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望まれなかった花嫁は消えます〜さようなら、初恋の人〜

作者: Na20
掲載日:2026/07/16

 

 みなが望むのは私ではない。

 父も母も屋敷の使用人たちも、そして初めて恋をした人でさえも。

 みなが望むは、愛らしく輝く、私と同じ顔をした女の子。


 誰一人として私を望むものはいなかった。



 ◇◇◇



 私の名前はアシェル・コルソー。コルソー子爵家の次女だ。

 私には双子の姉がいる。

 姉の名はローゼリア・コルソー。

 父譲りの輝く金の髪に、母譲りの美しい緑の瞳を持つ、誰もが見惚れるほどの美しい令嬢。

 一方の私はくすんだ銀の髪と、氷のような青の瞳。


 同じ母から同じ日に生まれた。

 けれど私たちの扱いは違っていた。


 使用人たちから聞いた話によれば、ローゼリアは美しい子だと抱き上げられ、私は不吉だと遠ざけられたそう。


 たしかに顔は双子なだけあって、よく似ている。

 しかし一方は両親の特徴を色濃く継ぎ、一方は両親の特徴を一つも受け継いでいなかった。



「不吉ね」


「不気味な子」



 使用人たちがよく口にしていた言葉。

 幼い頃の私は、その意味も分からず笑っていた。

 けれど成長するにつれ、その言葉の意味を理解していく。



「これでその不吉な色を隠しなさい」



 母にそう言われ、外へ出る日は必ず金髪のカツラを被せられた。

 もし少しでも銀髪が見えれば叱責される。

 だから髪は肩より短くされた。



「私に恥をかかせる気?」



 同じ顔をした姉は、いつも冷たく私を見下ろしていた。



「どうして私と同じ顔なのに、そんな気味の悪い色なのかしら」



 姉が何を言っても、父と母は何も言わない。

 むしろその表情は、関わりたくないと如実に語っていた。

 私はまるで空気のような存在。

 姉だけが両親の子であり、私はいらない子。


 双子なのに誕生日会も、贈り物も、新しいドレスも、姉のためにしか存在しなかった。

 私が両親からもらったのは、金髪のカツラだけ。


 服は姉のお下がりばかり。新しい服なんて買ってもらったことはない。

 それでも私は文句を言わなかった。

 なぜなら言えば迷惑をかけるだけだから。


 誰も私には期待していない。

 ただ存在を隠すように静かに生きていくことだけが、求められた唯一。


 それが私にとって当たり前の人生だった。



 ◇◇◇



 十七歳になったある日、王都で大きな夜会が開かれた。

 私はいつもどおり、姉の引き立て役として隣に立つ。



「ああ、なんと美しい」


「うふふ、ありがとう」


「私とぜひ一曲」


「ええ、喜んで」



 男性の手を取り、笑顔でダンスを踊る姉。

 なんて眩しいのだろう。

 私は壁際で微笑みながらその光景を見ていた。

 姉たちの他にも、たくさんの人がダンスを踊っている。

 家族、恋人、婚約者。

 みな大切な人に笑顔を向けている。


 しかし私にはそんな人はいないし、そもそも誰も私を見ようとはしない。

 悲しいとは思う。

 けれどそれでいいとも思っている自分もいて。

 だってその方が楽だから。

 なんて心の中で一人言い訳をしても、しだいに華やかな音楽と人々の笑い声に、胸が苦しくなっていく。



「⋯⋯少し風に当たろう」



 誰に聞かせるでもなく呟いた私は、さっと会場を抜け出した。


 夜の庭園は静かだった。

 風が微かな音と花の香りを運び、月明かりが白い石畳を照らしている。

 静かで落ち着いた場所。


 深く息を吐いた、その時だった。



『っ⋯⋯』



 木陰から小さな声が聞こえた。



(!)



