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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
命がけの演技で-君が好きだ-
20/54

 大人って本当に、いい。

 だって好きな行動が取れるんだもん。


 みなとはタクシーに乗っていた。


 真夜中の1時。荷物は宿に置いてきた。だって取りになんて戻れない。

 まさか自分がこんなに感情的になるなんて、信じられなかった。夜中に泣き腫らしてタクシーを拾うなんて、ドラマのヒロイン気取ってるのかっつーの。しかも「新宿まで」って言った時の、運転手さんの輝く様な驚きの顔。……一体、いくらかかるんだろ。うっ、食費削んなきゃ。あとエステも。ああ、マッサージも今週は諦めようかな。でも新色のリップは買いたい。あ、そうだ、今度こそゴルフに行こうと思っていたんだ。


 ……あたしって、色々と金のかかる女だったんだなぁ……。


 はっ。そうではなくて。



 ポーチの中をがさごそと漁る。現在の所持品はこれのみ。

 携帯電話を取り出すと、まずは社員旅行の幹事にメールを送ろうとした。

 

 ……幹事って誰だろう。

 ……ヨシと舞彩まあやじゃんっ。


 再び、後部座席でうずくまってしまった。

 どーすんのよ。真っ最中の彼らを邪魔するなんて、あたしのプライドが許さないっ。ちっちゃくったって、ええ!


 うずくまりながら、目を僅かに上げて電話帳を検索。いるかなー、適当な人。あ、上地さんのメアドが入っている。確かあの人も幹事だって言ってなかったっけ?


 湊はメールを打ち始めた。もういいや、コレで。




 本文

 藤堂です。すみません、家族の容体が急に悪くなりました。

 随分ひどい様ですので、現在帰宅中です。

 慌ててしまい、皆さんにお声をかける余裕がありませんでした。申し訳ありません。

 よろしくお願い致します。





 ……うち、誰か入院している人がいたっけ? お母さんもお姉ちゃんも元気だし。うーん、お母さんは膝が痛いって言ってたな。よし、それで行こう。


 結局さ、後先考えずに行動しても、後始末をするのは自分なんだよね。こういう所で世間を捨てられないっていうか律儀になるっていうか、いずれにしても興ざめだよねぇ。

 興ざめと言えば去年の冬に嘔吐下痢にかかった時、部屋で一人で吐いちゃった後、一人で後片付けをしたんだよな。あれって虚しかったよなぁ……。


 はっ。そうではなくて。



 湊はズルズルと座席に身を起こした。

 あたしってばどれだけ現実逃避を試みているのよ……。今現在、考えなくてはいけない事があるじゃない。



 あの部屋には、戻れない。



 ヨシが帰ってくるのは明日の午後の筈だけど、今のあたしは、あの部屋には戻りたくない。彼と顔を合わせたくない。

 ……でも、今からホテルなんて無理だし……。


 夜中に迷惑をかけても心が痛まない相手。湊は一人しか思い浮かばなかった。



 電話をかける。コール5回。8回。10回……。鳴らし続ける。

 諦めません、勝つまでは。意地でも出してやる。


 ついに相手が根負けした。



「お客様がおかけになった電話番号は現在使われておりません。お時間をお確かめになってもう一度おかけ直しください」



 ……妙なセンスだよなー、この人って。いっつも思うけど。

 電話に出た泰成たいせいは、明らかに不機嫌な声を出した。だけど大きい。

 声にも台詞にも遠慮が無い。そんな彼に今はホッとして、だから拓也は泰成が好きなんだろうか、と思った。


 わざと、少し甘えた声を出してみる。

 ところが口から出た声は、自分で思った以上に疲れていた。



「……まだ1時ー」

「だから真っ最中なんじゃねぇか。何の用だ」


 おおっと、こちらもお楽しみ中でしたか。


「……用がなきゃ、かけちゃいけない?」


 うわっ。なんてベタな台詞。言った自分が恥ずかしくなってきた。


 ところが。聞いた相手は、それほど恥ずかしくは無かったらしい。

 拍子抜けするほど、簡単に話に乗ってきた。



「……何かあったのか」


 真剣な声。ドキッとする。え、この人こんなんじゃ、今まで数多くの女の人に騙されてきたんじゃないの? それともこれがモテる男の技?



