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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
譲れないもの-ごめん、もう決めた-
37/54

「……すっごい」

「いらっしゃいませ、藤田様。お待ちしておりました」


 趣のある日本旅館に、ガラス張りの立派なフロントロビー。足元は石畳で、外の和風庭園との一体感を出している。

 ……たっかそ。


「こちらでございます」


 部屋に通された湊は、再び感嘆の声を漏らした。


「……うわあ」


 十畳はある和室。おまけの、用途不明の小部屋かいくつか。そして何より極めつけは……

 部屋付き露天風呂っ! 何この豪華さっ! い、今すぐ入りたいっ。


「会は夕方の5時からだ。それまで随分時間がある。君は好きにしていていいよ。僕はちょっと、片付けなくてはならない仕事があるから」

「あ、はい」


 ああ、仕事じゃ無かったら。仕事じゃ無ければ今すぐ温泉に飛び込むのに。でもプライベートで来るなんて無理よね、一泊いくらするんだろ?






「綺麗」

「だね」


 かなでが展望台の木の柵に手を付き、柔らかに微笑む。拓也はその隣に並んで立ち、外の景色を眺めていた。

 これが湊だったらどういう反応を見せるのかな、なんて考えてしまう。車で気軽に登れるドライブウェイの頂上。周囲の山々は皆低く、360度見回せれる。雲がそれらの山に布団の様にかぶっていて、まさに雲海。

 あいつなら、うわあ、とか言って、雲が、山が、空が、空気が、とかって騒ぐんだろうな。だって分かる。俺もそうだもん。そうやって口や態度には出せないだけで(恥ずかしいじゃん)、同じ事を思っているから。


 ごめん、舞彩ちゃん。

 ここに来ても、君の事を、考えれてない。

 言われた通り、誰もが認める、俺って自分勝手だ。


 多分、一番傷つけたいのはあいつで。

 一番、傷つけたくないのは君だった。

 でもごめんね。俺、やっぱどうしてもダメみたい。


 一番傷つけたいくせに、誰か他のヤツが、かのじょを傷つけるのは耐えらんない。

 結局、一番守りたいのは、多分あいつなんだ。



 だから君の事をフルよ。どうか俺の事を恨んで、そんで呪って。そんで綺麗さっぱり俺を記憶から消してくれるなら、何だってする。視界から消えるよ、転職したって構わない。


 

 俺が転職するって言ったら、かのじょ、職場に残んのかな?


 拓也は軽く笑って、かなでに行った。


「降りてった所に、旨い蕎麦屋があるみたい。そこでお昼食べない?」





 到着から約一時間後、部屋から一メートル以内の庭を探索した湊が戻ってくると、祐介が驚いた様に顔を上げた。

 銀フレームの眼鏡をかけていて、それが嫌味な程よく似合う。



「あれ? ずっとここにいたの?」

「あ、はい、何となく。……一人であんまり遠くをウロウロするのも変かな、と思って……」

「何で?」

「だって……政治家の妻って……ご主人の影となる、といいますか……内助の功、といいますか……勝手な行動は、ちょっと……」

「それで僕を待ってたの? 今時そんな殊勝な女性はいないよ」

「それに、あの、下手に藤田さんのご関係者とお会いするのも危険かと思いまして」

「……ああ、成程」



 感心した様に湊を見つめた彼は、クスッと笑った。



「流石。賢いね、君は」

「……そんな」

「それなら、一人でそこのお風呂に入っていればよかったのに」

「……それもさすがに……」

「僕が覗くとでも思ったかい?」

「いえ、そんな」

「する訳無いだろう」


 

 畳に胡坐をかいたまま、湊に体ごと向き直る。



「そこまでの料金を払っていない」

「……」

「冗談だよ。君が金で買えるとは思っていないよ。……それとも、ビジネスで割り切った、」



 祐介は机に肘をつくと、頭を預け、艶めいた瞳と共に、薄い唇の片端を上げた。



「大人の遊びを、僕と、する?」

「……」

「本気で悩むんだ」


 

 一転、彼の呆れた声。湊はなおも、眉間に皺を寄せて考え込んだ。

 だって、藤田さんなら沢山払ってくれそうだし、ベッドでもすごくスマートに対応してくれそうだし、ああでも実はとってもSの性癖があったりして、まあそれもある程度なら問題ないかだって彼相手だもんお釣りが来るわとか……



