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試し打ち

 「――それから、小麦と野菜と木材と、

それに……」


 宰相代理は書面を睨みつけながら、淡々と読み上げていた。


 数字。

 数量。

 年次供給比率。

 輸送経路。

 税率。


 ようやく、交渉が“普通の形”を取り戻した。

 さきほどまで、

手振りと熊の頷きで進んでいたあの混沌は、

どこへ行ったのか。


 ……そのはずだった。


 ふと、妙な違和感を覚える。

 視線を上げる。

 玉座。

 熊の外套を纏った国王。

 ――天井を見ている。


 完全に。

 完全に、暇そうである。


 指で熊の耳をつまんでいる。

 つまんで、離して、つまんで、離して。


「……あの」


 宰相代理は恐る恐る声をかけた。


「聞いて、いらっしゃいますか?」


「何が?」


 即答。

 だが意味が通っていない。


「小麦の供給条件です」


「ああ」


 返事はする。

 だが視線は天井のままだ。

 熊が、ゆっくりと宰相代理を見ている。


 ――なぜ熊だけ真面目なのだ。


「……あとは、私が引き継ぎます」


 静かに、執事が一歩前に出た。

 その動きに、空気が整う。

 国王は特に反応しない。

 ただ、熊の耳を整えている。


 宰相代理は内心で思った。


(あれ?)


 交渉の主導権が、するりと移った。


「小麦につきましては、昨年の不作を鑑み」

「野菜は鮮度維持の観点から月次供給が妥当」

「木材は伐採期を限定」


 執事の言葉は淀みない。

 修正、反論、代替案。

 すべて即座。


(……強い)


 宰相代理は唾を飲み込む。


(これ……実質、国王は執事では?)


 いや、逆か。


(この国、執事が国王なのでは?)


 熊が、こくりと頷いた。


(認めた!?)


 いや違う。

 熊は何に頷いているのか分からない。

 だが妙に説得力があるのが腹立たしい。


 交渉は、完全に執事のリズムになった。


 提示。

 調整。

 締め。


 宰相代理は、いつの間にか受け身になっている。


(このままでは……)


 思考が滑る。


(しかし、執事殿を味方につければ……)


 想像が膨らむ。


(この国の実権は執事。ならば……)


 大陸統一。

 両国を束ねる自分。

 玉座が二つ並ぶ。

 熊が中央に座る。


(なぜ熊が中央なんだ?まぁ良い)



 宰相代理の夢は、もはや交渉卓を飛び越え、

壮大な戦いの彼方まで駆け抜けていた。

 才能とも言える妄想が暴走する。


「……あの」


 執事の声。


「どうされますか?」


「……え?」


 現実に引き戻される。


 そして気付くと……

 玉座が空だった。


「……国王陛下は?」


 宰相代理は、ゆっくりと玉座を見た。


 空。

 熊の外套はある。

 だが中身がいない。

 熊の頭だけが、こちらを見ている。


「……え?」


「打ちに行きました」


 執事は、紅茶を一口飲みながら言った。


「……何を?」


「おそらく、剣ではないでしょうか」


 軽い。

 あまりにも軽い。


「交渉の途中ですが?」


「ええ」


「国家間の交渉の途中ですよね?」


「ええ、途中ですね」


 執事は微笑んだ。


「ですが、結果は重要です」


「過程は?」


「私が担当しております」


 理屈は通っている。

 通っているのが怖い。

 宰相代理は額を押さえた。


 交渉の最中に王が席を立つ。

 普通なら外交問題だ。

 だが。

 この国では“通常運転”らしい。


「では……小麦の供給ですが」


「先ほどの提示で妥当かと」


 執事は即答する。


「輸送路の整備は我が国負担で?」


「いいえ、折半が妥当でしょう」


「関税は?」


「段階的に引き下げ」


「木材は?」


「品質検査を義務化」


 テンポが速い。

 あまりにも速い。


(……この人、強い)


 宰相代理は悟る。

 交渉は、完全に執事主導だ。


 しかも理路整然。

 無駄がない。

 隙がない。


 熊が、こくりと頷く。


「なぜ今頷いた」


 小声で呟く。

 熊は無言。

 だが視線が語る。


 ――今のは良い条件だ。


(分かるのか!?)


