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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
命がけの演技で-君が好きだ-
21/54

 綺麗な姿勢でお時儀をした彼は、優雅に体を起こした。

 見とれている湊と目が合うと、得意げに口角を上げる。それがまた、やんちゃに見えてかっこ可愛いかった。

 この人ってやっぱ、自分の見せ方を知っている。プロだわ、かっこいいなぁ……。



「それにしてもマジで嬉しい。こんな所で君と会えるなんて。あの後俺、健悟の首絞めて連絡先訊きだして、すぐに君の事務所に電話して、申し込んだんだよ。桜川ありさ、を」



 健悟って誰? ああ、あのバカ殿社長か。桜川ありさって? あそうか、あたしの芸名だ。

 彼女がボーっとそう考えている間に、彼は近づいて、湊が落とした荷物を拾った。

 咄嗟に彼女は慌てる。



「わわわっ、いいですよっ」

「あれ? 結構重いね。ひょっとしてプチ家出?」

「……」


「……え? ひょっとして図星? マジで? あ、ちょっと……マズイ」



 今度はコタローが段々と慌て始めた。あれ、暗い。俺何だか地雷踏んだみたいだ、どうしよう。

 湊はどよーんと俯いて顔を上げない。彼は焦って考えた。

 これは話題を変えるしかないのでは? 話題話題話題……



「そうだ。俺の本名ってさ、すごいんだよ。虎太郎とらたろうって書くんだ」


 何を言ってるんだ、俺。何を言いたいんだ? 話題、ぶっ飛び過ぎじゃね?


「……えっ。小さい太郎かと思ってた」


 ところが湊は驚いたように顔を上げた。

 は? ここで喰いつくの? 虎太郎も驚く。とは言え、内心ホッとした。よかった、地雷、回収できたみたい。


「でしょ? 子供の頃は人よりちっちゃかったし、いつもコタ、コタって呼ばれてた」

「……コタ。かわいい」


 湊はクスッと笑った。今日一日疲れた彼女が、少しホッと出来た瞬間。

 その様子が何だか自然に綺麗で、彼も自然に笑みがこぼれた。


「虎っぽくないでしょう? 名前負けしちゃって、昔は結構重かったんだよ」


 すると彼女は目を丸くした。じっと彼を見つめる。虎太郎は戸惑った。何?

