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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
誘惑の準備を-あなたが好きです-
17/54

 水道を止めて手を拭きながら、拓也は彼女を振り返った。こうなったら話題転換だ。



「な、湊。前に教えて欲しい事があるって頼んだじゃん。あれ、今教えて欲しいんだけど」

「えっ? 今仕事すんの??」

「どうせ暇でしょ? 俺、結構抱えちゃってんのよ。どーしてもわかんなくて」

「いいけど……。どうしよう、あたしも忘れちゃってるかも。ちょっと待って、テキスト取ってくる」


 湊はふきんを戻すと、慌ててパタパタと自室へ行った。拓也は彼女の後姿を見送り、もう一度溜息をついた。


 湊がリビングに戻ってくると、拓也はローテーブルに仕事の書類を広げていた。脇にはMP3が置いてある。湊は持ってきたテキストの山を彼の脇に置くと、自分が教えるよりもこれらを読んだ方が早いだろう、と伝えた。彼女はもう、数年前に勉強した事がうろ覚えになっている。



「俺、ここでやってもいい? 自分の部屋だと誘惑が多くてさ」

「もちろん。だって元々自分の部屋じゃない。煙草も吸っていいよ」

「え?」

「ヘビースモーカーが無理しちゃって。それとも健康が気になり始めた……訳じゃ無さそうだよね。その生活態度を見てれば」

「おいおい。そんな酷くないでしょ」

「煙草、嫌いじゃないよ」



 隣に座って頬杖をつき、彼女はにこっと笑った。拓也はグッと息を飲み、再び目が反らせなくなる。

 この不意打ちを食らわせるような笑顔がヤバいんだよ。あんた、分かってやってんの?


 

「懸命に仕事をしている人や、人生を送っている大人が吸う煙草って、深みがあるもの」

「……ふぅーん」

「家の中くらい自由に吸いなよ。外ではちゃんとマナーを守っているんだからさ。あたしの事を気遣ってくれてたんでしょ? ありがと」

「……でも、湊、吸わないじゃない」

「嫌になったらやめてって言うし、我慢できなくなったら容赦無く換気するし。っていうかヨシ、随分気を使うね。前から思ってたんだけど、」



 気を使うなんてお前も同じじゃん。朝飯の件は何なんだよ?

 そう拓也が思っていた時、湊はズイっと拓也を覗き込んだ。



「ヨシって実は怖がりだよね。ひょっとして、軽く対人恐怖症?」

「……はいぃ?」


 

 覗きこまれて、拓也は後ろ手をつく。近い近い近いっ。つか、何言ってる?



「だから周囲に気を配って、ガード高くして、でも真の怖がりだから気を配っていると言う事すら悟られたくなくて、結果表面上は誰とでもフラットに仲良く話せるけれど、実は自分の居場所を必死で捜している、みたいな?」


「……何、それ……」



「でもイザ相手を自分の身内と認識すると、途端に凄く我儘になるの。反動ってやつ? 自分のしたい事しかしない、相手に合わせるのが嫌で、時には一人になりたい、みたいな」


「……」


「で、そんな我儘で変人な自分を自覚しているから、そしてかなりの寂しがり屋でもあるから、自分を愛してくれる人が欲しいです、って感じ。というか、一人になりたいのに寂しがり屋ってどういう事よ?」



 長い睫毛の綺麗な瞳で覗きこまれた。大人の、どこか笑いを含んだ瞳。それがかえって柔らかく、色っぽい。

 年上の余裕で、まるで子供を見つめる様に微笑まれた事に、拓也は僅かなイラつきを感じた。

 けれどもそれ以上に……



「……あんた、こえぇーっ! どんだけ見てんの俺の事っ!!」



 あまりの図星に、びっくりして目を見開きながら、座った状態で後ずさる。

 言われた湊は反射的にかあっと赤くなった。



「なっ、みんなの事もこれくらい見ていますっ! あなたの事だけじゃありませんっ!!」

「こえぇーっこえぇーっ。あんた絶対俺の事好きだろっ?」

「なんでそうなるのよっ。おかしな鳥みたいな叫び方しないでっ!」


 拓也の巧妙な反撃に、湊は必死になって抵抗をする。いつのまにか、形勢はあっさり逆転されていた。


「いや、ぜったい俺に惚れてるね」

「……この思い上がった女ったらしっ!」


「じゃさ、百歩譲って、他人をそれだけ観察する性格だとして」

「なんでいつから上から目線?」

「んん? それで何で自分の事は持て余してんの? 人を本気で好きになれない、とか言ってたじゃん。そんなの、そのお得意の分析で一発解決なんじゃない?」


 拓也の巧妙な話題転換にすら、湊は乗せられた。

 一瞬キョトン、として、次に肩をすくめる。


「……さあ? あんまり自分の事には興味が無いのかも」


 そして打って変わったように、冷めた表情で彼女は言った。


「だって、自分がどんなタイプかなんて関係ない。この世界を生きなきゃいけない事に、変わりはない」



 何が起こっても。どんな事が身に降りかかっても。どんな状況になっても。それでも地球は回っていて、自分は生きて行かなくてはいけない。自分がどんな性格かどういうタイプか、なんて話は、与えられた選択肢の中には入っていない。



「……ふぅーん……」


 予想外の答えに、拓也は感心した。


「自分の事ばっかそんなデジタルで、疲れない?」

「……えぇ?」

「自分の気持ちだけは考えないようにする。それってかえって疲れない? ま、俺もその手だから何となく分かるけど」



 湊はマジマジと拓也を見つめる。

 それから難しい顔をして考え込んだ。



「……」

「……」

「仕事、しよっか」

「そだね」



 似た者同士の二人。こういう時もやっぱり、新しい意見や考えが浮かばない。だから諦めるタイミングも、同じ。

 拓也は書類を開いた。

 湊はテキストを開いた。



 30分後。


 どうして昔から、勉強ってのは眠くなるんだろう?



