6話 研究
剣術クラスで訓練すること一か月が経った。
ヴァッセルとの打ち合いを見て、僕を貶したいのか、いろいろな人が僕に組手を申し込んでくるようになった。
もともとこの訓練は、対人を通して打ち合いの基本を身につけるのが目的だったはずなのに、僕とやるときだけは、いつも勝敗がつくまで続く。
結果は、若干の勝ち越し。クラスでの実力は中の上といったところだ。
勝敗がついた後の反応は大体同じだった。
勝てば「ズルだ」「本気を出していない」「たまたま当たっただけ」
負ければ「弱い」「退学しろ」「身の程を知れ」
別に心が荒むほどでもなかった。どいつもこいつも貴族社会にもまれたのか、性格がワンパターンでまるで自我がない。いつか、人の愛情を知り、痛みを知り、思いやりを覚えてくれた世界がきたときが楽しみだ。
一日の授業が終わると、僕は校舎の端にある空き教室に通い詰めた。ここは六階で、わざわざ上がってくるのが面倒で、普段は誰も来ない。学園では、授業で使わない教室を自習や談笑に使うことが許容されており、監視カメラなんかも当然無いから、わりと自由に使える。長机と椅子が整然と並ぶ配置は、どこか中学校の理科室を思い出させる。
そんなところで何をしているのかって?
僕はここで魔力の研究をしているんだ。
机の上には、借りてきた魔法の入門書と、僕の走り書きで埋まった紙束と、訓練用の剣。
窓際の埃が午後の光で細く舞って、黒板には昨日の残りの研究メモが薄く残っている。
僕は深呼吸をした。
今日こそ何か、分かればいいんだけど。
実のところ研究は一か月ほど前から既に始めていたのだが、未だなにもつかめないでいるのだ。
僕の魔力は、体の中で自由に走り回っている。
それでいて僕には魔力回路がない。だから魔法に変換して外へ出すことができない。
この魔力を何とかして有効活用できないものだろうかと様々な思考錯誤をしているのだが…
体の中の魔力を手の先に集めるように目を閉じて集中する。
…と、このように何も起きない。この一か月の成果は『魔力はコントロール不能』だという結論が出たことくらいだ。情力と違って魔力には感覚がまるで通っていない。最初は、頑張ればなんとかなるだろうと思っていたのだけど一か月経ってもまるでビクともしない。魔力を体の一部と考えるのがそもそも間違いだったのだろう。
最近では魔力のコントロールを諦めて別の試みを始めた。
剣の柄に手を置く。
この剣に、魔力を直接くっつけることはできないだろうか。
魔力を、材質の中に無理やり押し込んで、分子同士の結びつきを硬くするように。もし、できれば耐久性くらいは上がるだろう。まあ今のところ夢のような話だが、とにかく何か反応がほしい。
柄を両手で挟み、指の内側に情力で体内から魔力を押し出すようにして剣に流し込む。
柄皮がきしむ。僕はさらに押し込む。
……だめだ。
剣の中に入っていく魔力もあれば、跳ね返って空中に飛んでいく魔力もある。剣の中に入っていった魔力も剣の中で広がっていくわけでもなく、ただそこにあるだけで何の作用も起こしていない。
魔法で武器の強化ができるなら、同じようなプロセスを通っていると思ったんだけどなあ。
つくづく魔法というのは不思議なものだ。
ため息を飲み込もうとした、そのとき「ガラガラ」と背後で扉が動く音がした。
こんな時間にこの教室に人が来るなんて今までになかったため、珍しいこともあるなと扉の方に顔を向ける。
長い黒髪引き込まれるような黒い瞳、モデルのようにスラっとした体型。清楚を思わせる容姿に僕は綺麗な人だと見惚れそうになるが、同時に感情が薄そうという偏見を持った。
そうしてずっと見ているものだから彼女と一瞬、目があってしまい慌てて視線を逸らした。
気まずさが生まれる前に、紙へ視線を落とし、手元の剣に触れる。