 思考が混乱する。

 その時。

 遠くから。


 どん。

 どん。

 重い音が響いた。


「……何の音です?」


「おそらく金床でしょう」


 執事は即答する。


「今から打つのですか!?」


「はい」


「今!?」


「ええ」


 交渉は続く。

 遠くで、金属音が鳴る。


 かん。

 かん。

 かぁん。

 そのリズムは、妙に心地よい。


 だが。

 外交の場で鳴る音ではない。


「あのぉ……集中できません」


「慣れますよ」


「慣れません」


 熊が、静かに頷いた。

 まるで言っているようだった。


 ――そのうち分かる。


 何がだ。


 交渉は続く。

 数字が決まり、条件が固まる。


 そして。

 最後の木材の項目を詰め終えた時。

 音が止んだ。


 静寂。


 その直後。

 重い足音が、広間に近づいてくる。


 どん。

 どん。


 重い足音が、石床を震わせる。

 広間の扉が、ゆっくりと開いた。

 現れたのは――

 煤だらけの国王だった。


 髪は少し焦げ、頬に黒い線が入り、額には汗。

 そして両手で、一本の剣を担いでいる。


「できた」


 短い。

 満足そうだ。

 その言葉の軽さに対して、剣は重い。


 見た目からして重い。

 音が重い。

 空気が重い。

 国王は、その剣を卓上へと置いた。


 ――どん。


 石と鉄がぶつかる低い衝撃音。

 交渉書類が、ぴらりと揺れる。

 熊が、じっと剣を見る。


 宰相代理は、息を飲んだ。


「……それは?」


「そっちの鉄鉱石、試した」


 試した。

 軽い言い方。

 だが意味は重い。


 剣は、まだ熱を持っていた。

 赤くはない。


 だが触れれば分かる。

 生まれたばかりの金属の温度。

 炉の記憶が、まだ残っている。


「……今、ですか?」


「今」


「交渉の最中に?」


「うん」


 あっさり。

 執事が、ちらりと剣を見る。


「……問題ありませんね」


「うん」


 国王は頷く。


「炭素、ちょうどいい」


「炭素?」


「粘る」


 熊が、こくり。


「なぜ熊が理解している」


 小声で呟く。

 そして宰相代理は、改めて言葉を失った。


 交渉の途中。

 王は席を立ち。

 鉄を打ち。

 戻ってきて。

 結果だけ置いた。


 紙ではない交渉。

 刃だ。


「じゃ、続きをどうぞ」


 国王は、熊の外套を整えながら言った。

 まるで、印章を押したかのように。


 交渉は、終わっている。

 誰も宣言していないのに。


 条件はまとまり。

 剣は置かれ。

 鉄は証明された。


 宰相代理は悟る。

 この国では――

 合意は書類ではなく、刃で示される。

 しかも、まだ温かい。


 卓上の剣は、静かに熱を放っていた。

 赤くはない。


 だが、今まさに生まれた金属の匂いが、広間に残っている。


 交渉書類の横に置かれたそれは、あまりにも場違いだった。


 数字の横に、刃。

 条文の横に、実物。

 宰相代理は、ゆっくりとその剣を見つめた。


「……これが」


「試し打ち」


 国王が言う。


「問題ない」


 何が問題ないのかは説明しない。


 だが、剣の表面を走る光沢が、確かに“答え”のように見えた。


 執事が淡々と補足する。


「炭素含有量、粘性、焼き入れの具合。

いずれも良好とのことです」


「とのこと?」


「陛下の感想をまとめると、

まぁこんな感じです」


「……感想で国家間取引を決めるのですか?」


「最終確認です」


 熊が、こくり。

 もう誰も突っ込まない。


 国王は、剣を軽く持ち上げる。


「ほら」


 宰相代理は、恐る恐る近づく。


 柄に触れる。

 温かい。

 生き物の体温のようだ。


「……まだ熱い」


「そりゃそうだ」


「冷ましてから持ってきてください!」


「勢いが大事だよ」


 国王は笑う。

 その笑顔は、交渉を終えた王のものではない。

 良い鉄を見つけた鍛冶師の顔だ。


 宰相代理は、ゆっくりと剣を置いた。

 思考が整理されていく。


 この剣は、単なる試作品ではない。

 宣言だ。


 ――お前たちの鉄は、ここまで化ける。


 それを、言葉ではなく刃で示した。

 数字で積み上げた交渉は、最後に金属で封じられた。


「……つまり」


 宰相代理は、静かに言った。


「この条件で、よろしいと?」


「うん」


 国王は即答する。


「鉄、良かった」


 それだけ。


 熊が、満足そうに頷く。

 宰相代理は、ついに理解した。

 この国では、交渉は二段構えだ。


 一段目は、執事が数字で詰める。

 二段目は、国王が結果で示す。


 理屈と実証。

 条文と刃。

 どちらも揃って、初めて合意となる。

 そして今、その両方が揃った。


 宰相代理は、静かに頭を下げた。


「……承知いたしました」


 それは、条件への同意であり。

 剣への敬意でもあった。


 国王は満足そうに頷く。


「よし」


 熊も頷く。

 執事は、書類を整えながら言った。


「では、正式文面を整えましょう」


 交渉は終わった。


 だが。


 宰相代理は、最後にもう一度だけ剣を見る。

 まだ、温かい。

 その熱は、鉄だけのものではない。


 覚悟の温度だ。

 自国へ持ち帰るのは、契約書だけではない。

 この温度だ。


 宰相代理は思う。


(……大陸統一どころではないな)


 熊が、じっとこちらを見る。

 まるで言っているようだった。


 ――まずは生き延びろ。


 宰相代理は、苦笑した。


 交渉は成立した。

 だが本当の戦いは、これからだ。


 まだ熱を持つ剣が、それを静かに告げていた。


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