策士と果物ナイフ
「――でさ」
玉座に肘をつきながら、国王は気軽に言った。
気軽すぎて、国家の重みが一瞬で軽くなった。
「そんで、あの話どうなってる?」
執事は一瞬だけ視線を泳がせる。
泳がせたが、すぐに岸へ戻した。
この男、溺れない。
「……あの話とは……」
咳払いひとつ。
それは思考を整理する音だった。
「ああ。東の国との貿易交渉でございますね」
「それそれ」
「あれは、なかなかの策士が
絡んでいると見ています」
執事は眼鏡の位置を正す。
「一見すると、
あちらの利益など無いに等しく見えますが――
落とし穴が仕掛けられております。
おそらく、かなりの切れ者が宰相の地位に就いているかと」
「ふーん」
国王は相槌を打った。
思考の深さは感じられない。
「俺が打った刀と、どっちが良く切れるかな?」
「刃物の鋭さの話ではありません!!」
執事の声が、
謁見の間に直角で反響した。
「頭の良さの比喩でございます!!」
「あー、東かー」
国王はまったく気にせず、ぽつりと言った。
「あそこ、良い鉄鉱石が取れるんだよなー」
「……鉄鉱石、ですか?」
執事は嫌な予感がしていた。
この話題の逸れ方は、だいたい鍛冶場に直結する。
「うん。あそこの鉄から作った刃ってさ、粘るんだよ」
「粘る……とは?」
「折れない。曲がる」
「それは、良い事なのでは?」
「あれだけじゃ不足してる」
国王は首を振る。
「役不足ね」
「その使い方ですと、力不足です」
「そうそう、それそれ」
執事のこめかみが、
ごくわずかに脈打った。
「少しは刀鍛冶の書以外もお読みくださいませ」
「他の本? 興味ないね」
「……やれやれ」
ため息は、
国を支える重さをしていた。
「で、今回は東の鉄鉱石、買うんでしょ?」
「今回の貿易交渉には、鉄鉱石は含まれておりません」
「えーー!?」
国王の目が、
子供のように見開かれる。
「そうなのーー?」
「ええ」
執事は淡々と続ける。
「鉄鉱石は北の国の方が潤沢で、
価格も抑えられます。
国庫に優しい。
つまり、この国を運営していく上で、
極めて合理的かと」
「あ、そうそう」
唐突に、
国王が手を打った。
パンッ。
この音で、
政務の空気が一度死んだ。
「料理長のニーナさんにさ、
果物ナイフ頼まれてたんだ」
「国王陛下!!」
執事の声が、
謁見の間を貫いた。
「なぜ国王陛下が、
料理番如きの果物ナイフの心配をなさっているのですか!!」
「いやー」
国王は悪びれもせず言う。
「約束してるんだよ」
「……何の、約束で?」
「果物の中でもさ」
国王は指で丸を描く。
「外の皮ががやたら固いやつがあるらしいんだよ」
執事は、
嫌な予感を確信に変えた。
「それなりに割る道具は揃っているかと」
「あれさー」
国王は眉をひそめる。
「割るだろ?」
「……はい?」
「美しくないし、果汁は溢れるし」
一拍置いて、
「――勿体ないんだよ」
その言葉だけは、
やけに真剣だった。
その時だった。
「失礼いたします!」
控えめだが、芯の通った声と共に扉が開いた。
音は控えめ。
存在感は控えめではない。
料理長のニーナだった。
白衣は腕まくりされ、
その袖口には果汁の染みがある。
戦場帰りの印だ。
「陛下、もしや今、果物ナイフのお話を?」
「お、噂をすれば」
国王は顔を上げ、笑った。
「ちょうどしてたところ」
「やはり……!」
ニーナは一歩踏み出した。
踏み出した床板が、
覚悟を感じて鳴った。
「先日お話しした、あの南方の果実です。
皮が硬く、割ると中身が潰れてしまうのです!」
「だろ?」
国王は深くうなずいた。
「俺も見た」
「包丁では刃が逃げ、
斧では台無し……」
ニーナは拳を握る。
その拳には、
料理人の矜持が詰まっていた。
「“切る”ための刃が、
どうしても必要なのです!」
謁見の間が静まり返る。
政務の空気が、
果物の皮に上書きされていく。
「……陛下」
執事は、
ゆっくりと頭を抱えた。
「現在、政務中でございます」
「分かってるって」
国王は立ち上がる。
その動作に合わせて、
空気が重くなる。
鉄槌が、
肩に担がれた。
「でもさ」
国王は、
ニーナの方を見る。
「一番うまい瞬間を、
無駄にするのは嫌だろ?」
その言葉は、
王の言葉ではなかった。
職人の言葉だった。
ニーナは、一瞬きょとんとし――
次の瞬間、深く頭を下げた。
「……はい!」
返事が、
料理場の音を連れてきた。
沈黙。
政務机の上には、
国の未来を左右する書類が、
小山のように積まれている。
だが。
国王の視線は、
そこには無かった。
――どう切れば、
果物が一番美味しくなるか。
それだけを、
本気で考えていた。
「……陛下」
執事は、
長い人生の中でも
特に長い溜息を吐いた。
「一応、確認いたしますが」
「ん?」
「その果物ナイフは……」
一拍。
「俺が打つ」
即答だった。
光の速さの決断だった。
執事は、
ゆっくりと天を仰いだ。
見えない神に、
何かを訴えている。
「……承知いたしました」
声は、
諦めの境地に達していた。
「では、
東の国の策士より先に、
料理長を満足させる必要がございますね」
「うん」
国王は、
子供のように笑った。
「だってさ――」
鉄槌を、
軽く掲げる。
軽く、だ。
「切れ味は、嘘つかないから」
執事は目を鋭くしたが、後の祭り。
「やれやれ、困ったもんです」
「さて、鉄は熱いうちに打つとしようか!」
その瞬間。
書類の山が、
ただの背景になった。
国の政は、
静かに後回しにされた。
この国では、
珍しいことではない。
なぜなら――
この国の未来は、
しばしば
一本の刃物から始まるのだから。




