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三対七

鍛冶国王 第九話


 手振りだけで終わった交渉の余韻は、奇妙だった。


 数量は不明。

 価格も曖昧。

 だが「成立」とだけ告げられた。


 紙には何も書かれていない。


 それでも空気だけが、確定している。


 宰相代理は、その違和感を飲み込みながら、慎重に口を開いた。


「それはそうと――」


 国王を少し斜めに見ながら。


「なかなかの剣をお作りになる、

名工が、そちらにもいらっしゃると聞きます」


 熊の外套を纏った国王は、返事をしない。


 ただ、さきほどまで手を広げていたその両手を、

今は膝に置き、ぼんやりと卓上を眺めている。

 あまりにも静かだ。


「となりますと」


 宰相代理は、外交官の声色に戻る。


「我が国の鉄鉱石が武具に使われるのは……」


 言葉を濁す。


「いささか、こちらにとっても、

脅威となり得るかと」


 流れる重い沈黙。

 先ほどまで手振りで暴れていた空間が、急に冷えた。


 その時だった。

 熊が、もそりと動いた。

 毛皮に包まれた太い腕が伸び、

 ぽん、と国王の胸元を叩く。


 そしてもう一度、ぽん。

 もう一度伸びようとした手に向かい。


「……なんだ?」


 国王は身を屈める。

 そして熊の口元に、耳を寄せる。


 ひそひそ。

 ごそごそ。

 喉の奥で低く鳴る音。


 宰相代理は、息を止めて待った。


 意味は分からない。

 だが今、何かが決まろうとしていることだけは分かる。


 やがて、国王が顔を上げた。


「ああ!」


 急に、明るい声を出す。


「それ、良いな」


一瞬ビクッとなる宰相代理。

 

「……なんでしょうか?」


 宰相代理の背中に、冷たい汗が流れる。


「鉄鉱石、くれたら」


 国王は、あっさりと言った。


「剣、作ってあげる」


「……はぁ?」


 また沈黙。

 理解が追いつかない沈黙。


「……はい?」


「だからさ」


 国王は、当然のように続ける。


「剣を作らせてくれればいいんだよ」


「……それだけで?」


「うん」


 あまりにも軽い。


「代金は、剣で払おう」


 宰相代理は、思わず執事を見る。

 執事は、静かに一歩前に出た。


「加工賃と技術料がございますので」


 淡々と告げる。


「割合としては、三対七が妥当かと」


「……なんの割合で?」


「そちらに三割分の剣をお渡しいたします」

「残り七割は当方で使用いたします」


 宰相代理は、目を瞬かせた。

 鉄鉱石を渡す。

 代金は剣。

 しかもその大半は西が持つ。


 これは取引か?

 それとも――

 罠か?