 彼女の、柔らかいけどクールで、常識的だけど個性的な雰囲気に、のまれそうな自分がいる。最初に出会ったときから、惹きこまれる。

 しばらくして、彼女はボソッと言った。


「……ううん、そんな事ないんじゃない?」

「何が?」

「虎って、美しいもの。しなやかで、美しい。なのに威圧感があって強引。そして物凄く存在感がある」


 どこか一点を見つめながら、考えるように湊は言う。聞いていて、こちらが赤くなってしまう様な台詞。それを彼女は、詩を朗読するかのようにたおやかに言う。

 そして彼に視線を戻すと、にっこりと微笑みんだ。



「コタローさん、それ、全部持ってますよ」



 今度こそ確かに、射抜かれた。

 彼女の笑顔は、雰囲気があり過ぎる。まるで舞台のワンシーンの様だ。見えない何かを纏っている。


 もっと知りたい。


「……そんな事、初めて言われた。正直、容姿の事は色々言われた事があるけど……僕って、威圧感が、ある?」


 すると湊は困った様に眉を下げた。


「……ない」

「あれ?」

「でも仕事になると、ありそう。命賭けていそうだから。威圧感も存在感も、強引さも持ち合わせていそう」


 そして再び、彼に笑いかける。



「やっぱり、虎太郎とらたろうですよ」



 まただ。しなやかな笑顔。

 そんな表現があるならピッタリだ。なんて素敵に笑うんだろう、彼女は。前回と言い、今と言い。

 虎太郎こたろうは片手で口を覆った。


「……ヤバい。はまった」

「はい?」

「いやあの……湊ちゃんって、なんであんな仕事をしているの?」


 慌てて再び話題を変えてみる。

 それを聞いた湊は、また考え込む様子を見せた。俯いて、小首をかしげる。


「……あたしも、演技をしてみたかったのかな?」


 あなたみたいに。


「え?」

「……別人に、なりたかったのかも」


 いつも別人になっている、それが仕事の虎太郎に、湊は自分でもよくわからない愚痴をこぼしていた。


「でも大人の駆け引きなんて、多少別人になった所で、やってる事は変わらない」


 伏し目がちに前を見つめ、独り言のように呟く。

 そんな彼女の横顔は、ついさっきの笑顔とはまるで違ったものだった。虎太郎こたろうは魅入られた様に、目が反らせなかった。

 何か、あったんだろうか?


 その様子に、湊はふと顔を上げる。



「何ですか?」

「あ、ごめん……」

  

 我にかえって咄嗟に謝った彼は、それでも、彼女を見つめ続ける。


「……」

「……」


 一方の湊は、虎太郎に見つめられて次第に戸惑っていった。

 な、何だろう……あたし、何かした……? 一般人には耐えられないその視線……。


「大丈夫だよ」

「え?」


 虎太郎は視線を外さない。そのまま彼女の荷物をそっと降ろした。


「別人になるのがもったいないくらい、君は魅力的だよ。素のままで充分」

「……なっ」

「何があったのかは分からないけれど、大丈夫」


 そう言って彼はフッと微笑む。

 真っ赤になった湊は、更にドキッとした。



「大丈夫」



 彼はダメ押しの様に言葉を重ねる。微笑んで、そっと彼女の頭を撫でた。

 湊は絶句して、胸をキュッと掴まれた様な気分になった。


 しまった。心の琴線に触れられてしまったっ。



「……素のままって、私の素、知らないのに……」


 

 ドキドキする。俯いて、まるでなんだか悪あがきの様な台詞を言ってしまった。

 悪あがき? 何に対して?

 あたし、どうなっちゃってるの?


 虎太郎は彼女の頭を撫で続けながら、優しく微笑んだ。



「そうかもね。確かめてみたいけど」


 

 手の動きがすっと止まる。

 湊は益々緊張してきた。だけど顔が上げられない。



「やっぱりさ、俺、桜川ありさじゃなくて、藤堂湊と、会いたい」

「……え?」


 思わず彼を見上げてしまった。ハンサムな甘い瞳とバッチリ目が合ってしまう。

 しまったっ、また目が合ってしまったっ。一般人には限りなく不利な状況だっ早く反らさねばっ。


「本物の君が、知りたい。……ルール違反だっていうのは分かっているけど」


 真顔の彼が、彼女の瞳を覗き込んだ。ううヤバい絡め取られた打破できないっ。

 

 彼は真剣に、真っ直ぐに、そして柔らかに言った。

 心地よい低い声で。


「こういうの、言わなきゃ始まらないし。始めないと、前には進まないし。……僕と、付き合って欲しい」


 その瞬間、湊はある意味、彼の甘い瞳も忘れて頭が飛んでしまった。



 ……すご……。

 これって、あたしには無い物だ。

 この前向きさと、行動力。



 一方の虎太郎は、フリーズした湊を見て失敗した? と思い始めた。しまった、この子また固まってるよ。「あ、その前に彼氏がいるかどうか聞くべきだった」と呟いてみる。そしてそっと、彼女の反応を伺った。


 ところが湊は聞いてはいない。それよりも先程の台詞に捕らわれて、頭の中がそれしか考えられない。どうしても、尋ねずにはいられない。


「……でも、始めたせいで、前に進むどころか悪化するって事も……」

「はい?」


 虎太郎は意味が分からなかった。この子は何をこだわっているんだろう? 何に囚われているんだろう? 俺、なんか悪化させちゃった? 何を? 


