15話 共感
僕は初めてアイスクリーム屋に来た日から、何度も店に通うようになっていた。基本的には一人で来るが、たまにエルもついてくる。
しかし、アイスクリーム屋のリスは、ある日を境に店を出さなくなった。また来ると言ったときは歓迎ムードだったのに。
店を出さなくなって八日目になると、さすがに僕も違和感を覚えた。僕はもう軽口を叩く気分じゃなかった。エルも無言で歩いていた。露店街の角を曲がったところで、視界の端に引っかかるものがあった。石壁に貼られた、騎士団の掲示。僕は足を止める。エルも少し遅れてその紙を見た。
『南東の森近くに位置するギュウタク村、盗賊団の襲撃を受く。人的被害甚大、現在調査中。情報提供者は王都騎士団まで』
紙に滲んだ文字を追う指先が、微かに震えた。
その村の名前は、リスが言っていた仕入れ先の村の名と一致していた。
嫌な予感がした。もしかしたら仕入れを行う途中で何か事件に巻き込まれたのではないか。不安を覚えて、いてもたってもいられない。
「……ちょっとギュウタク村に行ってくるよ」
気づけば口が勝手に動いていた。
明日から二日間学園は休みだし、僕の足なら問題なく行って帰ってこれるだろう。
「なぜ?」
「アイスクリーム屋のリスが巻き込まれているかもしれないんだ」
エルはわずかに目を細め、僕の横顔を覗き込んだ。
「じゃあ私も行くわ」
「もしかしたら何もないかもしれないし、時間を取らせるのも悪いよ」
「何言ってんのよ。危ないし、一人で行かせるわけないでしょ」
柔らかい声なのに、有無を言わせない剣呑さを含んでいる。僕は肩をすくめて両手を上げた。
「ありがとう。じゃあ明日の朝また集まろう」
正直、一人の方が動きやすいんだけど、せっかく友達になったんだし、断るのも無粋だよね。
翌朝。
僕たちは王都で馬を借りてギュウタク村についた。
焦げた梁、崩れた屋根、黒くなった土。倒れた荷車に、乾いた血の色が錆のようにこびりついていた。
灰色の外套を纏った調査隊が数名、槍で地面をつつきながら、何事か話していた。
「すみません。ここで何が」
僕が問うと、若い騎士が振り向いた。疲れた目で僕らを測る。
「チョビツエ盗賊団による夜襲だ。奴らは狡猾で力が強く、現状騎士団でも手に負えていない。村の男は殺され、女と子どもは連れ去られた。ここは危険だ、すぐに王都へ戻れ」
「追跡は?」
「足跡は、途中まで。そこから、臭い消し、おまけに魔力痕跡の撹乱魔法まで使ってある」
僕はそれだけ聞いて、独自で動き始める。
全身の感覚に集中して盗賊の行方が分かるか試してみる。
視線を落とすと、わずかに地面がざらついている。
しゃがみ込んで手のひらで土をゆっくり撫でる。車輪の円弧が、消された後の気配として残っていた。湿り気に不自然な連続性がある。これも魔法だろう。
鼻で空気を吸い込むと、焦げの匂いの奥に硬い革、獣脂、汗、鉄の匂いが森の奥から漂っている。
触覚に返ってくる微弱なざわめき。空間に、誰かが通った余韻が残っている。
僕は立ち上がり、村はずれの小道から外れて、森のほうを指さした。
「あっちだ」
エルが眉を上げる。
「どうしてそう思うの?」
「勘だね」
「何よそれ。もし本当にあったとしても危険すぎるわ。騎士団の人も連れていきましょう」
騎士たちの顔を一瞥する。彼らを連れていくにはいろいろ手続きがあるだろうし、人数が増えるほど統率にリソースを割かれて足が遅くなる。
「確証はない。もし何もなかったら、戻るころには夜だ。彼らを連れて彷徨うのは申し訳ない。大丈夫、すぐ帰ってくるから。エルもここで待ってて」
エルは僕を射抜くように見た。
「はあ。何言ってんのよ。行くというなら私も行くわ」
僕は苦笑して、肩をすくめる。
「はは、ありがたいけど危ないかもよ?」
「なら私が行かない道理がないわ」
そうして僕たちは日が落ちかけている森へ駆け出す。
森は既に日が落ちており、薄暗闇に包まれていた。
「夜は危険だわ」
「そうだね……でも、この先に何かあるはずなんだけど」
そう言った瞬間、空気が波打った。
僕は足を止めて目を閉じ、耳に意識を集める。
「急に止まってどうしたのよ」
「ごめん。ちょっと静かにしてて」
右の森の奥、若い女の人の悲鳴が聞こえる。かなり緊迫した状態のようだ。
「あっちの方に誰かいる。先に行くから、あとでついてきて。迷ったら大きな声を出して」
「ちょっと!」
エルの声を無視して、僕は道なき場所に入り、足を速める。
木々の間を縫い、低い枝を肩でいなし、足の置き場を視線の端で拾って、速度を落とさずに走る。
僅か数分で叫び声が近づいてきた。男たちの息と泥の匂い、それから血の匂いが漂っている。
ついに叫び声の主を視界に捉える。
声を上げていたのは、ここに来た目的である、アイスクリーム屋の主人、リスだった。
複数の男に囲まれ、髪を掴まれ、地面に押し付けられている。
彼女の顔は涙と土でぐちゃぐちゃで、目だけが異様に大きく開いていた。
僕の身体は、考えるより先に動いた。
