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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
残る体温-無理? してるよ-
35/54

 夜、舞彩まあやは自室で、従妹と携帯電話で話していた。


「彼氏にも、友達にも振られちゃったー」

「いいじゃん、まーちゃん一人でくれば。久し振りに楽しいよ! おばあちゃんも楽しみにしてるし!」

「……そうだよねー」

「そぉだよぉ。それでさ、彼氏の事、聞かせてよぉ。かっこいい?」


 従妹は今年、短大に入学したばかり。舞彩を姉の様に慕っていて、一人っ子の彼女はそれが嬉しかった。自分が年上顔を出来るのも、かなり嬉しい。


「うん。実はね、……超かっこいい!」

「きゃーっ」


 昔から可愛くて男の子に人気の舞彩は、従妹の憧れの的だった。だからこそ、羨望と尊敬の叫びが黄色く上がる。

 そして何より、一番気になる事は。


「ね、ね。……えっちは、もうシたの?」

「そう言う事は、会ってから話してあげる」


 恥ずかしさを一割程込めて、舞彩は大人の女性らしい口調で返した。

 それが更に、従妹の興奮を煽る。


「えーっ。じゃ、もうシたんだーっ」

「ふふっ」


 こうやって他人に手放しで喜ばれると、自分が本当は最高に幸せの女の子に思えてきた。拓也に対して、言葉では上手く言えない不安を抱えていた事が、とてつもなく杞憂に感じる。

 なんだか満たされた気分になって、舞彩は言葉を続けた。


「でもさ、おばあちゃんもおばさんも、忙しいんじゃない? 何かの貸し切りなんでしょ?」

「うん。パーティーの二次会が、大部屋であるみたい。政治家の資金集めだって」

「ふーん。老舗旅館だもんね、ウチ」

「まあね。それに今は、紅葉が見ごろだし」



 舞彩の母は、老舗旅館の次女だった。今は叔母が継いでいるそこは、高級温泉旅館として有名で、旅行パンフレットではいつもトップに乗っている。祖母と叔母はそこの名物女将だ。

 普段なら滅多に泊れないのに、団体客の貸し切りで中途半端に一室余った。政治家と言う特性上、下手に一般客を募るよりは、舞彩が友達でも連れて遊びにおいで、と祖母に声をかけられたのだ。


 だけどしょうがない。拓也くんも、みなちゃんも、急には都合がつかなかったんだもん。

 おばあちゃんも、もう少し早く声をかけてくれたらよかったのに。


 たまには従妹と二人で、夜通しガールズトークに花を咲かせるのもいいかもしれない。






「お母さん、土曜日、ちょっと帰りが遅くなるかも」


 実家のダイニングでかなでが言うと、食卓の上で美肌作りにいそしんでいた母(50代後半)は顔を上げた。


「あら? お友達と泊るって言ってなかった?」

「それやめた。やっぱりお互い忙しいし」

「あらそう。優奈はウチで寝かせていいのかしら?」

「うん、お願い。私、次の日に迎えに行くので、いい?」


 弱冠のヒソヒソ声。ダイニングからリビングへと部屋は繋がり、そこから左右に和室が二部屋ある。そのうちの一部屋に、2歳の娘が寝ていた。

 かなでは夫が長期出張の時、子連れで実家に帰る。つまりしょっちゅう帰っている。

 母は卓上鏡に視線を戻しながら、少し眉根をひそめて言った。


「洋一さんの出張が多いからって、あまり羽を伸ばし過ぎるのはやめなさいよ」

「大丈夫。もう、これでお終い。あの子、遠くに引っ越すんだって。もう遊ばないよ」


 あの子、という学生時代の友達の名は、誰にしたのかもう忘れた。

 あの子と出かけるから、と頻繁に娘を預けるうちに、母も相手の名前を聞く事をやめたから。


 そのあの子、との先日の、電話での会話を思い出す。



『旅行、やっぱ日帰りにしても、いい?』

『いいわよ、別に。どうしたの?』

『……俺、かなでさんに、感謝している』


 電話の向こうで、拓也が僅かに微笑んでいる表情が、目に浮かんだ。



『だから、あなたと二人で過ごす週末が、すごく楽しみ』


『……だけど?』


 かなでが聞き返す。

 拓也はほんの僅か、間を置いた。



『だけど、キスは出来ない。手は繋げても、セックスは出来ない。……それでも、いい?』



 先日の別れ話と言い今の台詞と言い、拓也がこれほど自己主張するのは、奏にとって珍しかった。

 こうやって男になっていくものなのかしら?



