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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
誘惑の準備を-あなたが好きです-
11/54

 二人でちょっとお洒落なダイニングバーに入っていた。料理の味は素晴らしく、一品の量は少ないけど品数が多くて値段も手ごろ。お酒の種類も豊富で、女性受けする様な綺麗で口当たりの良いものばかりではない。ゆっくりとがっつりと、豊かな風味を味わいたい通の男性にも評判がいい。


 でも、なんでこの人はこんなお店を知ってるのだろう? 

 舞彩まあやは隣に座っている拓也をチラ、と横目で覗った。彼は仕事中と同じ表情、僅かに眉根を寄せてスマホを眺めている。多分、仕事の資料を見ているんだ。

 吉川くんって、そんなに豪快に食べたり飲んだりする方じゃないのに。そんな彼がこういう食通のお洒落なお店を知っているっていうのは、多分、女性を連れてくるデート用のお気に入り店なんだ。



 胸が、小さくズキっと痛む。

 さっきから彼は、顔を上げてくれない。こっちを見てくれない。なのにその横顔は、狂おしいくらいにカッコよくて見とれてしまう。カッコよすぎて、胸に刺さって、苦しい。

 付き合い始めても、彼は特段態度を変える事が無かった。社内でも外でも。それが舞彩を不安な気持ちにさせた。

 それでもね、私と話す時はすごく楽しそうだから。私の目をじっと見てくれるし。声を上げて笑ってくれるし、楽しそうに喋ってくれるし、優しく見つめてくれるの。


 なのに、どうしてこんなに切ないんだろう。

 側にいるのに、彼女なのに、どうしてこんなに苦しくって、泣きたくなって、不安なんだろう。


 多分、私が彼の事を好きすぎるからだわ。


 大好き、大好き、大好き。世界で一番、大好き。

 あなたが手に入るなら、もう他には何も要らない。あなたが私を側に置いてくれるなら、私、どんなことでも耐えてみせる。

 あなたを繋ぎとめる為なら、私、どんな事でもしてみせる。


 だから、お願いだから、顔を上げて? こっちを見て?

 そして私に微笑んで?

 お願い。ほら。



「ん?」



 不意に拓也が顔を上げた。丸っこい眼で舞彩を見る。舞彩は驚いて、ドキッとした。



「あ、ごめん、ちょっと飛んじゃった。ごめんね。これしまっとく」


 彼は微笑みながら携帯をポケットに滑らせる。

 舞彩は嬉しくなった。


「ううん。最近仕事が忙しそうだね」

「まあね。コンサルの仕事を一件丸々任せて貰えたんだけど、初めてだしさ。どうも要領がつかめなくて」

「吉川くん、要領良さそうだもんね」

「うん、俺、器用なの」



 そう言いながら彼は笑う。目元が優しく細められて、今は自分だけを見つめてくれていて、彼女は泣きたくなるくらい嬉しくなる。

 なんか飲む? と言いながら、彼は楽しそうにメニューを広げ始めた。

 舞彩はメニューを覗き込む為に、そっと彼の肩に頬を寄せた。あ、吉川くんの匂いがする。大好き。



「今度の社内旅行の温泉、楽しみだねぇ」

「そうだね。久しぶりにゆっくりしたいなぁ。温泉の中で浮かんで、上がったらビールでもかっくらって、みんなでバカ騒ぎやった後縁側でボーっとしたい」

「温泉に縁側なんて、あるの?」

「なかったっけ、あそこ?」

「そんな高級なお部屋は、室長だけよ」

「そっかー。くー、じゃ、室長のとこに押しかけようか」

「そういう事が出来るのは吉川くんだけよ。吉川くんって、目上の人達ともすごく仲いいんだもん」

「そう? だって室長も、結構腹の出たタダのおっさんよ?」

「わーっ。言っちゃったーっ。そーゆー事言えるのが吉川くんなんだよぉ」

「ひでぇな、みんな陰で言ってるよ」



 二人で声を上げて笑いあう。

 心の中で、舞彩は思った。


 私達、まだ軽いキスしかしていない。今日は平日だし明日も仕事だから、きっとこのままお開きよね。

 いつかな、次のステップに進めるのは。いつ頃彼は……私に、手を出してくれるのかな?