 私は思わず足を止めた。

 誰もいないと思ったのに、どうやら先客がいたらしい。



「⋯⋯誰、かしら」



 思わずポツリと零れ出た言葉。

 いつもの私ならそんなことなんて考えない。

 けれどこの時は、夜会の華やかな空気に気づかぬうちに当てられたのだろうか。どうにも気になってしまった。

 一体誰が。

 そう思い木陰に近づき、そっと覗いた。



「っ⋯⋯」



 そこに立っていたのは一人の青年。

 私は思わず息を呑んだ。

 なぜならその人は、泣いていたから。

 月明かりを受けた一筋の涙が、静かに頬を伝っている。


 不意に胸が締めつけられた。

 どうして泣いているのだろう。

 人目に隠れて静かに涙を流す青年。

 声をかけたい。そしてその涙を拭ってあげたい。

 そんな思いが過り、ハッと我に返った。



(私ったら何を⋯⋯)



 何をバカなことを考えたのか。

 私が近づいても、相手はただ迷惑でしかない。

 それに不吉だ、不気味だと言われ続けた私に、人を慰める資格などあるわけがない。

 むしろ嫌がられるだけに決まっている。



「⋯⋯」



 迷った末、私は白いハンカチを取り出した。

 自分で青い花と銀の小鳥を刺繍したハンカチ。

 せめてもの慰めになってほしい。

 そう願いながら、私は気づかれないように青年の近くにそっとハンカチを置いた。


 これでいい。

 私は音を立てず踵を返そうとした。



 ――コツ



「っ」



 しかし運の悪いことに、履き慣れないヒールが石畳を鳴らした。



「誰だ!」



 青年が振り返り、気づかれた私は焦った。



「ご、ごめんなさい」



 何とかそれだけにを口にし、私はその場から走り去った。



「待っ――」



 背後で声がしたけれど私は振り返らない。

 振り返ってしまえば、私が誰だか気づかれてしまう。

 だから逃げるように庭園を後にした。


 あの人が少しでも笑顔になれますように。

 ただそれだけを願って。



 ◇◇◇



 数日後、子爵家に一通の書状が届いた。

 差出人はボルトニア辺境伯家。



【当家の心美しいご令嬢を花嫁に迎え入れたい】



「ローゼリアにボルトニア辺境伯様から縁談だ!」



 書状を読んで、父はローゼリアへの縁談だと歓喜した。

 相手は格上の辺境伯家。

 ローゼリアは社交界で美しい令嬢だともっぱらの評判だ。

 きっと辺境伯様もその評判を耳にし、姉を見初めたのだろう。

 母も顔を輝かせている。


 しかし姉だけは、縁談相手の名を聞いて声を震わせた。



「ボ、ボルトニア辺境伯? ⋯⋯まさか『死神』と呼ばれている、あの……?」



 社交界の繋がりがほとんどない私ですら、噂は聞いたことがある。


 ルーカス・ボルトニア。

 王国最北の地を守る若き辺境伯。

 戦場で容赦なく敵を討つ姿から『死神』と恐れられている人物だ。



「嫌!」



 姉は勢いよく立ち上がり叫んだ。



「そんな恐ろしい人のところへなんて嫁ぎたくないわ!」



 実はボルトニア辺境伯が死神と呼ばれる所以は、戦場での姿以外にもある。

 それは、辺境伯の姿を見たことのある者が少ないからだ。

 社交界に顔を出すことは滅多になく、たとえ辺境伯の武功を讃えるために開かれた夜会だとしても、本人は姿を現すことはないらしい。


 圧倒的な武力を持ちながらも、決してその姿を見せることがない。

 それが知らぬ間に命を刈り取る『死神』のようだと、令嬢たちから恐れられているのだ。


 だから姉が嫁ぎたくないと言いたくなる気持ちは分からなくもない。しかし、



「何を言っているんだ! 断れば子爵家は終わるんだぞ!?」



 父は焦ったように声を上げた。

 我が家は華々しい功績もなければ特出した特産もない、平凡な子爵家。

 雲の上の存在であるボルトニア辺境伯からの縁談を断れば、どんな未来が待っているかなんて簡単に想像できる。


 部屋の中に重苦しい空気が流れた。

 父は頭を抱え、姉は嫌だと涙を流している。

 そして私はその光景を黙って見ているだけ。

 しかし母は違った。



「アシェル」


「っ! ⋯⋯はい」


 母が私の名を呼んだ。名を呼ばれるのはいつぶりだろう。

