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2話 怒りの力

そして、僕は…


転生した。


目を開けると、そこは森の中だった。ひんやりした湿った土の匂い。頭上を覆う広い葉の隙間から、白い光が斑に落ちてくる。手を見れば、小さくて、指にまだ丸みが残っている。立ち上がろうとして、足が頼りないことに気づいた。喉が乾く。声を出せば、驚くほど幼い音が出た。


「……僕、何歳だ?」


木の幹に背を預け、身長を測るふりをして見上げる。伸ばした手はあっさり届かず、歩幅は土に浅い跡しか残せない。腹の高さに生えるシダの葉が、胸元に当たる。自分は三歳くらいだろう、とそこで理解する。なぜ一人でここにいるのか、親はどうしたのか。まぁおおよそ捨てられたんだろうな。


その日から、僕は森で生きることになった。


最初の数日は、水と寝床の問題だった。朝露がたまる葉を見つけ、手のひらで受けた。石と枯れ枝で囲いを作り、太い根元に背中を寄せて眠った。夜、冷えに耐えられないとわかったので、翌朝には落ち葉を厚く敷いた。火はすぐには無理だったが、乾いた草を束ねて口にくわえ、両手で小枝をこすりながら、吐く息を一定に送った。うまくいかないときは、指を広げて空気を寄せ、地面の暖かさを少しだけ表に引き上げる。息が白くなるほど冷えた夜は、風の筋を変えて背中側の空気を動かし、体温が逃げないようにした。


五日目、獰猛な角を生やした動物に遭遇した。まだ、頭が重く、足がおぼつかないため逃げるのは諦めた。この世界の動物がどれほどのパワーを持っているかは分からないが、情力で僕の周りにバリアを張って攻撃を防ぎつつ自分で作ったナイフで何度も切って狩った。


「なかなか硬かったな」


骨を折り、肉を抉り、土を浅く掘って焼いた。なかなか噛みごたえがあったが、食べられないほどではなかった。


十二歳まで、その暮らしは続いた。季節が巡り、川の水位が上がったり下がったりするたび、道筋を覚えた。獣の通り道を見つけ、倒木と蔦で罠を作った。雨の日は、葉の先から滴る水筋がつくる音で時間を測った。身体は伸び、手足の動きは軽く強くなった。走り出してから止まるまでに、どれくらいの距離がいるか、感覚でわかるようになり、転びも少なくなった。


十二歳になって、森を出て、王都なるものを見つけた。門の内側は広く、光と影が入り混じる。お金を持っていないため生活のほとんどはスラムで過ごした。路地は狭く、屋根と屋根が寄りかかって空を細くしている。そこでは話がよく落ちていた。役に立つ話、どうでもいい噂、命に関わる情報。言葉の間に挟まる沈黙の長さで、どれをどう拾うべきか、僕は覚えていった。


働けって?僕だってギルドで稼いでみたかった。だが、冒険者ギルドは十五歳からという規制があるらしい。それに伴って身分を証明する物が必要だし、それを発行するための市民権も、もちろんない。だから僕は、せめてこの世界での情報だけでも得ようとスラムに住んだのだ。


この世界の常識も、路地の端で拾った。人は生まれたとき、神様から魔法と魔法の適性を与えられる。火、水、風、土といった単純な属性、回復や強化といった補助、稀に幻や空間など、耳にしただけで眉唾に思えるものまで。魔力は体に生まれついて流れていて、魔法は詠唱という形で世界に指示を送る。詠唱がなくても動く術式というものも一応あるにはあるらしいが、そこら辺はスラムではいまいち情報が出てこなかった。僕も、道端の訳ありそうなおじさんに簡単な詠唱を教えてもらったこともあった。舌の動かし方、息の切り方、音の高さ。だが、何度やっても、何も起きなかった。魔力はあるのに、何も反応しない。その魔法の適正が無くても、魔力が何らかの反応はするらしいんだが。あと、そのおじさんには「神の祝福を得られなかった異端者」なんて言われたっけな。


そんな日々が続いて十四歳のある日、スラムの通りは珍しく人通りが多かった。いつもより靴音が新しく、足取りが軽い。祭りの日か、誰かの婚礼か、と考えていると、二人組がこちらに歩いてきた。麻のシャツ、くたびれた靴。いかにも平民の服…なのに、全身から新しい革の匂いがする。腕に隠しているものの重さが、歩き方に出ていた。


