4 ご対面っ
泰成とユミは、新幹線で目的の駅に着いた。
「ちょっとトイレ」
そう言って彼女は、そそくさと泰成から離れる。それを彼が、無言で威圧感たっぷりに睨む。女子のお手洗いよ、勘弁してってば。
ユミは冷や汗まみれで駅の女子トイレに入った。即座に携帯を手に取る。
電話をした相手は、千清だった。彼女の呑気な声は、今の自分にまったく釣り合わない様にユミは感じる。誰もあたしの状況なんて理解してくれやしないっ。
『どうしたのユミちゃん? 珍しくない? 仕事中に電話して来るなんて』
「あんた、社長の事情を何か知ってるんでしょっ?」
ユミは一気に、出来るだけ掻い摘んで、千清が事務所を出ていってからの出来事を話して聞かせた。
『そっかぁ。ちーには全然分かんないや。でもユミちゃんの助けになるかもしれないから、教えるね。絶対内緒にしてね』
「うん、早く早くっ」
『あのね。泰ちゃんは湊ちゃんが大好きなの』
「……」
ユミは、呆れてしばらく絶句する。
やがてかなり、イラっときた。
「……あんたに電話したのが間違いだった。もっと役立つ情報を持ってるかと思ってたわ」
『うん、ごめんね』
「あたしだって知ってるわよ、社長が彼女に入れ上げている事ぐらい。というか横恋慕してるんでしょ? 拓也と湊ちゃんがデキてるから」
『うん。だって妹だもの』
「そう、…………え?」
行き過ぎた車を、バックさせる感覚。
「何? 妹? 誰が誰の?」
『泰ちゃんのオジさんが他所の女の人と作っちゃった子供が、カナデさんっていって、湊ちゃんのお姉さんなの。今それで、ウチのお母さんは伯父さんにすごく怒っているんだけどね。泰ちゃんはああ見えて、一時期すっごい落ち込んでいたのよ。だって湊ちゃんとエッチしちゃってたでしょ?』
「……え? 子供? 姉? エッチ?……エッチィィ?」
トイレに入ってきた子連れの若い母親が、あからさまに非難の目をユミに向けた。
『あれ? 知らないの? ナナちゃんは知ってるよ? ユミちゃん、案外情報不足だねぇ。あ、ごめん、もう切るね、バイバイ』
電話は一方的に切られた。千清の今日のお客に、彼女がかなり惚れ込んでいるせいかもしれない。
一方のユミは真っ青になった。……泰ちゃんと湊ちゃんがエッチをしてた? それで泰ちゃんのオジさんが子供を作っていて、それが湊ちゃんの……お姉さんで……。
……ヤバい、あたし、とんでもない事に巻き込まれかかってるかも……。
駅のトイレに立ちつくす。
……いずれにしても、5万は安かった……もっと足元見とくんだったわ。
「いいんじゃない、家族風呂」
フロントで、拓也が奏に言った。
今日は入浴のお客が多くて大浴場が込み合っている事、そして二つあるうちの家族風呂の一つが空いている事を、受付に告げられたからだった。
奏は少し、困ってしまう。
そりゃ、風流な貸し切り家族風呂にゆっくりと浸かる事には、とても魅かれる。でも、拓也はもう、自分とそういう関係は終わらせたかった筈だ。だからこっちもすっかりそのつもりだったのに、今更同じお風呂に入ろうと言われても……。
彼女の声が聞こえたかのように、拓也が言った。
「奏さん、一人で入っておいでよ」
「えっ? でも拓也くん……」
「俺はいいよ。せっかくここまで来たんだし、空いてるって言うならいいじゃない。ゆっくりしておいでよ」
「でも……」
「大丈夫。適当に時間潰してるから。ひょっとしたら男湯、ちょっと覗いてみるかもしれないし。気にしないで」
にこっと微笑む。彼の十八番。本当に気にしていなさそうだ。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
言いながら奏はつい、嬉しさで顔がほころんだ。
舞彩は結局、旅館の手伝いをしていた。例の貸し切りパーティー(まさかそれに湊が参加しているとは)に加えて、今日は入浴のみのお客も多い。近くでテレビの撮影があったらしい。
仲居専用の浴衣を着て、家族風呂の脱衣所にタオルを整えていると、早速次のお客が来た。
「あ、いらっしゃいませ」
女性が一人で入ってくる。彼女に気付いて、笑顔で会釈をして来た。
「どうも、お世話になります」
とても、感じがいい。
舞彩も笑顔で、手早く作業を済ませながら言った。
「新しいタオル、こちらに置いておきますね」
「はい、ありがとうございます」
頭を下げて、舞彩は外に出ていく。綺麗な女性だな、と思った。
家族風呂に来るって事は、家族で入るのよね? でも多分カップルだろうなあ。なんかそんな感じがする。だって色気があるもん。男の人は、後から来るんだろうな。
いいなー、カップルでこんな家族風呂ー。
私もいつか、そう言う事をしてみたいなー。
その時、一緒に来るのは、拓也くんなのかしら……?