 あまりにも昔のことで、返事が遅れてしまった。

 何を言われるのだろう。嫌な予感がする。



「あなたも我が家の娘よね?」


「えっ⋯⋯」


「あら、違ったのかしら?」



 両親が私を娘だと思っていないことは分かっている。

 分かってはいるが、今この場で違うなんてとてもじゃないが言える雰囲気ではない。



「⋯⋯違いません」



 だからこう答えるしかなかった。

 母はこの答えに満足したようで、笑顔を浮かべた。



「うふふ。そうよね?」


「っ⋯⋯はい」



 初めて自身に向けられた母の笑顔。

 このような時ではなければ、もしかしたら嬉しいと思ったかもしれない。

 けれど今はその笑顔がただただ恐ろしい。



「それじゃあこういうのはどうかしら? 美しい姉には想い人がいた。だから()()()()妹が、自ら花嫁に名乗り出た、と」


「⋯⋯なるほどな」



 母の言いたいことを理解したのか、父が頷いた。



「ええ。双子なのだから顔立ちだけは似ているし、あちらは心美しい娘というだけでどちらとは指定していないもの。姉の幸せを願う心美しい妹。これなら何の問題もないのではなくて?」


「そのとおりだな」


「さすがお母様! まさかこの子が役に立つ日が来るなんてね!」



 父と姉は安堵したように笑う。

 そして母が最後に言った。



「あなたは我が家の娘だもの。だから、大丈夫よね?」



 その言葉に私を想う気持ちは一欠片もない。

 それでも私は静かに頭を下げた。



「……かしこまりました」



 失望が身体を埋め尽くしていく。

 たとえ姉のように嫌だと叫んでも、私を助けてくれる人なんて誰もいない。

 私に断るという選択肢は最初から存在しない。

 そんな現実を改めて突きつけられたのである。



 けれどこの時の私はまだ知らなかった。

 嫁ぐ相手――ボルトニア辺境伯が、あの夜、庭園で涙を流していた青年だということを。

 そして、その事実を知った私の運命が大きく変わることを。



 ◇◇◇



 辺境伯領へ向かう馬車は、いつしか雪景色へと変わっていった。

 窓の外にはどこまでも続く白銀の世界。

 北方の冬は厳しいと聞いたことがあったが、まさかこんな光景だとは思ってもいなかった。



「真っ白⋯⋯」



 私は馬車に揺られながらぼんやりと外を眺めた。

 この馬車に乗っているのは私一人。

 輿入れの際に、侍女を一人だけであれば連れてきていいと書状に記されていたが、誰も行きたがらず、結局一人で輿入れすることになった。



「⋯⋯辺境伯様は、どんな方かしら」



 いない侍女のことを考えても仕方ないと、他のことを考えることにする。

『死神』と恐れられるボルトニア辺境伯。

 噂では冷酷無慈悲と言われているが、本当のところはどうなのだろう。

 ただの噂か、それとも真実か。

 敵味方問わず恐れられ、笑うこともない。

 漆黒の髪と瞳がより一層彼を冷酷に見せるという。



「漆黒の髪⋯⋯」



 その言葉で私の頭に思い浮かんだのは、夜会で見たあの横顔。

 月明かりの下、一人静かに涙を流していた青年。

 もしあの方だったら――



「⋯⋯だめね」



 あり得ない考えを振り払うように、私は小さく頭を振った。


 数日後、馬車は辺境伯邸へ到着した。

 想像以上に雪が深く、予定より時間がかかってしまったが、無事にたどり着くことができてホッと胸をなで下ろす。


 執事に案内され、応接間へと通された。

 辺境伯の屋敷は『死神』という言葉から想像していたような暗い屋敷ではなく、立派な城だった。

 貴族の屋敷の基準は分からない。

 けれどコルソー子爵家よりも何倍も広く、そして威厳があった。


 応接間で一人静かに待つ。



 ――コンコンコン



 少しして扉がノックされた。



「っ⋯⋯」



 思わず肩が跳ねる。いよいよこの時が来てしまった。

 緊張からか喉が渇き、膝の上に置いた手が微かに震える。

 覚悟はしていた。

 けれどいざ現実を目の前で突きつけられると思うと怖くなった。



 ――ガチャ



 少し間を置いて扉が開く。

 そして開かれた扉から、一人の男性が姿を現した。



(うそ⋯⋯)