もしかしたら彼女も空き教室を探して辿り着いてきたのではないかと予想を立てるが、そんなことはなく、普通に中に入ってきた。
窓際の机に腰かけると、無言で本を開いた。
どうしようか一瞬迷ったが、僕は彼女を無視して実験を続けることに決めた。
ここでいきなり部屋を出ていくのは、まるで彼女を厄介扱いしたみたいで可哀想そうだし。
あと実験を見られて困るほど高度なことは正直まだしていないしね。
紙束をめくり、先ほどの結果をメモする。
魔力の流れを線で表し、剣の断面に矢印を書き込む。
肘の角度を微調整し、呼吸を整える。
魔力を出す角度や量を変えて、再度魔力を剣に込めようとする。
「何をしているの」
まさか話しかけらけれるとは思わず、少し驚いた。
しかし、聞かれたからには無視するわけにはいかない。
「魔力の研究です」
「へー魔力の研究。興味があるから見ていてもいいかな?」
彼女の声は一定で温度が薄い。本当に感情がないのではないかと思え始めてきた。
僕は曖昧な笑みを作り、軽く肩をすくめる。
「大したことはしていないので、退屈だと思いますよ」
「大丈夫。気が済んだらまた戻るから」
「そうですか。ならまぁいいですけど、退屈に感じたら遠慮なくやめてくださいね」
「ありがとう」
掴みづらい人だ。
僕は紙束を横に寄せ、実験を再開する。
視線が横から乗るが、何かを言うわけでもなく大人しくずっと見ているだけである。
邪魔はしないという彼女なりの配慮だろうか。若干気まずい。
失敗してメモ、失敗してメモを幾度となく繰り返して、二時間ほどが過ぎたころ、ついに彼女は口を開いた。
「それで具体的に何の研究をしているの?」
僕は答えるべきか迷った。ここで話していいものか。彼女が誰かも知らない。見る分には何をしているのかは分からないだろうが、アンサーを出してしまえばそれまでだ。
「研究内容は誰にも話さない。もしかしたら何か力になれることがあるかもしれないよ。良ければお姉さんに話してくれないかな」
彼女の体が僕に寄ってくる。ちょっと近いな。
まぁ未だなんの成果も出ていないし、大きなリスクでもないか。
半ば投げやりだが、僕は彼女の体を視界から外すように顔を背け、口を開いた。
「魔力を魔法にせず、魔力のまま何かできないかを試しています」
「魔力を魔法にしない…?」
「はい。ただ、今のところ魔力をコントロールするのは不可能……というのが一旦の結論です」
「当たり前だね。魔法だって魔力回路に指示を与えて回路に魔力を動かしてもらってるだけで、魔力そのものを直接動かしているわけではない。だいたい、そんなことしなくても魔法でたいていのことはできる」
「でも魔法は詠唱か術式が必要です。それにはどうしても時間と労力がかかる。でも、そのプロセスを飛ばすことができたなら、咄嗟の状況・先手を取りたいときなどに大きな有利が生まれます。今は魔力をコントロールすることを諦めて、魔力を無理やり剣に込めることで何か起きないかを試しています」
若干の詭弁だが、間違ったことを言っているとは思わない。
「動機は分かった。でも、それと魔剣で研究することに何の関係があるの?」
僕はその言葉に引っ掛かりを覚えた。魔剣ってなんだろう。
「……魔剣ってなんですか?」
「まだ習ってないのかな。魔剣というのは、剣を生成する中で術式を組み込んだ剣のこと。持って魔力を流せば、わざわざ詠唱をしなくても剣が勝手に強化される。だから、魔剣は魔力をそのまま使ってるのではなく、魔法の一部でしかない。さっきのあなたの説明とは結びつかない」
「なるほど…。そんなものがあるなんて初めて聞きました。ちなみに魔力はコントロールできないのに、術式に魔力を流すっていうのは、どういう感覚なんですか?」
