5話 対人試合
入学式の鐘は、丘の上の空気を澄ませる音だった。
尖塔は光を撥ね、白い外壁に春の陽が泳ぐ。大階段の下で制服の裾が波のようにうねり、校章の旗が風を受けるたび、布が低く唸った。
式が終わると、人の流れは一斉にほどけた。石畳の上に、靴音が散っていく。僕は肩にかかる緊張をひと呼吸で落とし、講堂脇の回廊に出た。芝の匂いが、朝日の熱でやわらかくなっている。
「入学式はどうだったかしら!カンザキ君!」
振り向くと、黒い外套の肩線がすっと張って、アッシュダウンが立っていた。目元はきりっと、しかし頬のあたりはどこかほころんでいる。
「こんにちは。アッシュダウン先生。それはもうすごかったです」
「うん、何も聞いていなさそうね!」
彼女は笑いながらツッコミをくれる。僕は苦笑いを返すしかないが。
実際、入学式のよく分からない宣言だとか沿革だとかをちゃんと興味を持って聞いてる人の方がマイノリティだろう。そうだよね?
「それで、食事はちゃんと取れてる?寮の生活はどうかしら?」
「それですよそれ。なんで寮の鍵が術式なんですか。おかげで僕の部屋、鍵なしなんですけど」
「うへぇごめーん。まさか魔力回路を持っていない人がいるなんて思ってなかったのよぉ。それに私は鍵くらい普通で良いと思ったのよ?でも学園が最先端の技術をアピールするために複合術式にしたいって言うから」
彼女はしょぼくれた顔で言い訳する。
「はは、別に恨んでるわけではないですよ」
ちょっと憎悪があるだけで。
「そう…?ありがとう…」
そして彼女は切り替えるように表情を作ると少し肩の力を抜いた。
「改めて入学、おめでとう。今日から四年間、長いようで短いけど頑張ってね」
「はい。四年間、お世話になります。よろしくお願いします」
言いながら、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。ここまで来れた。やるしかない。僕はそう思って、背筋を伸ばした。
彼女は笑顔を作ったかと思うと何かを思い出したかのように言葉を紡ぐ。
「ああ、そうだ。あなたは今年十五歳になるんだったわよね?新入生の多くは十七歳になる子たち。普通は十五歳の年から二年間、一般教育として別の学校で初歩の常識や読み書きをみっちり学んでから、こっちへ上がってくるから、年上がほとんどだと思って」
「なるほど。どうりで皆さん落ち着いていらっしゃるわけですね」
「ええ。落ち着いてるぶん、余計なところで尖る子もいるけれど」
彼女は肩で笑った。
そのときだった。新しい制服の布が擦れる音。若い男の子が、少し緊張した面持ちでこちらに歩いてきた。背は高く、金茶の髪が陽を受けて柔らかい。
「アッシュダウン先生、本日からお世話になります。リュカ・ベラフォールと申します。ご挨拶を……」
「ようこそ、ベラフォール君。入学式、お疲れさま」
アッシュダウンはにこやかに頷く。
リュカと名乗った彼は、そこで僕に目を止めた。好奇心と礼儀の周波数が、目つきに交互に現れては消える。
「君も、新入生だよね?良ければお名前を聞いてもいいかな?」
僕は初めてアッシュダウンに名乗るときに日本と同じようにそのまま名乗ってしまった。そこでまぁいいかと流してしまったつけがここまできて、カンザキが名前、ケーラが家名のまま登録されてしまっている。
「カンザキ・ケーラです」
「ケーラ家……?」
リュカの眉がわずかに動く。
「失礼ながら、聞いたことがない家名だけど…他国の貴族とかかな?」
その瞬間、アッシュダウンのまぶたがほんの少しだけ跳ねた。しまった、という気配が顔に走り、僕の方をちら、と見る。
僕は、口角をゆるめて首を横に振った。
「いえ、僕は貴族ではありません」
空気が、一枚薄くなる。リュカの目の奥の色が、わずかに変わった。そこに混じるのは驚きと、冷たい侮蔑。
「平民…だと」
「あ、あの、その……」
アッシュダウンが慌てて言葉を探す。
「貴族ではないけど、ものすごくいい子なのよ?是非仲良くしてあげてね?」