 背は高く、素人が見てもよく鍛えられているのが分かる体格。

 そして噂どおりの漆黒の髪と瞳。

 けれどその顔を見て、私は息を呑んだ。



(⋯⋯あの人だ)



 間違いない。

 夜会の日、庭園で涙を流していた青年だ。

 胸が熱くなる。

 また会えた。

 あの日は何もできなかった。

 だから今度は少しでもこの人の支えになりたい。

 そんな淡い望みが胸いっぱいに広がっていく。


 しかし次の瞬間、私は現実を知ることになる。

 部屋に入った彼は、私を一目見て本当に小さく、だけどたしかに呟いたのだ。



「……はずれか」



 私に聞かせるために言ったわけではないのだろう。

 けれど常に周囲をうかがって生きてきた私には、そんな小さなつぶやきでさえも聞こえてしまった。


『はずれ』


 その一言だけで、彼が私をどのように思っているのかを理解するのには十分だった。

 胸の中で何かが音を立てて砕け散る。

 そうだった。一体何を期待していたのか。

 私を望む人なんてこの世に誰一人としていないことなど、最初から分かっていたのに。



「長旅ご苦労だった」



 それだけ言って、彼は部屋から出ていった。



 ――パタン



 そして扉が閉まった時、私の心は完全に壊れた。



 ◇◇◇




 その夜、私は一人客室で荷物を整理していた。

 正式な婚姻を迎えるまでは、客室で過ごすようにと伝えられている。

 数少ない荷物の中から、私は一冊の日記帳を取り出した。


 この日記帳は私の唯一の理解者であり、心の支え。

 ここには誰にも言えなかった、たくさんの想いが書き綴られている。


 私は机の上に日記帳を置くと震える手でページを開き、そしてペンを持った。

 ここに記すのは、私の嘘偽りのない想い。



『再びあのお方とお会いすることができました』


『運命だと思いました』


『けれど私にはそんな夢を見る資格なんてありませんでした』



「⋯⋯あ」



 気づけば涙が零れていた。零れた涙が、紙の上の文字を滲ませる。

 それでも私はそのまま書き続けた。



『嬉しかった。本当に嬉しかった。でも私ではダメでした』


『はずれの私』


『なぜ愚かにも期待してしまったのでしょう』



 心の内を紙の上に書き連ねていく。

 そして心のすべてをさらけ出し終わるとペンを置いた。

 ところどころ滲む文字。

 多少読みにくいが、別に構わない。

 この日記帳――私の心はもういらないから。



「⋯⋯疲れたわ」



 今はもう涙は流れていなかった。

 もしかしたら涙が枯れ果てたのかもしれない。

 けれどそれでも構わない。


 だってアシェル・コルソーは、今日ここで消えるのだから。




 ◆◆◆




 一方その頃、ルーカスは執務室で書類を眺めていた。



「はぁ⋯⋯」



 北方は厳しい場所だ。

 だから考えなければならないことも、やらなければならないこともたくさんある。

 それなのにどうしてだか、目の前の書類に書かれた文字が頭に入ってこない。



(まさか()()()()()()の方が来るとは⋯⋯)