「物事って、言わなきゃよかった、とか、やらなきゃよかった、って事が多くありません? だったらジーッとしてた方がよかったと言うか……」


 言われた彼は一瞬時が止まり、目が点になった。

 そしてしばらくして、明るく大きな声で言った。


「ああ、あるあるある。そんな事、俺しょっちゅう」


 思わず軽く噴き出してしまう。何だ、この子って思ったよりも、慎重と言うか臆病な所があるんだな。

 急に身近に感じられて、余計に愛おしくなる。何だ、普通に可愛い子じゃん。


「でもさ。時間って進むだろ? 止まんないんだから、いくら俺らがジーッとしてたって、物事だって変わるんだよ。今変わるか、後で変わるかの違いでさ」


 明るく爽やかに屈託なく、それ程何も考えないで虎太郎は言った。


「だからそんなに考え込まないで。ね? 大丈夫だから……って、無理強いしたいわけじゃ、もちろん無いんだけど」


 言いながら少し、不安そうに眉が下がる。怒られた犬みたい。

 湊は思わず噴き出した。それを見て、虎太郎も笑顔を見せた。

 そして次の瞬間。


 ふわ……と、すくい取られる様に、彼女は彼の両腕の中に閉じ込められた。わ、わ、何っ?

 そして煌めく瞳で、甘やかに顔を覗きこまれる。ひゃ、ひゃ、やめてっ。


「さっきの話。藤堂湊さんは、俺と……岡谷虎太郎こたろうと、会ってくれる?」


 ドキっとした。それが続く。ドキドキドキドキ……

 

 魅惑的な、罠。頭が痺れてくる。

 つ、付き合うの? 人気俳優と? 今初めて本名フルネームで知ったような人と? 嘘でしょ?

 ……でも。

 それでもいいかな、と心の片隅で思い始めてしまった。


 それでもいいかな。

 これでもいいかな。

 これならいいかな。


 ……これなら、いいのかな。



「……岡谷、虎太郎……」

「うん。……どうかな?」



 一体何の解決策になるのか分からない。

 でもこの魅力的な微笑みに身を任せれば、自分が変われるかもしれない。八方美人で、だけどプライドが高いくて、でも本当は傷つくことを恐れて何もできない自分が、変われるかもしれない。

 そしてこの、心の痛みを消せるかもしれない。


 不安とも、悲しみとも、切なさとも、焦りともつかない、この痛みを。



 湊は虎太郎を見つめた。

 何かを言いたいのか、それとも息を吸いたいだけなのか、僅かに唇が開く。

 虎太郎は彼女のその唇を見て、鼓動が一度、大きく胸を打った。


 濡れた、赤い、それ。

 甘くて、柔らかくて、痺れるに違いない。

 誘われる。




「おい」



 いきなり男性の声が聞こえた。かなり低くてドスの利いた声。

 ビクッとなって二人は我にかえり、かなり近づいていた顔を離した。

 

 振り向くと車道脇に泰成たいせいが立っていた。

 黒いセダンに腕を組んでもたれかかり、不機嫌全開でこちらを見ている。


「あ……」

「あ、三田みたさん?」


 虎太郎が驚いたように、泰成の名前を口にした。三田泰成。彼のフルネーム。

 泰成はキツイ眼で、虎太郎を見据えた。


「岡谷さん。うちの女の子と会うときは、自分を通して頂けませんか?」

「あ、ごめんなさい。たまたまそこで出会って……」

「ありがとうございます。彼女をこんな時間に一人で歩かせたのは、こちらの不注意でした」


 問答無用の受け答え。泰成は虎太郎に口を開く余裕を与えず、深々と頭を下げた。


「失礼を申しました。本当に申し訳ありません。ご迷惑をおかけ致しました」

「いや、迷惑だなんて」

「それでは失礼します。こちらからご連絡を差し上げますので」


 そう言って今度は湊を見据えた。片手を彼女に差しだし、無言で「来い」と言っている。

 虎太郎は驚いたようにポカンと、彼を眺めていた。ルール違反をしている自覚はあったが、ここまでの態度を取られる事にビックリした。


 湊は、身が縮まる思いがしてきた。こういう時、妹という人種は、危険を敏感に察知出来る。そして彼女は逆らわない。

 ヤバい、怒らせちゃった……。


 湊は荷物を拾い上げると、「ありがとうございました。それではまた」と小さく頭を下げた。その瞬間、二人で素早く目配せをする。話の続きは、また今度。しかしそんな様子を、泰成が見逃す訳が無い。顔色を変える事無く睨み続けた。