「もっと自分を大切にしなよ。君を留めるには、本命君が本気ださないとダメか」

「え? どういう意味です?」

「いや」



 祐介は軽く受け流すと、視線を反らした。湊のアンバランスさを、改めて認識した気分になる。 

 彼女は男と付き合う事に、あまりこだわりが無い。場合によってはセックスまで。

 これは、極度の孤独感の裏返しじゃなかろうか。

 それを埋める為に、身代わりで済まそうとしている。せっかく本命がいるのに。

 やれやれってヤツだ。本人も気付いていない所が厄介だ。


 女って、寂しさを感じると男を欲するって言うもんな。



「じゃあ、一緒に大浴場に行くかい? もちろん、男女別々だよ。中々素晴らしいらしい」

「あ……もうお仕事、終わったんですか?」


 

 立ち上がった祐介を見て、湊はそれに従った。だって彼に従うのが、この二日間の自分の役目だから。

 彼は涼しい顔で、さらっと言った。


「ああ。僕の仕事には、誰も文句が言えないからね。実はどこでやめてもいいんだよ」



 ……なんか、なんとなーく、この人がとっても黒く見えるのは、多分気のせいじゃないわよね……。




 質のいいインテリアと趣ある庭を眺めながらの廊下を浴場まで歩いていくと、前方から女性の賑やかな声が聞こえてきた。


「あー、気持ち良かったぁ」

「ホントだねぇ。まーちゃん、疲れ取れたぁ?」

「もう、ばっちり! あー、病みつきになりそう。度々来ちゃいそう」

「いいけど次からは、まーちゃんもお手伝いさせられるよぉ? 床拭きとか雑草取りとか、仲居さんトレーニングとかもさせられちゃうかも!」

「あ、でもそれ面白そう! やってみたい!」



 楽しそうだなぁ、女の子同士。こんな高級旅館に友達同士で来るなんて、随分と趣味がいいのね。

 そう思って彼女たちの顔を見た湊は、唖然とした。

 思わず、立ち止まる。

 そんな彼女の動きに気付いた二人組のうちの一人が、同じく湊を見て、そして固まった。


「……え?」


 もう一人が、不思議そうに相手を見る。


「どうしたの?」


 彼女は、驚愕の表情を見せた。


「……みなちゃん?!」


「……ま、舞彩まあや……っ!?」



 湊も負けず劣らず、驚愕の表情。どどどど、どう言う事っ? え、どうしようっ!

 あたし、あたし、


 この仕事、見られたっ!!



 いち早くフリーズから回復した舞彩は、嬉々として湊達の方に駆け寄ってきた。


「えーっ! なんでここにいるの?! うわ、すっごい偶然っ。……えと、彼氏……?」


 

 恐る恐る、遠慮がちに、でもしっかりと、隣に立っている長身のハンサムな男を見上げて、舞彩は観察をする。


 凄い。みなちゃん、大人だわ。だって婚約者と別れてから、そんなに経って無い。なのにこんなに素敵な彼氏と、こんなに高級大人旅館に来るなんて。凄いみなちゃん、とっても凄い……。


 でも信じられない。いつの間に?



「ま、舞彩こそ、なんでここにいるの?」


 慌てた湊が、舞彩の視線の先、祐介の前に立ってあたふたと言う。

 その様子を見て、祐介は勘を働かせた。ふーん。

 舞彩は無邪気に、顔を輝かせて言う。



「ふふっ。あのね、ここ、舞彩のお祖母ちゃんちなのっ」

「何っ!?」


 何ですとっ?! お祖母ちゃんちっ?!

 お祖母ちゃんちって、こんなに広くて立派なのかっ? お祖母ちゃんちって言ったら、今時マンション暮らしだったり築35年の2階建て一軒家だったり田舎の農家だったり、ってそうではなくてっ!


 あ、あ、あ、あたし、結局どうすればいいのっ。



「こんにちは、初めまして」


 

 背後から祐介の声が聞こえ、湊はビクぅっとなった。



「藤田と言います。宜しくお願いします」

「は、初めましてっ。……あの、みなちゃんとは……」

「何に見えます?」



 ニコッと洗練された、優雅な微笑み。ああ、これに有権者は騙されるのね、と湊は目が白くなった。


 

「え? えっと……あの……」

「君達、秘密は守れるかい?」



 そう言って彼は少し前屈みになり、舞彩と従妹の目線に高さを合わせる。

 それだけで、二人はドキッとした様に顔を赤くした。



「彼女はね、僕が頼んで、1日……婚約者になってもらっているんだ」

「……え、ええっ?」

「誰にも内緒だよ?」



 笑いながら人差し指を唇に当て、しーっとしてみせる。ああもうなんか、黒い黒い黒いっ。

 後ずさる湊。そんな事を知らない彼女たちは、祐介の雰囲気もさることながら、その何となくスキャンダラスな内容に浮足立っていた。


「……なんで……っ」


 興味爆発、妄想炸裂、この人達はどんな世界で、どんな関係で、どんな事を繰り広げちゃってるのっ?