「……何にもないー」

「じゃお前、俺に惚れてるのか?」

「それもないー」

「切る」

「待って待ってーっ」

「嫌がらせか? 藤堂、お前社員旅行じゃなかったのか?」

「そうなの。今帰宅中なの」



 すると電話の向こうで、相手が絶句しているのが伝わってきた。



「……一人でか?」

「……うん」

「……で、用件は?」



 鋭く、短く。単刀直入に聞かれる。

 湊は恥ずかしさを堪えて言った。



「……あのね、泰成さん。今晩……というよりしばらく、事務所に泊らせてもらっちゃ、ダメかな?」



 ああこれって、いかにも「ヨシと何かありました」って言ってるようなものだわ。


 ところが泰成は、それに関しては何も言わなかった。

 しばらく無言が続く。電話の向こうで、衣擦れの様な音がした。それを聞いた湊は、ベッドの中の女性を想像した。あの時の自分は酔っていたけど、それを差し引いても彼はかなりのテクニシャンだった。女性馴れをしている手つきだった。



「……そこまで甘えるな。二、三泊なら置いてやる。その間に、自分でカタつけろ」



 思いの外、厳しい台詞。湊は少し驚いて、少し落胆した。そしてすぐさま、頭を巡らせる。

 ……三泊。その間に部屋を見つけるのは無理だなぁ。

 じゃあやっぱり、あの部屋に戻らなくちゃいけないのかぁ。そしたら逆に、今日から部屋に戻らない事をヨシにどう言い訳しよう……。



「じゃあさ。バイト、無い? この間みたいに長いやつ」

「ないな。二件程お前に申し込みがあるが、どれも一晩も無い。数時間だよ」

「それ、いつ?」

「ASAP。お前が決めろ」

「じゃあ、明後日あさって明々後日しあさって


 

 湊はきっぱりと言った。



「日中に」


 

 電話の向こうで、再び沈黙が起きた。



「平日だろ。本業はどうすんだよ?」

「大丈夫。取らなきゃいけない休み取ってないから、それ使う。だから平気。それでいい?」

「……先方に聞いてみるよ」

「よかった。あたし、あと数時間で事務所行くから、部屋の鍵を開けておいてね」

「……お前何様のつもりだ? 俺がどこにいると思ってんだよっ」

「お願いっ。さもなきゃ今晩路頭に迷う」

「迷ってろっ。あと3時間もすりゃ夜明けだっ」



 ブチっ。勢いよく切られた。


「あ」


 思わず携帯を見つめてしまう。それからふふ、と笑ってしまった。何故だか分からないけれど、根拠なんて無いけれど、彼は部屋の鍵を開けに来てくれると思う。そんな気がする。


「すみません、行き先変更します」


 湊は運転手に、自分の……自分と拓也の家の場所を告げた。まずは荷造りをしないと。







 大きな鞄を背負って部屋の鍵を閉めた時、時刻は深夜2時をまわっていた。

 軽く溜息をつく。舞彩、あたしの事を捜しているかな? いなくてきっと焦るだろうな。いやまだ気付いていないか。


 ここはちょっとした住宅地なので、深夜にタクシーはそうそう走ってはいない。拾う為には、結構歩いて大通りに出なくてはいけない。

 湊はとぼとぼと歩き始めた。



 拓也の笑顔が、頭にこびりついて離れない。

 みんなと一緒にいる時の、バカ騒ぎした笑顔。皮肉っぽい笑顔。優しい笑顔。


 ……真剣な表情。キョトンとした顔。……時々こちらを真っ直ぐに見る、丸い瞳。



 怖い。こんなハズではない。私は誰かに依存したりしないし、振り回されたりもしない。

 だから何も期待していないし、だから自分が傷ついたりもしない。

 大丈夫。大丈夫。


 私は何も願っていない。だから叶わないモノもないんだ。

 大丈夫。大丈夫。



 私は、これからも自分の足で歩く。だから自分を見失う訳にはいかないのよ。


 だから。

 だから。



「あれっ?」



 どこからか、驚いた様な声がした。

 それを聞いた湊は本能的に顔を上げる。何事かとあたりを見回した。


 程なく、一人の若い男性が立っている事に気がついた。こちらを見ている。気のせいか。え? 気のせいじゃない? あたしを見ている?



