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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
残る体温-無理? してるよ-
28/54

1(R)

 かなでの肌の上を、大きな手が這う。背中につつ、と舌を滑らす。

「……っぁ……」


 彼女が体を震わす。先程からじらされて、どこもかしこも敏感になっている。

 後ろから彼の手がまわり、彼女の下のくちばしを再び弄び始めた。彼女の口から、頼りなく感極まった声が高まる。


「……洋一……っ…もう、…ダメ……我慢……出来なっ……い……」

「我慢、出来ないんだ?」


 夫の低くて掠れた声が、後ろから聞こえた。

 その直後、背後から貫かれる。彼女は大きく嬌声を上げた。




「そうだ、四日後からまた出張」


 事後処理をしながら洋一が、今思い出したように言った。


「そう。今度はどこ?」

「国内。名古屋とか、あのあたりを色々とね」


 避妊具をゴミ箱に捨てる後姿を、彼女は眺めるともなく見ていた。無駄なぜい肉など無い、鍛え上げられた背中。30代半ばには見えない。それが、この人の自慢だから。


「何泊するの?」

「んー、まだ未定だな。3泊ぐらいかな?」

「近くだから帰れそうな気もするのに」

「忙しくってね、中々そうもいかないんだよ」


 でしょうね。忙しいでしょうから。帰るのは無理よね。


「そういえばかなで、就職活動はどう? うまくいってる?」

「うん。また数社からオファーを受けてね、面接に行こうかと思っているの」

「すごいよなあ、君は。このご時世に引く手あまたの再就職が出来るなんて。すご腕のSEだな。シャワー浴びる?」

「お先にどうぞ」


 洋一は裸で立ち上がると、浴室へと姿を消した。

 シャワーの音が聞こえ始めると、奏は携帯電話に手を伸ばす。メールを打ち始めた。






『寝てた?』

「起きてたにょー」


 本当は寝ていたけど。そんな事言えないでしょ、優しい彼氏、天下のイケメン君に。

 湊は寝ぼけた頭で考えた。あたし、今、にょーとかって言わなかった? にょーって何? ネコミミでも付けるの? この歳で? ああ呂律ロレツがまわらないー。

 右手に持っている携帯も、今にもベッドに落としそう……。


『ごめんね、こんな時間に。……どうしても、声が聞きたくなって』


 彼の声が、一段と低くなった。心地良いバリトン。胸にしみわたって、今からいい夢が見れそう。


「うん、あたしも。ありがとう、電話してくれて」


 意識は飛びそうなのに、ちゃんとマニュアル通りの受け答えが、マニュアル通りの声色で出来るあたしは偉い。やっぱこの仕事が向いているのかも。



『朝からずーっとスタジオにいてさ、もうぶっ通し16時間近く。この調子じゃ今日も午前様だよ。昨日も似た様な物だったし』

「寝てないんだ。大丈夫?」

『うん。とりあえず楽屋とかでちょこっと仮眠はとってるから』

「そっかぁ。楽しみだねぇ」

『何が?』

「何が、って。ドラマだよー。今頑張ってる虎太郎こたろうが、そのまんまテレビで見れるんでしょ? 放映が楽しみー。凄く凄く、楽しみー」

『……うん、ありがとう』



 そう言うと、虎太郎は言葉が途切れた。心のもやもや、これは多分疲れているからだけで、その疲れも単なる睡眠不足から来るだけで、だから弱音を吐く程の事でもない。

 だけど彼が口をつぐんでいる間、電話の向こうの彼女も何も言わない。

 まるで、自分の次の言葉を優しく待ってくれている様に。


 彼女の、鮮やかな空気。涼やかな目元。それが堪らなく艶やかに変わる瞬間……。柔らかな体。滑らかな肌。

 会いてぇな……。



 実はこの時の湊は、半分寝かかって夢に片足を突っ込んでいる状態だった。

 ああ、虎太郎のドラマ、録画しなくちゃー。やだ仕事持ち帰ってた、でもケーキ食べたいー。ふわふわふわ……。



『でもさ、どんなに頑張っても、見てくれる人達がどう思うか、だから。……過程じゃなくて、結果だから。自分では精一杯やったつもりでも、見た人達が面白いと思わなければ、それってただの自己満足だから。……そう思うと、怖いよ』