 滅多に社交界に顔を出さない私が、身分を隠し参加したあの夜会。

 そこで北方の戦士たちをバカにする言葉に苛立ちを覚えた私は、これ以上はここにいられないと、人目のつかない場所を求めた。

 そして見つけたあの庭園。そこで月を眺めていた。

 北方のために命を落とした戦士たちに対する申し訳なさ。そして己の不甲斐なさ。

 そんなことを考えていると自然と涙が頬を伝っていた。


 そんな時だった。

 月明かりの中、何も言わずハンカチを置いて去っていく彼女を見つけたのは。

 言葉を交わしたわけではない。

 けれどあの日からなぜだか彼女のことが忘れられなかった。


 名前も知らない、心美しい女性。

 呼び止めた際に一瞬こちらを向いたが、顔はよく見えなかった。

 覚えているのは、月明かりに輝く金の髪だけ。


 夜会の翌日、すぐに金の髪の令嬢を探した。

 もしかしたら見つからないのではと不安になったが、運のいいことにその令嬢はすぐに見つかった。


 昨日の夜会に参加していて、金の髪の年頃の令嬢。

 その条件に一致したのはたった二人だけ。

 ローゼリア・コルソーとアシェル・コルソー。

 コルソー子爵家の双子の令嬢。

 姉のローゼリアは美しく心優しいと評判の令嬢。

 それに引き換え妹のアシェルは見た目は同じでも、意地悪だと噂される悪女。


 だから私の探す女性が、ローゼリア嬢だということはすぐに分かった。

 分かったら居ても立っても居られないず、すぐに縁談の書状をコルソー子爵家へと送った。


 しかしこの時の私は、初めての感情に浮かれていた。

 そのせいで書状に明確に名を記さず『心美しい令嬢を花嫁に』などと曖昧にしてしまったのだ。



「⋯⋯私は何をやっているんだ」



 そしてその結果が先ほどの対面だ。

 部屋に入った瞬間落胆した。

 なぜなら部屋にいた花嫁は、銀色の髪だったから。

 まさか別の娘がやってくるなんて予想もしていなかった。


 たしかにコルソー子爵家を調べた時、金の髪の双子の他に銀の髪の娘もいるとの報告を受けた。

 その報告を受けた私は、その娘が双子の妹だと思った。

 妹であれば、年齢を考えても花嫁に選ばれることはない。

 そう思っていたのにやってきたのはその銀髪の娘。

 あまりにも落胆が大きく、だから思わず声が漏れてしまったのだ。


『……はずれか』


 冷静になった今なら分かる。私はなんて失礼な言動をしてしまったのかと。

 あの令嬢は何も悪くない。

 むしろ『死神』と呼ばれ恐れられている私のもとに侍女も連れず一人で嫁いできてくれたのだ。

 悪いのは、すべてを曖昧にした私。



「最低だな⋯⋯」



 謝ろう。

 彼女は私の求めた女性ではない。

 けれどそれは己の過ちだ。その過ちを彼女のせいにしてはいけない。



「はぁ⋯⋯」



 もう一度深く息を吐く。

 彼女を愛せる自信はない。

 けれどせめて夫として誠実であろう。そう決めた。

 あの日の彼女との出会いは美しい思い出のまま心に仕舞うことにする。

 明日の朝、彼女を朝食に誘おう。そして謝るんだ。


 しかしこの時の私はまだ気づいていなかった。

 自分が美しい思い出のまま諦めようとしている相手こそが、あの夜に出会った女性だということ。


 そして花嫁が、私の愚かな一言で心を閉ざしてしまったということを。



 ◆◆◆



 翌朝。

 私は彼女を朝食へ誘おうと客室を訪れていた。

 昨日は私のせいで、彼女と一言も言葉を交わさなかった。

 顔合わせのあとの夕食ではまだ私の心が落ち着かず、長旅で疲れているだろうからと、彼女を気遣うフリをして部屋へと運ぶよう侍女へ命じたのだ。


 部屋の前に立つ。

 最初が肝心だ。潔く謝ろう。

 でもあの時のつぶやきはとても小さかったから、きっと聞こえていない。

 無礼な態度をとったことを謝れば大丈夫。


 扉を軽く叩いてから、彼女に向けて話しかけた。



「少し話がしたい。今いいだろうか」


『⋯⋯』



 待ってみるも返事はない。

 遅めの時間に来てはみたが、もしかしたら長旅で疲れてまだ寝ているのかもしれない。

 そう思いもう一度扉を叩く。



「コルソー嬢。少しいいだろうか」


『⋯⋯』



 しかし一向に返事は聞こえてこない。



(何かおかしい)