ふと、立ち止まった。
もし違う人だとしたら……。想像できない。
だってそれは、彼と別れて、新たな出会いがあり、恋愛をして、付き合い、そう言う事に至る筈。それは、とてつもなく長くてエネルギーのいる、大変な道のりの気がする。
その時の自分は、一体いくつになっているのだろう? どんな生活をして、何を思って、何が楽しみで生きているのだろう。
拓也がいない生活なんて。
「まーちゃーん、ちょっとこっち手伝ってー」
慌てたように従妹が顔を出した。厨房だ。熱気が伝わってくる。
舞彩は一気に我に返った。
「はーい」
タクシーの中で、それまで難しい顔をして、腕組をしながら座っていた泰成が口を開いた。
「実はな……」
「みざるきかざるいわざるっ」
ユミは両手で両耳を塞ぎ、目をしっかりと閉じて叫ぶ。
それを見た泰成が、ポカン、とした。
「……はあ?」
「あたしは何も見てないし聞いてない。だから何も言いませんっ」
「……お前、それを道中、ずっと押し通すつもりか?」
「身を守る為ですから」
「それで5万も取るのかよ。なんつーぼったくりだ」
「ぼったくり事務所の所長がよく言いますわ。大丈夫、ちゃんと仕事は致します。ストッパーになればいいんでしょ?」
姿勢を正し、ひざ丈スカート中にある綺麗な脚を組み、長めの髪を手で払いながらツンと言う。
泰成はそんな彼女をじっと見ると、視線を窓の外にやり、言った。
「……いつまで、この仕事を続けるつもりだ?」
「だから最後まで付き合うって、」
「じゃなくて。この、仕事」
ユミは泰成を見た。台詞の意味は分かっても、その意図するところが分からない。
すると彼は再び彼女を見て、そして少し微笑んだ。
男らしい、頼れる笑顔。
「お前はもう充分、世の中でやっていけるよ。心配すんな。俺が太鼓判、押してやる。……だからそろそろ、自分の人生を見つけろよ。好きな物、捜してみろ。きっと楽しいぜ」
「……」
「不安になったら、また戻ってくればいい。いつでもいい。大丈夫だ。それでもお前は、また出発できるから。そういう女だ。自信を持て」
いつものぶっきらぼうな表情からは想像もつかない、その笑顔に、まるで陽だまりの様な暖かさを感じた。相手は自分より、一回りも年上の男性なのに。
知っている。彼は捨て猫を拾ってきてしまうタイプで、どんな相手でも見捨てる事が出来ないんだ。
ユミは少し俯く。何故、今自分がここにいるのか、分かる気がした。
湊は大部屋を出ると、慌ただしく歩いて、アルコールの追加を厨房まで取りに行こうとした。
途中の廊下で、手伝いをしていた舞彩とばったり会う。
「あ、舞彩」
「あ、みなちゃん」
「よかった、ビール」
「まだまだ後から持ってくるよ。あと日本酒でしょ? ウーロン茶も足りる? 大丈夫? すごい大変そう。みなちゃんすごいね、すごいよ」
「ありがとう」
「頑張ってね!」
「頑張る! もうコンパニオン状態よ。仕事ってどれもみんな楽じゃないね……え?」
誰かが横から湊の手首を掴む。
驚いて振り返った。
「やっぱり」
「……虎太郎?!」
「湊ちゃんだった」
形の良い唇が、悪戯っぽく上がった。
虎太郎の甘やかな瞳。それが湊をじっと見つめ、誘う様に揺れている。長身で、カジュアルな服に包まれた、均整の取れた体つき。
まるで王子様の登場。
でもなんでいきなりここに登場……? この人が? どうして? どうやって?