 私、色気が足りないのかな? 彼の豊富な女性経験からすると、私ってまだまだなのかしら?


 上目遣いで彼を見る。

 そんな彼女に拓也は軽く視線を移しニコッとすると、目の前の店員に注文を始めた。


 今度の社内旅行。それに賭けてみよう。

 それまでに色々と研究をして、きっと彼を誘ってみせる。






「ほい、バイト代」

「どもどもどもー」


 みなとは満面の笑みと共に、ちょっぴり卑屈な姿勢でそれを受け取った。やっぱ現ナマって嬉しいよね。月給の足元にも及ばない金額だけど、無機質な銀行振り込みよりずっと生々しくってギラギラしていて、欲の匂いがする。

 ……って、あれ?



「なんか多くない? 一晩5万じゃなかった?」

「もとが1週間の予定だったから申し訳ないって相手が言ってた。受け取れや」

「えー…? …ま、いいか」


 精神的にかなり、疲れたもんね。それに今はとにかくお金が必要。

 早くあの部屋、出なくちゃ。


 ほくほくと現金を懐にしまう湊を、泰成たいせいは腕を組んでニヤニヤと笑いながら見ていた。



「早速金貯める準備か? なんなら俺んとこに来るか? 部屋、余ってるぜ?」

「泰成さんが屍となって発見されるまで、決してあなたの部屋は訪れません」

「無理しちゃって。知らない仲でもないだろ? 俺の事嫌いじゃなきゃあんな事しないよな? だろ?」



 ハンサムな顔で迫られる。長身で体つきもがっしりとしているから、威圧感まである。

 湊は目を吊り上げて、泰成を睨みつけた。さっと携帯を取り出す。



「ヨシにチクる、今から」

「嘘嘘ごめんっ冗談冗談っ冗談だからやめてっ」

「うるさいっ」



 泰成の大声に湊は耳を塞いだ。声が大きいのよ、このオヤジはっ! しかも見た目に似合わない動揺の仕方をするなっ。あんたが体全体でうろたえると、部屋が揺れるのよっ!


 湊と泰成が一晩限りの関係を持ったと聞いた時、拓也は呆然とした。そしてその後、どこかのネジが飛んだかのようにキレたのを湊は目撃した。騒ぐでも暴れるでもなかったけど、目が、ヤバかったのだ。

 そしてそれを見た泰成は、顔をすーっと青ざめて後ずさった。

 それらを確認した湊は、早々にその場を後にしたのだ。


 きっと、あれだ。泰成さんは名だたる狩人、女殺しなホストでハンパなかったに違いない。

 そんな彼と数年間を共有しているヨシとしては、身内が(友人だし同僚だしで、身内って事でいいよね?)泰成さんの餌食になる事が、堪らなく嫌であるに違いない。うん、きっとそうだわ。


 だからあたし、ヨシの火の粉が飛んでくる前に、逃げよう。


 以来、泰成の弱点は拓也に違いない、と踏んでいる湊だった。 



「それにしてもあの客、藤堂にご執心だったぜ? すぐに次の申し込みがあった。なあ、5日も一緒にいてヤった訳じゃないんだろ? どういう手を使ったんだよ?」

「どう言う手って…別に。元ホストがそれを聞く? あなただってお客みんなと寝ていた訳じゃないんでしょ?」

「まあそれはそうだけど……。お前、あの客はどういうタイプだと思う?」



 タイプ、と聞かれて、湊はしばし考え込んだ。



「うーん……自分に自信がありすぎるけど、同時にコンプレックスも激しい。表面的には爽やかだけど、一旦裏に回るとかなりのS。でもそれは劣等感の裏返しでもあるから、そこをつつくと、相手に自分を認めて貰うまで付きまとう。特にそれが女だと」