「コントロールしている、というよりは魔力回路を開くイメージ。開けば、回路が反応して術式に流れ込んでいく」
「不思議なものですね…ああ、そうだ。ちなみにこれは魔剣では無く、訓練用のただの剣ですよ」
「嘘。確かにあなたの体からは魔力が放出されて、その剣に付けられていた」
僕は内心でびくりとする。今の僕は、情力で無理やり体外へ押し出すような形で、剣に魔力が結び付かないかを試していた。その魔力を視認できているということは…彼女は前にアッシュダウンがしていたように、探知属性の魔法を発動していたということだろうか。
「あーそれは…実は僕、生まれたときから魔力を体の外に出せる特技を持っているんです。…ところで、もしかして探知魔法を使っていますか?」
「ええ、断りを入れるべきだったね、気が回らなくてごめんなさい。けれどあなたの研究をより知りたいと思ってつい。…普通の状態だと何が起きているか何も分からないから」
いつ発動したのか分からなかった。詠唱ではないとすると、やはり術式かな。
自分をお姉さんと自称していたし、一年では魔剣の知識はまだ習っていないため、彼女は上級生なのだろう。
「はは、別に大丈夫ですよ」
悪気があったわけではないようだし、許すしかない。しかし、探知魔法を使える可能性を考慮していなかった。不注意は破滅の第一歩、気を引き締めなければ。
「それにしても珍しい体質。ただとんでもなく質の悪い魔剣に魔力を込め続けてるだけかと思った。珍しいのは体質だけじゃない。魔力の質も不思議。透明で見えにくい。そして、なにより興味深いのは体内から直接だした魔力はこんな感じになるのね」
食い気味に、僕は身を乗り出していた。
「体内から出た魔力は、どうなっていますか!?」
自分でも驚くほどの速さで言葉が出た。
思考が突然過去の記憶に繋がった。空気中に漂っている自然の魔力は壁を無視して自由に飛び回っている。しかし、魔力を素にした魔法は物理的な障害に当たり判定を持つようになる。では、自然の魔力でも、魔法でもない、体内の魔力はどのような性質を持つのだろうか。
今、この部屋が僕の魔力で満ちているのはなんとなく分かる。だが、それは情力で感度を上げて肌で感じているだけで、視認しているわけではない。僕から出た魔力がどこにいってしまうのか、それを観測するには大変困難なのだ。
彼女は、首を傾げる。
「どうっていうのは、どういうこと?」
「魔力は壁にぶつかっていたりしませんか?魔力はどのように消えていますか?」
彼女は目を薄くし、眉間にしわを寄せる。
「うーん透明で見えにくいのだけど…壁には当たって跳ね返ってるね。消え方は…空気中で徐々に小さくなって消えてる…かな?」
僕の脳内に、仮説が走る。
僕から出た魔力には実体があるんだ。
魔法に変換されなかった魔力は、空気中で動き続ける運動エネルギーや、障害物・空気との摩擦熱に変換されて消滅していると考えられる。つまり、魔力も情力と同じ、力を所持し、消費すれば消える、エネルギー体なのだ。
だが違いもある。
情力は自在にコントロール可能だが、体外に出ると引力でもかけられたかのように空気中に離散しようとして一気に操作が困難になる。操作が効かなくなった情力はすぐに消えて無くなる。
魔力は、コントロール不可能だが、空気中に長く残る。
ならば…『混ぜればいい』のではないか。
僕は立ち上がり、片手を前に出す。
魔力と情力を1:1で混ぜる。
ただし、外殻は気持ち魔力多め。
情力を操作するのではなく、情力に魔力を引っ付けて魔力を操作するイメージ。
深呼吸して、意識を体内に向ける。
手の平に情力と魔力を集め、ゆっくりと、慎重に体外に放出する。
魔力で蓋をしつつ、魔力を操作していれば……
情力がほとんど失われていない!空気中に感覚がまだ残っている!
