表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
残る体温-無理? してるよ-
29/54

2 キス

 日曜日、みなとは公園にいた。

 そこは住宅地にある割と小さな公園で、いくつかの遊具、砂場、そして適度な木陰とベンチがある。

 湊はそのベンチの一つに座って、砂場に群がる子供達を見ていた。

 気の強い姪が、早速他人のスコップを使って穴を掘っている。持ち主らしい3歳くらいの男の子が、恨めしそうにそれを見ている。


 子供のやる事。だから放っておきたいんだけどそうはいかない。ほらあたしって、外面がいいから。


「優奈ちゃん、それ、お友達のでしょ?」

「やだ!」


 2歳の姪がキッとこちらを睨んだ。あんたが嫌なのは知ってるって。でもね、この台詞、あんただけに言ってるわけじゃないのよ。


「でも、『かして』ってまず頼まないとダメでしょ? 言ってご覧?」

「……」

「優奈ちゃん」

「いいんですよ」



 湊と同じくらいの年頃の女性が、笑顔でこちらに声をかけてきた。どうやら持ち主の母親らしい。湊は眉を下げて「すみません」と頭を下げた。目的達成。子供がトラブルを起こした時、注意すべきはその相手でなくてその母親。だってどう考えたって面倒臭いじゃん。母親って子供と一心同体らしいから、自分の子供がやられたら過剰反応するらしいし?


 今日は姉のかなでに頼まれて、天気の良い休日に子守りをしている。こういう事は割とよくあるので、湊は姪の取り扱いに馴れていた。


 あーあ、こんな事にまで気をまわせるあたしって、いつでも子供が産めるよね?

 

「ぼく、かしてくれてありがとう」


 男の子に笑顔を向けた。すっごい、子供にまで気ぃまわしちゃってるよあたし。どこまで愛想がいいの。きっと母親になったらご近所さんの人気者だわね。


 再び遊び始めた子供達を、ベンチに座りなおしてボーっと眺める。ふと考えた。



 例えば虎太郎との結婚。

 あり得ないくらい、現実味が無い。でもあの人、きっといい父親になるわ。



「関、かなでさん?」



 急に声をかけられた。驚いて顔を上げる。

 そこには、仕立ての良さそうな品のいいポロシャツとパンツを身につけた、50代くらいの男性が立っていた。バーで声をかけられたら思わずついていきそう。ロマンスグレーってモロタイプ。

 湊は、年上好き。


 だけど、子供でなくても、知らない人について行ってはいけません。

 というか、公園で声をかけられるのって普通子供でしょ? なんであたし?


 しかもなんで、お姉ちゃんの名前??


 だからせっかく好みのタイプが相手でも、彼女はなんとなく警戒をした。



「……どなたですか?」

「……ああ、私は……」

みなとちゃーん!」



 優奈がスコップを振り回してこちらにかけてくる。ああ、泥が飛び散っている、あの男の子の目が吊り上がってる、優奈、パクッてると思われてるよっ。


 優奈の台詞で湊が奏で無いと気付いた男性は、少し焦った様に言った。



「……あ、すみません。人違いしました」

「失礼ですが、どなたですか?」

「いえ、あの、昔の知り合いでして。たまたまお姿を拝見して……申し訳、ありませんでした」



 とっても怪しい、嘘くさい言葉。

 ところが彼の態度は好感が持てて笑顔も素敵だったので、湊の警戒感はそれ以上は上がらなかった。


「……はい」

「失礼します」


 彼は優しい、素敵な笑顔を残して公園を去って行った。

 その後ろ姿を湊は眺める。小首を傾げた。


 ……でもさ。住宅地の中の小さな公園を、たまたま通りがかった、って……何で?

 近くに住んでいるとか? そうか、そうよね。

 昔の知り合い? なんだろう? そうだ、同級生のお父さん?

 あり得るあり得る……

 ……か?






 翌日。

 舞彩まあやが書類を持って会社の階段を上っている時、上からバタバタと足音が聞こえてきた。

 馴染みの声が近づいてくる。


「あっ……」


 拓也くんと、みなちゃんだ。

 彼女の心は跳ねあがり、二人に声をかけようとした。

 

 二人は、険しい顔をしながら勢い良く階段を下りてくる。拓也が手にしている書類を二人で覗きこみながら、足の勢いは緩めない。



「なんでそう思うの?」

「だって疑問に思うならそれくらい調べなきゃ。売り上げの企業別明細と掛けと手形のサイト、リストアップしてみようよ」

「実はやったぜ」

「ホントに?」


 