「実は僕は、報われない恋に悩んでいるんだ」

「はい?」



 予定外の突っ込み、ならぬ大声。思わず湊は聞き返した。この人今、何てった?!



「その人以外の人と一緒になる事など、僕には考えられないし耐えられない。ところが、僕の結婚を急かす輩がいてね。彼らをけん制して時間稼ぎをする為に、今日は代わりに彼女を連れて来たんだ。信頼出来る友人を、婚約者として」



 そう言って微笑みながら、湊に視線を投げる。ちょ、え、……は??!



「……な……げ、あ……」


 言葉にならない。マジで、日本語が喋れない。酸欠状態の金魚みたいに、口がパクパクする……。


「……が……っ」


 舞彩も、言葉を詰まらせた。

 あまりの内容に彼女も絶句しているのだろう、と湊が思ったら、


「頑張って下さいっ」


 胸の前で自分の両手を握りしめ、彼女は感極まった様子で言った。



「応援してますっ。その道ならぬ恋を、必ず成就させて下さいっ」

「ありがとう。そうするよ」

「絶対絶対、諦めちゃダメですよっ」

「……」



 うっそでしょ?

 ……恐ろしい。その笑顔が、恐ろしい。まとまりました。



「みなちゃんとは、どういうご関係なんですか?」

「学生時代の知り合いでね。友達の友達だったかな。当時から、彼女の聡明さと美しさは際立っていた。この人を連れていけば、誰にも反対なんてされないだろうと思って、拝み倒したんだ」



 つるつるつるー。流しそうめんの様に滑らかな口調ー。もう、どうとでも好きに言って。



「厄介な頼み事を引き受けてくれて、ありがとう」

「……どういたしまして……」



 にこっと完璧に微笑まれ、湊も精一杯、お得意の笑顔(筋金入り)で返した。

 ここにも一人、策士がいたわ。立て板に水のごとし、口から出まかせを滔々と語る輩が。いえいえこっちの方が本家本元、あの童顔男の方が可愛いものかもしれない。


 みなちゃんまた後でねー、頑張ってねー、と手を振る彼女たちを見送りながら、祐介が笑顔を崩さず湊に言った。



「田村桃、封印だな」

「え?」

「知り合いがいるんだろ? ボロが出る。しかもあっちの若い方は、絶対口を閉じる事が出来ない。人の口には戸を立てられぬ、ってヤツだよ」



 あっちの若い方、とは舞彩の連れの方。確かに10代特有の、好奇心と戸惑いが同居していた。

 祐介はくるっと振り向くと、湊を見下ろし、

 今度は同じ笑顔でも全然違う輝きで(だから黒いっ)、彼女に言った。


「と言う事で。宜しく、藤堂湊ちゃん」



 ……って、知ってるじゃん、あたしの本名っ! しっかり調べてるじゃないのっ! 

 この、得体の知れない危機感って、何っ?





 虎太郎が洗い場の鏡の前でボーっとしていると、後ろから俳優仲間に頭を小突かれた。


「おーい。温泉入ってる時ぐらい、演技忘れろよ。何のための温泉だよ。リラックスしろよ」

「……ああ。だな」

「ったく、真面目なヤツだよなー」


 頭の切り替えがうまくいかないタイプである事は、自覚している。一つの役にのめり込むと、私生活までそのキャラクターに支配されてしまう事もしばしば。

 だからこそ、プライベートでは余計に直感で動くのだろう。


 湯船に入ると、先程の友人が寄ってきた。



「なあ。あんな共演者、いたっけ?」

「は? 何の事?」

「ほら、あそこ。スッゲーいい男がいる」

「……お前、そっちの気があるのか?」

「ちげーよ、そんなんじゃねーよ。じゃなくて、ほら」



 確かに、風呂の中なので体つきまでは見えないが、バランスの取れた肩と精悍な顔つきの、30前後の男がいる。

 あれ? と虎太郎は思った。



「な? すごくいい男だろ。あんなヤツ、素人じゃそうそういないって。俺らん中にいたかな?」

「……彼、どっかで見た事ある……」

「やっぱ共演者? スタッフ?」

「そんなんじゃなくって、えっと……あ。あの人、政治家だよ。議員」

「え、そうなの?」


 友人は目を丸くして、虎太郎を見た。

 

「そうだよ。すこしはニュースも見ろよ。イケメン代議士、って割と有名だぜ? それを自分の仕事仲間と間違えるなよ、バカ丸出しだろ? 少しは身内の顔を覚えろよ、せめて仕事中は」

「あ、そっかそっか」



 あいつきっと、いつかテレビに出るぜ。バラエティかなんかで顔を売るに決まってる、と友人が囁く。

 虎太郎は付き合い適度に、苦笑した。







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