「なるほど」
リュカはきれいに笑った。笑いは完璧な形をしているのに、体温がない。
「先生はお優しいですね。ではこれにて失礼します」
頭を下げ、彼は踵を返した。去っていく肩は広く、背筋は伸びている。
嫌味ったいなぁ。僕はこれからが不安です。
アッシュダウンは、引きつった笑顔のまま、僕を見た。
「……大変そうだけど、がんばってね」
「はい。大丈夫です」
僕は笑って返した。本当に、大丈夫だ。こういうのは、前世でも珍しくなかった。
授業は、翌日から始まった。
午前は魔法の基礎の座学。午後は剣術クラスで訓練。これが基本のルーティーンだ。
初日の午前、講義室の大窓から光が斜めに差しこみ、教壇に立つ先生が魔法とは何かを説いている。最初は初歩から教えてくれるようだが、これ後からどんどん難しくなるやつだ。大学でもそうだった。僕はノートに授業内容を必死に写し取る。それに比べて、ここのほとんどの人間は既に知っているという顔で退屈そうだ。
午後。剣術場へ行くと、砂地は踏み固められ、木陰には桶と布が整然と並んでいる。
与えられた剣は、刃渡り八十五センチほどの訓練用ロングソード。刃は安全のために、ほんのわずか丸く落としてある。
僕は剣を両手で持ち上げた。
重い。長い。振りを誤れば、自分の体まで切ってしまいそうだ。ちなみに、僕の身長はまだ百五十センチほどしかない。まだ十五歳とはいえ、それでも同年代の子たちに比べて、圧倒的に背は小さい。実は前世でも身長は百六十センチほどで止まったし、筋力もそこまであるほうではなかった。それでも、数々の強者と渡り合えてきたのは、ひとえに情力が人より強かったからだ。まぁその情力も今となっては上手く出せないし、魔法に勝てるかも怪しいが。
とはいえ、この重さ程度なら情力を使えばなんとでもなるだろう。
ただ一番の不安は、造形への慣れだ。前世で僕が使っていたのは日本刀だった。それも訳ありというか曰く付きというかの代物だったが。片刃で反りがある刀とは対照的に、ロングソードは両刃で真っ直ぐだ。両刃で反りのないこの剣は、まず手の内から違う。前世では様々な武術を習ってきて、武器を扱うことには自信があるが、一番使ってきたものに似ているというのは、変なところで癖が移りそうである。
周りを見る。
皆、基礎ができている。歩法にブレがない。腰が落ち、重心が一本の線に収まっている。さすがは王国一といったところか。
授業は初歩の初歩から始まった。構え、足の出し方、打ち込みの角度、受けの姿勢、それから体力づくり。三日が過ぎると、身体強化魔法を使ってでの訓練が始まった。皆、人間とは思えないスピードで動いている。僕もついていくのがやっとだ。
一週間が経つと、砂地に白線が引かれ、二人一組で打ち合いの訓練が始まった。その日の鐘が鳴ると同時に、僕は砂の上にひとり立っていた。誰も近づいてこないんだ。前世でもこうだった、最終的には先生と組まされるんだよなきっと。消えればいいのに概念ごと。
まあ僕に近寄ってこようとしないわけは思いつくんだけどね。僕が平民であることが、情けないほどきれいに広まっているのである。
「カンザキ・ケーラ君」
眼前の影が一つ、すっと落ちた。振り向くと、一人の少女が立っていた。
エレオノーラ・ヴァッセル。銀髪にアクアマリンのような目を持つ少女。このクラスでも家柄が良く、実力はトップ。周囲から尊敬を集めているのに、本人は人を寄せ付けようとしない。だからこそ、孤高でかっこいい、そう囁かれているのを、僕も耳にしたことがある。
ふふ、僕と同じだね。
「組む相手がいないようなら、よろしければお相手願えるかしら」
彼女の目も声も酷く冷え切っている。
「ありがとうございます。ぜひよろしくお願いします」
僕は深く頭を下げた。
砂の上、二人が線の内側に入る。周囲にガヤが生まれる。
「平民が目をつけられたぞ」
「ボコられて終わりだろ」
「身の程を知るいい機会ってやつだ」
「立場を弁えないのが悪い」
声は小さく、しかし尖って届く。砂の匂いが一段濃くなった。