心臓の鼓動が早くなる。
僕は興奮を抑えられず、更なる情力が体内に生成されていく。
まだまだ伸ばせる。
机の上に置かれた僕のノート目掛けて情力と魔力をゆっくり伸ばしていく。
そして……薄い表紙が、机の上を滑った。ほんの数センチ。それでも、確かに動いた。
そこで、情力への集中を手放す。
情力はすぐ霧散し、魔力は空気中で運動を始めた。
僕は息を、吐く。
指先がわずかにしびれている。
胸の奥に、熱いものがじわりと広がった。
彼女のまぶたが、初めて、大きく動いた。
黒目がわずかに開く。
「あなたの手から魔力が伸びてくのが見えた。まるで管のような…」
僕は、笑っていた。自分でも驚くくらい、にやける。頬の筋肉が勝手に動く。止められない。こわいくらい愉しい。心臓が軽く跳ね、胸の内側が熱を帯びる。
できる。
できる。
できる。
今はとんでもない集中力が要る。他のことを何も考えられないくらい、非効率な神経の使い方をしている。けれど、慣れれば、これは感覚に落とし込める。人は無意識に腕を動かせるように。
戦闘にも応用できる。さっき考えていた剣の強化だってできるようになるだろう。
今は八十センチくらいで終わらせたがもっと伸ばすことも可能だろう。もちろん形状も自由だ。
目の前で可能性の樹形図が、とてつもない速度で枝分かれしていく。
「……何をしたの?」
彼女が、僕の横まで一歩、近づいた。
先ほどまで一定だった声に、わずかな抑揚が乗る。
「魔力の……コントロールが…できました」
今の興奮状態では誤魔化す言葉が思いつかなかった。
それに、彼女のおかけで気付くことができたんだし、ここで隠すのも不義理だしね。
「とても驚いた。魔法より強い威力が出せるかは別として、そんなことができるのはきっと世界であなた一人だけ」
ああそうだ。これは言わば情力を使ってのゴリ押し。情力が無ければ他の誰にだってできるはずがない。
それに、彼女はさっきのだけを見て勘違いしている。これは可能性だ。僕の予想では魔法なんかとは比べ物にもならない潜在スペックを持っている。
「……初めて研究が前に進みました。ありがとうございます」
僕は礼を言い、窓の外に視線をやった。
いつの間にか陽が落ちている。斜めの光は消え、教室の床に夜の色が入り始めていた。時計はないけれど、体が時間を教える。
ところで、なんで教室が明るいんだろう。
僕は教室の真ん中、天井辺りを見る。
ああ、彼女の魔法か。
驚きは少なかった。
「長く付き合わせてしまって、すみません。帰りましょう。今日はもう、ここまでにします」
彼女は軽く頷いた。
そうして僕たちは片付けに取りかかる。
紙束をまとめ、剣をラックに戻し、椅子を机にしまう。
教室の扉を閉め、僕たちは歩き出す。
廊下の灯りが、細長く差し込む。
「今日はありがとう。良いものを見た気がする」
「こちらこそ。本当にありがとうございました。いつか必ずお礼をします」
「大したことはしてないからお礼は大丈夫だよ。これからも研究がんばってね」
「いえいえ、それだと僕の気が済みません。何かさせてください。」
「ふふ、いい子だね。じゃあ今度なにかお願いしちゃおうかなー」
「僕ができる範囲で頑張ります」
そんな会話をしていると、校舎を出た。
辺りは既に闇に包まれている。
「暗いですね、送っていきましょうか?」
「ううん、大丈夫。私こう見えて強いから」
終始彼女は独特なオーラを放っている。たしかに、こういう人は強い人が多いかも。
「そうですか。たしかに強そうですもんね」
ここで無理やりいかないのがクラシキクオリティ。遠慮しているだけだとか、察してあげてとか知ったことではない。僕と一緒にいるのが嫌だと思っているリスクを考慮すれば、送っていかなくてもいいという大義名分を得た時点で、この選択こそノーリスク・最善なのである。
「ありがとう。それよりあなたこそ一人で大丈夫?明かりとなる魔法はつかえるかな?」
「はい、僕は大丈夫ですよ」
「そう、じゃあお別れね」
そうして彼女は暗闇に体を向けると、詠唱を始め、灯りをつくる。
「あの、ひとつだけ、お願いがあります」
振り返った横顔に、黒い瞳。
そこに映る僕は、まだ少し、笑っている。
「このことは、できるだけ内緒にしていただけると助かります」
「分かった。約束する」
とりあえずは、力が広まる可能性を潰せて安堵する。
「またね、クラシキ・ケーラ君」
「はい、お気をつけて」
……あれそういえば名前、聞いてないな。
僕は今になって気付いた。
額に指を当てた。ひどく初歩的なミスだ。
それにしても彼女、なんで僕の名前を知っていたんだろう?
ある意味僕は有名人だし、知っていてもおかしくはないか。でも、それならここまで親切にしてくれるかな。
……まあ、いいか。
どうでもいいことだと、すぐに考えることをやめた。それよりも未だ冷めやらぬこの熱をどうにかしなくては。
僕がこんな風に高揚感でにやけるなんて、自分でも珍しいと思う。
早く明日にならないかなぁ。
今度は何をしようか。
慣れることが先かな?
僕は笑いを口の端に残したまま、寮へ歩き出した。