 舞彩はその勢いに押され、声をかける事が出来なかった。

「……」

 二人が彼女の側を通り過ぎる。



 その時ふと、拓也が顔を上げた。

「あ、舞彩ちゃん。じゃあね」


 彼女の大好きな、笑顔。


「え、舞彩? あ、行ってくるねー」


 湊が明るく手を振る。

 舞彩はやっと、金縛りが解けた気がした。


「いいなー、どこ行くのー? 舞彩も行きたーい」

「ほんとー? あたしも代わって欲しいよー」


 言った後、湊はニヤッと笑って拓也を見た。


「でも舞彩と二人で外訪なんて行ったら、ヨシが何をするか分からないねぇ?」

「やめろよ。オヤジみてぇだぞ」

「ひゃー、ラブラブぅ」


 拓也の代わりに、舞彩が赤くなった。

 拓也は冷ややかな目を湊に向けた。


「人の事をあんまつつくと、あんたの事もいじるよ?」

「照れてる照れてる、喜んでる。じゃあねー、舞彩」


 湊は肩を竦めると、わざとらしく背中を丸めて逃げて見せた。

 拓也も後に続こうとし、ふと舞彩を振り返った。ドキッとする。

 

 彼は、軽く片手を上げて、親しみを込めた笑顔を見せてくれた。そして急ぎ足で去っていく。


 舞彩は立ち止って、それをじっと見送った。胸が、柔らかい切なさで優しく締めつけられる。

 彼とは昨日の日曜日に会ったばかり。最後には、ホテルに行った。だから今日は、心が満たされている。


 抱き合う度に、ドンドン好きになる。


 そしてドンドン、貪欲になる。


 前は好きな人が近くにいるだけで、幸せだった。

 そしてその人が笑顔をくれると、幸せになった。

 その人と肌を重ねる事と、もっと幸せになった。

 私は望むものを全て、手に入れた。

 


 なのに。恋って貪欲だ。

 幸せになればなるほど、望みは形を変えていき、どこかに不安は無いかと心が捜す。



 もっと。もっと。






 会社を訪問した二人は、外の公園にいた。ベンチに座っている。時間は昼食時。二人はカフェで買ったサンドイッチを手にしていた。

 込み入った話をしたくて、けれども人には聞かれたくなくて、この公園を選んだ。昨日湊がいた所と違い、花壇はあっても遊具は無い。噴水はあっても砂場は無い。従って、小さな子供を連れた親子連れは殆んどいない。むしろビジネスマンやOLばかり。


 湊はファイルを膝に広げ、感嘆のため息をつきながらサンドイッチを頬張った。



「それにしても良くここまで調べたよね。飲み込みが早いってか、要領良すぎ。あたしここまで教えてないよ」

「最初から教えてないだろ。俺にテキスト投げてよこしただけで」



 拓也が偉そうにベンチの背もたれに身を預けながら、足を投げ出してサンドイッチを食べている。

 湊は下からジロッと睨み上げた。



「投げてません。渡しました」

「はいはい。それで寝ちゃったんだろ?」



 寝ちゃった? あ、あの時? た、確かにあたしの方が先に寝ちゃったけど……。

 日頃のクールさと笑顔は何処に行ったのか、湊はサンドイッチを振り回して反論した。


「適切な資料を提供するのだって、充分な労働なんだからねっ。センスが問われるのよっ」


「……わかってるよ」



 拓也が真面目な顔で、小さく呟いた。

 あんたのセンスがいい事ぐらい、知ってるよ。充分にね。


 湊は肩透かしを食らった気分になった。シリアス? 珍しい。減らず口はどこに?


「でもいつそこまで調べたの? 勉強するにしたってそこを捜しだ……んっ!」



 急に湊の動きが止まった。

 口に手を当て、身悶えている。



「~……!」

「……どうしたの?」

「ベロ噛んだ~!」



 彼女が涙目で拓也を見上げた。

 拓也は一瞬、目を剥いた。



「……バカでしょ?!」

「痛ぁい~」

「その歳でそんな事やれるって神業じゃない? 俺、姉貴の子供がやってるトコしか見た事無い。ちなみにその子3歳なんだけど」

「どうしよう? どうなってる?」



 いきなり湊が、小さく舌先を突き出してきた。……舌を、突き出してきた?!

 拓也は思わず固まり、その後最大限、のけ反った。



「……は?」

「血、出てない? 見て見て」



 彼女は白い歯で軽く舌先を噛んで、拓也に見せている。彼女の小さな赤い舌が、拓也の目の前でチロチロと動いている。


 こ、こいつ、俺に何をやらせたいのっ?