……けどやっぱカッコよすぎる……。
湊は見とれて、呆然となった。長年ファンをやっていたので、未だにイマイチ実感が湧かない。
お互い時が止まったかの様に、視線を絡め合い、動かなくなった。
やがて虎太郎が、先に我に返った。
「あ、ごめん」
それまで握り続けていた、彼女の手首を慌てて離す。
湊もハッとした。そしてふと、舞彩の事を思い出した。振り返ると案の定、ビール瓶を三本乗せたお盆を手に、唖然としている。
その手から、ゆらっと、ビール瓶が倒れた。危ないっ!
咄嗟に湊が、抱きかかえるように瓶を受け止めた。
「うわっっと」
虎太郎が目を丸くする。
「ナイスー」
それらを全く頓着する事無く、舞彩は叫んだ。
「……コっ、コタローっ?!!」
おいっ。
うわっととと。あーあ、瓶の水滴がワンピに付いちゃった。うわ、みっともな。それよりこれ三本も、どうすればいいの? 舞彩、お盆を貸して……
「な、なんでっ? なんでなんでなんでっ。 知り合いっ? みなちゃん、知り合いなのっ?」
大興奮の様相で、舞彩がみなとに飛びついてきた。胸倉を掴みかからんばかりの勢いに、湊は本能的に後ずさる。
なんか今、舞彩がちょっとだけ、肉食獣に見えた……。
「え、ああ、うん、まあ」
すると虎太郎が、少し首を傾げて、湊を覗き込んだ。
「……知り合い?」
彼の瞳の中に意図するモノを感じ取り、湊は言葉にグッと詰まる。無邪気な表情な中に、悲しげな色が僅かに見える。
でもだって、彼氏って言うのは簡単だけれど、
それは……それは……
「……そんな顔、しないでよ」
しょうがないな、とでも言う様に、虎太郎は笑った。湊の頭を、軽くクシャっと撫でる。
彼女はホッとして、彼を見上げた。
「何でここにいるの?」
「ロケだよ。一日だけ。今取ってるドラマのね……言わなかったけ?」
「……そ、か」
「ひでっ。忘れられてるっ」
明るく言った虎太郎は、笑みを浮かべたまま湊に尋ねた。
「そういう湊ちゃんは?」
ギクっ。ついに聞かれたっ。
その様子を見た舞彩が、心配そうな顔をした。二人の雰囲気から、何かを察したらしい。湊が祐介の婚約者としてここにいる事を、彼が知ってはイケナイのではないか。
彼女の予想通り、湊は気まずそうな顔をした。
「……えと……仕事……?」
「……ああ、そう言う事か」
虎太郎は自分の口元を軽く指でなぞりながら、真顔で頷いた。
それに反応するかのように、湊はビール瓶を振り回しながら全身で慌てる。
「でもっ、その、そーゆー事ではなくてっ、あの、一緒にいるだけ、というか、フリをするだけ、というか……」
な、何を焦っているのよ、あたしは。もう虎太郎ともキチンと向きあうって決めたじゃないっ。ああでも目の前で、傷ついた目を見せられるかもと思うとつい怯んじゃうのっ、彼があたしの仕事を了承済みって分かっていてもっ!
こんな事であたし、彼とのお付き合い、お断りする事が出来るの?
湊の様子に、虎太郎は再び苦笑した。
「大丈夫だよ。俺、どんなでも……」
湊ちゃんが好き。そう言おうとした時だった。
「凄く良かったわよー。なんか私一人で、申し訳なかったわ」
「いいよ。俺の方も良かったもん。中々立派だったよ、あっちも」
T字に交差している廊下を横切る形で、一組のカップルが歩いてくる。
その話し声に、何となく3人の目が奪われた。
そのまま、舞彩の目が見開かれる。
「……たくや、くん……?」
拓也が振り向いた。
拓也がいる廊下は縁側スタイルになっていて、庭へと繋がっている。
そこで紅葉を照らすライトの下、先に気付いたのはユミだった。
手前の拓也と、(何故か)連れの女性。
そこから真っ直ぐ伸びた廊下の先に立っているのは、恐らくでも確実に、湊。
「……あー、泰ちゃーん……」
ユミの呼びかけに、周囲を見回していた泰成が振り向く。
ユミは顔をひきつらせ、前方を指さした。
「……間に、合わなかったかも……」
湊は、信じられなかった。
目の前に、拓也が立っている。顔面を、蒼白にしている。らしくない、何で?
その隣で、彼の腕に絡みついたまま凍りついている女性は、まぎれもなく、自分の姉。
まったく、りかいできない。
「……なに……?」
まるで湊の言葉を代弁するかのように、舞彩が、隣で小さく呟いた。
なに?