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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
残る体温-無理? してるよ-
30/54

 まずいまずいまずい。今日のアレは記憶から抹消っ。

 さもないとさもないと……とんでもない事態が待ち受けてる気がする。舞彩まあやとの泥沼、会社での噂、同じ部屋で劣情が止まらない二人……

 って、あたしは変態かっ! ああ、いやらしい妄想が止まらないっ。

 そうだ、そもそもあの男が本気な訳がないんだ、軽くムカついた女にした仕打ちがアレなんだ、つまりはそーゆー男なのよ、天然ホストの血が脈々と体に流れているのよっ。


 だから舞彩っ! 奴はやめろって! くっそー、自分がこんな立場じゃ無ければあの子にチクリたいっ!




「うるせーな二度と俺に電話を寄越すなっ」



 事務所の奥、閉じられた扉からの大声。

 いつもニコニコ現金払いを数えていたみなとは、札を弾くその手を止めた。



「……何、あれ?」

「お父さんよ、多分」

「だよね。泰ちゃんがあんなに熱くなるのって父親くらいだもんね」

「父親?」



 ちーとユミを交互に見つめる。

 ちーは事務所のソファに身を沈め、両手を前で組むとうっとりとした顔で言った。


「そう。かっこいいパパなんだよー。お医者様でね、たいちゃんを柔らかくして知性と品を加えた感じ? 大人の男の魅力満載で、ダンディで」

「悪かったな、俺には柔らかさと知性と品が欠けていて」


 いつの間にやらソファの背後で、泰成が威圧感を持って見下ろしている。

 ユミは彼女の隣で白い眼をして言った。


「ちーはすぐ話をそっちに持って行くー」


 湊は札を封筒にしまいながら、話に乗った。


「でもあたしもオジサマ好きだから分かるなー。この間ね、すっごい好みのオジサマに声をかけられたの」

「湊ちゃんもそっち系?」


 ユミの呆れた声。湊は笑顔を崩さない。いいじゃん、現実逃避させてよ。



「上品なポロシャツを着たロマンスグレーの人でね、歳は若く見えたけど多分60前くらいなんだろうなぁ。今思えば首の付け根に少し傷跡があった。あれも良かった」


 それをきいたちーは、少し眼を丸くして彼女を見た。

 その隣でユミは相変わらずの態度。


「何フェチよ、一体」

「行ってきまーす」



 湊は玄関へ向かった。その後を泰成が、少し焦った様子で追いかけてきた。



「なあ、その男って、何の用があったんだ?」

「知らない。お姉ちゃんと人違いされただけだから……え? 何でそんな事聞くの? ひょっとしてこのお店の関係者?」



 湊は一瞬身構えた。

 泰成が顔色を変えるなんて、仕事がらみとしか考えられない。あの人、見た目と違ってヤバいお客だったのかしら? お姉ちゃんの名前を出したけど、実はあたしのストーカーとか? え、でもあたしあんな人知らないし。

 そんな彼女の様子を見て、泰成は驚いたように軽く手を上げた。


「いや、まさか」

「……ふーん?」



 不思議な沈黙。目が呆然としている泰成。何これ?


 ……ま、いっか。


「行ってきまーす」


 パタン、と湊が出ていった扉を、泰成が固まって見送った。

 その後ろから、ちーがそうっと近づく。

 恐る恐る、彼に小声で言った。


「……確かおじさんも、首に気管支挿管のアトがなかった?」

「……」


 なんだこの嫌な予感は……?

 あのオヤジが、わざわざ、会いに行った?


「……それで今、……娘を、捜してるんでしょ?」


 親戚故に、ちーは三田家の複雑な家庭事情を知っている。彼女の母親が、泰成の父親だ。


 泰成は片手で口を覆った。

 先日会った、かなでの姿が思い出される。


『私、不倫で出来た子なの』



 ……嘘だろ、おい。勘弁してくれよ!