「……ひょっとして……ねえ、湊ちゃん?」



 嬉しそうに驚いたように言う彼は、それでもこちらには近づいて来ない。だから湊もひたすら遠くから凝視するしかなかった。誰? こんな夜中に。暗くてよく見えない。



「……あ、コタロー! ……さんっ」


 気付くと同時に大きな声が出てしまった。うっそ、信じらんないっ! 何でここにいるのっ?

 彼女の言葉を聞いた彼はやっと、嬉しそうに近寄ってきた。



「すげぇ、滅茶苦茶偶然! え? こんな所で何してるの?」


 興奮して彼も声が大きい。酔っているのかと思ったが、湊のすぐ前まで来た彼にそんな気配は無かった。純粋に、驚いているらしい。

 大きな瞳が特徴の、整い過ぎるくらいに甘いマスク。それが全く嫌味に見えない、彼の爽やかな笑顔。

 うっわー、オーラがキターっ。きらっきら! 目がくらむー。



「コタローさんこそ、なんでここに?」

「僕はここで知り合いと飲んでたの。で、一人帰るって言うからタクシー呼んで乗せたところ」


 そう言って彼は、後ろにあるちょっとコジャレたバーを親指で差した。

 それを聞いた湊は、ハッと息を飲んだ。


「……そっか! タクシーって、呼べば良かったんだ!!」

「……え?」


 コタローがキョトンとする。

 湊は笑顔が引きつった。



「あたしバカだから、タクシーを拾える大通りまで歩こうとしていたんですよ」

「……あははー……その荷物、今からどっかに行くの?」

「ええ、まあ」

「そうかぁ。急ぎ?」



 彼はニコッと笑った。ああっ、やられるっ。



「よかったらさ、僕らと一緒に飲まない?」


 その申し出に、湊は目を剥いた。


「ええっ。そんな訳には……」


 彼は優しく笑いかける。


「みんな楽しいよ?」

「……でも……」



 ゲーノージンと飲み? だ、誰がいるんだろう。そもそも話について行ける訳がないじゃん。

 今度は愛想笑いを浮かべながらも、彼女は自然と顔が俯いてしまった。ダメだ、やっぱ今日は疲れている。

 いつもなら誰とでも適当に話を合わせられるけど、今日は無理だ。


 だって泣くって、体力消耗するんだもん。しかも久しぶりだったから。


 すると彼は「ごめんごめん」と明るく言った。



「みんなが楽しくったって、湊ちゃんが楽しめなきゃダメだよな。素性も得体も知れない連中が、こんな時間に女の子を誘うなんて。ごめんね、不躾な事を言って」

「いえ、あの、そんな」



 今日の一連の騒ぎから、最も無関係な人を謝らせてしまった。 

 それにあなたのその笑顔、不躾って言葉から世界で一番遠い所にあります。とんでもない。



「タクシー呼んであげるよ。ちょっと待ってて」


 そう言って彼はポケットから携帯を取り出した。

 湊は慌ててそれを制した。


「いいですよ、悪いですっ」

「……どこが?」



 彼はプッと噴き出した。

 おかしそうに、屈託なく笑う。



「悪い、だって」

「だって、あの、そんなにお世話になる訳には」

「こんなのお世話でも何でもないでしょ。それに女の子をこんな時間に一人にさせる程、僕、人でなしじゃないよ?」



 優しい眼差し。多分、本当に人柄が滲み出ている。

 もしこれが彼の演技だとしたら、天才的だわ、本物よ。


 湊が見とれていると、彼は口角を上げてニヤッと笑った。まるで何かを企んでいる子供の様。



「じゃあさ。一緒にタクシーをつかまえに行こう? ……その間、僕と」



 そう言うと左手を腰の後ろに、右手を高々と上げ、その手をヒラヒラと舞わせながら深々とお辞儀をした。



「どうかお話頂けませんか、お姫様」



 その動作は優雅そのもの。指先まで、見とれる程美しかった。


 貴族の騎士に突然、とんでもない申し出をされた様な気分。湊は知らずに、肩にかけてあった荷物をドサ、っと地面に落としてしまった。



 あ、あたしとした事が。

 でもこれに動揺するな、って一般人には無理な話よ、動悸が収まらないっ。



 やっぱ早死にするーっ!



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