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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
命がけの演技で-君が好きだ-
22/54

 拓也は目を覚ました。

 隣のベッドでは、酔いの醒めない同僚が大きないびきをかいてまだ寝ている。

 寝返りを打ってみた。自分がうたた寝をしていた事に驚く。けれどももう、これ以上は眠れそうにも無い。

 あっさりと諦めて、ベッドに腰掛けた。携帯を見る。朝の5時前。溜息が出た。



 昨夜抱いた舞彩は柔らかかった。

 頬を紅潮させ、たどたどしく彼の愛撫に応える彼女は、多分男の理想そのもの。

 皮膚の滑らかさも、肌の柔らかさも、色も匂いも、何もかもが申し分無かった。

 何より彼女が、心の底から拓也を欲している。ただ彼だけを、欲している。

 これ以上望む物なんて、何も無い。


 なのに。


 頭の芯が冷え渡る。



 多分、あの部屋が悪いんだ。あそこでやるから、脳の奥が疼くんだ。

 視界に入れないように、机の上の湊のテキストを見ないように、心掛ける。

 だけどそうすればするほど、その薄い本は存在感を増して、拓也の上に圧し掛かってくるようだった。


 流石に舞彩も、一晩中側にいてくれとは言い辛い。

 だからそれに乗じた拓也は、事が終わり、笑顔を見せて彼女を抱きしめた後、するりと部屋を出ていった。

 まるで逃げ出すような心境だった。



 そして、寝れない。

 空が白く開けていく。

 あの人、どんな顔してあの部屋を空けたんだろう? 彼女から打ち明けられた時、一体どう思ったんだろう?


 ……って、今更何を気にしているの、俺は。

 思考回路が5時間前に戻ってるじゃない。いい加減割り切れよ、我ながら腹立つぜ。



 その時、手の中にある携帯が鳴った。

 見ると泰成から。何となく、嫌な予感がした。


 そんでもって俺、嫌な予感って大抵当たるんだよね……。



「……もしもし」


 かったるく、けれども内心警戒感たっぷりに電話に出ると、泰成の無遠慮な大声が響いてきた。



「あのさぁ。お前、姉ちゃんとヤッてる事、藤堂に話したのか?」

「はあっ?! 何だよそれっ」



 思わず、叫び声に近い大声を出してしまった。ハッとして隣の男を見るけど、起きる気配が全く無い。

 拓也はベッドから降りると廊下に出た。つい先程までまだ、辺りには宴会の名残が残っていたが、それが今は物音一つ、しない。

 彼はヒソヒソ声で、しかし最大限に怒鳴った。



泰兄たいにい話したの?! 嘘だろっ信じらんねぇ!」

「それを俺がお前に聞いてんだろ。ギャーギャー喚くなよ。そもそもお前が自分でまいた種だろ?」

「……」



 不機嫌に黙り込む。その通りだよわかってるようっせぇな。

 そして大きく息を吸いこんで、イラついた気分を落ち着けた。



「何も言ってねぇよ。彼女とそんな会話しねぇし。何でそんな事を聞くの?」

「ふーん。じゃ、なんでこいつはここに居んだ?」

「え?」



 拓也は目を見開いた。耳を疑う。今、何つった?



「どこいるって?」

「ここ。俺の隣。今寝てる」

「……っ」



 瞬間、絶句するとか呆れるとかではなく、頭にカッと血が上った。

 全く分からない。

 自分が何で頭に血を上らせるのか、誰に血を上らせているのか、さっぱり分からない。


 泰成が電話の向こうで、面白そうに喉をクックッと震わせて笑った。



「今、焦ったろ?」


「……どーゆーつもり?」


「カリカリすんなよ。事務所のソファで寝てんだよ。しし、すげぇ寝顔だぜ。口が半開きになってて爆睡。こいつ寝ると色気ねーなー。客と夜過ごす時はどうしてんだろ?」



 途端に、喉に空気が入ってきた。つまり自分が息を詰めていたんだと、気付く。

 くそっ、からかわれた。遊ばれてんじゃん、俺。


 彼女のあどけない寝顔を思い出し、それを泰成に見られた事にまで、今度は腹が立ってきた。

 さっきからもう、色んな事に腹が立つ。



「……あんた趣味悪いね。色々と」

「あの部屋に帰りたくないとよ」

「……!」

「お前ら、何があったの?」



 無遠慮にズバッと聞かれ、拓也は僅かに唇が突き出た。

 何があったの、って……



「……何も、ない……」



 無いんだよ、何も。


 低い声で、ふてくされた様に言うと、電話の向こうの彼はわざとらしく納得してみせた。


 

「ほお。それが原因か」

「だから何も無いって……」

「客にふらついて結構ヤバかった」

「……」



 客にふらついた? 彼女、東京で客を取ったの? あの時間から? 何で?