剣の打ち合いをする前に身体強化の詠唱をする必要がある。実戦では、詠唱の時間も敵は待ってくれないが、ここはまだ訓練の場であるため、これでいいのだ。
ヴァッセルは胸の前で短く息を整え、清冽な声で文言を重ねた。
ただ、僕も魔法が使える体でここにきている。例え、使えないとしても誤魔化すためには詠唱をしなければならない。口の中で、意味のない呟きを繋ぎながら、情力を筋と腱の接ぎ目に滑らせる。微細な圧で、膝のバネを厚くし、手の内の摩擦を整え、背骨のカーブにテンションをかける。
「あなた今、詠唱が間違っているように聞こえたのだけど」
ヴァッセルが眉を寄せた。
どうやら、あっちは既に詠唱を終えていたらしい。
僕は微笑み、丁寧に返す。
「いえいえ、発動はしているので大丈夫ですよ。きっと聞き間違えでしょう」
もう一度やり直せば顕著に嘘がばれるのでここは拒否する。
「そう。でも、魔法が発動したときの魔力の動きには見えなかったわね」
「さあ、始めましょうか」
これ以上突っ込まれても面倒なので、剣の構えを取って強引に始める。
そして、ヴァッセルが剣を構えて三秒後、踏み込みが爆ぜた。
一歩で距離が消える。砂が跳ね、空気が乱れる。ヴァッセルの剣が真横から来る。
思ったよりも速い。僕は目を大きく開き、ギリギリのところで剣を入れてガードする。そして腕の内側で角度を殺し、柄頭を押し込んで刃を滑らせる。すぐ下がり、距離を作る。
ヴァッセルの目が、一瞬だけ細くなる。
「確かに今の剣が防げるなら、魔法は発動しているようね」
前世の情力使いの中でも、この強度の踏み込みができる人なんてそう多くない。僕の今までの努力は何だったのかと落ち込みそうになる。
僕は相手の速度を頭に入れ、呼吸を薄くした。
足の裏と砂の接触面を意識する。右足の母趾球、左足の踵。次の一歩で重心が移る先を、先に温めておく。
ヴァッセルが斜めに入る。僕は正面を外し、剣線を切り替える。打ち合いは、そこから壮絶になった。
金属が打つ音が、高くなる。砂が散る。情力で筋肉の瞬発を押し上げ、衝撃を薄皮一枚で逃がす。この剣のスピードを見てからいなすのは、今の僕には不可能なので、ヴァッセルの目線、筋肉の動き、足捌きから剣筋を先読みし、先に剣を置いておくつもりで受ける。
しかし、それでも徐々に押され始める。
僕はたまらず再び距離を取った。呼吸が少し乱れる。胸の中で心臓が早足になり、汗がこめかみを伝う。
ヴァッセルはまだ力を残していると言わんばかりに余裕の顔で立っていた。
「平民の分際で、ここに入れたと聞いたから、どれほどの才能かと思ったけれど……この程度なのね」
観客のガヤが、波のように強くなる。
「ほら見ろ」
「無様で醜いわね」
「さすがヴァッセル様だわ」
出ている情力以上に体を動かし過ぎている。全身の筋肉が悲鳴を上げ始めて、動きのキレが半拍落ちた。今の僕の情力の状態では、この程度が限界か。
「もう体力が無くなってきてるみたいね。次で終わらすわ」
そう宣言してヴァッセルの踏み込みが、再び爆ぜる。
ならば、僕も勝機はここしかない。もし彼女が宣言通りに戦いを終わらそうとするならば、そのための特別な動きを見せるはずだ。そこに賭ける。
そして、激しい剣戟の最中、必死に耐えていると、刃を斜め上に高く振り上げ、袈裟に振り下ろす一瞬の形に違和感を覚えた。
ヴァッセルの視線はこれまで「当たる場所」と「僕の剣の位置」を交互に素早く見て戦っていた。
しかし本来ならこの軌道は僕の左肩あたりを捉えるはずなのに、この瞬間、彼女は僕の胸の中心を見ている。
違和感はそれだけではない。まず、腕の外側の筋肉だけが収縮している。本当に打ち込むなら、手元の握りがもう少し深くなり、腕の内側にも同じタイミングで力が乗るはずだ。
さらに、肩関節が外へ開かれている。これでは、剣に体重が乗らない。別の動きに移行するための動きだ。
つまり、これはフェイント!上から振り下ろすように見せかけて、剣を引き、そのまま突きにくる!
