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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
誘惑の準備を-あなたが好きです-
12/54

「……」


 拓也はリビングの入り口で立ち往生した。

 え? これって俺、どうすればいいの?


 そこにはローテーブルの上にいくつかのからの缶チューハイを転がし、突っ伏して寝ているみなとがいた。Tシャツに短パン姿である所を見ると、会社から帰ってきて着替えた事は確かだ。つまり本人が自覚の下、気合を入れての一人呑みだったらしい。


「……」


 ここで目を覚まされたら、なんかヤバい気がする。

 スッゲー絡まれる気がする……。


 拓也は湊に触らない様に触れない様に、息を殺して、壁伝いにカニ歩きをして横切った。そしてそのまま自分の部屋に向かう。振り返った時、彼女はまだ、すーすーと平和に寝入っていた。思わず顔をしかめてしまう。


 自分もTシャツと短パンに着替え、手も洗い、じゃあ漫画でも読むかな、とベッドに腰かけた。手頃な読みかけの一冊を取り出しパラパラとめくる。だけど、頭に入って来ない。

 

 ……当り前か。こんな状況で、そりゃ無理だろ。



 そう…っと自室の扉を開けた。中から顔を突き出し、リビングの様子を覗う。彼女は先ほどと寸分違わぬ姿勢で眠り続けている。


 はあ、と溜息が出た。

 もう、いい歳した女が何なんだよ。あの人、何回俺の側で酔い潰れれば気が済むの?


 時計は22時を回っている。ここで俺が無視したら、それっていくらなんでも大人げ無いよね。人としてあんまりだよね? 社会人としてどうよ、って話よ。


 結局、拓也は渋々と彼女に近づき、屈んで、その肩を揺さぶった。



「ちょっと。…ちょっとオネーサン。起きてよ。ここで寝ないでよ」

「……」

「おいっ。いーかげんにしろよ、この酔っ払い。頭叩くぞ? おいってば」

「……」

「…んだよ、めんどくせーなー……」



 改めて盛大な溜息をつくと後ろに回り、彼女の両脇に手を入れた。しょうがねぇから部屋に運んでやる。だけど泥酔したこんなに重い人間を運ぶのはごめんだから、このままズルズルと引きずってやる。


 その時、湊の手が拓也の腕を掴み、グイっと前に引っ張った。



「うわっ!」


 拓也がバランスを崩し、彼女の背中に覆いかぶさるようにつんのめる。慌てて脇から机に手を付き、彼女を後ろから抱く様な形で突っ張った。



「わーい、引っかかったーっ!」



 えらく陽気に湊が振り返った。テーブルから顔を上げて身をよじって拓也を見上げる。顔がもろにぶつかりそうになった。拓也は慌てて体を起こした。



「え? は? 何だよ、騙したのか?」

「騙してないよーん。気持ちよくここで飲んでいましたよー、一人で」



 接近し過ぎた顔の事など全く気にしていない様子で、湊はへらへらと笑う。ビールの空き缶をこれ見よがしに振って見せられたので、拓也はカチン、ときた。


「それで人が帰ってきたら寝たフリしてたのかよ? なんなのあんたは! 性格わりぃなっ」

「あなたほどじゃぁ、ありませーん」


 

 湊はご機嫌な笑顔で拓也の腕を再びグッと引っ張り、自分に近づけた。

 拓也はドキッとするよりもギクッとなる。俺、何をされるんだ?!

 湊の目は、気のせいでは無く、座っていた。



「吉川拓也っ。君はどうしてあたしを避けるっ?」

「なっ、避けてねーよ、会わなかっただけだろ?」

「いーや、避けてたね。大体何であの冷蔵庫には物が何にも入っていないのよっ」



 いきなり話題を遠くに吹っ飛ばされる。拓也は目が点になった。



「は?」

「あんたは日頃一体、何を食べて生きているんだね? 霞かい? 仙人なのかい?」

「はぁ? やっぱみなと酔ってる。自分の部屋行って寝ろよ……って、うわ、お前! 俺のビール全部飲んでんじゃねーかよっ」

「全部って、たった三本じゃんかよう。冷蔵庫に缶ビールがたった三本。これって何ぃ?」

「何って、俺のアルコールだよっ」

「あーうるさいっ。たっぷり買ってやったから文句言うなっ! ほら、あれだけ揃えりゃ充分でしょ? 文句あるか!」



 そういうと、まるで少年探偵が犯人を特定した時の様に、ビシッと真っ直ぐ指を指した。

 冷蔵庫を。

 拓也はついて行けずに、眉根を寄せて目を細める。

 湊は「見ろ、見ろ」と言って、酔っ払いの有無を言わさぬ瞳で拓也を冷蔵庫に促した。

 渋々、恐る恐る、湊を振り返りつつもそれを開けてみると、中には食料品がびっしり、飲み物もびっしり、そしてアルコールもたんまり、入っていた。調味料もやたらとある。


 冷蔵庫を開けたまま拓也はしばらく突っ立ってしまい、呆れた様に湊を振り返った。



「……お前、これ、全部お前が食うの?」

「んふふー。これからは私が、朝ご飯を作ります」

「……何?」

「わ・た・し・が! 朝のご飯を作るの。あれはその材料。よろしくね❤」

「……よろしくね、って……」



 絶句。さっきからコイツ、一人で盛り上がってる。ウィンクなんかしてる。

 なにがどうしちゃったわけ?