『いいわよ。そのつもりだったじゃない。それよりあなたこそ、私に無理して付き合ってない?』

『全然。言っただろ、楽しみだって』



 電話だと童顔が見えないから、声だけは低くて心地良く、大人の色気まで感じる。

 当り前よね、大人の男だもん、26って。


 すると拓也の、あっけらかんとした台詞が飛び込んできた。


『ああ、そうだ。ところでかなでさんさ、何か企んでる?』

『えっ?』




「……ねぇ、お母さん。私、再就職がついに決まりそうなの」

「本当に? この間言ってた所?」


 美容クリーム(拭きとり式)を乗っけた顔で、こっちを見ないで欲しい。優奈なら金切り声で号泣よ。

 かなでは大事な台詞を、母から目を反らして言わねばならなかった。不気味すぎる。


「うん。……そうしたら優奈、面倒見て貰っても、いい?」

「いいわよ、もちろん」


 あっさりと言われる。

 少し拍子抜けした。


「結構、真面目にフルで働く事になると思う」

「お母さんは、いいわよ。洋一さんは、どうなの?」


 そう聞き返す母は、今度はこちらに視線を寄越さない。


 娘の夫婦仲も、彼女の葛藤も、そして決心も、全て分かりきっている様に。


「うん。いいって」


 だから奏も、普通らしく返事をした。

 すると母は、鏡の中の自分に微笑みながら、柔らかく言った。


「……頑張ってね。無理をしないように」




 無理をしない様に。

 私は今、人生の波を泳いでいる。無理をしないでは、人は前には進めない。

 それでも母は、無理をしない様に、と言う。自分も母親だから、その気持ちは分かる。


 ありがとう、お母さん。でも、決心したから。これが私なの。








 事務所のリビングの隅におかれたパソコン。そこに泰成は座って、作業をしていた。

 後ろからユミが覗きこむ。

 そういえば、と気になる事を口にした。


「ねぇ、泰ちゃん。なんで沢畑様、あたしにまわすの? 彼って確か、今は湊ちゃんのお客じゃ無かった?」


 あんなにクセのある客を上手く扱えるのは湊だけだ、と感心しつつも、自分に彼がまわって来ない事を内心ホッとしていたのに。

 仕事ならしょうがない。ちーよりは、あたしが相手した方がマシよね。だって彼女じゃかわいそうすぎる、と姉御肌のユミは思っていた。


 泰成は画面を見つめたまま、少し嫌そうな顔をした。



「……あいつはもう、この仕事を辞めるんだよ」

「え、そうなの?」


 驚いて、間近にある泰成の後頭部を眺める。

 微動だにしない彼。

 ユミお得意の、女の第六感が働いた。



「……もしかして、クビ?」


 ギクッとなる泰成。いや実際にはどこも動いていないが、彼の背中が『ギクッ』と言っている。

 このオヤジ、わかりやすい。

 だから可愛いんだよねー。


「……何でだよ?」

「図星だ。しかもさ、それって泰ちゃんの都合で、じゃない?」

「……っ」

「あ、これまた図星だ。あはー……」



 笑いかけて、なんとも乾いた笑いになってしまった。泰ちゃん、不器用すぎて可哀想……。

 ユミは、湊をクビにした理由は、泰成が彼女に惚れているからだ、と思っていた。

 でもそれだけで、自分の私情だけで周囲をどうこうする男じゃない。

 だから多分、のっぴきならない事情が介在しているのね、と難しいしたり顔で彼女はウンウン、と頷いた。



「人生って難しいねぇ。頑張れ社長。応援してるわ」

「……ちっ」

「あれぇ? でも湊ちゃんって、今仕事に行ってない? 確か政治家さんと一泊出張」


 ソファに寛いで録画をみていたちーが、のんびりとした口調で喋る。厚ぼったい唇に、せんべいのカスがついている。

 それを聞いた由美が、更に身を乗り出してパソコンの画面を覗いた。

 泰成の頭越しにあるそれは、女の子達のスケジュール表。



「あ、ホントだ。いいのぉ、行かせちゃって? でもあの仕事、アレ、湊ちゃんじゃないと無理よね。じゃ、しょうがないか。ね、社長?」

「黙れユミ。いいから千清ちせ、お前も行って来い」



 そう言った泰成は、年甲斐もなく少し膨れながら、キッチンに飲み物を取りに行く。

 パソコンの画面はそのまま。従業員のスケジュールは、基本的にオープンにしている。クラブの様な出来高制とは違う。お互いが補完し合うから、過激な競争は必要無い。ここは、大人の秘密の癒しをうる所だから。



「ちーも泊りだっけ? 関様と」

「そうだよ。名古屋。うなぎパイ買ってくるね」

「あの人、ちーがお気に入りだねぇ」

「ちーもお気に入りぃ」



 千清はそう言いながら荷物を持ち、ユミと並んでパソコンをチラッと覗いた。

 細い指で、画面の一か所を指す。



「いいなぁ、湊ちゃんの旅館、ここ? 高級なんでしょぉ? 老舗温泉旅館ー」

「いいから、行け!」

「こないだ拓ちゃんが来た時に、ここのパンフ持ってたー。紅葉が綺麗なんでしょ? そっか、湊ちゃん、そこに行ったのかー。お金ある人はいいなー」



 ちーもそんなお金持ちのお客さんと行きたいなー、じゃあねー行ってきまーす、と言って、緊張感無く彼女は出ていった。プライベートで、自力でそこを訪れようという発想は無いらしい。

 ちーらしくって少し肩をすくめたユミは、そのままソファに座り、千清が途中だったドラマの続きを見始めた。

 

 数十秒後、泰成の低い声が聞こえた。


 

