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3/15

地下へ

「あれは、完成しているのかな?」


 国王は歩きながら、実にどうでもよさそうな口調で尋ねた。

 国家の命運がかかっている時と、

ほぼ同じトーンである。


「もちろんでございます」


 執事は即答した。

 そこに迷いはない。

 迷いがあったら、

この国はとっくに崩壊している。


「それは良かった」


 国王は満足そうにうなずき、

王宮の奥へと続く螺旋階段へ足を向けた。


 ずん。

 ずん。


 迷いのない足取り。

 熊の頭付き毛皮外套が、

階段の壁にごり、と擦れる。


「……毎回申し上げますが」


 執事は冷静に言う。


「熊の鼻が削れております」


「味が出てきたんだよ」


「味は不要でございます」


 国王は手にした籠を軽く揺らした。


「陛下、その籠には何が?」


「ああ、これ?」


 軽い音が鳴る。


「サンドウィッチとチーズ、それから岩塩」


「……岩塩、でございますか?」


「汗かくからね」


 こともなげに言う。


「これ舐めながらやらないと、ばてちゃう」


 さらに指を折る。


「あと果物、数種類。固い皮のやつ。敵だね」


「敵ではございません」


「いや敵だよ。切れないもん」


 執事は階段を降りながら、深く息を吐く。


「……やけに、嬉しそうですね」


「嬉しいに決まってるだろう」


 螺旋階段はぐるぐると続く。

 石壁は分厚く、外の音はすでに遠い。


「ナイフ一本でございますよね?」


 執事の声が、妙に重い。


「一本だよ」


 即答。


「固い外皮を切るんだよ? 難しい。

そして……この上なく燃える」


「一本でございますね?」


「一本だよ……」


 執事は小さく息を吐いた。


「(小声で)上手く行けば」


「なんと申されましたか!?」


「何その圧!」


「は?」


「顔が近いって」


 執事がぐっと距離を詰める。


「一本で――!」


「おいおい、

いつもの十倍の大きさに見えるって!」


「何がです」


「顔が」


「……」


「近い。ちょっと怖い」


「怖いのは私の方ででございます。

この先、予算の計画、区画整理の立案、税務調査……」


「うんうん、そうだね」


 もちろん国王は鉄の事しか頭にない。

 そして、階段を降りきる。


 そこで空気は一変する。


 冷気の中に、わずかな熱と鉄の匂いが混じる。


 扉が見える。

 装飾のない、重い扉。

 地下鍛冶部屋。


「……落ち着くなぁ」


 国王は呟き、熊の外套を脱いだ。

 どさり。

 台が少し沈んだ。


「熊公は、ここで見ててね」


「……熊公、というお名前で?」


「今付けた」


「ふーん」


 執事は顎に手を当てる。


「熊吉は?」


「却下」


「早いですね」


「響きが古い」


「熊太郎は」


「さらに古い」


「熊殿」


「重い」


「……」


「熊公でいい」


 熊は無言。

 だが、ゴロ、と転がった気がした。


「今動きませんでした?」


「外套です」


 国王は作業着に着替え始めた。

 熊の外套から、厚手の重ね布の作業着へ。

 その動作はやけに手慣れている。


 皮の前掛けを締める。

 手袋をはめる。

 指を一本一本、丁寧に曲げる。


 ぱき、ぱき。


「……少し、炉の温度が下がったような?」


「いえ」


 執事は即答する。


「下がったのは、私のモチベーションでございます」


「そっか」


 まったく気にしない。


 国王は金床の前に立つ。

 その瞬間、空気が変わる。

 先ほどまで熊と漫才をしていた男と、

同一人物とは思えない。


「じゃあ、始めるか」


 炉に火が入る。

 ごう、と炎が立ち上る。

 赤い光が、地下鍛冶部屋を染める。

 鉄が熱される。


 じわじわと色が変わる。

 国王の目も、同じ色になる。


「……陛下」


「ん?」


「果物ナイフでございます」


「知ってる」


「刃渡りは短めで」


「知ってる」


「斬撃力は不要で」


「知ってるって」


 執事は国王の手元に目をやって。


「貫通力も不要で」


「誰が貫くんだよ」


「念のためでございます」


 鉄を取り出す。

 金床に置く。

 鉄槌を振り上げる。


 カン。


 音が地下に響く。


 カン。

 カァン。


「……いい音だ」


 国王は呟く。


「果物の皮が、泣いてる感じがする」


「泣いておりません」


「想像だよ」


 カン。

 火花が散る。

 一本目が形になる。


「うん、悪くない」


 執事は静かに言う。


「一本でございますよね」


「もちろん」


 二本目を打ち始める。


「……陛下?」


「比較対象が必要だろ」


「必要ありません」


 三本目。


「曲線の研究」


「不要です」


 四本目。


「厚みの違いを」


「いりません」


 五本目。


「重心の検証」


「やめてください」


 十本目。


「……陛下」


「ん?」


「今、何本目ですか」


「まだ序盤」


「序盤…」


 答えになっていない。


 二十本目。


 カン。

 カン。

 リズムが完全に止まらない。

 執事は数えるのをやめた。


「……止まりませんか?」


「止まらない」


「果物です」


「果物だからだよ」


 国王の目は完全に職人のそれだった。


「このカーブ見て」


 一振りを掲げる。

 確かに美しい。

 だが。


「……巨大魚でも捌くのですか?」


「果物」


「刃渡りが」


「果物」


「……」


 三十本目。

 四十本目。

 炉の熱が増す。

 国王に熱はもっと増す。

 国王の額から汗が落ちる。

 岩塩を舐める。


「しょっぱい!けどうまい」


「仕事に集中してください」


 五十本目。

 静寂。


 そして炉の火が落ちる。

 床に並ぶ刃。

 燻し銀がずらり。


 反りの違い。

 厚みの違い。

 重さの違い。

 どれも、果物ナイフだと主張している。


「……陛下」


 執事は静かに言う。


「一本の要望が」


「うん」


「五十本になりましたが」


「答えだよ」


 胸を張る。


「選べるだろ?」


 その時だった。


「失礼いたします……」


 料理長ニーナが顔を出す。


 視線が、床に落ちる。


 刃。

 刃。

 刃。


「……あの」


「どう?」


 国王は無邪気に聞く。


「……一本と、記憶していたのですが」


「増えた」


「なぜ」


「止まらなかった」


 ニーナは一番手前を持ち上げる。

 光にかざす。

 す、と空気を切る。

 刃を爪に当てて。その感触を確かめる。


「……切れそうです」


「だろ?」


「……全部」


 執事は遠い目をした。


「まぁ、これが、陛下でございますな」


 こうして。

 一本の果物ナイフの要望は、

 **五十本の“最適解候補”**となった。


 よくある話である。


 そして、国王がさらに食いつく。


「巨大魚を捌く……?」


 国王の目が光る。


「いいね」


「よくありません」


 その時。


 侍女が駆け込んでくる。


「失礼いたします!」


「東の国の宰相様が、ご到着されました!」


 沈黙。


 炉の余熱が、まだ赤い。


 国王は一振りを持ったまま振り返る。


「ほう」


 その横で。


 執事の目が細くなる。


「……では」


 低い声。


「お手並み拝見と、行きましょうか」


 鍛冶場の熱が。


 政の場へ、持ち込まれる。


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