 何がかは分からない。けれど今のこの状況に、私は違和感を覚えた。



「失礼する!」



 女性の滞在する部屋に無断で入るのはよくないことだと分かっている。

 けれど開けなければいけない。

 直感的にそう思い、一言断りを入れて扉を開けたが、部屋には誰もいなかった。



「いない、だと⋯⋯?」



 部屋を見回しても、彼女はどこにもいない。

 それどころか部屋のベッドは綺麗に整えられたままで、まるで眠った様子が見受けられなかった。



「誰か!」



 私は叫んだ。

 少しして侍女が慌てて駆け寄ってきた。



「旦那様。いかがなさいまし⋯⋯」


「彼女は?」


「え?」


「彼女はどこにいるんだ!」



 私の言葉に侍女が青ざめた。目に見えて震えているのが分かる。

 それはそうだ。私の威圧を目の前で受けたのだから。

 けれど今は時間が惜しい。



「最後に彼女の姿を確認したのはいつだ」


「あ⋯⋯さ、昨夜、湯あみの手伝いを⋯⋯」


「今朝は」


「お、お疲れかと思い、起きてこられるまでは、ゆっくりして、いただこうと⋯⋯」


「くそっ!」



 私は部屋を飛び出し屋敷中を探した。

 しかしどこにも彼女の姿はない。



「ルーカス様」



 執事が私の下へ駆け寄ってくる。



「どうした」


「門番から報告が。昨夜、裏門が開いた可能性があると」


「昨夜だと?」



 この時期は雪の降る日がほとんどで、太陽が差す日は数えるほどしかない。

 当然昨夜も雪が降っていた。嫌な予感しかしない。



「なぜ報告しなかった!」


「門番も気づいたのがつい先ほどだと……」



 雪が深いためこの時期は裏門を開けないことになっている。

 それにここは『死神』の住む屋敷。

 手出ししてくる馬鹿な者などいない。

 だからか門番は気が緩み、裏門が開いたことに気づかなかった。


 私は拳を握り締めた。

 土地勘のない者が、この時期に外を出歩くなど自殺行為と何ら変わりない。

 だけど彼女は自ら屋敷を出た可能性が高い。

 その事実に、背中に冷たい汗が伝う。



(私が彼女を追い詰めた⋯⋯?)



「だ、旦那様」



 その時、先ほどの侍女が何かを抱え私の下へとやってきた。



「⋯⋯なんだ」


「あの、客室の机にこちらが⋯⋯」



 そう言って抱えていた何かを私に差し出した。



「これは⋯⋯本?」


「おそらく日記帳かと⋯⋯」


「日記帳⋯⋯」


「その、コルソー令嬢の他の荷物はすべて鞄の中に入ったままだったのですが、これだけは鞄から取り出されていました。もしかしたら何か、書かれたのかもしれません」


「っ!」



 侍女の言葉に心臓が跳ねた。

 もし本当に彼女が何かを書いたのだとすれば、きっと昨日のことだ。

 なんてひどい男なのか、と。


 私は手にある日記帳に恐る恐る視線を向けた。

 この日記帳、どうやら鍵が掛かるようになっているが、鍵は掛かっておらず開いたままになっている。

 まるで誰かに読んでほしい、そう言っているかのようだ。


 どうするべきか迷った。

 しかし今は少しでも彼女に繋がる情報が欲しい。



「……許してくれ」



 私はそっと表紙を開く。

 すると最初のページに、幼い文字でこう書かれていた。



『どうしてわたしはみんなとちがうの?』



 次のページをめくる。



『わたしはなんでぎんいろなんだろう。わたしもみんなとおなじがよかった』



 さらに次のページ。



『おとうさまから、そとにでるときはカツラをかぶるようにといわれました。かぶるのはすこしたいへんだけど、みんなとおなじでうれしい』



 ページを捲る手が止まった。



「……カツラ?」



 心臓が早鐘を打つ。

 実物を見たことはない。けれどそれが何に使うものかは知っている。



(彼女は父親から髪をカツラで隠すように言われていた⋯⋯?)



 次のページをめくる。

 どうやらこの日記帳は、毎日書かれているわけではないらしく、彼女の中で何か大きな出来事があった時にだけ書いているようだ。


 どんどんページをめくっていく。

 そして私はあるページで手を止めた。



「これは⋯⋯」



『今日はお姉様と一緒に夜会へ行きました』



 それは私が、王都で開かれた夜会に参加した日と同じ日付の日記だった。

 王都の夜会。日付。

 この二つに私は心当たりがあった。



「⋯⋯彼女もあの夜会にいたのか」



 私が身分を隠し参加したあの夜会。

 報告にはなかったが、まさか彼女も双子の姉妹とともに参加していたとは。

 続きが気になった私は日記を読み進めた。



『お姉様の周りにはいつもたくさんの人がいるのに、私はいつもひとりぼっち』


『だけど笑顔を忘れてはいけない』


『だって私にはそれしかできないから』



 日記を読んで分かったが、彼女は家族から疎まれ虐げられてきたようだ。

 そんな辛い人生を歩んできた彼女に、私は何をした?