「あいつらしくない。しかも相手は結構本気っぽい。面倒にならなきゃいいが。話が違うじゃねぇか」

「……」



 美人で頭の回転が良く、空気が読めて出しゃばらず、自分を持ってて貞操観念が薄い。確かに湊をそう評して、拓也は彼に紹介した。

 拓也が黙り込んでいると、泰成が呆れた様に言った。



「お前ってほんと分かんねぇよなあ。どうして彼女にこんな仕事をさすんだ?」

「はあ? させてるのはあんだだろ?」

「そうじゃねぇだろ。俺が言ってるのは、なんでお前は彼女をこの仕事に選んだんだ、って事」



 過去の会話からも今の口調からも、泰成が何を言わんとしているかが伝わってきて、拓也は益々膨れて口を尖らせた。



「……だって向いてるから」



 敢えてワザと、論点を避けた回答をする。

 案の定、泰成はイラッとしたらしく大袈裟な溜息が聞こえてきた。ついでに盛大な舌打ちも。



「……そうやって一人で拗ねてろ。藤堂を突き放して、だけど手放せなくて。自虐趣味があるのはご勝手だが、俺やまわりを巻き込むなよ」


「……どういう意味?」


「こいつが何をしようと、引き留めるな。責めるな、誘うな。一人で勝手に嫉妬して、一人でその嫉妬に食いちぎられてろ。マスターベーションは一人でやれって事だよ」



 拓也の瞳が、暗く冷たく沈んだ。とっくに気付いてる。泰兄は、俺の矛盾点を突いてんだ。



「……あんたの言葉、散漫しすぎて分かんない。もう切るよ」



 冷めた声でそう答えた。

 ところが泰成は攻撃の手を緩めなかった。



「お前は元カノに復讐してるんだ。俺がこんなに哀れになったって見せつけているつもりなんだろ。いつかこれが彼女に伝わればいい、ってな。だけどな、歪んだお前に付き合わされる周りの方がもっと最悪だぜ。関係のない女に、自分と同じ目合わせてどーすんだよ」


「……」



 一方的に言いたい事だけを言うと、泰成は電話を切った。

 部屋の奥を振り返る。彼女は規則的な寝息を立てていた。よっぽど疲れていたんだろうなぁ。あー、それにしても今晩は俺もよく働いた。流石にこの歳で徹夜は堪えるわ。もう眠りたい。

 出来る事なら彼女を抱えてベッドに連れて行き、添い寝と行きたい所なんだけどねぇ。ああもったいない。


 腕を組んで体を壁に預け、ニヤニヤしながら天井を仰いだ。


 

「あー、俺って本当にいい人。なんかご褒美、降りてこねぇかなぁ」




 一方の拓也は、苦々しげに携帯の画面を見つめた。舌打ちをしそうになるのを、なんとか堪える。舌打ちすると彼の言っていた事を認めた様な気分になって、色々と敗北感に包まれそうだから。



「くそっ。なんてヒマなオジサンなんだよ、あの人」


 

 まるで見合いジジイだ。カンケーねー事まで首突っ込みやがって、自分だって今まで見境無く遊んだ挙句に彼女の事を喰ってんじゃねぇかよ。それが偉そうな口をきくなよ、年上ってだけで。


 とん、と壁に背を付き、廊下の窓から外を眺めた。



「……面倒臭い……かったりぃ……」



 なんだか、こんなハズじゃ無かったような気がする。

 面倒事を避けて、要領良く、適当にその場その場を楽しんできたつもりだったのに。



 あいつ、いないんだ。

 ここにも。部屋あそこにも。



「……帰りてぇな……」



 なんか疲れた。彼女がいないんなら、ゆっくりと部屋で煙草が吸える。


 ……そか。彼女、俺が煙草を吸うのを嫌いじゃない、って言ってた。

 ……それって、「煙草が好き」なんて言われるより、本音を言ってくれた気がする。


 ……そっか。俺、彼女の前で吸っても良かったんだ。



 なんでこんなどうでもいい事を思い出すんだろ。






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