「ああ面白いね。彼、絶対君に気があるよ」


 高級フレンチの席で、祐介がクスクスと肩を震わせながら笑った。

 彼の身なりと雰囲気が、この店に嫌味なくらいマッチしている。上品な中のちょっと鋭い瞳が、ギャップを生みだして色っぽい。

 湊は何となく恥ずかしくなりながら、赤ワインに手を伸ばした。今日のメインはラム。


 来るパーティー同席にあたり、二人のデートを既成事実として作っておこうという計画だった。この店は彼の家族や関係者が御用達にしている所。


 湊は少し俯いて、照れ臭さに口を尖らせた。スリットの割と深く入ったタイトスカートの中で、足を組みかえる。誰に見られてもいい様に、一応の勝負服。会社のロッカーに忍ばせておいた。着替えて出る時、何人かの同僚に冷やかされた。


 その時、拓也とは会わなかった。



 彼が、あたしに、気がある?



「……それはまあ、薄々、何となく、ぼんやりとは感じてますが……」


 仮にそうだとしても、あたしと彼とじゃ、かなりの温度差があるだろう。だって彼は舞彩とラブラブじゃん。



「かっこいい彼氏と秘密の恋をしながら、身近な年下の彼に振り回される。そして秘密の仕事を抱えながら、僕とこうやって食事をする」


「その前にバイの彼氏と婚約破棄、があります」


「そうか。波乱万丈紆余曲折。これだから人生は、ってやつだね。それにしてもこういうお仕事の女の子から、プライベートの話を聞くとは思わなかった」

「す、すみません」



 慌てて頭を下げる。誰にも言えない本音を、ちょこっとこの人にぶちまけてしまった。

 しかも、ヨシを好きだ、なんて。

 男女の駆け引きが無い、ビジネスライクな間柄のせいだろうか?

 それとも彼の、物腰の柔らかさからくる安心感からかしら?



「いいよ、楽しいから」



 祐介はテーブルに肘をつき、笑顔で目を細めて、本当に楽しそうに言った。



「でも君、幸せになりたくないんだろう?」



 声のトーンも流れも変えずに言われたので、湊は一瞬理解出来なかった。



「……はい?」

「聞こえなかった?」



 声の柔らかさも、笑顔も変わらない。目なんて、更に笑っている。だから湊は益々混乱した。



「……あの、おっしゃってる意味が……」

「別に不幸になりたい訳じゃない。けれども幸せにもなりたくない」



 微笑みながら言って、彼はパンをちぎった。それを口に運ぶ。

 咀嚼しながら、何か裏を含んだ瞳で湊を見つめた。



「違う?」


「……あたしがですか? 何で?」


「さあ? それは自分に聞いてみればいいんじゃないかな? ま、そこまで自分に興味があればの話だけど」

「……」


 笑いながらも、どこか冷たさを感じる台詞。

 湊は訳も分からず、背筋がゾクっとしてきた。


「本命の彼と結ばれなくて、もがいている自分が好きとか。親友を裏切り、彼氏に対する後ろめたさもあり、それが甘美な媚薬となって、ベッドで余計に盛り上がる」

「……」



 柔らかに紡ぎだされる声に、悪意は感じられない。むしろ事実を淡々と述べられている様。

 しかも図星な気がして、湊は自分の息が浅くなる気がした。

 

 落ち着け、落ち着け。

 ひょっとして、怒らせた?

 あたし、試されてる?


 すると彼が湊を見て、にこっと微笑んだ。



「なんてね。ちなみにコレが、女性を落とす時の、僕の常套手段」

「はい?」


「こうやって、相手を分かった振りをして、決めつける。相手が否定したら『それは君が本当の自分を知らないだけだ』と言いくるめる。すると大抵の女性はそんな気がしてくる。そこにすかさず『本当の君を理解しているのは僕だけだよ』みたいな事を、耳元で囁くんだ」



 呆気に取られる彼女の前で、彼が満足そうに口角を上げた。



「そうすると、大概一発でオチる」

「……」



 湊は、口がパクパクと開いてしまった。

 く、く、



「……く、黒ーいっ!」


 ああ、人にナイフを向けてはいけません。フォークもダメです。


「よく言われるよ」


 祐介はすましてワインに口を付けた。


 ちょっとちょっと、いくらお互い最低限の事は理解しておこうって言ったって、この本性丸出しのカミングアウトって何よ?

 そっか、僕の腹黒も知っておいて頂戴、それは周知の事実だからね、みたいなやつ? こ、恐い恐い恐いっ。



「その黒さで、数ある女性もさばいて、その内の一人を今回のパーティーに連れていけばいいのでは?」

「僕は余計なトラブルは極力避けたいタイプなんだ。その為の根回しには、力を惜しまない」

「……笑顔で言う事ですかね……」


 湊は引きつり笑いを浮かべるしかなかった。陰謀とか裏工作って言葉がぴったりだわこの人。政治家だから? 職業病? それともDNA?