「……費用は、剣で払う、と?」


 宰相代理は慎重に言葉を選んだ。


「その剣に、それほどの価値が?」


 国王は、ちらりと執事を見る。


「疑われてるな」


「当然でしょう」


 執事は即答する。

 国王は肩をすくめた。


「俺は、剣が打てればそれで良いよ」


 少し控えめになって。


「剣というか――」


 少し考える。

 ほんの一瞬だけ、空気が変わる。


「刀だな」


 静かに言った。


「……刀?」


 宰相代理は聞き返す。


「剣と、何が違うのです?」


 国王は、ほんの一瞬だけ黙った。

 熊も、ぴたりと動きを止める。

 その沈黙は、先ほどの手振りの混乱とは質が違う。

 軽くない。


「知らない方が良い」


 国王の即答だった。


 理由はない。

 説明もない。


「……は?」


「まぁ、剣、作って渡しゃ良いんだろ?」


 国王は、にっと笑う。


「オッケー」


 軽い。


 だがその軽さの裏に、何かがある。

 宰相代理は、

胸の奥がひやりとするのを感じた。


 刀。


 それは、ただの名称の違いなのか。

 それとも。


「三割はそちらに」


 執事が淡々と補足する。


「七割は当方に」


「なぜ七割も?」


「打ちたいからです」


 国王が即答する。


「……理由が率直すぎませんか?」


「嘘はついてない」


 熊が、こくり。


「頷かないでください」


 だが宰相代理は、理解し始めていた。

 これは代金ではない。


 素材を渡す代わりに、

 西の技術を“部分的に”触れさせてもらう契約だ。


 だが七割は残る。

 つまり。

 真価は、こちらには来ない。


「……加工過程は?」


「見せない」


 即答。


「設計図は?」


「ない」


「記録は?」


「頭の中」


 熊が、ぽん、と国王の胸を叩く。


「そこだ」


 国王は胸を指す。


「ここにある」


 宰相代理は、喉が渇くのを感じた。

 数も単位も曖昧だった交渉。


 だが今は違う。

 はっきりしている。

 この国の技術は、共有されない。


 だが触れさせる。

 その触れさせ方が、危険だ。


「……持ち帰り、検討いたします」


 かろうじて絞り出す。


「うん」


 国王は頷く。


「それでいい」


 熊も、満足げに頷いた。

 その頷きが、妙に重い。


 宰相代理は悟る。

 手振りだけの交渉は、煙幕だった。

 本当の条件提示は、今だ。


 素材を渡すか。

 技術の一端に触れるか。


 そして――


 “刀”という言葉の意味を、

 本当に知る覚悟があるか。


 交渉の主導権は、完全に国王に移っていた。

 熊は静かに宰相代理を見ている。


 その目は、もう獲物を見る目ではない。

 選択を迫る目だった。


「剣と刀、何が違うのです?」


宰相代理の問いに、国王はしばらく黙った。


「剣は、叩きつけるものだ。突く、割る、力で制する」


そう言って、まっすぐな動きを示す。


「刀は違う」


今度は、空に弧を描く。


「流す。滑らせる。落とす」


刃を“当てる”のではない。“通す”のだという。

違いは形だけではない。


反り。

重心。

握り。

使い方。


そして何より、作り方。


「鉄は同じだ。だが積む」


積む。

重ねる。

折る。

伸ばす。

また重ねる。


ただ鍛えるのではない。層を作る。


「火の見方が違う。音の聞き方が違う」


それ以上は語らない。


 国王はこう締めた。


「こういうことは、知らない方がいい」


今回の取引は、

西が受け取る鉄鉱石と引き換えに、

東に剣を渡す契約だ。


だが三割だけ。

残り七割は西に残る。


つまり東が受け取るのは完成品のみ。

技術の核心は渡らない。


刀とは武器ではない。

技術そのものだ。

そしてそれは、共有されない。


 しかも相手は、「打ちたいから」という理由で七割を持っていく男だ。


 合理性がない。

 だが妙に説得力がある。


 熊が、ぽん、と国王の胸を叩く。


「そうだよな?」


 国王が頷く。


 熊も頷く。


 なぜ通じているのかは、もう誰も突っ込まない。


 そして何より。


 “刀”という言葉。


 あの一言の重さ。


 自分はまだ、その違いを知らない。


 知らない方が良いと、言われた。


 あれは脅しではない。

 忠告だ。


 知れば、戻れないのだろう。


 宰相代理は、静かに息を吐いた。


 肺の奥の空気まで冷えている。


「……持ち帰り、検討いたします」


 声は震えていない。

 だが内心は、鍛冶場の炉よりも熱い。


「うん」


 国王は、気楽に頷く。


「それでいい」


 熊も、満足そうに頷いた。

 今度は、少し大きめに。

 まるで「よく言った」とでも言うように。

 その頷きが、妙に達観しているのが腹立たしい。


 この交渉は、数でも金額でもない。

 どこまで踏み込む覚悟があるか。

 どこまで技術に触れたいか。


 そして――


 触れた後、

 無事でいられるか。


 宰相代理は、改めて国王を見る。


 熊の外套。

 無造作な姿勢。

 軽い言葉。


 だがその奥には、

 鉄を折り、重ね、積み上げてきた年月がある。


「……」


 熊と目が合う。

 熊は、ゆっくりと瞬きをした。


(絶対、生きているだろう)


 心の中だけで呟く。

 そして悟る。


 この国との交渉は、いつだってこうだ。


 数字では測れない。

 理屈では割り切れない。

 だが、最後だけは必ず成立する。


 成立させてしまう。

 それが一番、恐ろしい。


 熊が、最後にもう一度、こくりと頷いた。

 まるで言っているようだった。

 ――覚悟はあるか。


 交渉は終わった。

 だが、本当の選択は、これからだ。


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