 虎太郎は自分でも驚くくらい、低い声で呟いていた。


 今まで割と多くの女性と付き合って来たけれど、彼女達に弱音を吐く事はなかった。

 別にそれは無理をしているという訳ではなく、ただ、彼女達には話す気にならなかっただけ。それすら、信用していないとか言う意味でもない。ただ、そう言う気にならなかっただけ。

 なのに俺、どうして湊ちゃんにはこんな事を言うんだろう。


 言ってしまった後、自分が何だか女々しい男になったみたいで少し後悔をした。

 けれども電話の向こうの彼女は、爽やかに、柔らかく、屈託なく言った。



「どんな仕事も結果が全てだよ。それは誰でも同じ。だから大丈夫。それに、自己満足している事に気付けなかったら、先には進めないでしょ。それに気付くだけ虎太郎は凄いよ」

「……」

「それに過程はね、自分の中で積み重なるものなの。そして、それがいつかの結果に繋がるんだよ」


 当たり前のように、さらっと言う。自分が思いつきもしなかった言葉を。


「だから大丈夫。虎太郎は大丈夫だよ」


 自分が欲しかった言葉を。



 彼女は、自分が手にしたかった物を、まるで軽々と掴む様で。

 そしてそれを、見とれるくらいの鮮やかな笑顔で僕に渡す。


 たまらない。


『……湊ちゃん』

「んー?」


 何が大丈夫、よ。あたしって適当な事言ってるなぁ。もう少し考えて言葉を選ばないと……でも眠いっ! 眠いのよっだって12時まわってる、ああ目もまわる。


『会いたい』

「……うん、そうだね」


 会いましょう、夢の中で。おやすみなさい……。


『すげー会いたい、今すぐ会いたい』

「……ほんとだね……」


 そんで夢の中で、一緒に捜しものを……


『湊ちゃんは? 我慢とか、してない?』

「うん、そんな事……」



 我慢? していませんよ? だって毎日テレビや雑誌でお姿を拝見してますし、ほぼ毎日ナマのお声を拝聴しておりますので、一般人はもう充分……



『休み、合わないし。滅多に会えないし。一緒に街も歩けない。ロクなデートも出来なくて、人にも話しづらい。……ごめん、面倒くさくて』

「大丈夫だよ」

『……大丈夫なの?』

「……え?」


 湊の頭が、急に覚醒してきた。

 一通り眠気のピークが過ぎ去ったのかもしれない。けれど、頭がさーっと冴えてきた。


「……えっと……」


 しまった!

 あたし、何言われた?

 話を反芻しようとして、どもってしまう。

 滅多に会えないって? そう言われた?

 一緒に街を歩けない?

 デート出来ない? 人に話しづらい?


『俺、それが原因で長続きしないから、さ。堂々としたデートが出来ないし、ほっとかれるって。だから、湊ちゃんもそう思っているのかなぁって……』


「……あら、まあ……」



 そんな事、考えた事も無かった。

 虎太郎と一緒に外デート? 街中を二人で歩く?

 ……ヤバいでしょ、それ。フツーに考えてもマズイでしょ。取り囲まれて、視線で刺されて、そんで二週間後とかあたしマジで刺されるわよ、狂ったファンの誰かに。絶対、ヤダ!