「と言う事で、会場の近くに身内が温泉宿を取った。一泊二日、申し訳無いけどお願いするよ。もちろん、天に誓って神に誓って、君には何にもしないからご安心を」


「……天も神も信じていなそう……」

「……」

「しかも笑顔で無言だし」


 湊はどっと疲れが出てきた。

 いやー、この人ってキングオブ外面だわ。あたしだって外面愛想がいいけど、ここまでお腹の中は黒くないもの。


 不意に祐介がクスっと笑う。


「桃ちゃん、食べる姿が綺麗だね」

「え?」

「上品だし、洗練されている。テーブルマナーも完ぺきだ。パーティーの為に勉強したんだろう? ……頑張ったね」

「……」

「でも君には、元から品が滲み出ていたよ」

「……」


 甘く煌めく瞳と、柔らかい笑顔。

 ……この人、これ以上何を企んで……


「……ひょっとして、先程から、下げて上げるってヤツを……」

「もちろん。効果あったろ?」


 湊は軽く目眩を感じた。出来る事なら手にした白いナプキンを投げたい。タオルの代わりに。

 寒いっ。寒いですっ先生っ。油断も隙もなくって、なんだか食事が喉を通らなくなってきましたっ。


 あたしにこれ以上、プレッシャーを与えないでっ。






 ……つっかれた……。

 

 湊は車から降りて溜息をついた。家まで送ると言ってくれた祐介を断って、それなりに離れた所で降ろしてもらった。

 一応形だけの申し出をしていた祐介も快諾してくれた。

 そりゃそうでしょ、場所をしられるのもマズイけど、流石に本命の彼と同居している事までは言っていない。

 言ったら……なんかすごく軽蔑されそう……。



「湊ちゃん?!」



 突然声をかけられて、湊は弾けた様に周囲を見回した。すぐに気付く。目を疑った。

 虎太郎こたろうが、立っている。


 みると彼の後ろには、先日偶然会ったレストランの看板。そっか、彼、よくここに来るって言ってたっけ? 芸能人の隠れ家だって。


 二十日ぶりくらいに見る彼は、やっぱりカッコ良かった。王子さまが、佇んでいるみたい。


 後ろに(彼の仕事関係であろう)人の集団がいる。それが却って、彼を際立たせている。


「虎太郎。久し振りー」

「どうしたの、その格好。……うわ、すげ……」


 彼は目を見開いて、片手で口を覆った。

 その仕草に湊はギクッとなる。


「え? へ、変かな?」


 スリットの割と深い、青と紫の中間色のワンピース。黒いベルトを合わせ、小さなパールのロングネックレスをしている。耳元にも、揺れるパールのピアス。

 似合わない? 気合、入れ過ぎた?


「や、すげぇ……似合う」


 虎太郎は心もち顔を赤くして、ドギマギした様に彼女を見た。

 そしてとても優しい瞳で彼女を見つめる。


「ヤバい。俺、すげぇ嬉しい」



 湊は胸の奥がズクっと疼いた。

 こんなに優しい眼であたしを見てくれるのは、きっと彼だけだわ。

 どうしよう、胸が切なくなる。


 彼は湊にゆっくりと近づくと、正面に立った。そっと両手を握ってくる。

 笑顔で、でも少し掠れた声で言った。



「すごい偶然。超ラッキー。今日、すげぇついてるわ」


 その掠れた声が、彼の渇きを表している様で。ひょっとしたらお酒を飲んだせいなだけかもしれないけれど。

 でも、彼の瞳の熱さは、多分本物。


 湊は小さく笑った。



「……さっきから、すごい、すごいって……」

「……会いたかった」

「……うん。あたしも」



 びっくりするほどすんなりと口から出た。あたしも、会いたかった。抵抗なく言える、あたしって嫌な女だ。

 だって彼がマメにくれる電話を、なんの疑問も無く受け入れ、でもそれ以上の事を欲していなかったのだから。

 会いたい、なんて。特に思ってない。


 でも、目の前の彼の笑顔を見ていたら、彼が望む台詞を、躊躇い無く言えてしまう。


 

 虎太郎が少し潤んだ瞳で、彼女を見つめる。熱の籠もった声で、囁く。



「湊ちゃんち、この近くなんだろ?」

「え? あ、うん……ん?」


 あれ?


