溶けた剣と、捨てられない条件
卓上の剣を前に、沈黙が落ちていた。
重い。
物理的にはそうでもないはずだが、
空気が重い。
宰相代理は、
背筋を正したまま微動だにしない。
いや――動けない。
目の前には、熊の外套を纏った国王。
熊である。
どう見ても熊だが、今は真顔だ。
その視線は、まだ剣から離れていない。
「……ひとつ、確認していいか」
低く、落ち着いた声。
熊の口から出ていることに未だ慣れない。
宰相代理は反射的に頷いた。
「この剣」
国王は、刃に指を近づける。
が、触れない。
触れないところが怖い。
「サラマンダーの灼熱にも耐える、と言ったな?」
「は、はい」
喉が鳴る。
「実戦において、その熱で刃が鈍ることはなかったと――」
「そうか」
次の瞬間。
国王は、剣を掴んだ。
初めて、触れた。
「――え?」
理解が追いつく前に、国王は立ち上がる。
熊が立ち上がる。
迫力が三割増す。
「執事」
「はい」
「炉を」
「承知しました」
重い扉が、ぎぃ……と開かれる。
広間の奥。
本来、外交の場にあるはずのない――
溶鉱炉。
あるのだ。
なぜならここは鍛冶王の城だからである。
「……な、なにを……?」
宰相代理の声が裏返る。
国王は答えない。
炉の縁へ、歩く。
熊が、赤い炎の前に立つ。
異様な光景だ。
「――あ」
間抜けな声が漏れる。
次の瞬間。
剣は、投げ込まれた。
じゅう。
音。
そして静寂。
宰相代理の正気が、同時に溶け始める。
「……溶けたな」
国王が、淡々と言った。
「あっ…………」
言葉が出ない。
喉も動かない。
誇りも動かない。
炉の中で、剣は原型を失っていた。
かつてドラゴンを仕留めた刃は、赤い塊へ。
名工の名は、湯気になって消えた。
「はい」
執事が、平然と応じる。
平然が過ぎる。
「……あの」
宰相代理が、ようやく声を出す。
「それは……我が国の……」
「うん」
国王が頷く。
「だから試した」
炉を覗き込む。
「耐えると聞いたが」
一拍の重さが強い。
「溶けたな」
完結。
潔い。
かなり残酷だが、潔い最期だった誇り。
炉の火は、赤々と揺れている。
その中で、かつて誇りだった剣は、
もはや“素材”に戻っていた。
宰相代理は、口を開けたまま固まっている。
目は炉。
心は遠い。
(溶けた……)
(名工の……)
(あれ、帰ったらどう説明すれば……?)
報告書の一行目が、もう地獄である。
その時。
国王が、炉の中から鉄の塊を掬い上げた。
赤い。
歪だ。
無骨。
名もない形。
国王は、ゆっくりロを開く。
「うちで作ったものがある」
ぽつりと言う。
「サラマンダーの熱は知らんが」
軽く振る。
鉄が唸る。
「溶鉱炉の火種を掬うなら――」
先ほどまで“名工の剣”だったものと見比べる。
「……こっちの方が、良さそうだな」
「役に立ちそうですね」
執事が淡々と補足する。
執事はもう慣れている。
この国の“基準”に。
「……な……」
宰相代理の喉がかすれる。
「ど、どういう……」
「どうもこうもない」
国王は肩をすくめる。
熊が肩をすくめると迫力がある。
「熱に耐えるだと?」
鉄を軽く叩く。
コン。
「当たり前だ。耐えるように作るのさ」
目を炉に移す。
「だがな」
赤い塊をじっと見る。
「“次”がない」
宰相代理の顎が、かくんと落ちる。
「一度きりの刃だ」
「使い切り」
「それは武器じゃない」
「道具だ」
重い。
言葉が重い。
「俺なら」
赤い塊を軽く振る。
「そういうのは捨てる」
「……っ!」
息が止まる。
それは国の誇りだった。
交渉の切り札だったはず。
命運を賭けた一振りだった。
「捨てる、ですと……」
「うん」
あっさり。
軽い。
だが絶対。
「覚悟が足りない刃は、重いだけだ」
静かに言う。
「溶けるなら、溶かす」
熊の目が、炉の炎を映す。
「残るものだけで、打ち直せばいい」
宰相代理は理解する。
この男は、剣を壊したのではない。
価値観を壊したのだ。
「どうせ」
国王が続ける。
「これを打ったのは、あいつだろ?」
「め、名工ですぞ!」
反射的に叫ぶ。
「匠ですぞ!」
「我が国でも指折りの――」
「焼き入れが甘い」
一刀両断、剣だけに冴える。
「成分の偏りがひどい」
「繊維が均一じゃない」
「方向性が悪い」
淡々と続く。
冷静。
容赦がない。
国王は執事を見る。
執事は準備していたものを持ってくる。
「これを、
さっきのやつの代わりに持って帰ってくれ」
赤黒い鉄の塊を指す。
「……承知しました」
宰相代理は無骨な塊を受け取る。
「これはまた」
国王が軽く笑う。
「まぁ、どこの馬の骨が打ったか……、
分からんものだが」
「そうですね」
執事も、口元だけで笑う。
「馬の骨でしょうね」
宰相代理は値踏みを試みるが、
そもそもそんな素養は無かった。
宰相代理は、震える声で同意した。
同意せざるを得ない。
熊の前では。
執事が一歩前に出る。
拳を鳴らす。
ごきり。
その音が、やけに大きく響いた。
宰相代理は悟る。
剣が溶けた瞬間。
この交渉は、もう対等ではない。
試されているのは――
国ではない。
自分だ。