最初にリスを抑えている盗賊を引きはがし、暗い森に突き飛ばす。次に囲んでいた盗賊を順々に樹木に叩きつけ、意識を奪っていく。
「大丈夫ですか、アイスクリーム屋さん」
制圧が完了して、リスに近づいていく。
何が起きたか分からないというような顔で、固まっている。
呼吸を整え、リスの正面にしゃがみ込む。
「あなたは……クラシキさん?」
「はい。全然店を出さないから、心配になって探しに来ちゃいました。何があったんですか?」
リスは唇を噛んだ。喉が上下して、言葉が喉の奥から剝がれるみたいに出てきた。
「仕入れに……行ってただけなんです。そしたら、夜に盗賊団が村を襲って……」
彼女の声が震えている。目は虚ろで、何かを思い出しているような、遠くを見る目だ。
「村の男は全員殺されました。女と子どもはアジトに連れていかれて……昼は働かされて、夜は……」
言葉が途切れる。彼女の手が、自分の腕を強く掴んだ。爪が食い込んで、白くなっている。
「夜は女が盗賊どもの玩具にされるんです。抵抗すれば、大人しくするまで殴られて……この世の地獄のような場所でした」
リスは顔を伏せる。肩が小刻みに震えている。
「……病気の母も、残してきて。もしかしたら、もう……手遅れになっているかもしれません」
その声は、か細く、今にも消えてしまいそうだった。息が詰まり、肩が激しく上下する。
数秒の沈黙。
そこで、リスが顔を上げた。強く歯を食いしばるように、彼女の顔の筋肉に力が入る。涙で濡れた目が、怒りの色を帯びていく。そこにあるは、まさに修羅の相。
「私は……私は、ただ母と普通に暮らしていたかっただけなんだ!」
声が低くなり拳で地面を叩く。
「なのに!ただの道具として連れてこられて痛めつけられて!周りで何人も殺された!私たちが何をしたって言うんだあああああぁ!」
叫びは森を震わせた。リスは両手を地面に突き、額を土に擦りつけるように深く伏せた。肩が激しく震え、嗚咽が漏れる。
そして、彼女は土に額を押し付けたまま、絞り出すように言った。
「お願いです、クラシキさん!私と村にいる人を傷つけ、将来を奪った盗賊のやつら全員を……ぶち殺してくれえええええ!」
彼女が吐き出したのは、魂を切るような慟哭だった。
怨念、怨嗟、怒り、悲しみ、喪失、絶望、悔恨。それらの感情が言葉となって僕の中に流れ込み、共感する。僕の胸の奥で、何かが燃え上がる。
誰が、この恨みを見捨てることなどできようか。
情力が一気にあふれ出す。
地面の砂が細かく跳ね、僕の髪がふっと浮いた。
「リスさん。あとは僕に任せてください。必ず、盗賊団の罪を償わせてみせます」
リスが顔を上げる。涙で濡れて重くなったまつげが、震えた。
「どうかよろしくお願い……します」
その時、エルが息を切らして飛び込んでくる。
エルが僕を睨む。
「ちょっと、あんた。ろくな説明もなしに急に走り出さないでよ」
「ちょうどよかった。エル、彼女をよろしく」
「はぁ? あんた剣も持ってないのに、何をする気?」
またしてもエルの声を無視して、アジトがあると予測される方向へ走り出す。
粗い木組みの塀が見えた。
僕は走っているスピードのままに塀に突っ込んで蹴破る。
爆音につられて盗賊が集まる。
「なんだこいつは!」
「塀をぶち抜きやがった!」
「ルミナリア学園の制服だ」
耳に飛び込む声の色は、驚き半分、笑い半分。
一人の盗賊が近づいてきた。
「おいガキ、勝手に人ん家の塀壊しやがって。殺されてぇのか?」
「お前たちは小さな村を襲って、残虐な行いを繰り返しているそうじゃないか。罪悪感はないのか」
一瞬の静寂。次に来たのは、嘲りの笑いだ。
「あるわけねえなあ。お前もルミナリア学園の制服着てるってことは、どっかの貴族なんだろ? こりゃ高く売れそうだ」
周囲で、鞘から剣が抜かれる音。
男は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「大人しくしてりゃ、痛い思いをせずに済むぜ?」
彼は詠唱を始めた。唇が形をつくる。
僕は淡々と告げる。
「今、これまでの行いを反省して、まっとうに生きるというなら、見逃してやる」
男の口角が釣り上がり、剣を振りかぶる。
「するわけねえだろ、ばーか」
しかし、剣が振り下ろされるより先に、僕の手の平が男の顔面を捉える。
そのまま掴んで、地面に叩きつけた。
場が静まる。
「……おい」
誰かの喉が鳴る。次の瞬間、叫び。
「魔法を打てぇ!」
四方で詠唱が始まる。
火の玉、雷撃、風の刃。土砂が巻き上がり、木片が飛ぶ。それらが僕に当たって空気が爆ぜる。
しかし、怪我一つ負っていない様子で、僕はそこに立っていた。
土煙が晴れるころ、僕は少しだけ息を吐いて、声を出した。
「はあ。どうして分かってくれないんだろうなぁ。ほんと、残念でならない」
怖がっている者もいれば、昂っている者もいる。
僕は体中に力を入れ、情力が体内を巡っていくのを感じる。
人を傷付けるだけが人間じゃないだろう。どこで道を誤ってしまったのか。どうしても傷付けてしまうというなら、世界のためにも死ぬしかない。