 胸が苦しくなる。

 だけどこの文字から目が離せない。



『お姉様がダンスを踊りにホールへと向かったので、静かな場所を探しに外へと出ました』


『夜の庭園は静かで優しくて』


『だけどそこで泣いている男の人がいました』



 ――ドクン



 読んだ瞬間、鼓動が大きく跳ねた。



『あまりの美しさに言葉がでませんでした』


『涙を拭ってあげたい』


『でも私が近づけば迷惑になる。だから気づかれないようにハンカチを置いて去ろうとしました』



 まるであの時と同じ。



『私の一番大切な、幸運の青い花と幸せを運ぶ銀の小鳥を刺繍したハンカチ』


『去り際気づかれてしまったけれど、きっと姿は見られていないはず。だから私が誰だか気づいていないでしょう』


『だけどそれでいいのです。私もあのお方が誰だか分からないのですから』



 彼女は私のことを知らなかった。

 それなのに再会した瞬間、私は彼女に⋯⋯

 そしてその日の日記の最後には、こう記されていた。



『どうかあのお方が涙を流すことのない、幸せな人生を歩めますように』



「……っ!」



 私は息を呑んだ。

 見ず知らずの人間の幸せを願い、大切なハンカチをくれた彼女。

 まさか彼女こそが、私が探していた女性だったなんて。

 私はハンカチが仕舞ってある胸元を握りしめた。


 私はなんという過ちをおかしてしまったのか。

 だが今は後悔をしている場合ではない。

 一刻も早く彼女を見つけなければ。


 私は意を決し、続きのページをめくった。



「あ⋯⋯」



 そしてそこには、昨日の彼女の想いが記されていた。



『再びあのお方とお会いすることができました』


『運命だと思いました』


『けれど私にはそんな幸せな夢を見る資格なんてありませんでした』



 資格なんて必要ない。

 私が望んでいたのは⋯⋯



『嬉しかった。本当に嬉しかった。でも私ではダメでした』


『はずれの私』


『なぜ愚かにも期待してしまったのでしょう』



 小さくつぶやいた、自分でも思わず溢れてしまったあの言葉。

 それを彼女に聞かれていたなんて。

 私は本当に取り返しのつかないことを⋯⋯

 震える手で次のページをめくる。

 そしてそれが最後のページだった。


 そこには私に宛てたであろう言葉が記されていた。



『どうかお幸せに』


『さようなら』



 そのあとのページをどれだけめくっても、何も書かれていない。


『さようなら』


 その言葉でこの日記帳は終わっていた。



「そんな⋯⋯」



 嘘だ。ようやく出会えたのに⋯⋯

 膝から力が抜け、私はその場へ崩れ落ちた。



「ルーカス様!」


「旦那様!」



 執事と侍女が駆け寄る。

 しかし私にその声は届かない。


 金色の髪だと思っていた。だから別人だと思った。

 でも声を一言でも聞いていたら、あの日の彼女だと気づけたかもしれない。

 私が誠実な態度でいたら⋯⋯

 後悔が止まらない。


 あの日、夜の庭園で私の心に寄り添ってくれた人。

 彼女こそが、私の望んだ花嫁だった。



「私が、追い出してしまった⋯⋯」



 初めて心から望んだ人。

 誰よりも大切にしたかった人。

 それなのに私はその人を傷つけ、自ら屋敷を去る選択をさせてしまった。



「っ、馬を用意しろ! 急げ!」



 屋敷中へ怒声が響く。



「探すんだ! どんな小さな情報でもいい! 絶対に見逃すな!」



 そう叫び、雪降る世界へと飛び出した。

 まだ間に合う。きっと近くにいる。

 そう信じ探し続けた。


 けれどその願いは叶わなかった。

 どれだけ探しても彼女は見つからない。


 雪が彼女の痕跡をすべて消してしまった。

 まるで最初から存在しなかったかのように。




 一冊の古い日記帳と、青と銀の刺繍が入ったハンカチ。

 それだけが彼女がたしかにここにいた証として、私の手元に今でも残り続けている。



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