は再び「ほう」と言って腕を組んだ。
あああああ、と泰成がこの世の終わりの様に固まり、奏が苦虫を噛み潰した様な顔をしている。ここで言わなくていつ言うのよ、って、何よそれ。ココで言うか、この女は。
「嘘っ!」
「みたいだけど、本当らしいわよ。本人に聞いてみれば?」
同情的な目を向けて、湊に応えるユミ。
……何を言ってるの……?
なおも呆然とした湊は、やがてカクカクと、不自然に奏の方を振り向いた。
「……それ、本当……?」
「残念ながら、本当」
彼女は真顔で頷く。
湊は世界が真っ白になるのを感じた。
……う、嘘でしょ? 嘘でしょ? ……絶対、嘘だ!!
「……そんな……お姉ちゃん、いつから知ってたの?」
「……大学生かな? お父さんが死んだ時」
本当っぽい……。
湊は唖然として、事態を受け入れる事が出来なかった。
ハッキリ言って、拓也と姉の不倫なんてぶっとんでいる。だって家族の一大事。世界がひっくり返った。この際、誰と誰がデキているかなんて話、どーでもいい気がする。
拓也も目を見開き、カクカクと首を動かすと、泰成を見た。
「……マジで……?」
最早諦めた泰成ははぁ、と溜息をつくと、腕を組んで拓也を見下ろした。
「……と言う事で、俺はお前を死刑にする権利を持つ。さもなくば、俺の事はお兄様と呼べ」
「……殺して」
思わず拓也は両手で顔を覆う。
その隣で、奏は話を続けた。
「以来、私は捜したの。本当の父親を。そしたら割と呆気なく見つかってね。ついでに息子まで見つけた。興味本位で彼に近づいたのが……7,8年前、かな。人気ホストでびっくり」
「……マジかよ」
「嘘だろ……」
その告白に、泰成と拓也(ホスト当事者)の二人は思いっきり引く。まさかそんなに以前から、彼女の計画(?)が進行していたとは。女って怖ぇ、女って怖ぇ、女って怖ぇ!
「その後の展開については、色々と想定外だったのだけれど」
僅かに自嘲して俯く奏。それを見た拓也は思いだした。
「……ああ、それ」
彼女を小さく指さし、泰成を見る。
「この人の旦那さん、あんたのお客」
再び、彼らの周りで時が止まった。
「……なにぃぃぃっ?!」
「「えーっ!!」」
泰成と、ユミと湊が同時に叫ぶ。
「こいつら、賑やかだな」
「……」
祐介がそう言い、虎太郎は笑顔が引きつった。……確かに。舞台見てるみたい……。
「誰だっ!!」
泰成が噛みつかんばかりの勢いで言って、
「関、さんっての」
拓也が答える。
一瞬口を閉じて目を丸くしたユミが、再び大声を上げた。
「……あーっ! ちーのお客っ!!」
「わっバカっ」
泰成が慌てて彼女の口を押さえようとする。
その様子を、奏が冷めた目で眺めた。
「そうよ。今頃二人仲良く名古屋」
途端に気まずそうになる二人。千清は確かに、今名古屋にいる。商売上の付き合いだけれど、とても彼の事を気に入っていた。
そんな彼らに構わず、奏は湊に向き直った。
そして彼女の目を見据え、真顔で言った。
「ごめん、湊。あなたの友達に手を出したのは私。本当に反省している。あなたやお友達まで傷つけて、ごめんなさい。こんなにややこしくなるとは思わなくて……出来る限りの償いするわ。……でもまさかあなた」
そこで、言葉を溜める様に、口をつぐむ。
そして、物言いたげな瞳で、彼女の事をじっと見る。湊はゴクっと、息を飲んだ。
……な、何……?
姉が、探る様に言った。
「彼の、仕事を、していたりは、しないわよね……?」
そう言って、胸元で小さく、泰成を指さす。
ギックぅぅ。湊は固まった。
その背後で、泰成(社長、兼、兄)もギックぅぅ。
その隣で、拓也(斡旋者)もギックぅぅ。
ユミはハラハラし、虎太郎はオロオロし、祐介(客)は涼しい顔。
湊はお得意の営業スマイルを試みた。あれ? あたし、何か、立場悪い? お姉ちゃん、自分の不倫は棚に上げるの? あ、でも、洋一さんの不倫を斡旋したのは事務所か、そりゃマズイわイケナイって……あぅぅぅぅ。
「……ねえ、あたし、とりあえず……」
笑顔で廊下の向こうを指さす。あ、ほっぺが引きつる。
「舞彩を、追いかけに行っても……いいかな?」
あの子をなだめるって言うのが、今は一番単純な気がする……いやもちろん、簡単じゃないだろうけど。
……というか……
もーう、何が何だかわかんない。一体何から考えたらいいのか、誰か教えてよーっ。