狙いはここしかない!
前世の情報社会のなかで洗練された技術を経験した僕と、魔法でゴリ押しがまかりとおる世界で生きた君とでは武術への理解の差がある。
僕は上からの影を無視して、こちらが先に突きに出る。狙いは右肩。彼女の剣が振り下ろされ、フェイントに代わる瞬間、僕は半歩前に足を出し、体重を乗せて最短経路で突きを繰り出した。
彼女の宝石のように澄んだ目が驚いたようにカッと見開く。
……が、僕の攻撃が届く前に彼女のガードが間に合い、金属が高く鳴った。
僕の剣のスピードよりも、彼女の動体視力が上回ってしまったのだ。
次の瞬間、彼女は全身で剣に力を込め、大きく振り抜いてくる。
さっきの一撃に賭けて、攻めに振り切っていたため姿勢が悪く避けられない。
僕は受けにいくが、衝撃が腕から背まで一気に抜け、握りが跳ねた。
柄が手から離れ、剣が床に落ちる。
「僕の負けです」
僕は息を整えて敗北を宣言した。
ヴァッセルも柄を下げる。周囲のガヤが一気に膨らむ。彼女のところに人だかりができ、賞賛が連射される。
「さすがヴァッセル様」
「美しい間合いでした」
「見事に格の違いを示された」
彼女は軽く首を振って、謙遜の形だけを作る。
「大したことはしていないわ」
そして、静止の片手を周囲に出し、僕の方へ歩いてきた。
胸倉が掴まれる。僕は抵抗しない。視界が近い。彼女の瞳に目が吸い込まれる。
「ここにいる人は、家と国のために必死に学びに来ている。自分の欲を磨くためじゃない。あなたのような平民が紛れ込めば、悪影響。剣術も迷いがある。中途半端で上手く扱えていない。才能ないから、早々に学園を去りなさい」
最後に突き飛ばされ、僕は尻もちをついた。砂が冷たい。砂の粒が指に貼り付く。
ガヤはすぐに協調した。
「帰れよ」
「身の程知らず」
「どうせ魔法もロクに使えないんだろ」
「剣だって、無様」
「チビカスブスー!」
教師は見て見ぬふり。視線は僕を滑って、別の組の打ち合いをじっと見ている。
……歪んでいる。
でも、珍しい光景じゃない。
前世でも、こういう構図はいくらでもあった。形が違うだけで、人は人だ。
何が彼女たちをそうさせてしまったのだろうか。きっと環境が悪かったのだろう。しっかりとした愛情をもらえず、他者への共感能力が欠けてしまったのだろうか。
前世からずっと修行を積んできた。情報をあさり、武術を学び、精神を鍛えた。この歪んだ世界を壊し、皆が悪意を持たない、集団の最大の幸福を極めた世界を作るために。
可哀そうに。力が支配する世界がいかにくだらないかを教えてあげなくては。それでも、理解を示さないというのなら仕方ない。
皆に囲まれて罵詈雑言を受ける惨めさが、あるいは見下すことしかできない人間への憤怒が、ドス黒く情力となって背中を這い回る。数々の決意が思考を駆け巡り、理想論を夢見た少年は今、虚ろな目をしていながらも、わずかに口角を上げていた。