 それを聞いた泰成はポカン、とした。



「……すげぇ。それでその劣等感、つついたんだ」

「てかそれで五日間引っ張った。なんか向こうは、疑似プラトニック恋愛をしている気分にでもなったんじゃないかしら? あたしの気を引こうとして、あたしに認めて貰おうと結構頑張ってたよ」

「お前……素質あるんじゃねぇか?」

「だからこのバイトやってるんじゃない」



 もちろん、五日間も一緒にいるんだから、全く何も無かった訳ではない。とりあえず下着の中に手を入れられる寸前で押し留めたが、下着の上からはくまなく触られた。それは思ったよりも気持ちの悪い物だったし、思ったよりも冷静でいられた。こっちももう大人だし、複数の男性と一通りの経験はあるし、今は彼氏もいないし。こんなのもゲームの一環、という事で。それにしても男って、つくづくしょうがないなぁ。


 泰成が事務所の居間に置いてあるパソコンを覗き込みながら言った。



「そんな小悪魔ちゃんに早速別の仕事のオファーがあるぞ。代議士さんとパーティーだ」

「……代議士? って、あの渡辺って人? お忍びなんじゃ無かったの? 世間と家族にバレずに息抜きをしたかったんじゃないの? それが何でパーティ?」

「違うよ、あいつじゃない。あいつの紹介で、別の政治家。32歳独身、かなりイケてるらしいぞ? 女性同伴で出席したいらしいんだが、知り合いの女を連れていくと後々もめごとが起こりそうで、嫌なんだと。知識と常識があって、空気が読める美人な大人の女性をご所望だ」



 ……知り合いの女を連れていくと、後々もめごとが起こりそう?

 なんかまた、しがらみの多そうな奴だなー。



「……と人を持ちあげておいて。どうせもう、引き受けたんでしょ?」

「まあな。まだ先の話だけど、準備しておけよ。パーティーマナーとか、話のネタになる様な話題とか。そこそこ業界の事と時事問題に詳しく、あとは女としての色気を醸し出せるような話題」


 なにそれ。美味しいの? 


「はいはーい」


 湊はかったるく返事をすると、帰り支度を始めた。

 泰成が意外そうに顔を上げる。



「なんだもう帰るのか? まだ早いし、久しぶりに誘おうかと思ったのに」

「……」

「食事に、だよ」



 ジロッと睨んでやると、慌てて言葉を付け足す。

 そんな彼を尻目に、彼女は扉に手をかけた。



「今日はいい。なんかもう疲れた。家でのんびり一人になりたい」



 そう言ってあっさりと部屋を出ていく。

 そこに残された泰成は、ポツン、と独り言を言った。



「……一人ったって、あいつがいるだろうが」



 あいつら、部屋ではお互い何をやってるんだろうか? 元々仲は良さそうだったけど、うーん、なんかお互いけん制し合ってるんだよな。なんでだろ? 適当にやりゃいいのに。


 泰成はソファに座ると、テーブルの上のグラスを手に取った。周りは結露していて、水が滴ってくる。中身は氷も溶け切って薄くなったウィスキーが少量。それに口をつけて、半分ほど飲んだ。手から肘にかけて、水が伝って落ちてくる。


 拓也あいつが誰かに執着をしているあの目、あれは出会った時の目と同じだ。あの時のあいつは、激しく何かに執着していた。そしてそんな自分のバランスをとる為に、不特定多数の人間と差し障りの無い会話を楽しむあの業界に入ってきたのだと思う。

 それが一年半程前から、変わった。あいつの瞳に漂う警戒感と適当感…投げやり感が急激に色濃くなった。一方で、自分の周りに高い壁を作って、人懐っこい笑顔を武器に他人を中に寄せ付けない。


 ありゃ、そうとうでっかい失恋でもしたんじゃねぇかな。


 泰成はウィスキーをテーブルに戻しながら、小さく笑った。

 若いって、いいねぇ。傷つくのも怯えるのも、警戒するのも没頭するのも、力いっぱい。俺もそんな想い、もう一度してみてぇなぁ。



「で、あいつは今、誰に執着してんだ?」



 答えが分かっていそうな問いを口に出してみて、泰成は肩を震わせて笑ってしまった。







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