「……だ、大丈夫だよ、あたしは……」

『……そう?』

「うん。だって虎太郎優しいし、沢山連絡くれるし、テレビで見れるし、たまに会えるし(そしたら必ず、えっちだし)、……こっちも仕事で溺れちゃってるし、うん」

『……そっか』



 虎太郎は穏やかな声で言った。でも心中は複雑だ。俺と会えなくても、そんなに平気なんだ。

 一方の湊は、少し焦っていた。そ、そっか、彼女って本当は、もっと会いたいって文句を言うものなのか。そんな事、あたしの人生で言った事がないよ。だってそんなに会いたいなら結婚すりゃいいじゃん。


 ……あたしが壮太と婚約した理由。それは毎日彼と会いたかったから?


 ……違う。そんな相手を見つける事が、面倒臭かったからだ。


 だけど、一人で生きていく勇気も、無かったから。



『今度、湊ちゃんちに行きたいな』


 突然虎太郎に、電話口で囁かれた。


「あ、うん、……え?」


 あ、うん、いいよ、と言いそうになり、湊は寸での所でそれに気付いた。え、何?

 ……う、うわ!


「ご、ごめん、それはちょっと……申し訳無いけど、あの……」


 いやーっそれこそ気付かなかったわーっ! 彼氏が自分の部屋に来るって言うシチュエーションっ! 何故今の今まで気付かなかったの、藤堂湊っ!

 ここの所色々忙しすぎて、すっかり見落としてしまっていたっ! 何て事っ不覚!!



「あの、ね……仕事の書類や資料が山積さんせきしていて、一応外部流出禁止なのに、おっつかないから内緒で持ちかえっている訳で……それからあの、もうすぐ引っ越しするから」

『え? 引越すの? どこに?』

「まだ未定……でもあの捜し中で、だからとにかく、今は人生で一番部屋が散らかっているの。だから無理っ」



 ああ、汚ギャルならぬ汚アラサーと思われたかしら。片付けの出来ない女、うう……屈辱なり。


 電話の向こうで、虎太郎がクスクスと笑う声が聞こえてきた。



『そうか。じゃ、僕もいい物件が無いか、チャンスがあればそれとなく不動産屋を覗いてみるよ』

「あ、それは心強いかも」

『だよね、出来れば……あ、ごめん、順番がきたみたい。電話切るね』

「うん。頑張ってね」

『ありがとう。じゃ、お休み』

「おやすみなさい」



 電話が切れる。

 その後、湊はベッドの上に起き上がった。今頃目が覚めちゃった。

 そしてふぅ、と大きく深呼吸。ああ、ビックリした。部屋に来たい、だなんて。


 湊は部屋を見回した。まだ所々残る段ボール箱が、自分はこの部屋の出る意思があるんだ、と自分に対してわざとらしいパフォーマンスをしているみたい。妙に気分が白ける。


 お金が足りないから。時間が無いから。いい物件が無いから。

 そう言い訳し続けて、もう何か月この部屋に居続けたのだろう。

 あたしそのうち、ヨシに嫌われる。あ、もう嫌われているのかも。


 一気に落ち込み、彼女は俯いた。





 切れた携帯を見つめ、虎太郎は壁にもたれかかった。

 結局3日に2日は、彼女に電話をしている。しかも夜。色々と言い訳をつけて、つまり俺は探っているんだ。


 彼女が、今晩はあの仕事をしていないか。

 彼女が、今晩はあの男と一緒にいないか。


 俺の知らない彼女が、

 俺の知らない男と、

 俺の知らない、何かをする。


 何が我慢強いだよ。寛容なフリ、しやがって。

 まだまだ彼女を手に入れ切っていない。この、不安感。


 『出来れば……』の後、俺は何を言おうとしたのだろう?

 出来れば……『一緒に、住まない?』



 ふと、今まで付き合った女の子達を思い出した。

 彼女達も、こんな気持ちだったのだろうか。


お久しぶりです。約1週間ぶりに復活です。

いきなりR度高めのシーンを目指しましたが、あれが限界。才能がございませんでした。だからこっちにいるしかない(笑)


虎太郎くんの募る思い。手に入りそうで入らない。この生殺し感が堪らないのだと思います。ふふ。

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