「そこの君、少しいいかな」


声をかけてきたのは、若そうな女性だった。目はまっすぐで、まぶたの動きに無駄がない。もう一人は中肉中背の男性、視線の動きが通りの出口ばかりを舐めている。腰の位置に不自然な影があった。剣を隠している。


「魔法石のようなものをここら辺で見なかった?」


「大きさは拳ほど。持っていないなら、それでいい。見かけたら教えてくれ」


「見ていない」と僕は答えた。


彼女はうなずくと、小さく息を吸い、何事かを囁いた。唇の形が滑らかに連なる。詠唱…ということは魔法だ。


詠唱が終わると僕の体を上から下へとなぞるように見た。見終わると、彼女は男の耳元に口を寄せ、連れの男に耳打ちした。


「彼は持っていない」


まぁ僕は聴力も情力で上げられるので聞こえるけどね。


男は鼻で笑い、視線を僕に投げる。目が剣のように細い。


「無駄な時間を食った。行きましょう」


男は足早に去ろうとするが、彼女の方は動こうとせず、まだ僕を観察するように見ていた。


「君、魔力量が多いね。そして、魔力が不思議な質感をしてる…上手くはいえないけど透明…みたいな?どんな魔法が使えるの?」


「どの魔法を試してみても何も使えなかった」


僕は正直に言った。


「下民と話してる時間はありません。急ぎましょう」


「そうね、ごめんなさい時間を取らせて。じゃあね」


そう言って、彼らは人混みに紛れて消えた。男の方の足音は端正で、急ぎながらも乱れがない。軍靴の訓練が染みている。


僕には分かる。あれは小さい頃からしつけられた歩き方だ。きっと貴族の類いなのだろう。


僕は空を見上げた。これは、機会だ。スラムなんかでは貴族の動きや性格の情報は手に入らない。魔法石は高価だし、これを辿れば、王都の上流の情報が手に入るかもしれない。


魔力の流れを、肌で探る。僕は情力で体の感度を上げることで僅かな違和感を感じることができる。魔法石というからにはきっと魔法石の近くには魔力で満ちていることだろう。大通りに並行する細い通りを三つ抜け、突き当たりの低い塀を越えると、家々の間の影が濃くなる。その一角で、魔力の流れが途端に乱れていた。違和感。


そこには、一軒の家があった。魔力はどういうわけか構造物を無視して動き続ける性質がある。しかし、この家の壁に当たった魔力はまるで弾かれているみたいだった。近づくと、中にはまるで強大な魔力が閉じ込められている、そんな感じがした。


「……ここだな」


手の甲で扉を叩く。反応はない。耳を当てると、部屋の奥で布が擦れる音がした。息を潜める気配。中にいる。鍵は内側から。窓から回るか?いや、時間をかけると逃げられる。扉に掌を当て、木目を読む。金属のボルトが一本、中央よりやや下。丁番は三つ。僕は息を吸って、吐いた。胸の奥にある空気の柱を、ゆっくり前に押し出していくイメージを持つ。手で押すのではなく、空気に押してもらう。扉の表面に沿う風圧が、木と金属の接地をこじる。バキ、と低い音が鳴り、ボルトが外れた。


「あのー魔法石というものを探しているんですけどー」


中から返事は返ってこなかった。


中は薄暗く、乾いた布の匂いがした。足音を消し、部屋の角に体を滑り込ませる。すぐに気配が動く。左。短剣の刃が光った。肩を落として刃を空にくぐらせ、相手の手首を掴む。骨が少しだけ出ている部分を、指で挟む。そのまま少しひねると、力が抜けた。肘で顎を突けば、男は崩れる。背中にもう一人の影。床板が悲鳴を上げる前に、足で床の埃を蹴り上げる。舞い上がる粉が、相手の目に入る。その隙に腰を入れて一歩踏み込み、鳩尾の下に拳を沈めた。空気が抜ける音。男は吐いて、沈黙した。


制圧した僕は部屋を見渡す。家具は少ない。床板の一枚が僅かに明るい。踏んでみると、わずかに浮く。ナイフの柄でこじ開けると、布に包まれた何かが現れた。布に不思議な刺繍がしてある。魔力を弾く布。これが術式ってやつかな?布を外すと、拳より少し大きい石が出てきた。青白く、内部に薄い霧が渦を巻いている。持ち上げると、指先が痺れる。これが、魔法石。