 湊は黙って助手席に乗った。この人何で生計を立てているのかは知らないけれど、車は結構フツーだな。

 泰成は無言でエンジンをかけて車を走らせた。そして、無言。


 無言。無言。

 おいー……。


「……あの……」

「……何やってんだよ」


 ここは大人として湊が譲ってあげて(?)口を開いたら、泰成は不機嫌マックスの低い声を出してきた。


「何があったか知らねぇが、お前は嫌な事があるとすぐ男にフラフラとついて行くのか? この間と状況が変わんねぇじゃねぇか」


「なっ……」


 そのこの間の当事者があんたの癖に、何エラソーな事を言ってんのよっ! 三回もヤッといてふざけんなコラァっ!!


 湊が思わず拳を振り上げかかった時、泰成は急にブレーキを踏んだ。

 何事かと驚いていると、彼は体をこちらに向けて、怒りを込めて湊を睨みつけた。



「俺が雇っているのは売春婦じゃねぇ。慰めて欲しければ、自力で見つけた男買えよ」



 湊はショックで、言葉を失った。


 ……あたし、そんなつもりじゃ……



「プライドを無くしたお前に用はない。仕事やめろ」



 吐き捨てるように言う。湊は呆然とした。


 信じられない。まさかここまで言われるとは思わなかった。


 あたしはそんなんじゃ、そんな自分が辛いからって寂しいからって、誰とでも男の人と寝る訳じゃない。ただ彼とは話をしていただけで、そしたら話がどんどん進んでいっちゃって……。



 本当に、そう?

 本当に、寂しく無かった?

 彼に魅かれたのは、本当にそれが理由じゃない?



 本当に?



「……あたし、プライド、無い?」



 湊は悔しくなって、不本意にも涙声になってしまった。

 プライドが無い、なんて。あたしはプライドの塊よ。それが自分を保ってきたのだし、そのせいで自分が苦しんでいるのよ、今。


 プライドがこんなに高くなければ、どんなにかみっともなく、自分の想いに突っ走れたのに。もっと早くに色々出来たのに。



 それでも相変わらず、泰成の声は冷たかった。



「……お前の仕事は客に癒しを与えることで、媚を売る事でも縋りつく事でもぇ」

「……」

「今後もあいつにプライベートで会うんなら、この仕事は下りて貰う。わかったな」



 湊は目を伏せた。

 確かに。お客とこんな風になる女なんて、危なくてビジネスには使えないだろう。しかもお互い遊びの延長ならまだ良かったものの、今のあたしじゃそれも危うい。



「……わかったわよ……」



 彼女は溜息をついた。誰かから逃げる為に誰かに走るって、やっぱり不毛な気がする。走った先でやっぱり怖くなって、別のどこかに逃げたくなるに決まっている。

 だったらもう少しこの仕事を続けてみよう。冷めた、ゲーム感覚のこの世界は、あたしの病んだ心をリハビリするのに丁度いいかもしれないもの。



 そんな投げやりな彼女の横顔を見て、今度は泰成が小さく溜息をついた。

 もうあの客は、こいつにはまわせない。というより本気になってしまうような男は、こういう商売の客には向いていないんだ。あの沢畑って奴が俺に断りも無く、勝手に藤堂の所に寄越してきたのが悪かった。普通はまず、俺が客の面接をするのがルールなのに。



 だいたいさ、藤堂。

 こんな仕事をしている女を本気で好きになるやつなんて、どっか歪んでるんだよ、気をつけろよ。


 ……って、俺が言えた立場じゃないか。



「……」


 泰成はもう一度横目で彼女を確認すると、黙って車を走らせ始めた。


 しょうがねぇから拓也あいつにも連絡してやらんと。俺ってよく出来た男だよなー。モテる訳だ。








すみません。翌朝更新になってしまいました。頑張って毎日を目指しているのですが……一話平均が5000字以上になってしまい、中々思うように進みません(涙)


はてさて。

この人達、どう引っかきまわしてやりましょうかね。


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