 口を閉じて、息を整えると、拓也は気を取り直して言った。



「好きにすれば? でもちゃんと食べきってよね」

「食べきってよね、って、あなたも食べるのよ? ちゃんとね」

「……えーっ!!」



 今度こそ度肝を抜かれた。評判の『つぶらな瞳』が大きく見開かれる。

 そんな拓也を見て、湊は本気で笑い転げた。マジウケルっ。



「あははー。ガチで固まってるー」

「ちょっと待てよ、なんで湊がそんな事すんだよ。いらねーよ、そんなん。必要無いって」

「必要ありますぅ。どっちみち、どこかで朝ご飯を食べるならどこで食べたって同じじゃない。まさか朝からデートって訳でもないでしょ? 友達同士で住んでてさ、いくらお互い干渉し合わないって言ったって、職場も同じなのにお互いまるっきり無視。これっておかしくない? 不自然だよ」


「知るかよ。不自然かどうかは、当人達の問題だろ?」

「そうよ。それであたしが不自然って言ったら、それは不自然なの!」



 ビシっ! と、今度は拓也が指を指された。つまり拓也が不自然ならしい。それは決定ならしい。

 しばらく固まった彼は、ガク…と肩を落とした。



「……俺、朝は喰えねーのよ……」

「お腹減らないの?」

「……うん。10時過ぎないと」

「ほう。ほうほう。了解いたしました。朝は低血圧とね? ふむふむ」



 湊は勿体ぶって頷くと、何かをメモする仕草をする。

 そんな彼女を拓也は冷蔵庫の前で、疲れ切った目で眺めた。


「……」

「いいのいいの。一人分用意するのも二人分用意するのも同じでしょ? いきなり押しかけてきて悪いと思ってるし、舞彩まあやにバレないうちに必ず、この部屋を出るから。ね? それまでの間、受け取ってよ朝食ぐらい」