外に出ると、日が傾き始めていた。通りはまだ人でごった返している。僕は影の濃い側を選んで歩き、先ほどの二人が消えた方向へ向かった。裏通りの水場、洗濯女が集まる広場、坂道の下のワイン屋。三つ目の角を曲がったところで、見慣れない静けさがあった。人の多い日なのに、その空間だけが空いている。目立たないように、僕は足を止めた。


いた。昼間の二人。女は壁にもたれ、短い詠唱を口の中で試している。男は通りに背を向け、腕を組んでいる。僕は二人に近付いていく。


「君は昼間の…」


「探していたものは、これですか」


僕は布を少しだけめくって見せた。石の光が、夕陽に反射して青く揺れる。一瞬、空気が止まった。女の目が見開かれ、男の肩がわずかに上がる。


「それだ」


男の声が低くなる。


「どこで見つけた」


「スラムの外れの家。盗賊二人が持っていた。今は…多分まだ気絶している」


「渡せ!」


男が歩み寄ってきた。手は剣の柄に自然に添えられている。なんか強情だなぁ。お礼を言われても良さそうだけど。そう思いながら僕は魔法石を彼に渡す。


「よし。そこで、両手を頭の後ろで組み、地面にひざまずけ。拘束して、連行する。抵抗すれば、その場で斬る」


こればっかりは僕もカチンときた。これは明らかに悪意ある行動だ。僕は魔法石を見つけてきて、さらには素直に魔法石を渡したではないか。別に礼を言わないくらいなら、それはそれで僕は気にしなかった。僕の『信念の範囲外』だからだ。しかし、なんの理由もなく人を害すというなら話は別だ。僕は、従わない権利を主張する。僕は『悪意を絶対、許さない』。


「あなた達の探し物を見つけてきたんです。そこまで横暴にされる義理はない。」


「下民ごときが口答えするな!いいか!これは命令だ!従え!」


僕の怒りの感情が、情力が体から溢れだす。

僕の周囲からは風が吹き乱れ始め、髪の毛がふわっと浮き上がる。通りの端に吊るされた洗濯物が、ぱたぱたと鳴る。これは情力というエネルギーが体内に溜まりすぎて、体から吹き出ている状態だ。要はかなり怒り心頭である。


胸の中で、何かが静かに折れた。別にお礼をしてほしかったわけじゃない。ただ、こちらの善意を踏みにじられるのは違う。僕は一歩前に出た。足裏の下の石畳の隙間に溜まっていた埃が、ふっと舞う。体の表面を撫でる空気が厚くなる。冷たさと温かさの境目が近づき、目の前の空間が重く沈む。


男の頬に、はじめて薄い汗が浮かんだ。


「やめて」と、女が短く言った。その声は鋭く、だが焦りが混じっていた。


「まだ彼は何もしていない。剣を抜かないで」


「下がっていてください!こいつは危険です!」


男は片手で彼女を制し、僕から目を離さなかった。


「勇の名において誓う。誉れは我を…」


男が途端にぶつぶつと詠唱を始めた。詠唱の内容的に身体強化の部類だと推察するが、未知の力ゆえ警戒心を強める。情力がこの世界でどれほど通じるかもまだ分からないし。


口を止めると鞘から刃が抜かれる。男は一気に間を詰め、斜めから袈裟に振り下ろす。速い。だが、見える。体を半歩ひねって刀身をかわし、剣が地面に近付いたところを足で踏む。僕は今、ただ強い力で殴るのだと『決意』した。拳を力強く握りしめると、右腕の筋肉が隆起する。左足を半歩下げ、腰を落とし、地面を踏みぬく。空気の厚みが拳に重なり、剣の側面にありったけの拳をぶつけた。中国拳法の発勁だ。すると剣は鈍い音を鳴らして、刃の中心が粉々に砕けた。


男の顔から血の気が引いていくのを感じた。


「……五百年前から受け継いでいる伝説とまで呼ばれたモンフォール家の剣だぞ…」


彼の手から力が抜け、柄だけがぶら下がる。目がガラスのように濁り、立っているのに足を持っていかれているみたいだった。僕は深く息を吐き、風の厚みを下ろした。女が駆け寄ってくる。表情が整っているのに、息が少し乱れていた。


「ご、ごめんなさい!」


彼女は頭を下げた。


「今の態度は、完全にこちらの非。あなたが石を見つけてくれなければ、きっともっと面倒が広がっていたわ。ありがとう」


男がなにか言いかけ、唇を噛んだ。女は彼を一瞥で黙らせ、僕に向き直る。


「事情があるの。これは王家の問題で、あなたは当事者になった。だから、来てほしいの。証言と、経緯の確認が必要。危険な場所に連れていくつもりはないわ。あなたの安全は私が保証する」


王家???