「……出てねーよっ」



 拓也は顔を真っ赤にし、必死で酸素をかき集めて呼吸をしてから言った。

 けれども彼女はそんな彼の努力を、いとも簡単にブチ壊す。



「嘘、ホントにぃ? よく見てよ、すっごく痛いんだよ、ココ、ココ」

「知らねぇよ、出てねぇって」

「ちゃんと見てよぉ」

「見せんなっんなもんっ」

「ヒドい~……」



 湊は涙を浮かべて、やっと口を閉じた。手にしていたペットボトルのお茶を飲む。

 拓也は一息ついた気になった。正面に向き直る。


「仮に血が出ていたところで、どうしようもないだろ」

「そうなんだけどぉ……うう、痛い。ね、本当に出ていない?」


 うわ、こいつまた見せやがった!


「……出てたら自分で、血の味がするんじゃねぇの?」



 横目でチラチラと覗いながら、表面だけでも取り繕ってみせる。

 湊はそんな拓也を大して気に留める様子も無く、眉間に皺を寄せながら、口の中でグルグルと舌を動かしていた。


 つか、なんかエロいんですけど、その表情。


 ルームシェアを始めてから、俺に対する彼女の垣根が、高くなるのに穴だらけに見えるのは気のせいだろうか……?



「……わかんなあい」


 こいつっ! 29にもなろうって女がそんな事言うなっ!



「あんたってそんなキャラだった?」

「うぅ、情けない……あー、痛かった」



 しょぼんと肩を落として言う。

 そんな姿を見て、拓也の中で何かが切れた。



 おい。


 いい加減にしろよ?



「ちょっと舌だして」

「え?」

「見てやるから」



 急に嬉しそうな顔になり、湊は小さく舌を出した。

 拓也が真顔で、低い声で言う。



「そやって噛まれちゃよく見えない。口、ちょっと開けて」



 彼女は素直に、口を開けた。

 全く警戒を、していない。太陽が輝く、昼間の公園。人通りもそれなりに。



「!」



 湊は飛び上がった。ゆっくりと近づいてきた拓也の顔が、急に、彼女の唇に重ねられたのだから。

 後頭部に手をまわされ押さえ付けられた直後に、彼の柔らかな舌がぬるっと侵入してくる。

 舌の付け根を、舐め上げられた。


「っ!」


 どうしようもない感覚。体中が一気に粟立つ。

 その間に、彼女の舌は彼に絡み取られた。なんども擦られ、なぞられ、絡まれ、甘く噛まれる。

 口の中の隅々まで、彼の舌が這う。


「……っふっ」


 人が見てるっ何してんのよっせめて人がいない所でっ!

 そんな気持ちが湧きあがって、一気に消えた。

 頭が痺れて、首筋が痺れて、胸の先が痺れて、体の下と奥が痺れる。

 すべてに靄がかかり、彼のキス以外何も考えられなくなる。口内を掻き回されているだけなのに、まるで体中を掻き回されている様。



 ……せめて、人が、いない所なら、……いいの?



 好きな人とのキスって、こんなに感じるんだ。ヤバすぎる。



 彼が角度を変える度に、体の血が逆流する。息が上がってくる。彼女の口内が絡み取られる代わりに、彼の熱が注ぎ込まれる。与えられた唾液を飲み下す事すら、必死だった。思わず彼のYシャツの胸元を、小さく掴む。


 拓也の唇が離れた。最後に小さくペロっと唇を舐められる。

 体も離れた。そして冷めた瞳で、見下ろされた。



「血の味、しねーよ?」


「……ちょっと……」


 湊は顔が真っ赤になっていた。上目遣いで彼を睨む。

 余裕なていの彼の前で、自分は呼吸まで痺れているみたいで、涙が出る程悔しい。

 けれども拓也の表情は、益々冷たいものになっていった。



「何、その目。誘って来たのはあなたでしょ? あんまり俺の事、舐めないでよね」



 瞳の奥に浮かぶ、抑えきれない苛立ち。

 湊はそれを読み取る余裕が無かった。自分に起こった今の状況と、心の状況と、カラダの状況を把握する事に精一杯。


 な、舐めないで? その言葉、そのままそっくり返すわよっ文字通りっ。



 そんな彼女を眺めて、拓也は突然ニヤッと笑った。


「じゃ、戻ろっか」



 意味ありげに見つめる、笑いを含んだ黒い眼。

 俺が精一杯強がって笑ってるなんて、あんたは知らないんでしょ?


 おあいにくさま。一生教えてやんねーよ。



 俺の動揺の半分でも、あんたを動揺させられれば。

 頭ん中では、いつもあんたを滅茶苦茶にしている。そんな俺の憂さも晴れるかもしれない。



 一方の湊は動悸と体の熱を抑え込みながら、必死に自分を鎮めようとしていた。


 悔しい。こんな男が好きだなんて。

 気まぐれであたしを振り回す、猫みたいな奴。本心なんて絶対に見せない天邪鬼。よりにもよってこんな男を好きになるなんて、


 本当に、悔しい。







 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