「……おいちょっと待て」

「もう行ったよ?」

「拓也が、あの旅館を見ていた?!」



 血相を変えて、彼がキッチンから飛び出してくる。

 手にしたコップからお茶が跳ねて零れている。

 ユミはビックリした。



「知らない。あたし、名前なんて覚えてないもん。ちーって案外、すごい記憶力よね……って、どうしたの?」



 泰成は猛ダッシュでパソコンの前を陣取ると、凄い形相で操作し始めた。


「ここかっ?」


 ユミに見せた画面は、紅葉鮮やかな、趣きある純和風家屋の写真。古いが、高級感が漂う。

 すぐに彼女は、あー、と声を上げた。


「そうそう、これこれ。この写真だった、拓也が持ってたパンフ。彼女と行くのかしら? 奮発するわねぇ」


 言いながら再びパソコンに近づく。マウスに手を伸ばし、そのホームページを勝手に触り始めた。「そっかぁ。日帰り温泉もあるのかぁ。こんなに高級そうなのにぃ」とか呟いている。

 泰成は、呆然としてその画面を眺めた。



『今週末に、けじめ旅行』



 拓也の言葉が、頭の中でくわんくわん、と鳴り響く……。



「なんて顔してるの。……あ、ひょっとして拓也が、湊ちゃんの仕事を邪魔しに行くとか思ってる? え、じゃあやっぱあの二人ってデキてたの? やだっお似合いっ」



 中途半端に文脈を読むのが得意なユミは、泰成の顔を見て騒ぎ始めた。やっぱりー、とか、いいかもー、とか、似たものカップルー、と言って喜んでいる。数分前まで、泰成が湊に惚れている、と信じていた割には容赦が無い。

 椅子に座り、なおも顔色真っ青で固まっている泰成を見ると、やれやれと言う様に苦笑して言った。



「だーいじょうぶよぉ。いくらデキてたって、あの拓也が嫉妬に駆られて追っかけたりする訳、無いじゃん。そういうのからもっとも縁遠い、かったるーい男なんだからぁ。変に現実主義だし。それにさ、この仕事を湊ちゃんに紹介したのって、彼でしょ?」



 ……拓也あいつ、あいつがかなでちゃんと一緒に、藤堂がいる旅館で鉢合わせたら……


 どっ、どーなるんだ一体っ!!



 泰成は目の前が真っ黒だか真っ白だか真っ黄色になって、つまりは現実空間から完全に退場していた。いいからお前はベンチに引っ込め、と神様に放り投げられた気分、って何言ってんだよ俺はっ。



 人んちの家庭の事情、他人の色事、ってそんなレベルじゃねぇだろっヤバいぞこれはっ。

 だってかのじょは俺の妹で、強いては藤堂あいつも妹で、そんでつまり俺は兄貴で、

 しかも相手の男は俺の弟分で、

 

 そんでこの悪夢の危機、確実に半分は俺のせいっっ!!



 そんな彼の前でユミは首を傾げ、「あれ? でもだとしたら、なんで自分の彼女にこんな仕事させてんだろ……うわー、歪んでるぅっ。何プレイ?!」とか言っている、それが彼にトドメを刺して、あああもう、死ぬほどヤバいっ!!



 この場合、一番傷つくのは、確実に藤堂あいつ。守ってやるって彼女に言ったのに。



 何が何でも止めなきゃっ、って止められんのか、俺っ?!







 深夜に及ぶドラマの撮影に、虎太郎は肩をまわした。甘いものが飲みたくなって、自販機に向かう。

 頭が少し痛い。目の奥が凝る。喉もヒリついてきた気がした。でもこの疲れは、過密スケジュールな仕事のせいばかりじゃ、ない。


 かのじょとの関係。今が正念場だ。

 鮮やかな彼女。涼やかで、のびやかな彼女。どうしても、手に入れたい。その事ばかりが頭を支配する。感性で動くタイプの自分には、仕事に支障が出るんじゃないかと焦っていた。

 いや、彼女を捉えたくて焦っているのか。


 飲み物に口を付けていると、少し離れた場所にいるスタッフの声が耳に入った。


「今度のロケ地、日帰り温泉が近くにあるらしいよ。かなり感じイイらしい」

「マジッすか? うわ行きてー、でも行けっかな?」


 行けるかな?

 甘い缶コーヒーを飲みながら、傍で聞いていた虎太郎も思った。


 気持ちいいだろうなぁ。……温泉か。

 いつかかのじょと行きたいな。



あれ? 主人公たちが出てこない?

それにしても、大変な事になっております。これで第4部は終了です。

少し間を空けて、第5部突入です。


どうなるのか? ロクな事にはならない、と言う事は皆さまのお気付きの筈(苦笑)ホント、どうなる事やら。

はたして湊は、拓也が自分の姉と不倫をしていた事に気付くのでしょうか?

その前に泰成は、それを止める事が出来るのでしょうか?

そして舞彩は……虎太郎は……

それを(傍で)見た祐介は……


ああ、ややこしい。



いつも目を通していただき、ありがとうございます。

このお話が、皆さまのお暇潰しとなりますように……。



戸理 葵

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