「湊いいよ。もう寝たら?」

「うん……使えそうなページだけ……選んどくから……」

「いいって。もともと俺の仕事だし、後は自分でやるよ……て、おい」



 彼女はテキストの上に顔をつけていた。


「はやっ。秒殺?」


 のび太くん並みの眠りの落ち方に、拓也は口を開けた。この人本当に寝ちゃったのかな?

 試しにそう……っと彼女の手を握ってみた。


「……わ、ぽかぽか。赤ちゃんみてぇ」


 手の平が温かい、と言う事は、本気で睡魔に襲われたと言う事。この間みたいなタヌキ寝入りでは無いらしい。


 拓也は彼女の寝顔を見つめた。少し口が開いてマヌケ。昼間の隙が無い颯爽とした顔は、みる影も無い。さっきの色っぽさも、欠片も無い。子供みたいだ。

 クスッと笑った。

 よかった。この際、こっちの状況の方がありがたい。起きていられると、二人っきりだと、こっちの身が持たない。

 とても気持ちがよさそうだから、もう少しこのままにしてあげよう。



 しばらく、彼女の手を握ったまま見つめ続ける。

 それからその手をゆっくりと持ち上げ、顔を近づけると、


 自分の唇を、彼女の手の甲にそっと押しつけた。


 

 彼は耳にイヤホンを入れると、MP3の音楽をかけながら、書類とテキストを開きはじめた。




 

 彼女が目を覚ましたのは3時間後。



 ふと気付くと、まだリビング。曲げたままの足と、頭を乗せたままの手が痺れている。ついでに言うなら腰も固まっている。


 状況が瞬時には理解できなくて顔をしかめていると、隣からすーすーと寝息が聞こえてきた。

 見ると拓也が自分の足元で、床に大の字に寝転がっていた。耳にはミュージックプレイヤー。机の上には仕事の書類。お腹の上には湊のテキスト。


 ポカン…としてから、徐々に思い出していった。そっか、あたし寝ちゃったんだ。その後もヨシは頑張ったんだ。で、もたなかったんだ。笑える。



 初めて見る彼の寝顔は、本当にあどけない物だった。この子寝顔まで童顔だなんて、どう言う事? しばらく見とれてしまう。

 それから散らばった机の上に視線を移した。これ、あたしが片づけてあげた方がいいのかな、いやむしろ触らない方がいいのかな? うーん、どっちを取っても後で文句を言われそう。


 そうだ、もう少ししたら起こしてあげればいいんだ。


 思いついて、安心した。そうと決まれば、あと小一時間くらいかな? うん、それくらい寝かせてあげよう。それまであたし、何してよう。



 部屋に戻る、という手段もあった。

 部屋に戻って雑誌を読んだりテレビを見たり、マンガを読んだり映画を見たり。

 


 でもこの時は、この場を離れたくなかった。


 もう少し、彼と同じ空気を吸っていたい。



 どうせ相手は寝ているんだから、あたしがどこにいようと関係無いよね?


 彼女は再び視線を拓也に戻した。ああもうやだ、かわいいな。


 こんな気持ち、正直壮太に対しても持った事がなかったかも。

 舞彩に後ろめたい。脳裏に浮かんだ彼女の笑顔を、慌ててかき消す。


 その時、拓也のイヤホンが目に入った。


 彼、一体どんな音楽を聞いていたんだろう?



 彼女はそっと彼の耳に手を伸ばした。ためらって、けれども少しづつ、指を近づける。

 イヤホンを取る時、かなりドキドキした。自分が彼に悪戯を仕掛けているようで、どこかとてもイヤラシイ事をしている気になり、後ろめたささえ覚えた。


 拓也の寝息は乱れなかった。やっぱり凄く疲れているんだ。



 ドキドキしながら、イヤホンを自分の耳にはめた。再生ボタンを押した。

 流れてくる曲に耳を傾ける。


 湊は瞳を閉じた。


 しばらくして、頬が緩んできた。


 拓也の隣に、床に同じように大の字になって転がってみる。

 なんだか彼と同じ空間を共有できたような気になった。すぐ目の前にある彼の部屋の扉が、向こうからすぅっと開かれた様な気分になった。固く閉ざされた彼の心の中に、入った様な気持になった。


 天井が、まるで空の様にグルグル回っている感覚を覚える。



 気持ちがいいな。


 

 いつの間にか、彼女は再び眠ってしまった。



いい歳した男女が、床の上でただ雑魚寝……もったいない(笑)

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