 そうやって素直に笑顔を見せられると、結局太刀打ちが出来ない。

 拓也はすっかり諦めて、溜息混じりに言った。



「……まあ、あんたが俺より早く起きれるんなら……」

「ふふ。交渉成立ー。それじゃしばらくの間、どうぞよろしくねー。ほら座って」



 缶チューハイを開けながら「来い来い、こっち来て」と隣を促す。

 拓也は重い足取りで、少し間を開けて近くに座った。


「……俺、外で飲んできたから、いい」

「舞彩と? それはよかったねー。まあまあそう言わず」


 そう言って湊は、開けたチューハイを拓也に渡した。

 拓也は生ぬるい目つきで彼女を見やる。


「……この酔っ払い。随分ご機嫌じゃない。湊がそんなに立て続けに酔うなんて珍しいね」

「そ? 流石に仕事のかけもちは疲れちゃってさー」



 あっけらかんと言う彼女とは対照的に、拓也は缶を口に運ぼうとした手が、一瞬止まった。

 湊は立ち上がると、「おつまみでも作るねー。梅キュウはどう? 結構いけるよ?」と言いながらキッチンに向かう。



「……嫌なら、やめれば?」



 アルコールを口につけながら、拓也は目だけで観察するように彼女の後姿を覗った。

 ところが彼女はたいして気にもしていない様子で



「うーん、今は大丈夫。実入りもいいし、確かに別人になれちゃうし? こっちも大人だし、危ない人も今んとこいないし、うん」

「……」



 とか言っている。人の気も知らないで。


 お互い合意の上での、大人の駆け引き。そんな世界に、身覚えがある。

 やっぱ現実逃避しちゃってんじゃないの? そう言おうと思って、そのまま飲み込んだ。湊を見つめながら缶チューハイを少し飲む。


 29歳目前の女が、彼氏がゲイだっつって結婚フラれたら、そりゃ現実逃避もするわな。



「それよりそっちはどうよ? 舞彩まあやとは順調? あの子可愛いでしょ?」


 くくく、と笑いながら、彼女は早くも出来上がった一品を持ってきた。キュウリを梅干しと塩とごま油でえたもの。


「何、その近所のオバサンみたいな話題の振り方。……まあね。可愛いですよ? 知っているでしょうが」


 言いながら拓也は一口つまんだ。あ、ウマい。

 湊は頬に両手を添え嬉々として叫んだ。



「ひゃーっのろけてるーっ!」

「あんたが言わせたんだろうがっ」

「ね、ね、舞彩のどんな所が可愛いの?」

「絡むなよ、酔っ払い」

「ねぇってばぁ。教えてよー、どんな所ぉ? あの子ってばヨシにべた惚れよぉ? この色男っ」

「ちょっと勘弁してよ」

「どこが気に入っているんだぁ?」



 遠慮なくグイグイ迫ってくる。絡まれる。覗きこまれる。

 もうやだ、完璧にオバサン化しているよ、この人。頼むから俺を解放して。



「……俺の事を、好きって言ってくれる所、かな?」



 流石に恥ずかしいので、あさっての方向を見ながらボソッと言う。

 その後、チューハイを大きく飲むと勢いよくキュウリを口に放り込んだ。


「……へ?」


 ぼりぼり、とキュウリを咀嚼していると横から間抜けな声が聞こえる。

 見ると、声の通り間抜けな顔をして湊がこちらを見ていた。



「へ? って何さ? ちょっと口閉じて。よだれ垂れそう」

「……ヨシが舞彩と付き合う理由って……舞彩が、ヨシの事を好きだから?」



 湊が、驚いたように聞き返す。

 それに今度は拓也が驚いた。


「他に何があるの?」

「ヨシは、自分の事を好きだと言ってくれる子と、付き合うの?」



 繰り返される質問に拓也は耳を疑った。

 この人、何を驚いてるんだ?



「はあ? すいません、俺、突然日本語に不自由しちゃったみたい。確認してもいいっすか?」



 拓也は、自分を凝視している涼やかな眼差しを覗き込んだ。

 あ、唇、綺麗だな。



「俺の事が好きな子と付き合う。当り前でしょ? 決まってんじゃない」

「自分の気持ちはっ?」



 かぶせるように言われ、キョトンとした。


「へ?」

「あんた自身の気持ちはどうなの? 自分からは好きにならないの? どうしても自分の物にしたい、とかいう気持ちは湧いてこないの?」


「……」



 胸を、ナイフで突かれた様な気がした。

 思いっきり、深く。



「今はいなくても、例えば今までに、とか。そーゆー恋愛はしてこなかったの?」

「……」



 邪気の無い表情で、涼やかな瞳で綺麗な唇で、彼女を言葉を続ける。

 一瞬拓也は、目の前の彼女を滅茶苦茶にしてやりたい衝動に駆られた。



 あんたが、それを言うか。


 

 失った恋の大きさを思い出して、その痛みと悲しみと憤りを思い出して、それらの全てを目の前の女に刻みつけてやりたくて、グッと唇を噛んだ。


 俯いて、押し黙る。



「そんな黙んないでよー。ま、人には色んなタイプがあるからさー。男なんてそんなものかもねー。自分の側にいて可愛く笑ってくれる女の子が、一番好き、みたいな? 隣の席の女の子を必ず好きになっちゃいます、みたいな?」

「……」

「ごっめん、ごめん。ヨシがそんなに悩む必要はないよ。おねぇさんが悪かった。ね? ほら飲んで。今が楽しければそれが一番!」



 バンバン、と激しく背中を叩きながら湊は拓也を揺さぶった。そしてグイっとビールを飲み、キュウリを食べ、「おいしー❤」と言っている。


 拓也は顔を上げた。

 ここで見る彼女は、あの時、あの場所で見た、静かに涙を流している彼女とは全然違った。


 自立していて、周囲とも調和が取れ、隙が無く、適度に明るい。けれども実は他人を寄せ付けず、そんな所が自分と似ている。


 だけど時々見せる、突き抜ける様な笑顔に目を奪われた。根暗な自分が救われるんじゃないかと思った。

 そしてその後偶然見た、静かな涙に心を奪われた。ありきたりに訳を知りたいと思った。



 だからあんたとは距離を置いていたんじゃないか。

 自分から好きになる事は無いのか? 笑わせんな。人には人の事情があんだ。勝手に踏み込んでくんなよ。


 

「俺は……」



 怒りを込めた眼差しで、知らず知らずに、彼は湊に近づいていた。彼女の瞳を凝視する。彼女の弱冠潤んだ瞳が、彼を見返す。

 時間の感覚を、失っていった。感情が熱を保ったまま、別の色に染まっていく。


 吸い込まれる。コントロールが利かない。


 手に入れたい。味わいたい。


 二人の距離は鼻先が触れる程。お互い見つめ合い、吐息が混ざり合った。



「……俺は……」

「……ごめん、ヨシ」



 視線を絡めたまま、湊が掠れた声で言う。

 その色っぽさに、拓也の心臓は大きく跳ね上がった。



「……え?」

「……吐きそう……」



 僅かに、二人の間に沈黙が走った。



「……てちょっと待て! ここはやめろ! ここではやめろ!! 立って、トイレトイレっ」

「……出る……」

「出すなっ! 耐えてっお願いっ」



 よろよろと立ち上がる湊を支えながら、二人は彼女の部屋に駆けこんだ。そのままトイレへ直行。

 青白い顔でトイレに座りこむ彼女に結局夜中まで付き合う羽目になり、拓也は疲労困狽するのだった。駄目だ、またやられた。



 ……この人、空気読むのマジで上手い……天才的かも。





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