あの石、国家機密レベルのものだったのかよ!

どっかの貴族の家に盗みが入ったレベルだと思っていたがこれは予想外だ。


「本当ですか?」


「アッシュダウン家にかけて誓うわ」


彼女の目は、嘘をついていない目だった。小さく震える睫毛、結び直した口角。人を使い捨てにする目ではない。まぁそれに、いざとなったら無理やり逃げればいい。


「わかりました。ついていきます。」


「助かるわ」


女は胸を撫で下ろし、折れた剣を抱える男に短く指示を出した。「代わりの護衛を呼んで。角の先の路地で合流。余計な手は出さないで」


男は無言でうなずき、柄を布で包んだ。先ほどまでの高圧は影を潜め、ただのしょぼくれたおじさんの顔だけが残っていた。家宝が折れた痛みは……心中お察しします。


歩き出す前、女がふと振り返った。


「名前は?」


「カンザキ・ケーラです」


「カンザキ君って呼んでもいいかしら」


「構いません」


ん、そういえばどっちが名前でどっちが家名なんだろう


「すみません。あなたの名前を聞いてもいいですか?」


「テレサ・アッシュダウンよ。よろしくね」


うわー逆じゃねーか。やらかした。

まぁ大して気にするようなことでもないか。


僕は肩をすくめ、彼女の後に続いた。

歩きながら、頭の片隅で整理する。僕は魔力を持っているのに、魔法を使えない。魔法は地球の物理法則ではありえない力を出せる一方で詠唱の時間が必要である。前世から持つ情力は、さきの戦いを振り返るに、発動までの時間を考えればこちらに分があるだろうが、まだ能力に底が見えていない。あのおじさんも、この幼き身体に油断してそうだったし。引き続き警戒を強める必要があるだろう。


路地を抜け、広い通りに出た。女性が先を歩きながら、時折後ろを気にする。三度目に振り返ったとき、彼女は小さく笑った。


「あなたはどうやって生きてきたの?」


「十二までは、森の中で生活してました。狩りをして、罠を作って、寝床を作って。十二からはさっきのスラムに来ました。ギルドに入れないからお金がなくて」


「たしかにギルドには十五歳以上であることの証明が必要だもんね」


「どうしてそんなことを聞いたのですか?」


「んーあなたからはあのスラムで生活していたとは思えないほど、肌は清潔で、臭いもしなかったから」


なるほどな。僕は定期的に体についた汚れを体の内側から弾き飛ばしていた。情力があれば雨にも濡れないし、汚れも落とせる。


「あーあはは。謎に清潔感だけは大切にしてるんですよ僕」


「いい心掛けね。そういえばさっきの力はなに?魔法…にしては詠唱がないように見えたけど…どこで学んだの?」


この回答は大事だと直感が告げている。慎重に言葉を選ばないと…


「森の中で学んだんです。ほら、森の中に危険な動物がいっぱいいましたから。おかげで、ちょっと戦闘に慣れました」


「その前の風を吹かしていたやつは?」


「それはー…魔力を魔法として出すのではなく、そのまま体から放出しただけ…です」


彼女は顎に手を当てて考えごとをしているようだ。てきとうなことを言い過ぎただろうか。


「すごいわ!魔力を自由自在に操れるということかしら!そんな人は今まで見たことないわ!」


「あーいや!操っているわけではないですよ!ただ風船に穴を空けたようなものです」


「風船が何かは分からないけれどそれでも十分すごいと思うわ!同じような現象だと魔法の不発とかになるのかしら。でもあそこまでの風が出るのは見たことないわね」


「あーそう。不発のようなものです」


地球の固有名詞を言っても伝わらないのは当たり前だ。気を付けないと。


そして、しばしの談笑の後彼女は途端に前を指差す。


「あれが王城よ!」


「わーお、でかーい」


「反応が安っぽいわね」


王城は大きく壮麗だった。もしかしたら、このまま行けば、王にも会うことになるだろうか。期待と不安が入り交じるなか、彼女の誘導のもと、僕は歩みを進めた。

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