「俺、行ってもいい? 散らかっててもいいから」


 きゃーっ! やっぱり今日も忘れてたーっ!



「ええ? あの、その……あの人達は?」

「大丈夫、もうお開きだから。それよりも……君と、離れたくない。つか、離したくない。……うわ、俺、台本無しでこんなコト言ってるよ。痛ぇな」


 

 照れた様に顔を伏せる彼。

 やだやだ、そんなに純朴に語らないでよ照れないでよっ、嬉しそうにしないでよっ。



「ちょ、ちょっと待って……実は、あの、弟と住んでいて……」

「弟さん? そうなんだ。じゃあ挨拶しよっかな」

「えええ! そんな軽くっ?」

「いいでしょー、身内くらい。何なら俺、ご両親にも挨拶してもいいよ?」


 親にっ? 家族にっ?


 いや百歩譲ってそれはOkとして、いえいえ譲るなんておこがましい身に余る光栄なのですが、「出会いは何処で?」「レンタルハニーと言うものでして」あり得ないっ!

 あれ、弟? そうかヤツは弟ではないし、別にあたしの彼氏を紹介したところで何の支障も無い訳で、そうじゃなくて今阻止するのはヨシとの同居がバレる事で、


 ああ、パニクってきたっ!



「冗談だってば」


 頭上から虎太郎の苦笑した声が聞こえてきた。

 顔を上がると、やっぱり少し潤んだ瞳で見つめられる。


「……やっぱ、ダメ?」


 長い睫毛。大きな黒目。通った鼻筋。柔らかい唇……


「……ちょっとだけなら……」


 ああっ、あたしのばかーっ!!






「お邪魔しまーす……」

「あの、お茶入れるね。あっちがあたしの部屋だから、入って入って」



 興味深げに中を覗き込む虎太郎より先に、湊はバタバタと玄関を上がった。

 拓也には何度電話しても繋がらない。しょうがないから「今彼氏が訪問中っ! 帰宅禁止っ!」のメールをした。でも夜10時を回ったこんな時間、帰宅禁止メールを貰った所で、拓也だってどうしようもないだろう。


 こうなったらとっとと彼をあたしの部屋に押し込めて、その後からこっそり帰ってきてもらうしかないっ。そんでヨシは朝まで自室に監禁よっ。



「いいよ、こんな時間に。仕事で疲れている人が動かないで。俺が押しかけただけなんだから」

「でも」

「こっち、来て」


 

 キッチンに立った湊の後ろから、虎太郎がそっと腕を掴む。

 振り向くのと同時に、彼の腕の中に包み込まれた。


「こうしたかっただけ。外だと、人の目があるだろ? だから来たんだ。ごめん、振り回して」



 耳に染みわたる、心地よい声。

 久しぶりの彼の腕の中に、何とも言えない温もりと甘さを感じて、湊は顔を上げた。

 彼女を見つめる彼の視線と、絡まる。



「出会った時から、俺の我儘で振り回してばっか。本当に、ごめんね」

「……そんな……」

「毎日、湊ちゃんの事ばかり考えていた……」



 唇にかかる、彼の吐息も甘くなった。

 そう思った時、湊は唇を塞がれた。


 今日、二度目のキス。

 だけど彼との、二十日ぶりのキス。


 

「毎日、こうしたい……」



 耳元で囁かれる声には、彼の想いと欲が溶けあっている。

 それが彼女の、心を溶かす。


 湊が薄く息を吐いたら、彼の親指が口の中に軽く入り込んできた。口内を少し引っかきまわす様に動く。

 その指に思わず舌を這わせようとしたら、再び彼の唇で塞がれた。


 彼の舌が激しく口淫するように掻き回す。情熱的なその熱に、彼女は足元をすくわれそうな気になった。

 このまま絡め取られて、どこかに連れて行かれそう。


 

 その時。



 がたっと物音がして、二人は反射的に顔を離した。


 

 拓也が、靴を脱ぎかけた姿勢で、丸い眼をして固まっている。

 


「……えっと……」



 ポカンとした口から、拓也の戸惑う声が漏れた。



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